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「無罪判決」で始まる小沢一郎の逆襲 週刊ポスト 2012.NOV.11.23号

2012-11-12 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

 「無罪判決」で始まる  小沢一郎の逆襲 〈閉塞政治に風穴が空く〉 週刊ポスト2012/11/23号
 ---「第3極と第5列の峻別」に費やした2か月を経て、ついに口にした「そろそろ動く時期が来た」の真意とは---  

         

 理解し難い強制起訴で「刑事被告人」となってから1年9か月、「豪腕」に懸けられた手枷がいよいよ外れる。この間、小沢一郎氏は民主党と訣別して野党第2党の党首となり、次の選挙では「民主にも自民にも与さない第3極」としての闘いを宣言して、来る時に備えてきた。折りしも、その「第3極」が迷走、混乱を見せている中、枷を解いた小沢氏はどのような政治行動に出るのか---。
■「11・12」に怯えまくった官邸
 それは小沢一郎氏の再起動予告だった。
 小沢氏は11月5日の記者会見で、「第3極に話し合いを呼びかけるか」と問われると、「今は自分たちの選挙準備で忙しいが・・・」と前置きした上で、珍しく積極的な言葉を付け加えた。「それが一段落して、いろんな方がお話をそろそろするかという気分になれば、したいと思う」
 なぜかこの発言について、新聞・テレビは報じなかった。だが、会見を聞いていた「国民の生活が第一」の議員は、11月12日に東京高裁で行われる陸山会事件の控訴審判決を意識した言葉だと確信した。
 「小沢代表は控訴棄却判決、つまり無罪確定を確信している。これまでは誰かと会談すれば、その相手が”刑事被告人と組むのか”と批判されて困るのではないかという配慮があったと思う。が、晴れて完全無罪を勝ち取れば、維新の会や減税日本をはじめ第3極政党と協議をするのに障害はなくなる。『そろそろ時期だ』というのは、判決後には話し合いの環境が整うと考えているからでしょう」
 この無罪判決は小沢氏に「刑事被告人」のレッテルを貼ることで政治活動を制約してきた民主党や自民党が恐れている事態でもある。
 民主党は菅内閣以来、被告となった小沢氏を党員資格停止処分にして代表選出馬の道を塞ぎ、野田内閣の政権幹部たちは、支持率が下がると「党内のゴタゴタが原因」と消費増税に反対を唱える小沢氏に責任転嫁し、消費税造反組議員を処分して離党に追いやった。
 その小沢氏離党を待っていたように自民党と公明党は民主党との3党合意で消費増税法を成立させ、小沢氏が政権から離れて以後、民自公による増税談合政治がなし崩し的に進んだ。それを根回ししたのが霞が関、財務省であり、大メディアもこぞって野田首相に「小沢切り」を煽った。
 特に岡田克也・副総理はじめ民主党執行部は「小沢氏の強制起訴」を理由に党員資格停止にしただけに、無罪判決なら処分が間違っていたことがハッキリする。そのため、民主党内では11月初めから「無罪判決の衝撃」をいかにして打ち消すかという“ダメージコントロール作戦”が飛び交った。「新聞は『無罪判決と政治責任は別』という論調で足並みを揃えるようだが、『控訴棄却、無罪確定へ』という報道を薄めるにはそれでは不十分だ。官邸は判決当日に、法務省がやりたがっている麻原彰晃の死刑執行をぶつけるのではないか」(野田グループ若手議員)
 そんな情報や、「12日に野田首相と安倍晋三・自民党総裁が12月解散・総選挙を具体的に話し合う」という解散合意説まで流れていたほどだから、官邸や執行部がいかに”判決隠し”に腐心していたかが窺える。
 が、小沢氏の「そろそろ時期が」という認識は、単に無罪判決が出ればフリーハンドを得られるというだけの理由ではない。
