「尖閣は中国領」の国際世論形成で開局した 中国「外国語放送局」の反日電波に警戒せよ

2012-05-15 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

英・仏・スペインほか5か国語で放送された9・7尖閣衝突、3・16領海侵犯事件
「尖閣は中国領」の国際世論形成で開局した 中国「外国語放送局」の反日電波に警戒せよ
(SAPIO 2012年4月25日号掲載) 2012年5月7日(月)配信
文=山田吉彦(東海大学教授)
 2年前の尖閣諸島沖での衝突事件も、今年3月の中国監視船による領海侵犯も、実は中国が描いた「東シナ海盗り」メディア戦略の一環だった。中国は巧妙に東シナ海に浮かぶ日本の領土、尖閣諸島に領有権問題が存在することを国際社会にアピールしていたのである。
 中国政府は2009年の冬、新華社、中国中央テレビ(CCTV)、人民日報を通して「中国の国際的イメージ向上」をめざした海外向け報道を強化する戦略に打って出た。新華社は24時間放送の英語ニュース局を開設、CCTVは英語の他スペイン語、フランス語など5か国語の外国語放送局を開設し、中国のマイナスイメージを払しょくしようとしている。
 この中国の海外向けメディア戦略と、2010年9月7日の尖閣諸島周辺海域で発生した中国漁船と海上保安庁巡視船衝突事件、および今年3月16日の中国国際海洋局所属の監視船による領海侵犯は決して無関係ではない。メディア戦略をもって、中国は東シナ海を盗りに来たのである。
 9月7日の事件を振り返ってみよう。この日、中国は160隻の大漁船団を尖閣諸島沖に送りこみ、そのうち30隻が領海侵犯していた。領海侵犯した30隻のうちの1隻が、海上保安庁の巡視船に衝突、この船長を逮捕した。
 中国側は猛烈に抗議し、国連総会に出席していた温家宝首相が9月23日、ニューヨークでの演説で「国家主権や統一、領土保全といった核心的利益について中国は決して妥協しない」と発言。強い姿勢で挑むことを改めて強調した。
 その数日後、船長は処分保留のまま解放され、英雄の凱旋のように福建省の省都・福州へと帰って行った。だが、この船長がただの漁民ではないということは、逮捕前の船上からもうかがえる。船をぶつける時の堂々とした態度。また、身柄を拘束され、取り調べを受けてもまったく動揺した様子を見せなかったというから、最初から逮捕されることを想定していたとしか思えない。
 中国側は故意にこの騒ぎを起こしたのである。その目的は、国際社会から黙殺されている「尖閣は中国の領土」という考えを主張するために、日本の主張している尖閣諸島周辺の領海内で問題を起こすことによって、あえて領土問題をつくり上げることだった。
 尖閣諸島周辺が平穏なままだと、日本の実効支配は固まり、日本の主張する境界線が確定する。そこで中国は、まず「境界線は確定していない。日中間には国境問題が存在して、争っている最中だ」ということを国際社会に強くアピールする作戦を取った。
 事実、尖閣諸島周辺に「領土問題」が存在すると主張する中国の目論見は成功したといえるだろう。しかし、一方で中国は、この時のメディア戦略で失敗も犯した。
 その最たるものが日本人の「愛国心」の読み間違えだった。 中国はおそらく、政府さえ押さえつければ、日本人は尖閣諸島問題にそれほど関心を示さないだろうと高をくくっていた。だからこそ、船長の解放要求など強硬な態度に出て、日本政府に対して脅しをかけるような交渉を仕掛けてきたのである。
 ところが、尖閣事件は日本の世論に火をつけてしまった。中国政府にとって、日本人の中に反中国の感情が蔓延することは、経済的な面から見ても大きな問題だ。
 さらに国際社会からも冷たい視線で見られるようになった。気がつけば、アジア太平洋経済協力会議(APEC)メンバーのベトナム、フィリピン、インドネシア、そしてミャンマーまでもがアメリカとの協力体制を築き、中国から離れてしまった。尖閣事件以後、中国はかなり追いつめられた状況になったのである。
■紳士的かつ正当性で領土問題を醸成する中国
 今年3月16日早朝、尖閣諸島周辺を中国の海洋調査・監視船「海監50」(3980t)と「海監66」(1317t)が航行。そのうちの「海監50」が一時、日本領海内に侵入、25分後に領海外に出た。
