福島第1原発事故 「東電工程表」 最低でも半年間は帰宅できないという宣告

2011-04-18 | 政治

東日本大震災:福島第1原発事故 東電工程表「信用できるのか」 怒りや疑問の声
 「思ったより長い」「発表は単なる目安なのでは」……。東京電力が福島第1原発事故収束までの「道筋」を示した17日の記者会見。既に原発周辺から避難したり、避難を指示される恐れのある「計画的避難区域」に住む住民たちは、事故から1カ月以上たって聞かされた日程に複雑な表情を見せた。不便な生活への怒り、将来の不安、そして東電への疑心暗鬼。さまざまな感情を抱きながら、発表を受け止めた。【河津啓介、和田武士、荻野公一、町田結子】
 ■双葉町住民
 役場ごと埼玉県加須市に避難した双葉町の住民たち。両親と妻の4人で旧騎西高校に避難している配電線工事業、舘林孝男さん(56)は放射線量の大幅抑制までの期間について「自分では3カ月程度と思っていた。(6~9カ月は)長い」と憤る。福島県内で電気の復旧工事に携わることもできるが、高齢の両親を避難所に置いて行けない。「とにかく早く双葉に帰って働きたい。9カ月を目標にするのではなく、一日でも早く収束させてほしい」と訴えた。
 父親と同校に避難した養蜂業、小川貴永(たかひさ)さん(40)は「暫定的な発表に過ぎないのでは」と疑う。知りたいのは帰れるめどだ。「人間が住めるまでどのくらいかかるのか、1次産業は復活できるのか。それを教えてほしい」と語気を強めた。
 井戸川克隆・双葉町長は「町民のことを考えると、明確に安全な数値が確認されるまで帰宅できないと考える。さらにしっかりした作業をされることを望む」とコメントした。
 ■郡山市
 福島県内最多の約1700人が避難する郡山市の多目的ホール「ビッグパレットふくしま」。避難指示が出ている半径20キロ圏内の富岡町や屋内退避が指示されている20~30キロ圏内の川内村の住民が中心だ。富岡町の斉藤義男さん(76)は「避難は一時的と思っていたが、そんなにかかるのか」と落胆の様子を見せたが、すぐ思い直したように「収束時期がはっきりすれば先の見通しも立つ。(見通しが)ないよりいい」と付け加えた。夫が原発関連の会社に勤めている富岡町の女性(52)は「政府や東電からいろんな発表があるが、言うことがころころ変わるように見える。今日の発表も信用できるのか」と手厳しい。
 ■飯舘村
 全域が計画的避難区域になる飯舘村。菅野典雄村長は村役場のテレビで会見を見守った。「初めて先が見えたことは歓迎したい。だが、これで安心できるものではない」と感想を述べた。
 事故は、村の基幹である農業、畜産業に大打撃を与えた。放射性物質の漏えいが抑えられたとしても、再建はその先だ。
 「土壌の(除染などの)問題などはもっと日数がかかる。私たちにとっては、土地や牛も命の一つだ」とため息をついた。
 ■川俣町
 一部が計画的避難区域になる川俣町の主婦、高木栄子さん(66)は「本当に6~9カ月で収まるとは信じられない」と疑問視した。事故後の生活上の悩みも訴える。「窓も開けられず、思うように外出もできない。ちょっとした家族の言動にもきつく当たるようになってしまった」毎日新聞2011年4月18日 東京朝刊
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中日春秋 2011年4月18日
 「人間は柔順な動物であり、どんなことにも馴(な)れてしまうところの存在である」と断じたのはドストエフスキーだが、今ここにある危機には、慣れてしまうわけにはいかない▼天気予報と同じように、新聞に日々載っている「最大放射線量」の図がある。「おや、今日は低いな…」などとつぶやくことに違和感を覚えなくなる自分を想像したくない。先の見えない不安の中、感覚が鈍磨し関心自体を失ってしまうことが怖い▼東京電力はきのう、原発事故の収束に向けた「工程表」を発表した。福島第一原発1~4号機からの放射線量を着実に減らし、放射性物質の漏出を封じ込めるまでに半年から九カ月を要するという▼収束に向けた見通しが初めて示された意味はあるが、どこまで客観的事実に裏付けられた見通しなのか疑問もある。余震が続けば工程はずれ込む。楽観的な気持ちにはとてもなれない▼海江田万里経済産業相は六~九カ月後を目標に一部地域の住民に帰宅可能かどうかを伝える考えを明らかにした。住民からすれば、最低でも半年間は帰宅できないという宣告でもある
▼牛を飼っている酪農家はどうするのだろう。作付けを断念する農家は、何を支えに生きていくのだろう…。起こしてしまった事故の影響の深刻さをつくづく思う。最大放射線量の図。こんなものが新聞から一日も早く消えることを願う。
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〈来栖の独白〉
>牛を飼っている酪農家はどうするのだろう。作付けを断念する農家は、何を支えに生きていくのだろう…。
 私たちが電力を原発を必要とした。より快適な生活を享受しようとした。・・・頭を垂れるばかりだ。

原発を私は「許容していた」。 原発を許容したのは、自分であり国民それ自体なのだという洞察2011-03-26 | 地震/原発

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