刑場〈厳粛な場〉と死刑執行の姿〈後ろ手錠〉 2010.8.28

2010-08-29 | 死刑/重刑/生命犯

〈来栖の独白〉
 2010年8月27日金曜日、東京拘置所内の刑場が報道陣に公開された。7月28日の死刑執行に際しての法相記者会見で、8月中の刑場公開は約束されていた。25日だったか、某メディアより私のところにも取材の申し込みがあった。「綸言汗の如し」ではないが、一旦口から出た言葉を撤回も訂正も不可能なメディアにモノを言う勇気は私にはない。
 各社報道によれば、刑場について、「厳粛な場」と表現されている。“ 絞縄は「極めて厳粛な用具」として非公開だった ”が、“ 教誨室に入ると、香のにおいが漂う。「刑場では死者の魂に敬意を表してほしい」と取材陣に話した拘置所幹部は、部屋に入る度に必ず扉の前で手を合わせ、深々と一礼していた ”とも報じられた。「死者の魂に敬意」とは、一応の尊厳が守られているのかな、とも咄嗟に思った。
 一方、全国犯罪被害者の会「あすの会」の松村恒夫さんは、「死刑囚は告知され、死ぬ前に読経やミサを受けることができる。被害者はいきなり、もっと残酷な方法で命を奪われている。そうした事実にも目を向けてほしい」と言う。
 そこで、考えてみたい。
 確かに、死刑は犯罪に因る被害者の死とは違い、受刑前に香のにおいが漂う教誨室で読経やミサに与ることができ、厳粛な場で、極めて厳粛な用具である絞縄によって執行される。また、頸をしめられたとき直ちに意識を失っていると思われるので苦痛を感じない(1959年11月25日の古畑種基鑑定)、と鑑定されてもいる。
 が、加賀乙彦氏は著書『死刑囚の記録』の中で次のように言う。

  死刑の苦痛の最たるものは、死刑執行前に独房のなかで感じるものなのである。死刑囚の過半数が、動物の状態に自分を退行させる拘禁ノイローゼにかかっている。彼らは拘禁ノイローゼになってやっと耐えるほどのひどい恐怖と精神の苦痛を強いられている。これが、残虐な刑罰でなくて何であろう。

 この加賀氏の文脈は、ドストエフスキーがその著『白痴』のなかで語る「予告された死(死刑)が人間の体験する最大の苦痛である」に由来する。

 「宣告を読み上げて人を殺すのは、強盗の人殺しなどとは比較にならぬほど恐ろしいことです。夜、森のどこかで強盗に斬り殺される人は、かならず最後の瞬間まで救いの望みをもっています。そういうためしがよくあるんですよ。もうのどを断ち切られていながら、当人はまだ希望を抱いて、逃げ走るか助けを呼ぶかします。この最後の希望があれば十層倍も気安く死ねるものを、そいつを確実に奪ってしまうのじゃありませんか。宣告を読み上げる、すると、金輪際のがれっこはないと思う、そこに恐ろしい苦痛があるんです。これ以上つよい苦痛は世界にありません。

 加賀氏の「死刑の苦痛の最たるものは、死刑執行前に独房のなかで感じるもの」との言葉に、想起させられる文脈がある。
 刑事訴訟法第475条は、「死刑の執行は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない」(但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。)としている。これは日本国憲法制定後に「今までのように死刑執行まで時間がかかりすぎるのは、死刑執行を待つ恐怖が長く続くことになって残酷であり、新憲法の趣旨にも反する」という理由で作られたものである。つまり、刑事訴訟法も、「独房のなかで感じる死刑の苦痛」を認めている。
 次に考えてみたいのは、執行方法についてである。
 三審制の裁判により刑確定した死刑囚を受刑の日まで厳重に管理するのが行刑の役割である。それを、最後の仕上げ(死刑執行)でしくじってはならない。死刑囚を前手錠ではなく後ろ手錠で執行するのは、そういう企図でもあるのだろう。
 前手錠であれば、合掌の形をとることも可能だが、後ろ手錠では、人生の最後に到ってなお「犯罪者の形(姿)」をとらされた、と私は感じてしまう。愚弟藤原清孝が、それ(後ろ手錠)を悲しんだように思えてならない。このように思ってしまうのは、私が「後ろ手錠」という言葉を初めて知ったのが、犯罪者勝田清孝の手記だったことにもよるかもしれない。逮捕の瞬間を描いている。

  騒ぎに駆けつけた人達によって、折り重なるように押さえ込まれた私は、その重みで胸を圧迫されて失神してしまい、逮捕される瞬間は自分がどうなっていたのか分かりませんでした。気がついたのはすでに後ろ手錠をはめられ引き起こされる時でした。(『冥晦に潜みし日々』)

 そういえば、連合赤軍事件坂口弘死刑囚(東京拘置所在監)は次のように詠っている。

 後ろ手に 手錠をされて 執行を される屈辱が たまらなく嫌だ (1996年4月発行『しるし』)