 今回の「海監」による領海侵犯には、明らかに中国政府の意思が働いていた。
 尖閣事件後、農業部漁業局所属の漁業監視船「漁政」が数度、尖閣諸島周辺に出現していたが、今年になって海洋局所属の「海監」が航行するようになった。「漁政」はあくまでも漁業監視が名目だが、「海監」は国家として主権の行使を目的としている。
 外交部はすぐに記者会見を行なった。その日の定例記者会見で劉為民報道局参事官は、尖閣諸島周辺での中国海洋調査船が日本の領海内に入ったとの日本側の発表は正しくないと断じ、「正常かつ定期的な巡視活動」だと反論した。
 そして、CCTVは「海監」の「巡視活動」の映像を国際版で流し、「中国海洋調査巡視隊は、尖閣諸島と周辺海域の権利を維持するための巡視活動を行なった後、ガス田付近の海域に向かって、巡視を行なった」と報じたのである。
 2010年9月の衝突事件で中国は尖閣諸島に、暴力的ではあったが領土問題が存在することを国際社会に植え付けた。そのうえで、今回は非武装の監視船が紳士的に、そして正当な理由で尖閣の警備をし、それを定期的に行なうと国際社会に向かって宣言したのである。
 彼らにとってメディアは、国民に対して政府のスタンスを明確に伝える手段でもある。それは13億の人口の一部が使うネットではなく、電波を使う国営放送のCCTVであり、新華社なのだ。
 皮肉なことに、中国が海上での映像を利用するのは、日本の海上保安庁の手法をまねたものである。海上保安庁は、2001年12月の北朝鮮工作船との銃撃戦事件以来、一般社会にわかりにくい海の上での出来事を撮影し、警備の様子をビジュアルで国民に伝えるようにしてきた。この手法を中国が見習い、自分たちの正当性をビジュアルでアピールするようになったのである。
 そして中国は、それを自国民だけでなく、国際チャンネルを使って、世界中に自分たちの正当性を伝えるようになった。しかも、中国の「特徴ある民主主義」「自由・人権」といったイメージ向上番組を流し続ける中で、尖閣諸島での出来事をニュースとして流すのである。自分たちは武装していない監視船で正当に巡視活動しているだけだと。
 世界で日本のNHKを見る人は少ないが、中国の英語放送は外交官のほとんどが注目している。その影響力の違いは言うまでもないだろう。
 また、世界中にちらばっている華僑の存在も中国を有利にしている。遡れば、中国が尖閣諸島の領有権を最初に主張したのは1971年である。その前年、中国は在米華僑を使ってアメリカから尖閣問題に火をつけた。華僑も中国共産党政府のハンドリングの中にいる。彼らが海外のメディアとつながりを持ち、中国側にとって有利な情報を提供しているのだ。
 中国のこれらのメディア戦略は今後も続けられ、ボディブローのような効果を発揮するだろう。それに対し、日本がすべきことは、まず、事実をそのまま日本国内と国際社会に伝えること。また、国際社会、国際会議の場では事あるごとに、「尖閣は日本のものだ」と主張し続けることだ。
 そして、中国の巧妙な「領土盗り戦略」には、正攻法で応じる。つまり、無人島と化している尖閣諸島に日本人が上陸、活動し、島を活性化することが何よりの対処法なのである。
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自分の国は自分で守る決意/境外を保護するのは法律、正義、自由ではない。国際法も国力の強弱に依存 2011-01-12 | 政治〈領土/防衛/安全保障〉 
 日本抹殺を目論む中国に備えはあるか?今こそ国家100年の計を立てよ、米国の善意は当てにできない
JB PRESS 2011.01.12(Wed) 森 清勇
 今日の国際情勢を見ていると、砲艦外交に逆戻りした感がある。そうした理解の下に、今次の「防衛計画の大綱」(PDF)は作られたのであろうか。「国家の大本」であるべき国防が、直近の政局絡みで軽々に扱われては禍根を千載に残すことになる。
 国家が存在し続けるためには国際社会の現実から目をそらしてはならない。日本の安全に直接的に関わる国家は覇権志向の中国、並びに同盟関係にある米国である。両国の国家としての在り様を検証して、国家百年の計を立てることこそ肝要である。
■中国は日本抹殺にかかっている
