不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

絶対的幸福と相対的幸福(あんしん&安全) 全ての人間は尊厳を持っており、敬意と尊敬に値いします。

安全とはリスクが受容できるレベルより低いこと。
安心とは、リスクの存在を忘れることができている心理状態。

No.83  災害ボランティア・明日に向かって

2008年11月23日 10時14分21秒 | Weblog
No.83  災害ボランティア・明日に向かって

 前回(11月22日No.82)紹介したのテレビ番組はNHKの「カ
ンゴロンゴ」でした。(平幹二朗さんが様々な社会問題をゲストを迎
えて解決するという番組です)

 今回の「災害発生 その時NPOが出きること」というテーマ
のパネルディスカッションに参加できたのは、私にとってはかなり
の収穫でした。

 なぜなら私自身が仙台市災害ボランティア・コーデネーターに登
録はしているものの、説明会と訓練に2回しか参加してませんし、
実際の震災後の復旧ボランティアに一度も参加した経験がなかった
からです。

 実践経験があり、しかも災害ボランティア経験において、黒澤司
さんというコーデネーターと、浦野愛さん、北川進さん、大庭浩徳
さんというパネラーというメンバー全員が、人間の「絆」という「
テーマ」において、ぶれることのない共通点がありましたのが、良
かったのではないでしょうか。主催者の方の人選の良さに感謝しま
す。

 それゆえ私にとってはコーデネーターやパネラーの方々の発言が
すべて私の身に沁みるものでした。

 浦野さんの、「当初は災害ボランティアということで現地にいっ
ても、イメージがつかめなくて、またきっかけがなくてなかなか参
加できなかった。しかしイメージやきっかけのことは時間をかけて、
信頼をつくりあげていけば、改善できます。このような工夫の結果、
被災者の方たちがやっと押し黙っていた言葉をやっと発信してくれ
た、ということがあります」という発言。

 大庭さんの、「側にいてオロオロしている人間が大切です。被災
後、被災地のある場所を借り切って、被災者の主婦たちに主婦業か
らの解放日があってもいいのではないか、ということで1週間に1
度のカレーの日をつくりました」という発言。

 黒澤さんの、「2004年に台風が異常に10個も発生しました。
そして新潟県小千谷市では大地震がありました。しかし実際に小千
谷市で死亡者が多かったのは台風でもなく、地震でもなく豪雪です。

 一口に災害による死亡者といっても大地震だけではないです。5
0戸あったが地震によって3戸壊れましたが、その後の豪雪に
よって25個壊れ、そのまま地震があって以来、25戸の世帯は村
に帰れなくなった。

 また仮設住宅が都市なので、やむなく村から移転という状況が生
まれていますが、お年寄りにとって村ではボケても生き残れますが、
都市では生き残れないということもあります。このようなことも考
えてください」という発言。

 北川さんの。「災害という、こういう時だからこそ皆で助け合っ
てもいいのではないでしょうか。行政だけに頼るのではなく全員で
一歩を歩みましょうよ。そして災害時におけるミッションとは、自
分のやりたいことだけでなく、社会に求められていることです」と
いう発言。

 以上3氏の言葉に私に私は賛同です。

 今回は仙台市で行われたセミナーでいたが、やはり近況を伝える
という意味で農村部の大庭さんの体験談が中心となりました。この
ことを考慮して最後に黒澤さんから、農村部だけでなく都市型災害
について、以下の発言がありました。

「やはり仙台市という都市型災害について、阪神大震災と同様に、
都市型には都市型特有の問題があります。

 1福祉施設が集中していること。
 2建物のアスベスト被害の可能性が大であること。
 3兵庫県明石であったような急な混雑による死傷者事件の発生可
  能性があること。
 4勤務時間中に起こった大地震の場合、自宅に帰ろうとしないほ
  うが全体的に安全な場合もあること」

