絶対的幸福と相対的幸福(あんしん&安全) 全ての人間は尊厳を持っており、敬意と尊敬に値いします。

安全とはリスクが受容できるレベルより低いこと。
安心とは、リスクの存在を忘れることができている心理状態。

さらに一人!「一日一センチの努力」の人 No.25

2008年07月31日 20時39分13秒 | Weblog
さらに一人!「一日一センチの努力」の人 No.25

「子どもたちに読書の喜びを」という公明新聞(7月15日)
コラムにであったとき、私はびっくり仰天しました。

 出版文化産業振興財団事務局長をされている中泉 淳さん
という方が寄稿されているコラムでした。

 「皆さんエリック・ホッファーをご存知でしょうか」
という文章で始まります。

エリック・ホッファーさんとは、

「大衆運動」紀伊国屋書店や
「波止場日記」みすず書房
など、名著を数多く発表した社会学者。


1902年、ドイツ系移民の家具師の子どもとして、
ニューヨークで生まれた。


幼少時(5歳)に視力を失った。
その直後に母が病死。

15歳の時に突如視力を回復。


正規の学校教育を受けられなかった。
しかし、光を取り戻してからは、、むさぶるように
大量の本を読んだ。


18歳で父が亡くなり、天涯孤独になった。

18歳から鉱夫、移動農業労働者、波止場の荷揚げ労働者など、
肉体重労働を続けながら、日々図書館で読書に耽けった。


1951年、49歳の時に処女作「大衆運動」を発表。
社会に大きな反響。
時の大統領(アイゼンハワー)も激賞。


この成功後も波止場で荷揚げ労働者として働き、
同時平行で、数々の名著を発表し続けた。


62歳からカリフォルニア大学バークレー校で、
政治学の講義を行った。


人は彼のことを尊敬の念を込めて「沖中士の哲学者」
と呼んだ。 


 まさにエリック・ホッファーさんは、
「一日一センチの努力」の人。

「エリック・ホッファー自伝」作品社
はぜひとも購読して読んでみたいと思いました。 



歓乃喜 師弟 No.25(7/31 2008)
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幸という字を分解すれば辛抱 No.24

2008年07月30日 18時23分13秒 | Weblog
幸という字を分解すれば辛抱 No.24

 鈴木 武さんから若い世代へのアドバイス。

ゴミ問題に限らず、生きていく上で、自身の思い通りに、すぐ何か
変わるわけではない。


「幸」という字を分解すれば、「辛い」の「辛」と一本の棒「ぼう」
になる。


この「ぼう」は、挫折や苦難を何度も経験するなかで培われる。
絶対折れることのない「心の棒」。「辛抱=心棒」


辛いとき一本の「ぼう」を貫くからこそ、幸がおとずれる。


この「ぼう」を心の中で持ち続けている限り、
必ず幸福を味わうことができる。


若い皆さんは、どうか自信をもって、夢に向かって挑戦すべき。


辛さを「心棒」で乗り切り、勝ち取った「幸」は、良い味。


真の幸は、他人との差を感じたときではない。
以前の自分との差を感じた時に、はじめて得られる。


地道でいい。
夢に向かって、未来を一歩一歩変えていく。
それも「一日一センチ」ずつです。

(以上「創価新報」インタビュー記事より抜粋・箇条書き)


 私は絶対的幸福はこのようなところにあると思いました。



歓乃喜 師弟 No.24(7/30 2008)
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もう一つの「一日一センチ」No.23