 この2か月間、維新の国政政党(日本維新の会)旗揚げ、あるいは石原慎太郎氏の都知事辞任・新党結成表明の中で、橋下徹・大阪市長を中心に石原氏、渡辺喜美・みんなの党代表、減税日本の河村たかし・名古屋市長、平沼赳夫・たちあがれ日本代表らが相次いで合従連衡のための党首会談を重ねてメディアの注目を集めた。が、小沢氏は「第3極お祭り騒ぎ」から一貫して距離を置いてきた。
「代表は10月中旬のドイツ視察から帰国すると、候補者選考に集中していた。10月23日に24人の第2次公認を発表する前には、『家族の了解を得ていない』という新人に、『すぐに取れ』と指示してその場で決断させるなど、矢継ぎ早に決めていった」(生活議員)
 小沢氏は総選挙に100人程度の候補を立てると表明し、現在までに53人の公認を決めた。「選挙準備で忙しい」という通りに候補者選びに没頭していたことがわかるが、合従連衡にあえて加わらなかったのはなぜだったのか。
■自民党の補完勢力を見定める
 小沢側近の表現を借りれば、「小沢さんはこの間、第3極と第5列の違いを見極めようとしていた」ということになる。
 側近が続ける。
「小沢さんは橋下維新の国政政党化や石原新党の動きに慌てる生活の幹部たちに、『動かなくていい。今のままでは(彼らは)第3極にはなりようがない』と止めていた。小沢さんにとってオリーブの木とは、民主党にも自民党にも与しない第3の政治勢力のことだが、橋下維新や石原新党をはじめ他の政党が3極を自称しながら、実際は選挙後に自民党と組む補完勢力になるのではないかと外から動きを注視していた」
 国民が「第3極」を標榜する橋下維新や石原新党などに期待しているのも、民自2大政党に代わって改革を進める姿勢で、間違っても「自民党の補完勢力」となることではないはずだ。
 しかし、小沢氏は石原新党について疑念を語った。
「石原さんは自民党との連携を視野に入れているという話を風の噂に聞いています。それと統治機構を変えるというのは全く対立する理念じゃないかと私は思います」
 現在の中央集権、官僚主導の政治体制をつくってきたのは自民党政権であり、その自民党との連携を考えている勢力に政治機構の改革はできないという主張だ。
 実際、石原新党の母体となる「たちあがれ日本」は、平沼赳夫氏ら自民党の郵政民営化造反組が結成したが、消費増税法案には民自公とともに賛成、原発推進を掲げるなど、政策的には”オールド自民党”。現在は参院で自民党と統一会派を組み、すでに名実共に自民の補完勢力となっている。
 小沢氏がそう見ているのであれば、橋下氏が石原氏やたちあがれ日本と組むかどうかは、多数派形成のために自民党の補完勢力と手を組むのか、それとも「真の第3極」として改革を目指すのかを判断する格好の材料だったに違いない。
 しかし、橋下氏は石原氏について「尊敬できる点を挙げたらきりがない」といいながらも石原新党との提携については終始、「政策と価値観の一致が前提」との立場を崩さず、第3極の軸足を変えなかった。石原氏と平沼氏がさる11月3日、京都に出向いて橋下氏、松井一郎・維新幹事長(大阪府知事)と協議したときも、「小異を捨てるべきだ」という石原氏に、橋下氏は「政策の一致が必要だ」と主張して会談はいったん物別れに終わった。その後も交渉は続いているものの、政策重視は一貫している。
 「動かなくていい」と指示していた小沢氏と、わざわざ関西まで出掛けて維新人気に擦り寄る長老政治家2人の行動は対照的だが、興味深いのは、橋下氏が平沼氏に「政策の一致がなければ組めない」と伝えたのと同じ日(3日)、小沢氏と盟友関係にある新党大地・真民主の鈴木宗男氏が大阪で松井氏と会談したことである。
 新党大地の関係者は、「10月中旬に橋下さんが日本維新の会結成の挨拶回りに来たとき、協議をしようという話になった。たまたま宗男代表が大阪に行く日程があったのでその日に松井氏と会談した」と経緯を語るが、偶然とは思えない。
