原発再稼働反対の何万人もの波が国会を包囲 既得権益者たちとぶつかり合う 中日春秋/週刊ポスト8・10号

2012-07-30 | メディア/ジャーナリズム/インターネット

中日春秋
2012年7月30日
 子どもたちの歓声が響いていた海水浴場が、静まり返っている。宮城県で海開きしたビーチは一カ所だけ。震災の地殻変動で砂浜自体が消えた浜辺も多い。最大で一・二メートル大地が沈むほど激烈な地震のエネルギーだった▼地球の表面積平均の約百三十倍の率で地震が発生し、世界の地震の揺れの一割が集中する国。それが日本だ。震源が地下百キロより浅く、マグニチュード4以上の地震が起きた場所に印を付けると、列島は真っ黒になった▼この図に世界の原発分布図を重ねてみる。地震の頻発地域に原発を増殖させている異常な国は、日本以外にはないことが分かる▼福島第一原発の事故をめぐる政府の事故調査・検証委員会が最終報告書を提出し、国会など四つの事故調の報告が出そろった。主因が津波なのか、地震なのか、未解明のままだった▼もはや原因など、関心もないのだろう。大飯原発を再稼働させたばかりの関西電力の社長は、福井県の高浜原発の再稼働にまで言及した。後に陳謝したが、経営を守りたいという本音がにじみ出ている▼きのう夜、原発の再稼働に反対する何万人もの波が国会を包囲し、正門前の道路を埋め尽くした。震災前の日本には戻さないという強い意志が、時計の針を戻そうとする既得権益者たちと激しくぶつかり合う。変えられない社会を変える。日本の将来を左右する闘いは続く。
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原発反対デモを積極的に報じぬ新聞 ドラマチックさないから
NEWSポストセブン2012.07.30 16:00
  7月6日、原発反対の首相官邸前で抗議行動がおこなわれ、16日は東京・代々木公園で「さようなら原発10万人集会」が開催された。さすがにメディアも無視できない規模となっているが、ある新聞は積極的にとりあげるものの、消極的な新聞もあるという。東京新聞・中日新聞論説副主幹の長谷川幸洋氏が解説する。(文中敬称略)
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  東京・永田町の首相官邸と国会議事堂前に繰り広げられる原発反対の抗議行動が盛り上がっている。数百人から始まった行動は、いまや数万人規模に膨れあがった。
  雨の日には参加者が減るだろうと思いきや、母子連れを含めていっこうに衰えをみせない。7月20日は雨だったが、各紙が記事にした。それは鳩山由紀夫元首相がポンチョ姿で官邸前に現れ、群衆にスピーチしたからだ。
  いつもはこの話題を地味に扱う読売新聞も鳩山に焦点を当てて「民主党執行部は、いらだちを強めているが、鳩山氏が野党の内閣不信任決議案に同調する可能性もあるため、表だっての批判を避けるなど対応に苦慮している」と政治面で写真付きで報じた(21日付)。
  では社会面はどうかというと、1行もない。鳩山登場がニュース価値を一段高めた格好だ。
  毎週末に数万人規模の人々が官邸前に集まって抗議行動を繰り広げるのは、1960年の安保反対闘争以来である。それだけでも十分報じるに値すると思う。だが、ある新聞(たとえば東京新聞)が積極的に報じる一方、別の新聞が消極的なのはなぜか。
  こうした抗議行動やデモをどう扱うかは、実は新聞の立ち位置が如実に表れる。現場の記者よりもデスクや部長、あるいはもっと上の幹部の意向が反映されるからだ。現場の記者が問題意識を持って記事を書こうと思っても、実際に紙面に載るかどうかは普通の記事以上に幹部の判断がモノを言う。
  社会部記者は事件や事故が起きれば、デスクに指示されなくても取材して記事にする。それが劇的であれば、黙っていても紙面に載る。だが、デモという事象は記者から見ると、見た目は別にドラマチックでもなんでもない。大勢の人が集まって「原発再稼働反対」と声を上げた。以上、ピリオドだ。
  何度繰り返されても同じだから、見たままを描写するスケッチ報道にとどまるなら、ニュース価値は小さくなる。そこから一歩踏み込んで書こうと思えば、必然的に社会的背景や主張の中身、参加者の気持ちなどに深く切り込んでいかなければならない。
  だが、そこまで突っ込んだ記事を掲載できるかどうかは、記者個人の判断を超えてしまう。デスク以上が「よし、いいぞ。それで行け!」と後押ししてくれなければ取材に動けず、書いたところで紙面にも載らない。
  勝手に取材して記事を書こうとしても幹部の判断と異なれば、良くて「はい、ご苦労さん」でボツ。悪くすれば「お前は何を勝手に取材してるんだ」と怒られるのが関の山である。そうなれば、やがて記者の出世にも響きかねない。このあたりは新聞によって微妙に「空気」が違う。
  鳩山登場はいつもと同じ抗議行動に目新しさと政治性を付け加えた。中には「鳩山が温室効果ガス25%削減を言い出したから、それまで以上に原発推進になったんじゃないか。そんな鳩山がいまさら反対なんて無責任だ」という批判もある。だが、新聞を作る側の理屈で言うと「鳩山が登場したから記事になった」という話になる。
  新聞は新奇性をなにより優先するから、別に反原発に肩入れするつもりはなくとも記事にする。デモをする側と報じる側は、かくも互いの行動原理と意図がずれている。
  朝日新聞は7月21日付から社会面で「街頭へ」というワッペンを貼り付けて抗議行動の連載記事を始めた。朝日は本気で反原発に舵を切ったのだろうか。少なくとも現場の記者は「やる気になった」と思いたい。
 ※週刊ポスト2012年8月10日号
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