2008年07月29日 18時38分08秒 | Weblog
もう一つの「一日一センチ」No.23

ゴミゼロへの挑戦「一日一センチの改革」致知出版社¥1575
の著書である 鈴木 武さん。

鈴木 武さんの略歴
 1961年、高校を卒業後、松下電器産業に入社。
同年、松下通信工業に配属。同社のゴミ資源化に取り組み、
99%のゴミゼロを達成。

 現在は、環境省の3R(リデュース・リユース・リサイクル)
推進マイスター。
 横浜市廃棄物減量化・資源化等審議員。
 目黒区エコライフめぐろ推進委員。
 
 
 鈴木さんがゴミ問題に取りかかり始めたのは1990年代。
当時の社会の本音=「環境問題は、儲からないし、お金がかかる」

 鈴木さん曰く「トップダウンの社会にあって、私のような一社
員が始めた取り組みは、周囲から相手にされず、バカにされるこ
こともありました。

 しかし、ちっぽけな一個人であっても、強い思いをもって取り
組んだことで、99%のゴミを資源化することができ、年間1~
2億円ものコストダウンに成功したのです」

「現役のサラリーマン時代は、会社の内申書は『×』ばかり。
議事録もろくに書けない。まさに『ゴミ扱い』をされるような社
員でした。

 辞表を出そうと考えたこともありました。
しかし、知人のある一言で会社に踏みとどまることにしました。

 その時には意識はしていませんでしたが、いま考えると、
『自分は活かされた』という思いが、今も途切れることなく続い
ています。

 『私のような人間だって、きっと何かの役に立つはずだ』
これは、ゴミをゴミ扱いで殺してしまうのではなく、資源として
扱い、活かすという発送の転換に結びつきます。

 もともと自然界にゴミはない。
だからゴミという考え方はやめて、すべて資源であるというとらえ
方で、ものの命を活かすことを考えました」 

 鈴木 武さんも福永正三さんと同じで、まさに「一日一センチの
改革」者です。

 世の中はこのような方々のおかげで良くなっていっているのだ、と
痛感します。

 なにげなく手にしているもの、触れているもの全てに、このような
方々の「一日一センチの改革」があるものと感謝して生きたいと思い
ました。




歓乃喜 師弟 No.23(7/29 2008)

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「一日一センチ」の努力を続けられる原動力は?No.22

2008年07月28日 19時14分26秒 | Weblog
「一日一センチ」の努力を続けられる原動力は?No.22

「挨拶」運動から「掃除」運動。
 福永さんが、黙々とやっている最中に、思わず、怒鳴るような
事件が起きた。廊下を掃除していた私のモップを跨ぐどころか、
きれいにした床を土足で汚していく女子社員。

 以下は福永さん著「会社再建」(サラリーマンを超えた男)
出版文化社¥1500:から引用です。

「私はその社員に向かって声を張り上げた。

『おい!何ということをするんや。せっかく掃除をしたところな
のに。いいか、覚えてくれ!あんたにきれいにしえtくれとは言
わへんわ。しかしな、わしが掃除するところを汚すのだけは、絶
対やめてくれ!』

 その女子社員は私を睨み付け、何も言わないで行ってしまった。
掃除をすることに対しての軋轢も数多くあったが、私は黙々と掃
除を続けていた。

 半日は掃除をして、半日は挨拶をするような毎日。
しかしこの当たり前のような基本を続けることによって、社員と
の距離は近くなってきた。

 少しずつだが、私も社員の反応がわかるようになってきて、社
員の求めることもわかってきた」

 前回「この凄まじいまでの原動力は一体何だろう?」という回答
で、「経営者と管理者と従業員がまったく別の方向に向いている。
考え方もまったく違っている。これでは駄目だ。うまくいくはずも
ない。みんなの心を一つにしないといけない」という一念、と述べ
ましたが、どうやらこの一念にプラスして、やはり「会社再建」と
いう「使命感」が、強烈にあったように思われます。

 他人が見ていようが見ていまいが、他人から評価されようが、さ
れまいが、他人からなんと言われようが、とにかく毎日「一日一セ
ンチ」の努力を続けられる原動力は、「使命感」にあると私は思い
ます。

 このような修業僧のような使命感に基づいた「一日一センチ」の
努力を続けている人として、私や米国の大リーグで活躍している野
球選手のイチローを想い浮かべました。


歓乃喜 師弟 No.22(7/28 2008)

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みんなの心を一つに「一日一センチあきらめずに」 No.21

2008年07月27日 10時21分08秒 | Weblog
みんなの心を一つに「一日一センチあきらめずに」 No.21

 福永さんが赴任を命じられたのは50歳という年齢のとき。

富岡光学は、大正13年に創業した老舗の光学機器メーカーだった。
富岡光学が世に送りだしたレンズは、ローザー、リコーフレックス、
ヤシカフレックス、カールツアイスなどがあり、こうしたレンズの
名前を並べるだけで、技術力の高い会社であった。

 しかし昭和から平成へと時代が移ろうとしたいた、まさに日本が
バブル経済に浮かれているときに、月1億円もの赤字がでる会社だった。

 その要因としては、経営陣が目まぐるしく替わったことや、時代の
ニーズにあってない製品の開発などがあげられるが、もっとも大きな
問題は、伝統的に労働組合が強かったために、従業員は働く気力を
まったく失い、経営者も従業員と距離をおくところがあった。