 これらの諸問題も、これからの仙台市における大地震災害(宮城
県沖地震あるいは長町ー利府活断層直下型地震)にたいして、考慮
すべきと思いました。

 第2部はグループ討論(7名前後のグループ・先着50名参加)
によるワークショップでした。

 パネルディスカッションを受けて「災害時やその後の復興期に私た
ちは何ができるのか、具体的に考えアイデアを出し合う」というテー
マが与えられました。

 限られた時間で有効な討論をするために、発言においては、
1自分の立場を明確にする。
2発言テーマの記入シートに記述した以外のものは喋らない。
3これは自分にとっても一番大切だから絶対に発表したいものを絞
 り込んで準備しておく。
 
 という以上3つのルールを最初に与えられました。主催者側のこ
のルール設定は、初対面同士が限られた時間内にワークショップす
るに当たっては、素晴らしい方法でした。この方法は自分の会社に
や他の団体でのグループ討論に活用できると思いました。

 私たちのグループの中に栄養士をされている主婦の方がいました。
その方は「災害ボランティアに登録して参加するために、初めて自
動車運転免許書の取得に挑戦されて見事免許をとりました」と発言
されていました。

 このような素晴らしい方が私には仙台市や宮城県にはまだまだ多
数いるのでは、という期待感を感じさせてくれたのが、私にとって
このワークションプにおいて、最大の収穫でした。


 (今回で災害ボランティア連載終了します。
  No.79~No.83 連載 5回 お読みいただいた方に感謝します。
  今後私のブログのほうもよろしくお願いします。)



 今回の連載下記WEBにも掲載しています。
http://jisin.info/bola6.aspx
「仙台 リスクマネジメント」

  歓乃喜 師弟 No.83(11/23 2008)

バックナンバー
http://blog.goo.ne.jp/kan-noki-shitei
メールマガジンでの配信 
http://www.mag2.com/m/
0000270702.html
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.82 災害・復興から「かいこう」へ

2008年11月22日 11時04分05秒 | Weblog
No.82 災害・復興から「かいこう」へ

 今朝のNHK番組を偶然みていたところ、「マンションを買うべ
きか、マンションの本当の価値は?」というテーマでした。ドラマ
仕立ての番組でしたが、そこで強調していたのは、マンションの場
合修繕費用が新築で購入してから12年後、24年後、36年後と
かかることを、きちんと計算しなさい、ローンの支払いだけを考え
てはいけませんよ、ということでした。

 また24年後はその前の1・5倍、36年後はその前の1・5倍
かかるようだからその計算も、というアドバイスでしたが、その時
一番重要なのはマンションの住民同士の仲の良さ、ということでし
た。
 
 住民同士がすれ違っても全く関係のない者同士だったら、修繕費
用のことでトラブルが生じやすい、また近所同士の付き合いがない
ので気楽に転売されて移転されてしまう。その事例として地方のマ
ンションを取材した模様が映し出されていました。

 かなり古いマンションなのですが、修繕をしていないという悪循
環のため、現在では半数の方しか居住してなくて、この世帯数では
とても修繕など無理という結論にいたったマンションの現状とそこ
に住んでいる方のインタビューでした。

 この番組の結論「マンションの価値は円よりも縁」。

 これは災害の時にもいえます。「共助」=「ご近所仲間・人間と
しての縁を大切にして人間関係の絆を紡ぎだす」という発想と実践
がないと、災害の時はもちろん、永住の住みかとしての機能も果た
せなくなる環境をもつくってしまうのではないか?という示唆のあ
る番組でした。

 さて「災害発生 その時NPOが出きること」というテーマのパ
ネルディスカッションに戻ります。パネラーとして唯一行政側から
の参加で、宮城県社会福祉協議会に勤務されている北川進さん。

 北川さんの冒頭の発言、「社会福祉協議会が中心となって、災害
ボランティア・コーデネーター制度が発足して活動していますが、
皆さん、これだけが正当なボランティア制度ではありませんよ。

