FORUM 90 VOL.87(2006年05月24日フォーラム90実行委員会発行)
光市事件における最高裁弁護人弁論要旨【1】
なぜ光市事件の最高裁弁論を掲載するのか
以下に紹介するのはいわゆる「光市母子殺人事件」において、最高裁第三小法廷で、4月18日に弁護人から語られた弁論の要旨である。この事件で、当初予定されていた3月14日の口頭弁論に弁護人が欠席したことに対し、マスコミで批判的な報道が盛り上がった。それに煽られたかのように、弁護士への個人攻撃、ひいては死刑廃止運動をも中傷する声が溢れかえった。そして、少年事件(事件当時被告は18歳1ヵ月)にも死刑を適用しようとする動きが強まっている。
もちろん、そうした動きに対して警鐘を鳴らす報道もあった。しかし、マスコミがこの事件に割ける時間や紙面にはいずれにせよ限界がある。弁護団が主張している「事実に即して事件をとらえなおす」ことの重要性は、一般論としては紹介されても、具体的な内容にまではほとんど踏み込めていない。
改めて明記しておかねばならない。この事件は1審、2審とも無期判決であった。検察は被害者遺族の声を楯として上告審にもちこんだのである。そもそも現行の量刑基準とされている1983年の永山事件の最高裁判決に照らしても死刑が相当ではなかった事件なのだ。それどころか、新弁護 団は本弁論において、1審、2審の無期判決ですら重すぎると、新証拠に基づいて訴えている。
私たちフォーラム90は、これまで個別の事件については直接かかわらないという姿勢を保ってきた。今回、あえて光市事件の最高裁での弁護人弁論を掲載するのは、この事件を通して検察側が死刑の適用範囲の拡大を求め、最高裁がこれに応えて一歩大きく踏み込もうとしているからだ。
ある意味で死刑存置と廃止のせめぎ合いの場に、最高裁によってこの裁判は設定されてしまっている。そして「凶悪さ」を煽る報道と弁護人批判という形でマスメディアが最大限利用されている。
それも断片的で誤った情報をもとにして。だからこそ事実に即して事件をとらえなおすために大幅にページを割かざるをえなかった。読み通していただけた方には理解していただけるものと思う。
なお無期懲役とした1審、2審の判決文、この弁論の主張を裏づけする鑑定書等の全文、さらには上告審における検察の主張も紹介したかったが、それにはとても紙面が足りないので、ご了承いただきたい。
掲載にあたっては、編集部の責任において一部匿名とした。
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平成14年(あ)第730号
弁論要旨
最高裁判所 第3小法廷 殿
被告人○○○○に対する殺人等上告事件に付き、以下のとおり、弁論をする。
2006年4月18日
弁護人 安 田 好 弘
同 足 立 修 一
記
第1 弁護人が裁判所に求める裁判
1 弁護人が、裁判所に対し求める裁判は、以下の3点である。すなわち、
① 検察官の本件上告を棄却すること。
② 原判決には著しく正義に反する事実誤認があることを理由に原判決を破棄し、原審に差し戻
すこと。
③ 本日をもって弁論を終結することなく弁論を続行し、さらに弁護人をして弁護の機会を保障すること。
である。
2 被告人は、MAさんに対し、殺意をもってその頸部を圧迫したことはなく、従ってその行為は傷害致死にとどまる。またMUちゃんに対しても同じく殺意をもってその頸部を紐で緊縛したことはなく、従ってその行為も傷害致死にとどまる。
しかるに、検察官は、被告人の本件行為が、殺人、強姦致死、殺人に該当するとし、原判決の無期懲役の量刑は著しく正義に反して軽いとして本件上告をする。しかし、被告人の本件行為は傷害致死罪及び死体損壊罪にとどまるものであって、検察官の本件上告はその前提たる事実に既に誤りがあり、これが失当であること明白である。
3 また、原判決は、被告人が殺人及び強姦致死について無罪であるにもかかわらず、誤ってこれを有罪であると判示し、そもそも2年以上の有期懲役刑しか宣告できないにもかかわらず、無期懲役を宣告しており、これが著しく正義に反する事実誤認であるばかりか、重大な法令違反であることは明らかである。従って、原判決は破棄されなければならない。
4 私たちは、本年2月27日に被告人と接見し、弁護人に就任した。
私たち弁護人は、如何に結果が重大であり、その行為がおよそ許されないものであったとしても、事実は決してないがしろにされてはならないと考える。まず、事実を究明して真実を明らかにし、その上で、その刑責を量る、これが弁護士、検察官、裁判官の共通の責務であり、司法の役割であると考える。