 1993年に中国を訪問したポール・キーティング豪首相(当時)に対して、李鵬首相(当時)が「日本は取るに足るほどの国ではない。20年後には地上から消えていく国となろう」と語った言葉が思い出される。
 既に17年が経過し、中国は軍事大国としての地位を確立した。日本に残された期間はわずかである。
 中国の指導者の発言にはかなりの現実味がある。毛沢東は「人民がズボンをはけなくても、飢え死にしようとも中国は核を持つ」と決意を表明した。
 当時の国際社会で信じるものは少なかったが実現した。小平は「黒猫でも白猫でも、ネズミを捕る猫はいい猫だ」と言って、社会主義市場経済を導入した。
 また香港返還交渉では、交渉を有利にするための「一国両制」という奇想天外なノーブルライ(高貴な嘘)で英国を納得させた。
 政治指導者ばかりでなく、軍高官も思い切ったことをしばしば発言している。例えば、朱成虎将軍は2005年に次のように発言している。
 「現在の軍事バランスでは中国は米国に対する通常兵器での戦争を戦い抜く能力はない。(中略)米国が中国の本土以外で中国軍の航空機や艦艇を通常兵器で攻撃する場合でも、米国本土に対する中国の核攻撃は正当化される」
 「(米国による攻撃の結果)中国は西安以東のすべての都市の破壊を覚悟しなければならない。しかし、米国も数百の都市の破壊を覚悟せねばならない」
 他人の空言みたいに日本人は無関心であるが、日米同盟に基づく米国の武力発動を牽制して、「核の傘」を機能不全にしようとする普段からの工作であろう。
 2008年に訪中した米太平洋軍司令官のティモシー・キーティング海軍大将は米上院軍事委員会公聴会で、中国海軍の高官が「太平洋を分割し、米国がハワイ以東を、中国が同以西の海域を管轄してはどうか」と提案したことを明らかにしている。
 先の尖閣諸島における中国漁船の衝突事案がらみでは、人民解放軍・中国軍事科学会副秘書長の要職にある羅援少将が次のように語っている。
 「日本が東シナ海の海洋資源を握れば、資源小国から資源大国になってしまう。(中略)中国人民は平和を愛しているが、妥協と譲歩で平和を交換することはあり得ない」と発言し、また「釣魚島の主権を明確にしなければならない時期が来た」
 こうした動きに呼応するかのように、中国指導部が2009年に南シナ海ばかりでなく東シナ海の「争う余地のない主権」について「国家の核心的利益」に分類したこと、そして2010年に入り中国政府が尖閣諸島を台湾やチベット問題と同じく「核心的利益」に関わる問題として扱い始めたと、香港の英字紙が報道した。
■中国の「平和目的」は表向き
 1919(大正8)年、魚釣島付近で福建省の漁民31人が遭難したが、日本人が救助し無事に送還した。それに対して中華民国長崎領事が「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島・・・」と明記した感謝状を出している。
 中国が同諸島の領有権を主張し始めたのは国連の海洋調査でエネルギー資源が豊富にあることが判明した1970年代で、領海法を制定して自国領に組み入れたのは1992年であるにもかかわらず、「明確な日本領」を否定するためか、最近は「古来からの中国領土」とも言い出している。
 実際、首相が横浜APECで“首脳会談を開けた”だけで安堵している間に、ヘリ2機搭載可能で機銃まで装備していると見られる新鋭漁業監視船を含む2隻が接続水域に出没している。
 海保巡視船の警告に対しては「正当に行動している」と返事するのみである。
 中国の言う「正当な行動」とは中国の領海法に基づくもので、尖閣諸島に上陸しても正当化されるということにほかならない。現に、石垣市議2人が上陸したことに対し、中国外務省は「中国の領土と主権を著しく侵犯する行為」という談話を発表した。
 漁船がさほど見当たらないにもかかわらず漁業監視船が接続水域を彷徨しているのは、日本人の感覚を麻痺させる(あるいは既に上陸しているかもしれない)のを隠蔽する作戦のように思われる。
 係争の真っ只中で、そうした行動が取れるはずがないという識者も多いが、「尖閣は後世の判断に任せる」、あるいは「ガス田の協議をする」などの合意を平気で反故にしてきた中国である。何があってもおかしくない。
 20年余にわたって2桁台の軍事力増強を図ってきた中国に透明性を求めると、「平和目的」であるとの主張を繰り返す。中国の「平和目的」は異常な軍事力増強の言い逃れであり、露わになってきた覇権確立のカムフラージュでしかない。