 この制度だけでは、行政としては災害・被災者の方々の声をひろう
ことは無理だと分っています。私たち行政側としては行政特有の狭
い視野から脱皮したいのです。

 行政としては様々な自主的なボランティアの皆さんと連携して、災
害・被災者の方々の声を積極的に聴いていかないと、かえって危険性
をはらむこともあるんです。

 現在のところ社会福祉協議会はまだ皆様方との連携がへたな部分が
たくさんあります、ぜひ皆さん自主的に協力お願いします」

 この発言を聞いたとき、私は「ほう!このようなもの分りのいい方
が行政にもいるんだ。私も仙台市の災害ボランティア・コーデネータ
ーに登録していて良かった」と素直に喜べました。

 北川さんの発言には「やはり公助よりも共助」という発想があるも
のと思えました。コーデネーター役の黒澤からは、「お役所の方にし
てはとても前進的な方」と紹介があっての発言でしたが、北川さん自
身、宮城県北部連続地震、新潟県中越沖地震、岩手・宮城内陸地震な
ど被災地での支援に多数かかわってきたゆえの実感からの発言でもあ
ったと、私は思いました。

 同じように被災地支援の活動体験を通して黒澤さんは、「新潟中越
地震の長岡市において、市民の方が明治維新のときの戊辰戦争、太平
洋戦争における空襲、長岡市はすべて廃墟となったが、歴史的にみて
当時の市民たちはこの災害を全てバネとして、以前よりも良くすると
いうことをしてきた。だから今回の地震においても、一つのチャンス
と、とらえ復興を目指すのでなく、前より良くする”かいこう(恢弘)”
=事業や制度などを押し広めること。おしひろめること。ひろく大き
くすること)しようと宣言された」という話を聞いたとき、私は感動
しました。

 「恢弘(カイコウ)」!

 自助・公助・共助このすべてが人間という絆の確かさを確認しあい
ながらベストな組み合わせを、あきらめることなく考え、実践するこ
とから「恢弘」が始まります。

 災害救援において「物資やお金だけでなく、人間としての縁を活か
しきって、絆にもっていく」ことが大切です。



 今回の連載下記WEBにも掲載していきます。
http://jisin.info/bola5.aspx
「仙台 リスクマネジメント」

  歓乃喜 師弟 No.82(11/22 2008)

バックナンバー
http://blog.goo.ne.jp/kan-noki-shitei
メールマガジンでの配信 
http://www.mag2.com/m/0000270702.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.81 絆・災害においては共助(つながり)が一番大切

2008年11月19日 17時43分39秒 | Weblog
No.81 絆・災害においては共助(つながり)が一番大切

 前号(11月18日号)で、「自助では自分たちでできる範囲で災害
に対してあらかじめ対策をうっておくことや、災害時に備えたもの
で自力で災害に打ち勝つことですが、自力だけでは限界があります。
やはり”絆”を基にした共助が必要です」と述べました。

 この私の持論を裏付けるように黒澤さんが、「都市型災害の特徴
として、阪神大震災においては、地震による死亡者が約6,200名、地
震後地震が原因で死亡された方が約200名となった。重要なのはあれ
だけの災害にもかかわらず被災しながらも生存者として救助されて
生き残ったという人々がいる、ということです。

 おおざっぱな統計数字ですが、救助による生存者の約95%が共助
(ご近所の方や災害ボランティアの方々)による手助けであり、約
5%が消防署の救援隊とか自衛隊という公助によるものという事実
が大切です」と話してくれました。

 共助について、私自身のご近所付き合いを紹介します。5年半前、
私は現在の地に引越しをしました。幸い5世帯分ある土地の中で一
番最初に自宅を構えましたので、その後約8ヶ月をかけて順番に自
宅が建っていき、4世帯の方が引越しされました。

 町内会ではこの5世帯が一つの班となり、初代町内会班長に私が
なりました。我が家では天気の良い日は駐車場の車を2台分を移動
して、そこでバーベキューを時々します。すると同じ班内の子ども
たち(3世帯)が珍しがって寄って食べていきます。近所の方と仲
良くしたいという、私の願いと、「共助計画」を成就する目的もあ
りましたが・・・。

