沖縄密約:全面勝訴 原告評価「気骨ある判決」
沖縄返還をめぐる密約を司法の場で初認定し、原告側全面勝訴となった沖縄返還密約開示訴訟の東京地裁判決は、「画期的だ」「素晴らしい」などの高評価で原告側に迎えられた。国側は早くも控訴の意向をちらつかせるが、今回の判決については情報公開法の在り方にも踏み込み、国民の知る権利の保障に比重を移した点でも好感をもって受け止められた。戦後のゆがんだ日米関係にメスを入れ、依然多くの謎をはらむ闇に光を当てる作業が始まった。
【東京】判決は多数の傍聴人が立ち上がっての拍手で迎えられた-。9日、東京地裁で言い渡された沖縄返還をめぐる密約訴訟は、主文で次々と被告・国側の責任を指摘し、原告側の全面勝訴となった。
訴訟は、初回弁論から国側に密約文書の保有を問いただすなど強烈な訴訟指揮で始まり、原告ペースで進んだ。判例からすれば、文書存在の立証責任は原告側に重く配分されるが、のっけから異例の展開だった。政権交代を機に、国の主張書面にも変化が表れ、がぜん「公正な裁判が期待できる」と、原告を勢いづけた。
杉原則彦裁判長は「最高裁調査官なども経験した出世コースにのるエリート」という。清水英夫弁護団長は「彼のキャリアからすれば、時の権力に遠慮しがちだが、気骨のある良い判決を書いてくれた」と話し、訴訟進行も高く評価した。
日隅一雄弁護士は「期待はしていたが、まさかここまで言及するとは。想像以上にうれしい」と評価する。不開示決定の取り消しと開示命令が出たことにより、原告側では、開示決定を受けるため外務省などの訪問も検討するが、判決には仮執行宣言がないため、国が控訴すれば、開示にはさらに時間を要することになる。
◆「夢見ているよう」西山さん
【東京】国のうそにほんろうされ続けてきた元毎日新聞記者の西山太吉さん(78)が全面勝訴の判決言い渡し直後に一声を発した。「超完全勝利だ。もう何も言うことはない」。記者が追い続けた密約の存在と、それを覆い隠した国の虚偽が白日の下にさらされた。
1971年、西山さんは入手した資料で基地の原状回復費を日本が肩代わりする密約の存在を報じた。しかし資料の入手方法をめぐり国家公務員法違反で逮捕、78年5月31日に有罪が確定し、不遇をかこった。2005年4月に起こした謝罪などを求めた訴訟も最高裁で敗訴が確定。それだけにこの日の全面勝訴は「胸のすく思いだったに違いない」と支援者は言う。
判決後の会見でも西山さんは「想像だにしていなかったことが起こった。夢を見ているんじゃないかと」。そんな表現になるほど時間を要し、厚い壁だった。「情報公開の歴史の中で一種の革命が起こったんだ」。これまでの苦渋をしのばせる半面、喜びをかみしめるようだった。
◆差別的状況、今も 県内反応「まだ第一関門」
沖縄返還をめぐる密約の存在を司法が初めて認め、国に文書の公開を求めた東京地裁判決が言い渡された9日午後、沖縄復帰や情報公開にかかわりのある県内関係者にも驚きが広がった。これまで国によって隠ぺいされてきた沖縄返還交渉の実相が明らかになったことを評価し、現在まで続く沖縄の差別的状況の解決を求める声が相次いだ。一方で情報公開の側面から文書有無の立証責任が原告側にあることに「まだまだハードルが高い」と指摘する意見も出た。
復帰後、初代県知事に就任した故屋良朝苗氏の特別秘書官だった大城盛三さん(79)は「判決は沖縄と日本の将来にとって画期的なこと。これまで政府が沖縄返還をめぐる事実を隠してきたことで沖縄県民が行動を起こせない、主張もできないという状況があった。本質の議論になる前に事実があるなしで議論が二分されてきたが、これで沖縄の心が一つになると思う」と期待を込めて語った。
元県祖国復帰協議会(復帰協)事務局長の仲宗根悟さん(82)は「これまで真実をゆがめられ、犠牲を強いられてきた西山太吉さんにとっては良い判決」と指摘した。
