2006年09月29日 00時00分 東京新聞
杉浦正健前法相が死刑執行命令書の署名を拒んだまま退任したことが、“波紋”を残している。本人が退任後も沈黙を守る中、歴代法相では異例の「在任中の執行ゼロ」がもたらす影響について関係者がさまざまな思いをめぐらせる状態だ。
小泉内閣が総辞職した九月二十六日。任期中最後の記者会見で死刑執行について問われた杉浦氏は「自由の身になったら、感慨を言うこともあるだろうが、(コメントは)控えさせていただくのが適当だろう」と語るだけだった。
昨年十月末の就任会見では「私は(執行命令書に)サインしない」と発言。その時は「私の心の問題、宗教観、哲学の問題だ」と補足して説明したが、今回は退任後も「しばらくは、そのことについて話すつもりはないようだ」(杉浦事務所)という。
杉浦氏は弁護士出身で、真宗大谷派の門徒。同派内では、僧侶の有志が「署名拒否発言」支持の署名運動を展開。内閣総辞職が迫った八月下旬には、本山の幹部が愛知県岡崎市の同氏宅を訪ね、本人に「信念を貫いてほしい」と訴えた。
今回の「署名拒否」について、署名運動に参加した僧侶は「法務省などからの圧力もあっただろうに、よくぞ決断してくれた」と話した。
日本弁護士連合会で死刑執行停止実現委員会副委員長を務める柳重雄弁護士も「死刑制度への問題提起だ。先進国で制度を残すのは日本と米国の一部の州だけ。冷静な存廃議論につながってほしい」と期待している。
一方、地下鉄サリン事件で夫を亡くした高橋シズヱさんは「死刑判決が確定しても、執行されないのなら、裁判をした意味がなくなる。法相個人の感情で執行する、しないを決めるのは、制度の私物化だ」と反発する。
杉浦氏の最後の記者会見から約十四時間たった二十六日深夜。後任の長勢甚遠法相は就任記者会見で、死刑執行について「法治国家にあって、確定した裁判の執行は冷静に行われなければいけない」と述べた。
死刑確定者数は、今年八月末現在で八十八人に上る。
死刑の執行権限は行政にありますので、もっぱら執行についてのルールである刑事訴訟法の規定との関係が問題となりますが、遅延によって罰則を受けるようなことは無いはずです。
とはいえ、三権が分立しながらも「正義と人権の確立」を同一の目的としている以上、立法・司法・行政は互いに尊重しあうことが前提となります。杉浦前法相の態度は、死刑制度を生み出した立法、裁判で死刑を選択した司法の両方の判断を踏みにじったことになり、この点で問題となります。
杉浦前法相の「拒否」は、国家の基幹となる制度をないがしろにする公務の放棄です。
とはいえ、これまでの法相が死刑執行に対して誠実であったかと考えると、疑問があります。
刑事訴訟法は、死刑につき判決確定後六箇月以内に執行しなければならないと規定します(475条2項)が、実際には法務大臣の任期切れぎりぎりや、衆院解散などにあわせて駆け込み的にやることが多いです。これは死刑執行を密室化することで国民への情報を遮断し、制度の是非についての議論を阻害する「別の意味」での公務怠慢だと批判されています。
“死刑制度の是非や展望を判断するのは国民であるべき”という大前提からは、いずれの態度も批判がされなければならないと考えます。