 公開された刑場について、「厳粛な場」とのワードも含まれて報道された。しかし、私は(私の感性は)、「死刑は人の尊厳を満たしているものでしょうか」と問わないではいられない。人間としての尊厳を剥奪し、「希望」という名の最後の一滴まで奪い尽す究極の暴力が死刑ではないだろうか、と考えずにはいられない。
 加賀乙彦氏は『死刑囚の記録』のなかで次のように書く。(註;文中「彼」というのは、バー・メッカ事件の故正田昭死刑囚のことである)

中公新書『死刑囚の記録』
 彼は、日記に「死刑囚は四六時中死刑囚であることを要求されている」「死刑囚が存在することは悪であり、生きていることは恥である」と書きつけている。死刑囚の死は、絞首という不自然で、しかも恥辱の形をとった死であり、それ故に、一般の人の病床の死や事故による死とちがうと彼は考えている。「死刑囚であるという状態は、悪人として死ねと命令されていることだ」とも書いている。彼は、自分の死を恥じねばならない。いったい、一般の人びとが、自分の死を恥ずかしく思うであろうか。
 だから、死刑囚の死は、私たちの死とは違うのだ。それはあくまで刑罰なのであり、彼はさげすまれて死なねばならないのだ。正田昭のように罪を悔い、信仰をえて、神の許しをえた人間も、死刑囚としては大悪人として、絞首を---実に不自然な殺され方を---されねばならない。彼は、最後までこの矛盾に苦しんでいた。死を静かに待ち、従順に受け入れながらも、自分の死の形を納得できず、恥じていたのだ。
「死刑囚であるとは、死を恥じることだ。立派な死刑囚であればあるほど、自分の死を恥じて苦しまねばならない」とも彼は書いている。

 お断り:「後ろ手錠」は、あくまでも、来栖が藤原清孝の死に様ついて立会いの教誨師から聞いた名古屋拘置所における姿である。
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刑場を初公開、踏み板や縄固定の輪…「装置」生々しく
「死刑のあり方に関する国民的議論の参考にしてほしい」という千葉景子法相の指示で、非公開が続いてきた「刑場」が限定的ながら公開された。法務省は「覚悟を持った職務」、「厳粛な場」という現役拘置所員の声を公開時の説明として報道陣に説明した。
 薄紫色の絨毯(じゅうたん)が敷かれた約5メートル四方の一室。壁は木目調で、蛍光灯がまぶしい。東京拘置所内の「執行室」だ。
 絨毯に張られた赤色テープで四角く二重に囲われた場所が「踏み板」だと法務省職員から説明を受けた。執行の合図で体を支える床は瞬時に消え、落下する。死刑囚は医療用ガーゼで目隠し、両手は前に出して手錠、両脚はゴム製バンドで縛られる。首に直径約3センチの「絞縄」をかけられて最期を迎えるという。
 絞縄は「極めて厳粛な用具」として非公開だった。高さ約3・8メートルの天井に目を移すと、縄をつるす滑車があった。縄を固定するための「輪」が4つ、壁から床にかけて並ぶ。直径はソフトボール大で堅固さを感じる。頭では分かっていながらも、人一人の重みを支える装置の生々しさを、まざまざと感じた。
 午前10時から約30分間の刑場公開に参加した記者は約30人で、持参できるのはペンとノートのみ。刑場の位置特定など警備上の理由もあり、窓のカーテンを閉め切ったバスで移動した。
 刑場入り口に盛り塩がある。入り口近くの「教誨(きょうかい)室」に入ると、香のにおいが漂う。「大勢が入室する場合、清めの意味で香をたく」という。「厳粛な場。刑場では死者の魂に敬意を表してほしい」と取材陣に話した拘置所幹部は、部屋に入る度に必ず扉の前で手を合わせ、深々と一礼していた。
 「ボタン室」の壁面には3つの執行ボタンがある。踏み板を落とすようになっているのはそのうち1つ。職員3人が同時にボタンを押す。「手が震えるほどの緊張感の中、職務を遂行している。被害者遺族や社会正義のためには自分がやるしかないと言い聞かせ、大変な決意の中、執行に携わっている」。事前に読み上げられた現場職員の声が切迫感を増して思い出された。「教誨室」の仏壇に置かれたろうそくの先が、黒く焦げている。約1カ月前に2人の刑が執行された場の空気が、にわかに重く感じた。
 「刑場は見せるべきでないと思っていた」。紹介された別の現場職員の声はこう続く。「時代の流れで、いつかこんな日が来ると思っていました」。(2010年8月28日共同ニュース)
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 8月中に東京拘置所の刑場を報道陣に公開 平和(シャローム)とは「傷付いた部分のない状態」をいう 
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東京拘置所 死刑囚の生活空間公開 2013/1/14 (画像)居室・運動場・食事・教誨室…
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