死刑になりたい: なぜ?犯行動機で供述 / 「誰でもいい」の不気味

2008-06-17 | 死刑/重刑/生命犯

死刑になりたい:なぜ?凶悪事件、犯行動機で供述(上)
 「死刑になりたかった」と、容疑者が犯行動機を供述する事件が続いている。なぜ、「死刑願望」とも言える供述が相次ぐのか? これらの事件が意味するものは? 著書「死刑」(朝日出版社)を出版した映画監督で作家の森達也さんらと考えた。【中川紗矢子】
◇「死刑願望」の「なぜ?」--生かす方が罰の矛盾
 オウム真理教の信者側からの視点で事件や世間をあぶり出したドキュメンタリー映画「A」など、第三の視点からの作品でたびたび議論を起こしている森さんは、黒のパーカ姿で現れた。ひょうひょうとした雰囲気に淡々とした口調。ストイックなほどにテーマを徹底的に掘り下げる仕事ぶりからは意外なほど、脱力した印象だ。
 「僕は、(供述を)額面通りに受け取らない方がいいんじゃないか、という気がしています。まったくウソではないでしょうし、そういう要素もあると思いますが、人の心は揺れますから。死刑制度があるから、死刑になりたいが故に罪を犯した、というふうに短絡的に考えない方がいいと思うんです」
 相次ぐ事件は、死刑制度に関する議論の発火剤となった。その一つが、死刑制度維持の理由として挙げられる、犯罪の抑止効果だ。
 「心情分析をしても、犯人の本当の気持ちは分かるはずはないですから、抑止効果があるかどうかは、統計で見ていくしかない。ヨーロッパは死刑を廃止した後、犯罪はほとんど増えていません。減っている国もあるくらいです。最近、米ニュージャージー州で死刑を廃止しましたけど、その理由の一つも抑止効果がない、ということでした。データから見て、抑止効果はありません」
 森さんは著書の中で、死刑制度の密室性の問題を一貫して指摘している。死刑の実情が知らされていないことが、こうした犯罪を誘発している可能性はあるだろうか?
 「仮に、死刑を望んで罪を犯す人が本当にいるとすれば、その可能性はあるでしょうね。日本は自殺が多い国ですから、そういう意味では、自殺と他殺はそんなに距離は無いと思うんです。もしかしたら死刑を求めて人を殺す人がこれから増えてくるかもしれない。そうであれば、やっぱり死刑制度というものを、もうちょっと考えるべきだと思いますよね」
 死刑になりたい人が、そのために罪を犯して、望み通りに死刑になることに違和感を覚える人は少なくないだろう。この矛盾は、どう受け止めたらいいのだろうか?
 「ねじれてしまいますね。生きていてほしくないけど、死刑はその人の望みをかなえてしまうことになる。刑罰って何だ、罪と罰とは何か、ということを考えた方がいい。日本の刑法は、刑を受けて、改悛(かいしゅん)して、改めて社会に復帰する、ということを前提にした教育刑です。それに対して、死刑は応報刑なんです。応報という考えからすると、本人の嫌がることをするのが刑罰。死を望む人に対しては、生かすことの方が、たぶん罰になるわけです」
死刑になりたい:なぜ?凶悪事件、犯行動機で供述(下)
8人が刺され死傷したJR荒川沖駅前。中央の通路で結ばれた左側が駅、右側がさんぱる長崎屋=茨城県土浦市で23日午後4時43分、本社ヘリから須賀川理撮影 死刑を求めて罪を犯し、罰として望み通りに死刑になった典型的な例が、大阪教育大付属池田小乱入殺傷事件で、児童8人を刺殺した宅間守元死刑囚。弁護にあたった戸谷茂樹弁護士によると、宅間元死刑囚は犯行前2~3カ月の間に2度、自殺未遂をしている。そして、判決確定から1年弱という異例の早さで望み通りに死刑を執行された。戸谷弁護士は死刑の執行を聞いたとき「本望を遂げたな」と思ったという。
 「彼は、本当に死刑になりたくて犯罪を実行した、と言っていいと思います。彼にとって死刑は、罰ではなかった。望んでいる人に対する死刑は、罰としては機能しない」戸谷弁護士は続けた。
 「(『死刑になりたかった』と供述する)犯罪は、自殺願望の裏返しである場合が結構あると思う。自殺願望の原因はいろいろですけど、いずれにしろ、生きる価値がない、と結論を出した。そういう人が年間3万人いる。その中に、死刑を望んで罪を犯す人がいてもおかしくない。それを避けるためには、どうやって生きる望みを味わうことができる社会にするか、っていうことだと思うんです。宅間に対する支援者がたくさん出てきたのは、『私もかつて同じような状況だった』とか、彼の思いや行動が理解できる人が相当数いたからです。世の中複雑になればなるほど、格差社会になればなるほど、そういう人が出てくる」
    ■