このような職責が誠実に履行されず、あるいはその履行が保障されないのであれば、それはもはや裁判とは言えないと考える。それは単なるリンチというほかなく、法治主義の下にある現在の日本にあっては、決してそのようなことがあってはならない。
私たち弁護人は、被告人との第1回目の接見の当座から、被告人から、「強姦する目的でMAさんに抱きついたのではない。寂しくて。寂しくて。つい家の中に入れてもらったMさんに、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちから、抱きついてしまった」ということを告げられた。そして次には、「MAさんに抵抗されて、パニック状態に陥り、もうその後はもう無我夢中、何が何だかわからないまま結局、MAさんを姦淫してしまった」と訴えられたのである。
それ以来、弁護人は、被告人がほとんど持っていなかった刑事記録を次々と差し入れ、被告人と一緒になって一つ一つの記憶をたどり、他の証拠と突き合わせていくとともに、法医学者にして元東京監察医務院院長である上野正彦博士に意見を聞くという作業を本日まで行ってきた。
しかし、弁護人と被告人がやりとげることができたのは、未だほんのわずかにとどまる。弁護人は、彼に対し、まず、事実から逃げることなく、正面から事実に向き合うこと、その上で、有利不利を問わず、手足の動作や心のヒダの動きに至るまでの一切の出来事を、そっくりそのままに明らかにしていくことを求めている。最初こそ彼との間に軋轢があったものの、この1ヶ月半の期間に、彼は、その必要性を十分に理解するに至った。
彼は事実と向き合うことによって、初めて、反省悔悟の気持ちも本物になることを理解し始めたのである。事実をないがしろにしている中にあっては、およそ贖罪もあり得ないことを知ったのである。
事実の見直しは、未だ端緒についたばかりである。遅まきながらも、本件被告人にも十分な弁護を受ける機会が保障されるべきである。そのためには、是非とも、時間が必要である。このことは、私たちにおいて3ヶ月の期間の猶予を、被告人にあっては6ヶ月の期間の猶予を求めているとおりである。
弁護人は、裁判所に対して、弁論を本日で終結することなく、続行して弁護の機会を保障することを求めるものである。
以下、各別に述べる。
第2 検察官の上告はなぜ棄却されなければならないのか。
1 検察官の上告理由
検察官は、本件被告人の犯行、とりわけ二人に対する殺害態様において、その殺意は強固でありその殺害の手段も執拗であり、その冷酷さは首筋が凍る思いを禁じ得ないほどの人倫にもとる比類のない悪質なものであって、その罪責は誠に重大であり、最高裁判例の基準に照らせば、本件は正しく死刑を適用すべき事案であると主張する。
すなわち、検察官は、
① MAさんにあっては、被告人が背後からMさんに抱き付き、Mさんに騒がれるや、仰向けに引き倒し、馬乗りになって、
1) Mさんの喉仏部分を両手親指で指先が真っ白になって食い込むまで強く抑え付けたが、Mさんが死に至るどころかより激しく抵抗をし続けたことから(資料1~4)、
2) 今度はより確実にMさんを殺害しようと考え、両手でMさんの頸部をつかみ、自己の体重をかけながら頸部を圧迫して絞め続けたところ、Mさんの抵抗が止り、その両手が床の上に落ち、全く無抵抗の状態になったにもかかわらず(資料5~10)、
3) 被告人は、Mさんを確実に死に至らしめるため、なおも頸部を絞め続けて殺害したとし(資料5~10)、
② MUちゃんにあっては、泣き止まないUちゃんに激昂して、Uちゃんの殺害を決意し、
1) Uちゃんを頭の上の高さに持ち上げ、その後頭部から居間の床に思い切り叩き付けたところ、一瞬泣き声がやんだものの、被告人の意に反してUちゃんが絶命せず、かえって激しく泣き出したため、
2) Uちゃんの首を締め付けて殺害しようと考え、両手でUちゃんの頸部をつかむようにして絞め付けたが、首尾よく締め付けることができなかったことから(資料20~23)、
3) 最終的には、ズボンのポケットに入れていた紐を同児の頸部に巻き付け、その両端を力一杯引っ張ってUちゃんを絞殺した(資料24、25)
と主張する。
しかし、以下に述べるとおり、上記の検察官の主張は、いずれも検察官によってねつ造されたものであって、全く事実に反する虚偽のものである。
2 事案の真相その1・・・MAさんについて