その一方で「1609年の薩摩侵攻から続いている沖縄への差別的状況という根源的問題は今も解決されていない。まだまだ手放しで喜べない。今後も沖縄の根源的問題の解決を追求する努力が必要だ」と話した。
2004年の沖国大ヘリ墜落事故について国に対し情報開示請求訴訟を起こした原告を弁護した三宅俊司弁護士は「今回は米国の公文書や内部告発のような文書があったから、訴訟という第一関門を突破できた。判決は良く判断されている」と評価する。
一方で、訴訟を起こす入り口の部分で、立証責任が依然として原告にあり、まだまだハードルは高い。三宅弁護士は「組織外の人がどこまで立証しないといけないか、その辺りが不透明に感じる」と懸念した。(琉球新報)2010年4月10日
◎上記事は[琉球新報]からの転載・引用です *強調(太字)は来栖
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39年目『150%完勝』 沖縄密約訴訟
2010年4月10日 中日新聞朝刊
「百五十パーセントの判決だ。日本の民主主義の扉を開けた」。沖縄返還をめぐる日米両政府の密約文書の開示を国に命じた、九日の東京地裁判決。約四十年にわたって密約を追及し、「国家機密漏えい」で有罪となった原告の元毎日新聞記者西山太吉さん(78)が喜びの声を上げた。裁判を舞台にした国との闘いは三度目。「司法も国家の隠ぺいに加担するのか」と徒労感を味わってきた。完全勝訴を告げるこの日の裁判長の言葉は、機密漏えいの罪の「再審無罪」言い渡しにも聞こえた。
沖縄返還交渉が大詰めを迎えていた一九七一年。政治部の外務省担当記者だった西山さんは、密約を示す機密公電を女性事務官から入手。翌年、自首した事務官とともに国家公務員法違反容疑で逮捕された。起訴状に織り込まれた「情を通じて」の文言で、密約問題は男女の問題にすり替わった。
一審は無罪。判決は、「(密約が成立している)合理的疑惑が存在することは否定し得ない」と述べた。しかし二審では懲役四月、執行猶予一年の逆転有罪となり、七八年、最高裁で確定。一審判決後に退社し、新聞記者生命を絶たれた。
二〇〇〇年と〇二年、琉球大の我部政明教授が密約を裏付ける米公文書を相次いで見つけたことが、運命を再び変えた。〇五年、「密約を否定した政府高官の発言や不当な起訴で名誉を傷つけられた」と、国に賠償を求めて提訴。「生き恥をさらし、返り血を浴びても国家のうそを問い続ける」。だが、この裁判も密約の存在に触れぬまま、法律上の請求権が消滅したという形式論で退けた。
「司法が政府を擁護している」。またも裏切られた思い。だが、「訴訟を続けなければ、政府は『密約はない』とうそを言い続ける」。東京高裁判決は「名誉回復を求めるなら本来、(有罪が確定した刑事裁判の)再審請求をして争うべきだ」と指摘したが、再審の長い道のりに挑むほどに、残された時間は多くない。米国で見つかった文書を示し、「日本にもあるはずだ」と迫る異例の訴訟にかけた。
ジャーナリストや学者ら、戦後の沖縄と日米関係を論じたり、研究してきた二十五人が原告となった。三十七年前の刑事裁判で密約を否定する「最大の敵」だった元外務省アメリカ局長吉野文六氏が、密約はあったと法廷で証言するサプライズもあった。
判決後の会見で「我部教授が膨大な中から探し出した文書が原点の裁判。私は何も関係ないので」とにやりと笑った。判決は、西山さんが沖縄返還密約を当初から追及してきた点にも言及し、国家賠償まで認めた。「再審をやらなくても、今日の判決は完全に超えたよ」。目尻には涙がにじんでいた。
◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用です
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◇ 日米密約文書「漫然と不存在という判断をした」国に開示命令--東京地裁 2010/4/9 「文書はない」岡田克也外相-- 控訴を検討