 軍事力増強と尖閣沖漁船衝突のような異常な行動、さらには北朝鮮の無謀をも擁護する中国の姿勢が日米(韓はオブザーバー)や米韓(日本はオブザーバー)の合同軍事演習の必要性を惹起させたのであるが、中国はあべこべに自国への脅迫であるとクレームをつけている。
 現時点では指導部の強権でインターネット規制などをしながら、人民には愛国無罪に捌け口を求めさせることで収拾している。
 しかし、矛盾の増大と情報の拡散で人民を抑えきれなくなった時、衣の下に隠された共産党指導部の意図が、ある日突然行動に移されないとは言えない。
■米国を頼れる時代は終わりつつある
 日本人で米国の「核の傘」の有効性に疑問を呈する者は多い。歴史も伝統も浅い米国は、「国民の国民による国民のための政治」を至上の信条としており、行動の基本は世論にあると言っても過言ではないからである。
 フランクリン・ルーズベルトは不戦を掲げて大統領選を戦い、国民はそれを信じて選んだ。しかし、第2次世界大戦が始まるや、友邦英国の苦戦、ウィンストン・チャーチルの奮戦と弁舌巧みな哀願を受けた大統領は、米国民のほとんどが反対する戦争に参加する決心をした。
 当初はドイツを挑発して参戦の機会を探るが、多正面作戦を嫌うドイツは挑発に乗らなかった。
 そこでルーズベルトは日本を戦争に巻き込むことを決意し、仕かけた罠が「ハル・ノート」を誘い水として真珠湾を攻撃させることであった。
 日本の奇襲作戦を「狡猾(トリッキィー)」と喧伝し、米国民には「リメンバー・パールハーバー」と呼びかけて国民を参戦へと決起させたのである。
 逆に、世論が政府を動かないようにさせることも当然あり得る。核に関して言うならば、被害の惨状に照らして、国民が政府に「核の傘」を開かせないという事態が大いにあり得る。
 虎将軍ら中国軍高官の発言は、普段から米国民にこうした意識を植え付けて、米国が日中間の係争に手を出せないように仕向ける下地つくりとも思われる。
 米国初代のジョージ・ワシントン大統領は「外国の純粋な行為を期待するほどの愚はない」と語っている。
 日米安保が機能するように努力している現在の日本ではあるが、有事において真に期待できるかどうか、本当のところは分からない。能天気に期待するならば、これほどの愚はないということではないだろうか。
 今こそ、日米同盟を重視しながらも、「自分の国は自分で守る」決意を持たないと、国家としての屋台骨がなくなりかねない。
 中でも「核」問題が試金石であると見られる。親米派知識人は、「日本の核武装を米国が許すはずがない」の一点張りであるが、あまりにも短絡的思考である。
 日本の核論議が日米同盟を深化させ、ひいては米国の戦略を補強するという論理の組み立てをやってはいかがであろうか。
 米国が自国の国益のために他国を最大限に利用し、また国家戦略のために9.11にまつわる各種事象を操作(アル・ゴア著『理性の奪還』)したりするように、日本も自立と国益を掲げて行動しないと、米中の狭間に埋没しかねない。
 核拡散防止条約(NPT)は高邁な趣旨と違って、保有を認められた5カ国の核兵器削減は停滞しているし、他方で核保有国は増大している。
 「唯一の被爆国」を称揚する日本であるゆえに、道義的観点並びに核に関するリアリズムに則った新条約などを提案する第一の有資格者である。
 同時に、地下鉄サリン事件の防護で有効に対処できた経験を生かし、核にも有効対処できるように準備する必要がある。
 その際、形容矛盾の非核三原則ではなく、バラク・オバマ大統領の言葉ではないが、「日本は核保有国になれるが、保有しない」(Yes, we can, but we don’t)と闡明し、しっかり技術力を高めておくのが国家の使命ではないだろうか。
 ヒラリー・クリントン米国務長官は「尖閣には日米安保条約第5条が適用される」と言明した。
 しかし、かつて一時的にせよ、ウォルター・モンデール元駐日米大使が「適用されない」と発言したように、政権により、また要人により、すなわちTPO(時・場所・状況)に左右されると見た方がよい。
 米国では従軍慰安婦の議会決議に見た通り、チャイナ・ロビーの活躍も盛んである。