 赴任してすぐに福永さんが気づいたのは「この会社は病気なのだ」
ということです。
 赴任当時の組合の新聞に、福永さんは「京セラから監視役にきた」
と書かれ、憲兵=福永正三と呼ばれた。

 「挨拶」運動を行っても無視されるのは当然だと、割り切って、やり
続けたところは、相当の腹をくくってのことと思いました。

 「挨拶運動」の次に行ったことは、「掃除運動」。
赴任当時は、青梅市から派遣された高齢者の方に掃除は委託していた。
福永さんはこれを断り、自分で掃除をすることにした。
 
 木造の古い社屋は掃除しても、なかなかきれいにならない。
掃除をすればするほど、部屋から塵やほこりが出てくる。それでも
黙々と「一日一センチあきらめずに」掃除を福永さんはしていった。

 なかでも酷いのが便所。古い便所で、決して清潔とはいえない。
誰でもが掃除するのを嫌がっていたが、福永さんは素手で拭いて掃除
をした。そうした行動を、社員は冷ややかな目で遠くから見ていた。

 講演のなかでこの話に触れたとき、「とにかくぴかぴかに光り輝く
までやりました」といったときの福永氏の表情には鬼気迫るものがあ
りました。

 この凄まじいまでの原動力は一体何だろう?
回答は「経営者と管理者と従業員がまったく別の方向に向いている。
考え方もまったく違っている。これでは駄目だ。うまくいくはずも
ない。みんなの心を一つにしないといけない」という一念でした。



歓乃喜 師弟 No.21(7/27 2008)
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一日一センチあきらめずに歩き続ける No.20

2008年07月25日 20時39分30秒 | Weblog
一日一センチあきらめずに歩き続ける No.20

福永正三さん。元富岡光学(現在京セラオプテック)社長。
福永氏は、会社再建の使命を帯びて、富岡光学に赴任。
 
 赴任前は、「なんで先輩諸氏が全て再建失敗した会社に俺が
いかなくてはならないんだ?」と疑問の数々。

 赴任してびっくり、労働組合が強すぎて、赤字平気の体質を
一向に改めようともしない。

 福永氏が行ったこと。社員の心を一つにするために、とにか
くまずは「挨拶」運動、だれにもかれにも「挨拶」、「挨拶」、
「挨拶」。

 門にたって声をかける。
 しかし誰も相手にしてくれない、それでも「挨拶」、「挨拶」
「挨拶」。

 社員は福永氏をちらっと見るだけで、無言のまま通り過ぎて
いく。そうした毎日をとにかく続ける。
 一日一センチあきらめずに。

 そのうち福永氏には「お早うおじさん」という渾名がついてし
まった。それでも諦めることなく、毎日、「挨拶」を繰り返した。

 そうこうしているうちにぽつりぽつりと言葉が返ってくるように
なった。さらに社員の名前と顔を覚えられるようになってくると、
社員の身体の変化にも気づくようになった。

 福永氏は「挨拶」によって、製造現場で何が問題になっている
かを聞くこともできた。

 赴任当事(1987年)、月1億円もの赤字を出す会社だった。
福永氏の「一日一センチあきらめずに」の「挨拶」を発端に、なんと
6年後1993年にこの会社は創業以来初めて1億6500万円の黒
字計上を果たした。
 
 福永氏の講演を聞く機会がありました。
 まさしく「一日一センチあきらめずに」の実践体験談でした。

 相手に無視されようが、「お早うおじさん」という渾名がつけられ
ようが、「信念」に生ききった人、焦ることなく「一日一センチあき
らめずに」歩める人の偉大さを感じられた講演でした。

 どんなことがあっても「これだけは、一日一センチあきらめずに」
と歩める目標を持って生きているのか?という問いを突きつけられ
ました。


歓乃喜 師弟 No.20(7/25 2008)
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挨拶には力がある No.19

2008年07月24日 20時00分50秒 | Weblog
挨拶には力がある No.19

 リッツ・カールトン ホテルで約7年間、営業統括総支配人を努めた
林田 正光さんは、「挨拶には力がある」といっています。

 林田さんはリッツ・カールトン ホテルを退職後、コンサルタント会
社の経営を始めたばかりの頃、京都全日空ホテルの方と会う機会があり、
初対面のとき「このたびは、私ごときに面談の機会を与えていただき
まして、本当にありがとうございます」と挨拶しました。

 その挨拶が気に入ってくれて二時間ほど話し合いをしたときに、突然
ホテル・オーナーの方から、驚くような言葉を聞かされます。

 「あなたが気に入りました。実は、最初にあなたの挨拶を聞いたとき、
決めていたのですが、もしよろしければ、社長と総支配人を引き受けて
くれませんか」

 林田さん自身も「挨拶一つで決めた」という言葉に驚きました。
 二時間程度の世間話しかしていないのに、ましてや経営者としての能
力の有無などは、実績がなくて、まったく相手の方は分らないのに。

 結果的に林田さんはこのポストを引き受けることになりました。

 林田さんの「挨拶力」からオーナーの方は決断したのではないで
しょうか?