 宗男氏は10月27日、地元・北海道で「日本中を回って聞こえてくるのは、『民主党にはがっかりだ。自民党にはこりごりだ』という声だ。来週中には小沢さんに会い、11月の頭には日本維新の会と協議に入る」と予告していた。小沢氏と何らかの摺り合わせをした上での大阪行きだったとみるのが自然だろう。
 そう見ると、小沢氏が「そろそろ時期だ」と第3極連合に動く構えを示しているのは、無条件で石原氏と組もうとしない橋下氏の姿勢を見て、自民党の補完勢力にはならない真の第3極と判断したからではないか。「中央集権打破」という理念や脱原発、消費増税反対という政策の面でも、たちあがれ日本より国民の生活が第一の方が維新と近いことは間違いない。
 だからといって橋下維新と国民の生活が第一の連携が容易に運ぶとは思えない。
 宗男-松井会談では、宗男氏が「中央集権打破で第3極がまとまるべきだ」という小沢氏の考えを伝えたのに対し、松井氏は「小沢氏は『政権交代の原点は2009年のマニフェストだ』と言っているが、そのマニフェストにはばら撒き政策があり、維新の政策とは違う」と提携に難色を示したとされる。
 鈴木氏は帰京後、小沢氏と会って松井氏との会談内容を報告している。
 11月5日の会見で小沢氏は、松井氏の発言について問われ、少し首をひねりながらこう答えた。
「鈴木宗男先生からその趣旨の話は聞きました。どこがどう違うのか、自分たちはどうしたいのか、そういうことについて議論したことがありませんので、その真意がよくわかりません。もし、議論する機会が訪れた時にはゆっくり話できればと思います」
 “自分と会う時には議論ができるようにもっと相違点を勉強してきて欲しい”---小沢氏の言い分にはそんなメッセージが込められていたのではないか。
■またも「小沢VS反小沢」の煽動
 では、小沢氏が、「いろんな方がお話をそろそろするかという気分になれば」と投げかけたのに対し、橋下氏はどう応じるのか。
 橋下氏自身は、石原氏を「尊敬できる」というのと同様に、小沢氏を「統治機構を変えるという、強い思いを持った政治家なのは間違いない」と評価してきたが、維新内部には小沢アレルギーが強く、「第3極か、自民党との連携を視野に入れるか」という路線の違いもある。自民連携派の代表格が幹事長の松井氏だ。
「松井知事は自民党の安倍総裁とパイプが太い。総選挙後には自民党と組んで大阪都構想など維新の政策を進めるのが現実的だという志向が強い」(橋下ブレーンの1人)と見られている。
 松井氏は石原新党との提携にも前向きで、「橋下代表に石原氏や平沼氏との会談を急ぐように促した」(維新関係者)とされ、維新の府議団からも「石原新党と組めば支持率が挽回できる」と提携を期待する声が高まっている。
 しかし、小沢氏が宗男氏を“使者”として維新にアプローチしたのと同時に、橋下氏も「小沢無罪判決」を待っていたフシがある。
 先の橋下ブレーンが言う。「松井氏が自民寄りに傾斜しかけた時に、橋下氏は軌道修正させた。安倍総裁が誕生した後、松井氏が『自民党と連携という話にはならない』と言い切ったのがそうだ。橋下氏は維新の人気が脆いと知っており、自民と組むと思われたり、安直に石原新党と組んだりすれば支持を失うとわかっている。一方で、小沢氏のことも既得権との戦いに欠かせない政治家として排除していない。判決後に小沢氏のオリーブの木が民自に対抗する1つの軸になり得るかを見定めている」
 まさに「11月12日」を節目と捉えて、橋下氏も小沢氏とのトップ会談の間合いを図っていると見るのである。
 それこそ既成政党や大メディアが最も恐れる状況だ。
