奈良放火殺人事件

2006-07-02 | 社会

<奈良高1放火殺人>父が週1、2回暴力 勉強の指導中に

 奈良県田原本町で母子3人が死亡した放火殺人事件で、殺人と現住建造物等放火容疑で逮捕された長男(16)が医師の父親(47)から、週1、2回の頻度で暴力行為を受けていたことが1日、分かった。弁護士の接見で、長男は「スパルタ教育の中で父から暴力を受けたことがある」と明かしており、県警捜査本部も、長男を追いつめた重要な要素として、暴力行為の実態解明を進めている。
 関係者によると、医学部進学に固執した父親は自宅で夜遅くまで自ら勉強を指導している時などに、毎週のように暴力を振るっていたという。ただ、竹刀など道具を使うことはなく、いつも素手だったらしい。
 別の関係者によると、暴力行為の他にも、長男が使っていたテレビゲーム機を取り上げて破壊したり、友人らの訪問中に長男に命じて勉強をさせることもあった。
 一方、長男が通う高校の保護者有志は1日、処分を軽くするよう求める嘆願運動を始めた。「彼の寛大な処分を嘆願する会」とし、同日あった学校の保護者説明会で、「嘆願書のお願い」と書いた用紙を配布。今月5日までに、嘆願書を同会あてに郵送するよう求めた。嘆願書は弁護士に手渡す予定という。【中村敦茂、黒岩揺光】
(毎日新聞) - 7月2日3時9分更新

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 嘆願書。よかった。ほんとうに、よかった・・・。

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<奈良高1放火殺人>父に対し「会っても謝罪の言葉がない」(毎日新聞)

奈良県田原本町の医師(47)宅が全焼し、母子3人が死亡した放火殺人事件で、逮捕された高1の長男(16)が3日、接見した弁護士に「母や弟、妹を毎日心の中で思い浮かべ謝っている。父から暴力を受けて精神的につらかった」と話していることが分かった。「父に対しても謝罪したいが、会っても謝罪の言葉がない。どうやって謝っていいのかも分からない」と述べたという。
 弁護士によると、接見は同日午後7時過ぎから約1時間20分で、長男は終始元気がなく、事件についてかなり悔いている様子だったという。
 長男は県警の調べに、「父に日ごろ『医者になれ』と言われて重荷に感じていた」「成績に厳しく、殴る父に憎しみを持っていた」などと供述している。【石田奈津子】
(毎日新聞) - 7月3日22時15分更新


2 コメント

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資質 (Sr.H)
2006-07-02 20:53:20
ゆうこさん。こんばんは。

 嘆願書の提出を保護者有志の方が考えられたとか。よかったこと。

 それにしましても、ずっと宥子さんがこの事件をお心に掛けていらっしゃる様子が伝わってまいります。ニュースを耳にされて、強く感じるものがおありになったのですね。このこと(感じること)が、私はとてもだいじなことで、一方、今の社会は、そういうことが希薄になっているように思います。

 マタイ9,36~に「深く憐れまれた」とあります。文字通りの訳は「はらわたが、うごかされた」ですね。

 むごたらしい事件が相次いでいますけれども、人の心は、鈍くなってしまっているように思います。人のために号泣するとか、かわいそうで胸がいっぱいになる、じっとしていられない、といった感情が失われているように思います。教会・修道会でも、小奇麗にして、来る人を受け入れよう、そんなところに安住してしまっているように感じます。イエス様は、そうではなかった。はらわたが突き動かされるままに、枕するところもなく、一貫して「疲れ果てた群集」と共におられました。

 私は、ゆうこさんの感性が、とても尊く稀有のものに感じられます。持って生まれたものなのでしょうか。人の悲しみに共感してゆかれるお姿はすばらしいです。そんなゆうこさんだから清孝さんが「僕の人生で、あんなに感動した人はいない」とおっしゃったのですね。わかるような気がします。

 これからも、メッセージを発信し続けてくださいね。感謝です。では、ごきげんよう。

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Sr.H様へ (ゆうこ)
2006-07-04 11:13:17
 シスター。コメント(褒めすぎの)、ありがとうございました。昨日月曜はこのブログ、オフで、返事が遅れてすみません。



 数年前、本田さんからのお手紙に一枚の絵が同封されていました。炊き出しに人々が並んでいる絵でした。炊き出ししているのは教会(信徒)であったりボランティアの市民でしょう。炊き出しを受けるのは、野宿の人、つまり一杯の雑炊を受ける必要に迫られている人です。コメントが書かれてありました。「イエスは、並んで雑炊を受ける側におられる」と。施す教会の側ではなく、貰う方だと。

 「主は皆さんと共に」とミサで言いますが、この「皆さん」とは、「餓えている人」であり「裸の人」であり「虐げられている人」・・・であるでしょう。

 イエスご自身、ひねこびた筋根。膝小僧よりも低い丈の葡萄の木でしたね。
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