 ましてや、既述のように決定の最大要因が国民意思であるからには、核兵器の惨害が米国市民数百万から1000万人に及ぶと見られる状況では、「核の傘」は機能しないと見るのが至当ではなかろうか。「有用な虚構」であり続けるのは平時の外交段階だからである。
■先人の血の滲む努力を無にするな
 日本は明治維新を達成したあと、範を欧米に求めた。新政府の要路にある者にとって自分の地位が確立していたわけでもなく、また意見の相違も目立つようになり内憂を抱えていた。
 しかし、それ以上に外患に備えなければ日本の存立そのものが覚束ないという思いを共有していた。そこで、岩倉具視を団長とする米欧使節団を送り出したのである。
 一行には木戸孝允、大久保利通、伊藤博文などもいた。1年10カ月にも及ぶ長期海外視察は、現役政府がそのまま大移動するようなもので、不在間の案件処理を必要最小限に留めるように言い残して日本を後にしたのもゆえなしとしない。
 よく言われるように、英国を観ては「40年も遅れている」とは受け取らず、「40年しか遅れていない」と見て、新興国日本の明日への希望を確認した。
 また、行く先々で文明の高さや日本と異なる景観に感服するところもあったが、その都度、好奇心を発揮して記憶にとどめ、また瀬戸内海などの素晴らしい景観があるではないかと、「日本」を決して忘れることはなかった。
 米国のウエストポイント陸軍士官学校を訪れた時は射撃を展示され、そのオープンさにびっくりするが、日本人ならばもっと命中させると逆に自信の程を高めている。
 ことほどさように、初めて外国を視察しているにもかかわらず、その目は沈着で、異国情緒に飲み込まれることもなく、基底に「日本」を据えて比較検証しようとしている。
 こうした見識はひとえに、為政者として日本の明日を背負って立たなければならないという確固たる信念がもたらしたと見るほかはない。
 代表団が特に関心を抱いたことは、小国の国防についてである。オランダ、ベルギー、デンマーク、さらにはオーストリア、スイスなどを回っては、日本の明日を固める意志と方策を見出そうと懸命である。
 もう1つ、国際社会に出ようとする日本が関心を持ったのは万国公法(今日の国際法)についてであった。プロシアの鉄血宰相ビスマルクの話には真剣に耳を傾け、また参謀総長モルトケの議会演説にも強い関心を持った。
 概略は次のようなものだった。
 「世界各国は親睦礼儀をもって相交わる態度を示しているが、それは表面上のことでしかない。内面では強弱相凌ぎ、大小侮るというのが実情である。万国公法は、列国の権利を保全する不変の法とはいうものの、それは大国の利のあるうちでいったん不利となれば公法に代わる武力をもってする」(ビスマルク)
 「政府はただ単に国債を減らし、租税を軽くすることばかりを考えてはならない。国の権勢を境外に振るわすように勤めなければならない。法律、正義、自由などは国内では通用するが、境外を保護するのは兵力がなければ不可能である。万国公法も国力の強弱に依存している」(モルトケ)
 このことは、現在にも通用する。しっかり反芻し、記憶することが大切である。
 日本は「唯一の被爆国」や「平和憲法」を盾に、国際情勢の激変にもかかわらず官僚的手法の「シーリングありき」で累次の「防衛計画の大綱」を策定してきた。
 こうした日本の無頓着で内向的対応が、周辺諸国の軍事力増強を助長した面はないのだろうか。
 明治の為政者たちが意識した外国巡視に比較して、今日の政治家の海外視察はしっかりした歴史観も日本観も希薄に思えてならない。
■歴史の教訓を生かす時
 ここで言う歴史の教訓とは、明治の先人たちが命懸けで体得した「国際社会は力がものをいう」というリアリズムである。今日ではそのことが一段と明確になっている。
 アテネはデモクラシー(民主主義)発祥の地であり、ソクラテスやプラトンを輩出したことで知られている。
 そのアテネでは人民(デモス)の欲望が際限なく高まり、国家はゆすり、たかりの対象にされ、過剰の民主主義が国力を弱体化させていく。
 専制主義国家スパルタとの30年戦争の間にも国民は兵役を嫌い、目の前の享楽に現を抜かし道徳は廃れ、ついに軍門に下る。
 その後、経済も復興するが、もっぱら「平和国家」に徹し続け、スパルタに代わって台頭した軍事大国マケドニアに無条件降伏を突きつけられる。一戦を交えるが惨敗して亡国の運命をたどった。