 大手メディアの記者は、石原新党をはじめ第3極政党が動くたびに、「小沢氏との提携を考えるか」と質問し、否定的な発言を引き出すことが定番のパターンになっている。民自の既成政党やメディアは、過去20年間繰り返されてきた「小沢VS反小沢」の対立構図を第3極にも持ち込んでいる。その様はむしろ、「小沢の逆襲」がいよいよ現実味を帯びてきたことへの「過剰な防衛本能」に見える。
 小沢氏は記者会見で軽妙なカウンターを放った。記者が「FNNが行った世論調査で、消費税と原発対策で違った意見の政党が連立しても構わないという人が半数を超え、第3極の連携に期待する人も6割にのぼる」と指摘して感想を求めると、首を傾げる仕草を見せながらこう答えた。
「調査の結果が不可解です。全然筋が通らない。ですから、その世論調査についての論評はできません」
 その声は「小沢氏は起訴されるべきか」という世論調査で強制起訴の道筋を開き、その後は「刑事被告人だから」と小沢氏の脱原発論や増税批判には正当性がないかのように世論操作してきた大メディアを中心とする既得権勢力への反撃の号砲のように響いた。
※スペイン内戦(1936~39年)の際、首都マドリードに4個師団を率いて進攻する反政府軍の将軍が、「マドリードにいる第5番目の軍(第5列)が蜂起する」とラジオ演説したことが起源。転じて、味方の中の集団で利敵行為をする「裏切り者」「スパイ」の意味として使われる。
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この国が恐ろしいのは、総ての権力が同じ方向を向いて走り、正義より自分たちの足元ばかり気にしている点だ2011-10-03 | 政治/検察/メディア/小沢一郎

          

小沢「抹殺裁判」わが国はいつからこんなに恐ろしい国になったんだ
【これでいいのか暗黒ニッポン】秘書3人の「とんでもない有罪判決」に誰もが口をつぐんだ

 ならば、小沢一郎を贈収賄で逮捕したらどうか。秘書3人に対する東京地裁判断によれば、小沢はゼネコン談合の元締めで、見返りに1億円の闇献金を受け取った重罪人だ。しかし、判事も検察も、「アイツは大悪人」と吠え立てる新聞・テレビや野党でさえも、そうはいわない。「法と証拠」に基づく公正な裁判だと誰も信じていないからだ。目的は「小沢の政界退場」のみ。日本は恐ろしい国になった。
*裁判長は「検事の身内」
 小沢一郎・民主党元代表の元秘書3人の判決内容は1週間も前から司法記者クラブにリークされていた。
 「全員有罪で禁固刑が出される。判決文は相当長いものになる」
 という内容で、もちろん政界にも広く伝えられていた。日本の司法が、いかに政治勢力、行政権力、報道権力と癒着し、最初から出来レースで進められているかを示す“証拠”だ。
 情報通り、9月29日、登石郁郎裁判長は3時間以上にわたって判決文を読み上げ、石川知裕被告以下3人全員に執行猶予付きの禁固刑を下した(3人はただちに控訴)。
 「異例の法廷」だった。検察が提出した証拠のうち、石川被告らの調書11通を「不正な取り調べが行われた」と認定して不採用にしており、一時は「無罪判決確実」とみられた。なにしろ、もともと物証のほとんどない裁判で、検察の頼りは、脅しや不正によって作り上げた調書ばかりだったのだから当然である。村木事件で証拠のFDをを改竄して冤罪事件を起した前田恒彦元検事が取り調べを担当し、石川知裕は別の検事が不正な取り調べを行った模様を録音していた。
 この奇怪な判決文を書いた裁判長の経歴に、ヒントがあるかもしれない。
 登石裁判長は93年から3年間、法務省刑事局付検事として勤務した経験を持つ。裁判所と法務・検察の人事交流(判検交流)は毎年、数十人規模で行われており、かねてから「99・9%有罪」という日本の「検察負け知らず裁判」の温床だと批判されてきた。