 この事例は貴重です。やはり「挨拶には力」があるんですね。
 教育の基本は、やはり「挨拶」なのか?と私は思いました。

 林田さんはいっています。
「欧米の高級ホテルの経営者や幹部は、例えば、タンチタイムに利用
するコーヒーショップ、あるいは街の本屋さん、もしくは休日、訪れる
レストランなど、いつ、いかなる場所でも、接客やサービスをしてくれ
る人を、常に見ています。

 そして、『この人は』と感じると、おもむろに名刺を取り出して、
こう声をかけるのです。『あなたに、ぜひうちのホテルで働いていただ
きたい。あなたのようなすばらしい人に、私の仲間になっていただきた
いと思いました。もちろん今すぐにとは言いません。何年経っても結構
ですから、私たちのことを思い出したら、こちらまでご連絡ください。
いつでも、面接の準備をして、あなたを待っています』

 実は日本でも同様なことが行われています。
 あるホテルの総支配人が、新幹線の車内で、お弁当やお茶などを販売
するスタッフに、『もしよろしければ、うちの面接を受けてみませんか』
と声をかける現場に、私は居合わせたことがあります」

 挨拶にはやはり「力」があります。
 このエピソードを知った私は、力のある「挨拶」をしていこうと、
思いました。


歓乃喜 師弟 No.19(7/24 2008)
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心を開く挨拶 No.18

2008年07月22日 21時30分22秒 | Weblog
心を開く挨拶 No.18

私の拙い経験談。
「心が開かれていると、さまざまなことを受け入れられるようになります。
 感性が鋭くなり、さまざまなことに気づけるようになります」

 心を開くのも日々の習慣によります。
 積極的な挨拶の習慣がつくと、なんだか心が少しづつ開かれてきたような、
という経験が私にあります。

 体験上、朝起きて、まず家族全員に。
 出勤・自宅をでるとき近所の人に。
 会社に着いたら、全スタッフに。

 朝礼が終わったら、昨日出会った方々にお礼の挨拶(電話だったり 電子
メールだったり、葉書だったり)

 これが私の定番の習慣になりつつあります。
 この定番コースを朝の1~2時間で元気よくこなすと、そのまま勢いがつ
いて夜まで明るい勢いが私にとっては、続いていきます。

 この勢いがあるときの一日を振り返ると、おおよそ出会った方々(電話だ
ったり、メールだったりも含めて)すべてに対して「心を開いた」応答が自然
体でできてるようです。

 またふれあう自然(草木や風、空)の様子も結構目につくようになり、
それぞれの風情に気づくことが多くなります。

 多分これらのは、私自身の人間性や、仕事の能力を高めることにもつなが
っているんだろう?と私は思います。

 したがって、「挨拶には力がある」ともいえるのではないでしょうか?

 こうなると、「挨拶は義務付けられるものではなく、推奨されるべきもの」
となってきます。少なくとも私にとっては。

 仕事柄私は職場ではリーダーの役目をしていますので、やはり全スタッフ
に、「挨拶は、しようと思えば今すぐ誰にでもできる、とても素晴らしいも
の」といい続けなければなりません。

 これがリーダーの務めだからです。 

 そして仲の良い友人・知人にも自然体でいい続けたいとも思っています。

 「今日一日すべてのものに、すべての人に心開いた一日であったか?」
夜寝る時に、私の反省チェック事項として、この問いに満足できる回答を
もって、良い眠りにつきたいと日々願っています。


歓乃喜 師弟 No.18(7/22 2008)
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挨拶が幸福につながる No.17