 例を外国に求めるまでもない。日本にも元禄時代があった。男性が女性化し、風紀は乱れ、国家の将来が危ぶまれた。この時、出てきたのが「武士道といふは死ぬことと見つけたり」で膾炙している『葉隠』である。
 ことあるごとに死んでいたのでは身が幾つあってもたまらないが、真意は「大事をなすに当たっては死の覚悟が必要だ」ということである。 
 こうした考えが、自分たちのことよりも国家の明日を心配した米欧派遣の壮挙につながった。日本出発から1カ月を要してようやくワシントンに着くが、いざ条約改正交渉という段になって天皇の委任状のないことを指摘され、大久保と井上博文はその準備に帰国する。
 往復4カ月をかけて再度米国に着いた時には、軽率に条約改正する不利を悟り代表団が米政府に交渉打ち切りを通告していた。
 何と無駄足を運んだかとも思われようが、当時の彼らにとっては、国力の差を思い知らされる第1章と受け取る余裕さえも見せている。
 国家を建てる、そして維持することの困難と大切さを身に沁みて知ったがゆえに、華夷秩序に縛られた朝鮮問題で無理難題を吹っかけられても富国強兵ができる明治27(1894)年まで辛抱したのであり、三国干渉の屈辱を受けても臥薪嘗胆して明治37(1904)年までの10年間を耐えたのである。
 佐藤栄作政権時代に核装備研究をしていたことが明らかになった。「非核三原則」を打ち出した首相が、こともあろうにという非難もあろう。
 しかし、ソ連に中立条約を一夜にして破られた経験を持つ日本を想起するならば、「日本の安全を真剣に考えていた意識」と受け取り、その勇気に拍手喝采することも必要ではないか。
 国際社会は複雑怪奇である。スウェーデンもスイスも日本人がうらやむ永世中立国である。その両国が真剣に核装備を検討し、研究開発してきたことを知っている日本人はどれだけいるであろうか。また、こうした事実を知って、どう思うだろうか。
 「密約」を暴かずには済まない狭量な政治家に、そんな勇気はないし、けしからんと難詰するのが大方ではないだろうか。しかし、それでは国際社会を生き抜くことはできない。
終わりに
 漁船衝突事案では、横浜APECを成功させるために、理不尽な中国の圧力に屈した。日本は戦後65年にわたって、他力本願の防衛で何とか国家を持ちながらえてきた。
 しかし、そのために国家の「名誉」も「誇り」も投げ捨てざるを得なかった。今受けている挑戦は、これまでとは比較にならない「国家の存亡」そのものである。
 米国から「保護国」呼ばわりされず、中国に「亡失国家」と言われないためには、元寇の勝利は神風ではなく、然るべき防備があったことを真剣に考えるべきである。
 そのためにはあてがいぶちの擬似平和憲法から、真の「日本人による日本のための日本国憲法」を整備し、名誉ある独立国家・誇りある伝統国家としての礎を固めることが急務であろう。
〈筆者プロフィール〉
森 清勇 Seiyu Mori星槎大学非常勤講師
 防衛大学校卒(6期、陸上)、京都大学大学院修士課程修了(核融合専攻)、米陸軍武器学校上級課程留学、陸幕調査部調査3班長、方面武器隊長(東北方面隊)、北海道地区補給処副処長、平成6年陸将補で退官。
その後、(株)日本製鋼所顧問で10年間勤務、現在・星槎大学非常勤講師。
また、平成22(2010)年3月までの5年間にわたり、全国防衛協会連合会事務局で機関紙「防衛協会会報」を編集(『会報紹介(リンク)』中の「ニュースの目」「この人に聞く」「内外の動き」「図書紹介」など執筆) 。
著書:『外務省の大罪』(単著)、『「国を守る」とはどういうことか』(共著)
 国防 日米安保条約が締結されてから50年目が経ち、いつしか日米安保は空気のような存在となった。そんな折、日本では自民党政権が倒れ、沖縄にある普天間基地の国外・県外への移設を掲げる民主党政権が誕生した。普天間基地の移設問題では早くも日米間できしみが生じるなど、日本の国防が根底から揺らぎそうな雰囲気だ。一方、中国が軍事力、なかんずく海軍力を大幅に増強、北朝鮮からは核ミサイル発射の危険性も現実のものとなり、国を守ることを国民一人ひとりが真剣に考えなければならない時代を迎えている。 *強調(太字・着色)は来栖


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