(1)両手親指による扼頚はなかった
まず、検察官は、MAさんについて、被告人が、Aさんに馬乗りになって、Aの喉仏の部分を両手親指で指先が真っ白になって食い込むまで強く抑え付けたと主張する。(資料1~4)
しかし、もし、そうであれば、当然にAさんの前頸部とりわけ喉仏が存在する正中部に親指で強く圧迫された痕跡、すなわち、表皮剥脱と皮下出血が存在しなければならない。また、場合によっては、甲状軟骨や舌骨の骨折があってしかるべきである。しかし、小さく微細な皮下出血と表皮剥脱が各1個あるものの、親指によって強く圧迫されたことによる表皮剥脱及び皮下出血は一切存在しないのである。(資料11、12)
法医学においては、生体に与えられた外力は、印鑑と印影のように、必ず死体にその痕跡を残すというのが常識である。上記のとおり、両手親指による喉仏付近に対する圧迫の痕跡がないということは、とりもなおさず、そのような行為が存在しなかったことを示すものである。
(2)両手による扼頚はなかった
また、検察官は、両手親指による扼頚にひきつづいて、被告人は、全体重をかけて、Aさんの前頸部を両手で絞めつけたと主張する。(資料5~10)
しかし、もし、そうであれば、当然、その痕跡、つまり扼頚による表皮剥脱や皮下出血が存在するだけでなく、例え、MAさんが若いとはいえ、当然に甲状軟骨骨折及び舌骨骨折が生じていなければならない。しかし、これらの骨折はおろか、表皮剥脱や皮下出血さえ存在しないのである。(資料11~12)
(3)小括・・・検察官の事実のねつ造
以上から明らかなとおり、検察官が主張する、Aさんに対する「馬乗りになって、Aの頸部を両手親指で指先が真っ白になって食い込むまで強く抑え付け、これにひきつづいて両手で前頸部を全体重を掛け絞めた」という殺害行為は、そもそも、存在しなかったのである。
(4)事案の真相・・・殺害行為(故意)の不存在
それでは一体どのような暴行がAさんに加えられたのであろうか。
甲6号証の実況見分調書及び同9号証の鑑定書を見れば明白である。同実況見分調書及び鑑定書によれば、MAさんの右側頸部には、上から水平やや右上がりに(資料15)
1)幅1.0cm、長さ約3.2cm、
2)幅0.8cm以下、長さ約4.0cm、
3)幅1.0cm、長さ6.0cm、
4)左側頸部にかけて弧状をなす幅1.3cm、長さ約11cm
の合計4本の蒼白帯、すなわち指で圧迫された痕が存在しているとされているのであり、その長さ及び位置関係からして、それらが、上から順に小指、薬指薬指、中指、人さし指の痕跡に該当することは明らかである。
そして、この4本の指の痕跡の反対側である左側頸部には、親指の圧迫痕に相当する楕円形の表皮剥脱があることからすると、被害者であるAさんは、右手の逆手で頸部を扼頚されたものであることが明らかである(資料11、15)。
しかし、そうだとすると、馬乗りの姿勢とは矛盾することになる。なぜなら、馬乗りの姿勢で、右手の逆手で扼頚するとすると、その姿勢は、あまりにも不自然であるからである。このことは、加害者は、被害者に馬乗りにもなっていないことを示している(資料1、2)。
しかるに、検察官は、被告人がAさんに馬乗りになり、両手親指の指先が真っ白になって頸部に食い込むまで強く抑え付けたにもかかわらzy、Aさんがこれを跳ねのけようとして手足をばたつかせあるいは身体を動かして激しく抵抗し、そのため両手親指による扼頚が外れてしまい、被告人はバランスを崩して床に手をついたというのである。しかも、Aさんが暴行を受けた場所は、カーペットの汚れが付着している市であって、それは間近にコタツや安全ゲージ付きの石油ストーブがあった場所である。もしこのような場所でAさんが手足をばたつかせたとしたら、手足がこれらのものに激しく当たるのは必定である(資料13、14)。従って、もしそうであるとすると、当然に、その痕跡、つまり体幹部や四肢に打撲や圧迫による表皮剥脱や皮下出血がなければならないが、そのようなものは一切無いのである。すなわち、そもそも、加害者である被告人がAさんに馬乗りになるということは存在しなかったのである。
それでは、一体全体、どのような姿勢で、しかもどのような状態の下で、右手の逆手による扼頚が行われたのであろうか。つまり、加害者はどの位置からどのような姿勢で右手逆手による扼頚をしたのであろうか。