 そのようなことから自然とご両親たちも集まり、小さな子どもの
いない同じ班内のご家庭も全員が参加ということになり、班内の楽
しみな行事となりました。天気の悪い日や冬の季節はクリスマス会
やら新年会を各家庭持ち回りとなり、班内全員(2世代、3世代家
庭もあります)が仲良くなっています。

 私自身がリスクマネジメント関係の仕事をしているので、自然と、
災害時における協力関係(共助)の話もできる雰囲気になっており、
男親同士の会話にも話題として出てくるようになりました。

 全世帯が同じ班に引越ししてから4年半~5年近く経ちましたが、
ご近所が集まるたびに、「引越し場所や近所づきあいまでは引越し
前に選べないので、ここに引越しできて本当に良かった、安心でき
る」と班内全員の皆さんがいってくれます。

 数年かかるかもしれませんが、このような行事を通じての共助の
可能性を手作りしながら、ご近所との絆を良くしていくということ
は大切かと思います。

 私の住む仙台市における消防車の台数は人口100万人の都市に
もかかわらず、わずか86台です。

 私は予約を入れて取材をしに仙台市消防局防災安全部を訪問しま
した。

 そのときの私の質問は、「この台数では、近くかなり高い確率で
宮城県沖地震(マグニチュード(M)7~8)としきりに地元の報
道ニュースでいっているんですから、少ないのでは?」という内容
でした。

 回答は「残念ながら、予算の都合上、宮城県沖地震に備えての完
璧な消防車台数をそろえることはできません。

 1軒の自宅を消化するのに、消防車は3台必要です。ちょっとし
たビルを消化するのに10台は必要です。

 宮城県沖地震がきたら延焼拡大しやすい場所に消防車を集中しま
すので、そうでない地域の方はあまり期待しないでください」とい
うことでした。やはり予算の関係上行政としては「多数のために少
数の犠牲はやむなし」という苦しい決断をせざるをえないのだ、と
感じました。

 まさに公助には限界があります。自助だけでも無理なものがあり
ます。自助と公助を前提としながらも、共助(近所同士の助け合い
と災害ボランティアの力)が一番大切と私は思います。

(明日・明後日は行事があるためお休みします。11月22日から
連載を再開します)

 今回の連載下記WEBにも掲載していきます。
http://jisin.info/bola4.aspx
「仙台 リスクマネジメント」

  歓乃喜 師弟 No.81(11/19 2008)

バックナンバー
http://blog.goo.ne.jp/kan-noki-shitei
メールマガジンでの配信 
http://www.mag2.com/m/0000270702.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.80  絆・災害を超えて

2008年11月18日 17時14分42秒 | Weblog
No.80 絆・災害を超えて

 大場浩徳(くりこま耕英震災復興の会の会長)さんの発言を受け
て、コーデネーターの黒澤司さんは、「栗原市は3年前市町村合併
を行ったので、その影響も出ているのではないか?合併によって行
政の管轄が広域になり、小さい単位の市町村であれば、目配りがき
いていたのに、広域になったので目配りが弱くなったところがでた
のではないか?」と発言されました。

 さらに「極端なことを言えば米国の9.11事件のように、多数を守
るためには、乗客もろともハイジャクされた飛行機を追撃・爆破し
なければ、という冷徹な選択肢を考えざるを得ないとか、選んだ選
択肢の実行決断を迫られるところが、行政にはある。

 多数の法則で少数が無視されないような自主的な対策も必要であ
る。

 災害ボランティアNPOと被災者とのかかわり合いを通じて、目
配りが届かなかった被災者が、行政の方に問いかけができるような
ことができた事例もある。また行政だけだったら漠然としたままで
あったのが、災害ボランティアNPOのおかげで前向きなことが考
えられるようになった事例もある」と述べられました。

