T死刑囚は、畢竟、聖書の云う「いのち」に至らなかったのではないか。そのように思えば、如何にも無残でならない。〈来栖の独白2016.9.22〉

2016-09-22 | 死刑/重刑/生命犯

〈来栖の独白2016.9.22 Thu 〉
 母の保佐人のこと、そして今後(老い先)のことなど、悲観的になり欝々とした日常。その中で、NHK総合 小さな旅 「曲がりの川 きらめく~愛媛県 肱川~」を見、ほのかに明るい日差しが鈍い私にも訪れてくれたように思った。
 「いもたき」に集い、楽しそうな皆さんの顔。この人たちの人生、日常に、辛い時間が無かったはずはない。不安や困りごとから免れてきた人など、1人もいなかろう。しかし、彼ら、彼女らは、楽しそうにしている。曇った顔は、していない。
 皆さんのお顔を見て、普段ほとんど振り返ることのなかった己が来し方を想った。この歳になって、私の人生も、振り返るに足る「長さ」を蓄えたようだ。・・・恵まれた人生だったのではないか。幾度も立ち止まったり、軌道修正したり、考え考えながらではあったが、己が思うように、信じるまま生きてきた。
 例えば、勝田清孝との出会いと明け暮れは、どうだったか。死刑囚だったこともあって、「命」について考える日々だった。死刑廃止運動者からの接触も避けられなかったが、私なりに信じる道は譲らずに歩いたつもりだ。
 ところで最近になっても、清孝と同じ拘置所に在監、執行されたH死刑囚(旧姓T)の被害者遺族H氏に関する報道を目にする機会がある。
 古い記憶となってしまったが、勝田清孝を私に紹介してくれたのは、T死刑囚であった。清孝の本を宅下げしてきたのであった。その本の感想文のような手紙を清孝に送ったのが、私と清孝との出会いとなった。
 T死刑囚は私が付き合い始めた頃、受洗したばかりで真摯な信仰の姿を見せてくれていた。死刑廃止運動に関心はなかったようだ。
 が、変容していく。
 T死刑囚は、清孝の言ったという言葉を手紙に書いて寄こすようになった。確かめると、「そんなん、言うわけないやろ」と清孝。確定後は「囚会」を2人が共にする時期があった。T死刑囚支援者発行の会報によれば、清孝の発言していない言葉が、あたかも発言したかのように書かれたりしていた。
 T死刑囚の罪状は「保険金殺人」。虚偽と殺人である。
 死刑廃止運動をするようになり、国と対峙するようになって、彼は「虚偽」から更生することができなくなったのでは、と私は思う。私への書簡に、獄内における事象について虚言が見受けられた(同じ獄中者、勝田清孝に尋ねれば、不存在の事実であることが直ぐに判明した)。獄外の死刑廃止運動者にとって、T死刑囚の存在は、獄中の証言者として重宝だったろう。
 聖書は、「肉の命」よりも大切なものがある、と説く。

ヨハネ12章
24 よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。
25 自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。

ルカ14章
26 「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。
27 自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない。

 福音は「偽るなかれ」と、戒める。T死刑囚は、畢竟、「いのち」に至らなかったのではないか。そのように思えば、如何にも無残でならない。
 清孝は見栄、虚飾に塗れた己が人生を悔い、「お世辞も嘘の一種」と云い、世辞も口にしなかった。それは私を、安心のうちに彼と生きさせた。
 けれども、死刑廃止運動『FORUM90』のY弁護士は勝田清孝の最期について、虚偽を私に伝えた【私は死んだ人のように忘れられ・・・最期の姿(2)
 私の人生など、小さなものだ。けれどその中で、み言葉(聖書)に出会えたことは、人生を小さいなりに豊かなものとしてくれたように思う。もはや、これで良い。たとえ先がどのようであろうとも、来し方を振り返るなら、感謝のうちに受けることができそうだ。

マタイ5章
2 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。
3 「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
4 悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
5 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。

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NHK総合1 9月22日(木) 午前9時35分
小さな旅「曲がりの川 きらめく~愛媛県 肱川~」
 

   

 媛県の南西部を103キロに渡って流れる肱川(ひじかわ)。肘を曲げたように蛇行している姿からその名が付いたとも言われています。中流の大洲市では、古くから川に人が集い、川の恵みを受けて暮らしが営まれてきました。江戸時代から続く、河原で芋煮鍋を囲む「いもたき」。ふるさとに活気を取り戻したいと、伝統の鵜飼いの世界に飛び込んだ若い鵜匠。晩夏から初秋にかけて、川に集い川とともに生きる人々に出会う旅です。
【語り】山本哲也
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