 そうした声も意識したのだろう。裁判官が法務省に出向する場合、ほとんどが民事局で、刑事局は少ない。法廷で顔を合わす検事と隣の席で仕事をするのは、いかにも癒着に見える。が、登石氏はその数少ない1人だった。その“貴重な人材”が検察の威信をかけた裁判うを担当し、現場の検事からは「これで勝った」と喝采が出たのは偶然なのか。
 結果を見て思えば、登石裁判長は最初から判決を決めていたのではないか。だからこそ証拠不採用で「検察に対しても厳しい姿勢」を演出し、癒着との批判をかわそうと考えたなら筋は通る。
 判決のおかしさは、「小沢は大悪人」と呼ぶマスコミや野党、そして検察にもよくわかっている。だから、はっきりと「談合の見返りに裏献金を受け取った」と認定されているのもかかわらず、これを「贈収賄事件」という者が出てこない。
 新聞の論調も判決直後は威勢がよかったが、その後は「野党が証人喚問を要求」などと、ずいぶん及び腰である。
 「さすがに判決文を読んで、社内やクラブ内でも、これはヤバイんじゃないかという声が多かった。報道も慎重にしている」
 民法司法クラブ記者は声を潜めて語る。そう思うなら、「慎重に小沢批判」ではなく、堂々と裁判所批判」をすればいいが、そんな度胸はどこにもない。
*「同じ罪状」は枚挙に暇なし
 裁判とは、「法と証拠」に基づいて進められるべきものだ。それをしないのは独裁政権か、民主主義以前の社会である。日本はどちらだったのだろうか。
 「法」の観点から、専門家は判決に強い疑義を提起している。
 小林節慶応大学法学部教授(憲法)は刑事裁判の原則に反すると指摘する。
「判決は憲法31条に基づく『推定無罪』の原則をないがしろにしている。今回は逆に、『疑わしい』ことを理由に有罪判決が出ている」
 判決文には「推認される」「~と見るのが自然」など、裁判官の心証だけで重要な争点が事実と認定されている箇所が非常に多い。
 落合洋司弁護士は、その推定のずさんさに、元検察官らしい視点で大きな危険を見出す。
 「裁判官が石川、池田両被告の調書11通を不採用にしたことで、3被告の共謀を示す証拠と証言が何もなくなった。ところが、判決は『会計責任者だから知っていたはず』『強い関心を持っていたはず』といった程度の推論を重ねて共謀を認定している。『合理的で疑い得ない立証』は不十分です。こういった手法が採用されれば、冤罪が生み出される危険が懸念されます」
 次々と発覚する冤罪事件の共通する原因は、検察の「自白調書主義」と裁判官の「検察絶対ドグマ」だった。それが全く改められなかったのだから、検察関係者たちが「画期的判決」と膝を打ったのも道理だ。
 法律論でいうなら、もうひとつ完全に無視されたのが「法の下の平等」だ。
 公判では、陸山会の土地購入が正しく報告されていたかという容疑(これ自体が形式犯罪でしかないが)とともに、西松建設からのダミー献金事件も併せて審理された。
 ここでも検察側の立証は完全に腰砕けになり、検察自身が証人に立てた西松建設元部長が、「政治団体はダミーではなく実体があった」と証言した。ところが判決は、「政治団体としての実体はなかった」とし、違法献金だったと認定した。
 では百歩譲ってそれが正しいとしよう。
 問題の西松建設の政治団体からは、小沢氏以外にも自民党の森喜朗・元首相、二階俊博・元経済産業相、尾身幸次・元財務相、民主党の山岡賢次・国家公安委員長、国民新党の自見庄三郎・金融相をはじめ多くの政治家が献金やパーティ券購入を受けている。当然、彼らも小沢氏と並んで違法献金を立件されなければならないはずだ。
 ところが検察は、森氏や尾身氏ら自民党実力者には捜査さえ行なわず、二階氏については会計責任者を事情聴取しただけで不起訴にした。
 それに、このケースのような企業や業界が作る政治団体は、どこも同じような運営をしている。これがダミーというなら、恐らく政治家の9割以上が違法献金を受けていることになる。