 レスキューヤード事務局長の浦野愛さんの「救援ボランティアと
いえど、頭だけで、ひとりよがりで、被災者にとっての必要な物、
必要なことを考えない。あくまで自分は”よそ者”という立場をふ
まえて、とにかく懸命に被災者たち皆さんの声をじっくり聞きたい」
という発言に、私は新鮮な感動を覚えました。

 災害ボランティアという人間そして被災者という人間同士はあく
まで対等な立場で平等であり、「人間としての絆」づくりが一番最
初に大切なのではないだろうか?という気づきを私に与えてくれま
した。

 さらに、「被災したとき、何をどこに、どの人に頼めるか分るネ
ットワークを作ることが必要。また被災直後に必要なことと、中長
期に必要なことがある。中長期的に必要な事例として、1-元気を
つけるメッセージの届出(学童たちから被災者の方々に応援メッセ
ージの貼り付け等)、2-踊り、歌、映画、花、七夕祭り、映画等
文化的なこと、があってもいいのではないか」という浦野さんの意
見に私は賛同。

 昨日11/17のニュース番組で、四川大地震6ヵ月後の様子が放映
されていましたが、その中で子どもたちの楽器演奏による被災地
訪問が写しだされていました。まさにこのようなことも必要だと
感じさせるものでした。

 「地域の歴史や文化は街が復興しなければ、廃れてしまう。農村
部も同じ」と補足発言を黒澤さんがされ、そのとき「くりこま応援
の会通信・山にカエル!」(発行者:ハートネットふくしま&とち
ぎボランティアネットワーク)の紹介がありました。

 浦野さんや、黒澤さん、他県のふくしま・とちぎの方のいわれる
ネットーワークとは「人間どうしの絆」なんだということを想起さ
せてくれました。

 大災害(地震・津波・大洪水等)において被災した場合、私たち
に必要なことは、自助・共助・公助です。

 自助では自分たちでできる範囲で災害に対してあらかじめ対策を
うっておくことや、災害時に備えたもので自力で災害に打ち勝つこ
とですが、自力だけでは限界があります。やはり「絆」を基にした
共助が必要です。また公助だけを宛てにして、行政に文句を言うだ
けでは真の意味では助からない、という私の持論を再認識させてく
れたパネルディスカッションでした。


 次回も続きます。
 

 こん回の連載下記WEBにも掲載していきます。
http://jisin.info/bola3.aspx
「仙台 リスクマネジメント」

  歓乃喜 師弟 No.80(11/18 2008)

バックナンバー
http://blog.goo.ne.jp/kan-noki-shitei
メールマガジンでの配信 
http://www.mag2.com/m/0000270702.html
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.79 「災害を超えていま、考える。いまつながる」

2008年11月17日 17時54分39秒 | Weblog
No.79 「災害を超えていま、考える。いまつながる」
セミナーに参加して・・・

 2008年11月16日・日曜日に仙台市市民活動サポートセン
ター主催の「災害を超えていま、かんがえる。いまつながる」とい
うセミナーに13時30分~16時まで参加しました。

 私は現在、仙台市社会福祉協議会の仙台市災害ボランティア・コ
ーデネーターに登録しており、半年に1回の訓練に参加していると
いう関係上、私宛てに案内状がきたと思います。

 セミナーは第一部「災害発生 その時NPOが出きること」とい
うテーマでパネルディスカッション。
 第二部が災害時やその後の復興期間に私たちは何ができるか、と
いうテーマでのワークショップ(小グループ:6名前後:での討論
会)。