まず、被害者の頭頂部方向からの扼頚は存在しない。なぜなら、その場合は、首以外の部分の自由を全く制圧できないからである。また、被害者の左側からの扼頚も存在しない。なぜなら、被害者の直ぐ左側部には開き戸があって、その開き戸との間に加害者が入り込む余地がないからである(資料13、14)。さらに、被害者の右側からの扼頚も存在しない。なぜなら、その位置から右手逆手で扼頚することはその姿勢からして不可能であるからである。
結局、右手の逆手による扼頚が可能となるのは、加害者が被害者の胸部より下の位置に被害者に重なるようにして覆い被さった場合だけということになる(資料16~18)。しかし、その位置関係における右手の逆手による扼頚であるとすれば、その姿勢からして、その行為態様は、正しく、押さえ付け行為に過ぎないのであり、そしてそれは、およそ殺害のための扼頚行為とは言えないのである(資料18)。
しかも、右手の逆手で扼頚した場合における親指が当たった位置の上の部分、すなわち下顎の部分には、同じく親指による圧迫痕に相当する表皮剥脱が残されているのである。とすれば、最初に、右手の逆手で下顎部分が圧迫され、次いで、頸部が圧迫されたと考えるのが合理的である(資料17、18)。
すなわち、下顎部分に対する右手の逆手による圧迫は、正に被害者の口を封じようとしたものであり、それに続く頸部に対する右手の逆手による扼頚は、下顎部分に対する右手の逆手の圧迫が被害者の動きによってそのまま頸部にずれたものと考えるのが相当であり、これ以外の解釈は存在しないのである(資料17、18)。
このことは、前頸部正中上部に1.5cm×0.5cm大の範囲に米粒大以下の多数の皮下出血、その0.2cm下方に0.3cm×0.8cm大の表皮剥脱があることによっても十分に裏付けられる。これらは、下顎部に対する右手の逆手による圧迫がそのまま頸部にずれた際に生じたと考えられるからである(資料11、15)。
以上からして、
① 検察官の主張が全く事実に反するものであること
② 被告人の本件行為は、被害者が声を上げるのを押さえ込もうとして下顎部を右手の逆手で押さえ込んだものの、その手が頸部にずれてそのまま頸部圧迫となり、その結果、被害者を窒息死に至らしめたものであること(資料16、18)
③ 結局、被告人には殺意が無いこと
が明らかとなるのである。
(5)被告人の供述と検察官の事実のねつ造
ちなみに被告人は、逮捕の当日である平成11年4月18日、取り調べの警察官に対し、
「奥さんを倒して上に乗り、右手で首を絞め続けたのです。すると、奥さんは息をしなくな(った)」 (乙1号証)
と供述して、馬乗りになっていたのではなく、単に「上に乗り」とし、しかも右手(片手)で首を絞めたと供述しているのである。
また平成11年11月17日の第4回公判では、
「問:あなたのその時(首を絞めたとき)の心理状態、頭の中はどんな感じですか。
答:最初は考える力はありましたが、やっぱりすごく抵抗されるし、大声を出されるので頭の中が真っ白になるというか、何も考えられないというか、とにかく声だけを止めようというようなことしか考えられなくなって、声を止めるにはどうしようかなという感じも、その時には冷静に判断ができなくて、首を絞める羽目になりました。」(質問115)
と、大声を出されるのを止めようとしただけであって、その結果、首を絞める羽目になってしまったものであって、およそ殺害する目的は無かったと供述しているのである。
しかし、上記の警察官に対する供述は、その逮捕の2日後である4月20日には、
「馬乗りとなり、今度は奥さんの首に両手を当て絞めたのです。・・・そして、僕は、力一杯奥さん の首を絞めて殺してしまったのです。」(乙3号証)
と変容させられ、これが、その4日後の4月24日には、遂に、検察官によって、
「僕は、Mさんの上に馬乗りになりました。(略)首に両手をかけ、Mさんの喉仏を両手の親指で思いっきり押さえつけるようにして首を絞めました。Mさんは今まで以上にさらに強い力で激く体を動かし僕を振り落とそうとしました。(略)それで僕は今度は、僕の左手の親指と人さし指を開いてMさんの喉仏の辺りに置き、その左手の上に僕の右手の親指と人さし指を開いた状態で右手のひらを重ね、全体重をかけて思い切りMさんの首を絞めました。僕はMさんを殺すために、全体重をかけて、かなり長い時間Mさんの首を思い切り絞めました。するとしばらくしてMさんの手がパタンと音を立てて床に落ち、Mさんは全く動かなくなりました。しかし僕はMさんは死んだふりをしているのではないかと思って、怖くてたまりませんでした。それで僕はMさんを完全に殺してしまうために、Mさんが抵抗しなくなった後でも、力を全く抜くことなく全体重をかけて思い切り首を絞めました。」(乙16号証)