 また、陸山会(小沢氏の政治資金管理団体)が違法だと断じられた政治団体による不動産取得についても、町村信孝・元官房長官は政治資金で不動産を購入し、堂々と政治資金収支報告書に記載していた。しかも町村氏の場合、買った不動産は後に自宅として格安で買い取ったのである。さらに、みんなの党の江田憲司・幹事長はじめ、素知らぬ顔で小沢批判を繰り返す政治家のなかに、20人以上の「不動産購入者」がいる。
 今回、大問題のように論じられている収支報告書への「期ずれ記載」や「不記載」に至っては、まさに枚挙に暇がない。2011年の政治資金収支報告書の修正は現在までに約500件にも達している。すべて会計責任者を禁固刑にすべきだ。
 そもそも、小沢氏が問われた個人的な運転資金の貸付など、どの政治家も報告書に記載していない。小沢氏だけが正直に書き、それが「書き方が違う」と断罪されているのである。
*「4億円の原資」真相証言
 「証拠」の面では、判決はもっとデタラメだ。
 登石裁判長は、水谷建設から小沢氏側への1億円闇献金を認定した。
 ダム建設工事に参入するため、当時の社長が04年10月5日、石川被告にホテルの喫茶店で5000万円を渡し、さらに05年4月19日に、大久保被告に5000万円を渡したという。
 そう推定された根拠は、当時の社長が「渡した」と証言したことと、当日の喫茶店の領収書があっただけ。一方で、元社長の運転手の業務日誌にはホテルに行った記録はなく、社長から報告を受けていた同社の元会長も、「会社から裏金が出たことは事実だが、渡されたとは確認していない」と証言し、元社長による横領の疑いを強く匂わせた。
 例によって裁判長は、元社長の証言と領収書を「信用できる」、受け取りを否定する被告らの証言は「信用できない」として、あっさり裏金を認定した。
 よく考えてもらいたい。表ざたにできない違法な献金を、社長が1人で紙袋に入れて持っていき、政治家本人もいない、しかも衆人環視の喫茶店で、秘書に「はい、どうぞ」と渡すことなど考えられるだろうか。
 「裏献金を渡す場合、渡すほうも受け取るほうも、カネが行方不明になることを1番恐れる。あとから、“そんなカネは知らん”となっても誰も真相解明できないからだ。だから受け渡しの際には双方とも複数の幹部が同席して秘密を共有し、相互監視する。密室でやることはいうまでもない」
 自民党のベテラン秘書はそう解説する。この通りの場面がバレた珍しいケースが、自民党を揺るがした日歯連事件だった。
 ところで、そもそも検察は、土地購入に充てられたとされる「4億円」の原資に闇献金が含まれていたかどうか立証していない。それなのに地裁が無理に闇献金を認定した理由は、この4億円を「原資を明確に説明することが困難」(判決文)としないと、なぜ収支報告書に記載しなければならないか、という動機が説明できなくなるからだ。
 それにしても、不記載とされたのは「4億円」を借り直したり、返済したりした1部のやり取りだけで、現に報告書には「小澤一郎借入金 4億円」と記載されている。検察や裁判所の見解によれば、小沢氏の事務所では、表に出せないカネを報告書に堂々と記載するのだという。どう繕っても無理筋の解釈なのだ。
 本誌は検察もマスコミも明らかにできなかった4億円の原資について、10年2月12日号で明らかにした。小沢氏の父・佐重喜氏の代から取引していた旧安田信託銀行(現・みずほ信託銀行)神田支店の当時の担当者への直接取材に成功し、小沢氏が父から相続した個人資金を「ビッグ」という貸付信託で運用し、解約時には元利合わせて少なくとも3億6000万円の払い戻しを受けていたという証言を得た。しかも、当時の貸付信託では利息分の記録が残らず、検察が「4億円の原資が足りない」と考えたのは、利息を見落としていたからだろう、というプロならではの指摘もあった。