 第一部のコーデネーターはNPO災害看護支援機構顧問の黒澤司
さん。黒澤さんは、災害系重機ボランティア風組顧問もされていま
す。

 パネリストの方々は3名。

 名古屋市からこられた浦野愛さん。浦野さんはレスキューヤード
の事務局長を務め、「災害時要援護者」への支援事業を中心に活動
を行っている社会福祉士。

 岩手・宮城内陸地震で被害にあい、孤立した栗原氏耕英地区にて、
イチゴ農家を営む大庭浩徳さん。現在「くりこま耕英震災復興の会」
の会長を務めています。

 宮城県社会福祉協議会に勤務されている北川進さん。内閣府防災
ボランティア活動検討委員、災害ボランティア活動支援プロジェク
ト会議運営委員などを歴任されています。

 冒頭大庭さんの被災者としての体験談紹介。印象に残りましたの
は、「被災者として線引きのない支援をしてもらいたかった」とい
う大庭さんの以下のような発言でした。

 今年6月14日に起きた地震によって、大庭さんを始めとする被
災者の方々の生活はまさ一変。当時仮設住宅に移転された方が14
世帯、移転せず自宅にいた方が23世帯。JAの方から支援米の支
給があった時、なぜか仮設住宅の方だけに配布。

 また地震直後からの全ての情報は避難所だけに入る。避難所にい
ないと同じ被災者でも情報が入らなくて、被災者同士の「心の分断」
が始まった。

 今回の支援策が行政側だけだったら、被災者の大変な思いへの解
決は部分的になっていた。震災後仮設住宅に移られた方々にたいし
てボランティアとして新潟県から仮設住宅に住まれた経験のある方
に様々なアドバイスをもらった。そこで初めて仮設住宅には仮設住
宅なりの「住み方ルール」があるのを知った。

 現在これからくる冬に備えて、家屋が積雪で倒壊しないように、
雪囲いをしなければならないが、他地域からこられた災害ボランテ
ィアの方が応援したくても帰宅許可証がないと応援できない。しょ
うがないので、他地域の方なのに帰宅許可証を発行してもらって、
応援をしてもらっている。

 地元のNHKニュース等でつとめて、岩手・宮城内陸地震のその
後を見るようにしていましたが、このような被災者からの視点の報
道はなく、大庭さんの発言に私自身少し驚きもしました。

 大庭さんの発言に対して、支援する側の黒澤さん、浦野さん、北
川さんの発言も、私にとっては普段の報道では知ることができない、
新鮮なものがありました。

 次号において報告します。



  歓乃喜 師弟 No.79(11/17 2008)

バックナンバー
http://blog.goo.ne.jp/kan-noki-shitei
メールマガジンでの配信 
http://www.mag2.com/m/0000270702.html

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.78 死して遺すもの・生きている証

2008年11月14日 16時26分28秒 | Weblog
No.78 死して遺すもの・生きている証

 前回No.76(11月12日)号「対話と会話」で会話から対話が苦手な
私を含めての日本人ということを話ました。あなたにとって、「 死
して遺すもの・生きている証」は何ですか?私にとってはこれこれ
です、という対話も私にとっては、あまりみられないことですし、
経験もないことです。

 しかし、このテーマは対話はないのに私にとってはいつも想念の
中にあります。本日の日経新聞社会面に以下の内容の記事が掲載さ
れていました。

 「小・中学生と『いのちの授業』山田さんの体験映画に」

 「乳がんを患った自らの闘病経験を通じ、小、中学生らと命の重
みについて話し合う『いのちの授業』を続けた大分県豊後高田市の
元養護教諭、山田泉さん(49)とフランスのチェロ奏者との交流を
描いたドキュメンタリー映画が15日以降、全国各地で公開される。

 現在入院中の山田さんは『本当にうれしい。映画の公開を励みに
頑張っています』と話している。

 公開されるのは『ご縁玉 パリから大分へ』。教員を退職した200
7年、パリ旅行中に友人を通じ世界的なチェロ奏者のエリックマリア
・クテュリエさん(36)と出会い、友情の証に1枚の5円玉を贈った山
田さん。帰国後のある日、その5円玉を持ったクテュリエさんが、自
宅療養中の山田さんを訪ね大分までやってくる」