と飛躍的に供述を詳細化されたうえ、これに両手親指による扼頚と殺害後の扼頚を付け加えられ、被告人が残虐にしてかつ執拗に殺害行為を行ったというストーリーが作り上げられてしまったのである。
しかも、検察官は、そのストーリーのまま被告人を起訴し、それが「冷酷かつ執拗であり、この上もなく残虐非道であって、極めて悪質であり、首筋が凍る思いを禁じ得ない」として死刑を求刑し、しかもこれが第1審で認められないとみるや、とうとう上告までして、しかも第1審、第2審と同じく、現在に至るも、
「その殺害の状況は、正に万人をして戦慄を覚えさせる残忍で非道なものであって、犯行の態様は冷酷非情、言語道断で、人倫にもとり、悪質極まりないというべきである」として、死刑を求めているのである。
私たちは、むしろ、検察官が、被告人である18歳1ヶ月の少年を凶悪な殺人者に、そして極悪非道の殺人者に仕立て上げ、これを死刑にしようとしていることに、戦慄を覚えるのである。
ここで特に指摘しなければならないことがある。
その第1は、検察官が被告人を最初に調べた際、つまり逮捕の翌日である4月19日、検察官が自殺しようとする被告人を叱りつけ、被告人をして
「自殺するのではなく、生きて、一生をかけて罪の償いを(する)」(乙15証)と言わせていることである。これは、一見、罪とは何か、反省・悔悟とは何かを知る検察官の被告人に対する真摯な態度とも見受けられる。しかし、そのわずか5日後である4月24日に、前述のとおり、検察官の手によって、極悪非道という全く虚偽のストーリーが作られ、しかも、その8ヵ月後の12月には、この虚偽のストーリーに基づき、死刑が求刑されていることからすれば、上記の被告人を叱りつけ、同人をして
「自殺するのではなく、生きて、一生をかけて罪の償いを(する)」との気持ちにさせているのは、同人に死刑は求刑されないと信じ込ませ、その隙を突いて虚偽のストーリーを作り上げるための巧妙なトリックというほかないのである。
この点について、被告人は、「検察官は、生きて一生償いをしろと言っておいて、後に死ねという。これじゃあ、反省のしようがないじゃないですか」と言うのである。
その第2は、検察官は、被告人が前述のとおり平成11年11月17日の第4回公判廷でAさんらに対して殺意はなかったと真実を訴えていることについて、
「一審公判廷においては、一時的にしろ被害者らに対する殺意を否認するかのように、曖昧で不合理な弁解をしている」と非難し、これは、被告人に反省の態度がないことの顕著な事実であるとしている点である。つまり、検察官に言わせれば、被告人の真実の訴えは、反省のないことの証左だということになり、より一層被告人を死刑にしなければならない事情だというのである。しかし、それは、死刑を盾にする真実の訴えに対する口封じというほかないのである。
(6)喚起された記憶
被告人は、記録を読んで、現在、あらたに記憶を喚起した。彼が新たに思い出したところによると、座椅子に座ってテレビを見ていたAさんの背後からそっとAさんに抱きついた際、Aさんの抵抗にあって一緒に後方に仰向けになり、そのまま左腕を背後から首付近に巻き付けてスリーパーホールド(プロレスの技の一つで、背後から一方の腕を相手の顎に回し、申立人一方の腕とで首の頚動脈を絞めあげるもの)のような形で押さえつけたところ、Aさんは、いったん失神した。これは大変なことになったと、被告人の上に仰向けに横たわるAさんを横にのけて、被告人が上半身を起こして呆然としていたところ、不意にAさんに背後から光るもので腰あたりを殴られた。それでびっくりしてAさんに覆い被さり、そのまま、左右にいっぱいに開いている状態のAさんの両手を被告人の両手でそれぞれ押さえつけたというのである(資料16)。
それで、弁護人は、これに見合う痕跡がAさんの頸部に存在するか考察した。すると、Aさんの頸部には、広範囲に点在する微細な針尖状の赤色変色部の存在が見られる。これは、幅広の軟性の索状によって頸部が圧迫された場合に生じるものに類似しているのである。つまり、被告人が当時着ていた長袖の作業服の左腕の部分がスリーパーホールドの形でAさんの頸部を圧迫し、その布地の圧迫によって生起したものである可能性が大である(資料19)。
しかし、いずれにしても、この部分は、未だ検討不十分である。
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