 米国では、以前から死刑願望者による事件が起きている。「死刑の大国アメリカ」(亜紀書房)の著書がある宮本倫好・文教大学名誉教授(米国近代社会論)によると、州ごとに死刑制度の有無が異なる米国では、わざわざ死刑制度のある州で、無差別に殺人を犯すケースがいくつも存在するという。
 宮本教授は「日米各ケースの内容は千差万別だと思う」とした上で、「強いて共通点を探すとすれば、やっぱり若者の間の絶望。米国の格差は日本とは比べものにならないくらいひどいけれど、両国とも今は暗くて閉塞(へいそく)感がものすごい。格差社会はますます徹底しているし、日本も、アメリカ型社会の後をある程度追っているんじゃないか、ということが言えると思いますね。心の弱い希望のない若者が犯罪に走ったり、死のうとする。絶望の中に、犯罪の種が生まれるというのは分かる気がします」
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 著書「死刑」での森さんの結論は、死刑廃止だ。それでも、死刑願望からの犯罪を防ぐことを理由に死刑制度廃止を唱えるのには懐疑的だ。森さんは「大切なのは、死刑に関する情報公開と共に、罪と罰とは何か、を考えること」と強調する。
 「だって僕ら、国民一人一人が、認めて、払った税金で(死刑は)行われていることなんですから」
 相次ぐ事件は、目をそらしがちな死刑という制度と格差が広がる社会に、向き合う時機が来ているという、一つのサインなのかもしれない。
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 今年すでに3件
 死刑願望を動機として供述した事件は今年、少なくとも3件起きた。2月、東京都新宿区の公衆トイレで見ず知らずの男性の頭を金づちで殴り殺人未遂容疑で逮捕された男(31)▽3月、茨城県土浦市のJR荒川沖駅の8人殺傷事件で逮捕された男(24)▽4月、鹿児島県姶良(あいら)町のタクシー運転手殺人事件で逮捕された男(19)の各容疑者が、死ぬことを目的に、無差別で犯行に及んだと供述している。2008年5月28日毎日新聞
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【社説】秋葉原通り魔 「誰でもいい」の不気味
中日新聞 2008年6月10日
 「誰でもよかった」とは、これまでの連続殺傷事件と同じ言葉だ。日曜日の昼、日本最大の電気街、東京・秋葉原の歩行者天国は惨劇の場と化した。二十五歳の若者を凶行に走らせたのは何か。
 六月八日は七年前、大阪教育大学付属池田小で男が児童八人を殺害し、教諭ら十五人を負傷させた日だ。同じ連続殺傷事件が、最近ではゲームやアニメ商品を求める人たちの街「アキバ」としても知られる東京都千代田区の秋葉原電気街で起きた。
 池田小事件は現場が学校という閉鎖空間だったが、今回は歩行者天国という開放空間だ。繁華街という点では一九九九年九月の東京・池袋通り魔事件と共通する。
 車を暴走させてから刃物で人に襲いかかった犯行の経緯は、池袋事件から三週間後に起きた山口・下関駅通り魔事件と類似する。
 いずれも無差別殺人であることに変わりない。買い物先で理由なくナイフで刺されては救われない。被害者や家族のやり切れない気持ちは察するにあまりある。
 容疑者の男は静岡県から二トントラックを運転してきた。途中でインターネットの携帯電話サイトの掲示板に「人を殺します」などと書き込んでいたという。
 「誰でもよかった」と十七人を殺傷した引き金になったのは何なのか。警察は犯行の動機を徹底解明してほしい。それが予防につながる可能性があるからだ。
 男の境遇は事件と無関係ではなかろう。青森県で有数の進学高校を卒業後、岐阜県内の短大に進んだ。その後、静岡県内の自動車部品製造会社の工場で働いていた。進路への挫折はなかったのか。
 男と同じワンルームマンションの住人は「おとなしい印象」と話している。見知らぬ土地で交友関係はどうだったのか。犯行への行動を掲示板に書く行為は存在を誇示したい表れか。同時に、表現したい相手が掲示板しかなかったとしたら、孤独感が漂う。
 男は勤め先で派遣社員という立場だ。収入や身分保障が不安定で、ワーキングプア状態から脱出できない問題がクローズアップされている。男は「生活に疲れ、世の中が嫌になった」と供述しているという。
 不遇から抜け出せない若者の、やり場のない怒りの矛先が無防備な歩行者や買い物客に向けられたのなら、凶行は繰り返されるおそれがある。格差や貧困の広がりを食い止め、若者が希望を持てる社会を築かなくてはならない。


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