2008年07月21日 10時53分59秒 | Weblog
挨拶が幸福につながる No.17

私はある地方都市に事務所をかかえています。スタッフ5名。

 毎朝の朝礼を一番重要な仕事としています。なぜなら、朝一
番の朝礼が全スタッフで行う挨拶行事だからです。

 遠隔地から通勤する男性営業スタッフが入社当初「朝一番契
約したいお客様がいるので、営業効率的にお客様のところに直行
してから会社にきたい」と何度がいいました。
 
 私は最初が肝心なので「朝礼=朝の挨拶」はこの会社の「命」
です。たとえ朝一番訪問できなくて、新規契約がとれようと、
それ以上に大切なのが「朝の挨拶=朝礼」です。といってお客
様を長い目で説得するように、説得できない契約はいりません、
と断固たる調子でいいました。

 それ依頼「挨拶:朝礼」重視のわが社の伝統は保たれています。

私の事務所には、お客様以外に様々な方が来店されます。郵便配
達の方、宅配便の方、取引先の担当者の方、コピー機械メンテナ
ンスの方、飛び込み営業の方。

 朝の朝礼でこの方たちへの挨拶も徹底するように全スタッフの
方にいってあります。
 「どんな方にもかならず丁寧に、”ありがとうございます”とい
ってくださいね」

 飛び込み営業でくる方たちには、私から「昔私も飛び込み営業
ばかりして、なんとかここまでになりました。あなたも頑張って
ね。既存の取引先の関係を変えることはできないので、今商談は
できないけど・・・」というようにしています。

 今後定期的にメンテナンスにこられる方や配達にこられる方に
はできるだけ、名前を確認して名前をつけて感謝の挨拶をするよ
うにしていこうと思っています。

 また、高校卒業の新入社員の方が入社してくれたので、この機
会を捉えて、全スタッフ対称に、「挨拶」がただしくできるよう
に、地元の知人であるフリーアナウンサー(女性)の方に数万円
の謝礼を受け取ってもらい、「挨拶の仕方、お辞儀の仕方、敬語
・丁寧語の使い分け方、名詞の出し方、受け取り方、電話の受け
取り方等」の研修を二回ほど行いました。

 この研修のおかげでなんとか私の事務所では「挨拶」に関して
は平均点レベルになっているのでは、と私は思っています。

 挨拶は「心」です、そして「命」のやりとりです。
 挨拶における良い習慣づくりは、日々「心」を磨いていく修行
であり、その修行の結果としてよい「命」のやりとりができるの
ではないでしょうか?


歓乃喜 師弟 No.17(7/21 2008)
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絶対的幸福へのささやかな第一歩 No.16

2008年07月20日 13時18分21秒 | Weblog
絶対的幸福へのささやかな第一歩 No.16

絶対的幸福へのささやかな第一歩は何だろう?
と考えたとき、それは「挨拶」ではないでしょうか?

 挨拶とは、誰でもが、思ったときから、即実行できるからです。

 気分が不調なとき、あえて朝一番に元気な「おはよう!」という
挨拶を誰にでもしていく。

 相手が反応しようが、しまいが、いっさい気にせずとにかく明るく
こちらからどんどんしていく。

 そうすると不調な気分が数分後にはいくらか和らぎ、多少なりとも
明るくなってきた、という経験は誰にでもあるのではないでしょうか?

 私もこの方法は結構使って自己調整を図っています。
できたら知っている人に対しては「OOさんおはよう!」と名前を
入れて言うとさらに元気がでてきます。

 相手にも時間の余裕があるときに、さらに挨拶としていいのは、
「OOさんおはよう!今日は暑くなりそうですね」とか時節柄のこと
をいい、相手も自然と「そうですね・・・」と反応がしやすい言葉を
付け加えるのもいいかと思います。

 こうすることで言葉が会話として続いていきます。
「暑いですね」→「この暑さにもまけずがんばりましょうね」
という具合に。

 そして会話が続いたら、相手の良いところを素早く見つけて
「今日の髪型素敵ですね」とか「今日のネクタイ涼しげでいいですね」
とか相手を褒める言葉をつけ加えることができたら更にいいかと思います。

 自主的にこちらから挨拶を継続してし続けるということ自体はとても
小さな行為です。しかしながら小さな積み重ねの継続はとても重要です。

 継続のポイントは即効性を期待しないことです。
 最初は挨拶の瞬間に状況が変わることはあまりありませんが、
継続していくと少しずつですが小さな変化がでてきます。

 幸福への第一歩。
二つにひとつ
挨拶を積極的にしない状態を続けた場合→今とそれほど変わらない状態が毎日続く。

挨拶開始→何かが変わってきたと感じれる。

 あなたはどちらを選びますか?


歓乃喜 師弟 No.16(7/20 2008)
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