*小沢の罪状は国家反逆罪か
 今回の事件が小沢事務所ぐるみの贈収賄であるなら、ただちに小沢氏本人を含めて容疑者を逮捕すべきだ。それこそが政治浄化につながる。が、第1章でも触れたように、新聞・テレビもこれが本当に贈収賄だとは思っていない。「ゼネコン裏金 認定」(朝日)などと報じながら、なぜか政治資金規正法違反より重大な公共事業をめぐる贈収賄事件を独自に検証しようとしないのがその証拠だ。
 わかりやすいのがTBSである。同局は検察が小沢氏への事情聴取に乗り出した昨年1月、「ウラ金献金疑惑、居合わせた人物が核心証言」と銘打って、水谷建設元社長が石川被告に5000万円を手渡した場に同席したという人物の証言を“スクープ”した。ところがその後、この証言は2度と放映されていない。以前、本誌が「放映しないのか」と問い質した際も、「何ともいえない」と尻込みした。つまり、ガセネタだという自覚があるのだろう。
 今回、思いがけず裁判所がそれを追認してくれたのだから、今こそTBSは封印した“スクープ”をまた出せばいい。今度はお墨付きがあるのだから、「これが真相だ」と押し切れるかもしれない。が、そうはしようとしない。
 ここに、この事件の最もどす黒い裏がある。
 つまり、マスコミ、政界、そしていまやそれらを完全に掌握してコントロールする霞が関の巨大権力の目的は、政治浄化でもなければ犯罪の立件でもない。「小沢の政界退場」さえ実現できれば、あとはどうでもいいのである。
 新聞や野党の言葉をよく見ればわかる。「小沢は議員辞職せよ」とはいっても、「贈収賄で逮捕せよ」とは決して言わない。小沢氏が、それら既存権力に20年にわたって嫌われ続けてきた経緯と理由は、ここで述べる紙数はない。が、小沢氏を支持する国民も、そうでない国民も、同氏がマスコミ、既存政党、官僚から恐れられ、嫌われていることは否定しないだろう。
 かのロッキード事件での「コーチャン証言」をご記憶だろうか。検察は、田中角栄元首相に賄賂を渡したとされたロッキード社元会長のコーチャン氏に、免責と引き替えに調書を取る「嘱託尋問調書」という超法規的手段を用い、田中氏を有罪に導いた。さすがに最高裁は同調書には証拠能力がないとしたが、田中氏は公判の長期化で復権の機会がないまま死去し、公訴棄却された。
 一方、後に発覚したグラマン事件では、米国証券取引委員会が岸信介元首相、福田赳夫元首相らに賄賂が渡されたことを告発したが、日本の検察は政界捜査を断念した。
 官僚出身で親米派だった岸、福田氏らは当時の「国家権力」にとって重要な人物であり、一方で「叩き上げ」「列島改造」の田中氏は時のエスタブリッシュメントにとっては目障りで、アメリカからも脅威とみられて警戒されていた。
 裁判は「法と証拠」に基づくものだとすでに述べたが、その根拠にあるべき最も重要なものは「正義」である。国家権力が法を曲げて個人に牙をむくことは、あってはならないが起こりうることだ。しかし、先進国家では誰かが「正義」を奉じてそれを暴き、止めようとするものである。
 この国が恐ろしいのは、すべての権力が同じ方向を向いて走り、正義より自分たちの足元ばかり気にしている点だ。これは一政治家に対する好悪、一事件の真偽を超えた問題である。
 恐らく、このような裁判がまかり通り、誰も「おかしい」と口を開かなくなれば、小沢氏自身も「有罪確定」とみて間違いない。その罪状は何だろう。「国家反逆罪」だといわれればわかりやすいが、そんな気の利いた言葉は、荒涼とした今の権力からは出てこない。
 その法廷で裁かれるのは、この国の「正義」なのかもしれない。
※週刊ポスト2011年10月14日号
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