 この記事を読んで私が思いましたのは、「一歩を踏み出す勇気」と
いう言葉です。そういえば私がこの世に生まれたのも父と母がお互い
に一歩を踏み出し、知り合い、声を掛け合い、一生を共に家族として
すごそうと更に一歩の勇気で決めて行動してくれたおかげです。

 友情の証に一枚の5円玉を贈った山田さんのささやかな勇気。それ
をしっかりと受け止めてわざわざ日本までやってきたエリックマリア
・クテュリエさんの一歩の勇気。

 山田さんは大分県内の中学校に勤務していた2000年、乳ガンを発症
し、術後2年で復職したが、「バカ」「死ね」といった言葉が子どもら
の間で日常的に飛び交っていることに違和感を覚え、「いのちの授業」
を始めました。

 2年間で約70時間に及んだ授業は自身の経験だけではなく、病気や障
害などと向き合って懸命に生きる人々を外部から招き、「生と死」持
つ意味、命の重みなどについて議論(対話)。

 山田さんは2005年にガンが再発したが復職し、2007年3月に教職を辞
めた後も各地の学校などで授業を続けてきました。今年夏に肝臓や肺へ
の転移が発覚、大分県内の医療施設や自宅で治療を続けています。

 山田さんのこの記事を読んで、私は、何も著名でなくとも、役職がな
くとも、財産がなくとも、一庶民として、「命をみつめ、対話を促し、
人を励ますのを使命」とする、凛とした生き方を貫けること自体が、
「死しても遺せるもの・生きている証を創るもの」と痛感しました。

山田 泉さんの回復を心からご祈念したします。



 歓乃喜 師弟 No.78 (11/14 2008)

バックナンバー
http://blog.goo.ne.jp/kan-noki-shitei
メールマガジンでの配信 
http://www.mag2.com/m/0000270702.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.77 屋根は晴れた日に作る:危機をチャンスに変える真の企業

2008年11月13日 18時08分47秒 | Weblog
No.77 屋根は晴れた日に作る:危機をチャンスに変える真の企業

 京セラ名誉会長である稲盛和夫氏とアリババの会長である馬 雲
(ジャック・マー)氏との対談が日経ビジネス11月10日号に掲
載されていました。

 世界は今、100年に1度といわれる未曾有の金融危機と、世界
同時不況への不安にあります。この時期に「不況に耐え、次の一手
を」と題する対談でした。

 馬 雲(ジャック・マー)氏は、中国最大のインターネット企業
グループを率いるCEO(最高経営責任者)です。稲盛氏との年齢
差は親子ほども違っています。しかし両氏には以下のような共通点
があります。

 1ー挫折を重ねた青年期
 2ーゼロからの創業
 3-株主の利益より顧客や社員を優先する人間中心の経営
 4-自らを厳しく律する謙虚さ
 5ー人まねではなく、自分の経験と思考を昇華させた独自の
   経営哲学

 稲盛氏は今回の危機を、「満つれば欠けるーという自然の道理が
でただけのこと。欲望が膨れ上がって満つれば、欠けるのが当然。
それを見せつけたのが今回の危機。今こそ人間はー足りを知るー
という謙虚さを学ぶべき」といっています。

 馬 雲(ジャック・マー)氏は、「経営者はこうした危機に立た
された時こそ、冷静でいられることが重要。本当に優れた企業とは、
危機をチャンスに変えられる企業。44歳の私が100年に1度し
か巡ってこない金融危機を経験できる。これは災難ではなく、むし
ろ経営者としての実力を試す得難いチャンスをもらったのだと楽観
的に考えている。これから数年間努力して、厳しい冬を生き抜けば、
アリババはさらに大きく飛躍することができると信じている」とい
っています。

 両氏の言葉には説得力があります。
稲盛氏「謙虚な経営において肝心なのはー備えーです。会社に現金
の蓄えがどれだけあるか。どんな不況にも耐えることができ、新し
い手を打てるかどうかが重要。
 
 しかし米ウオールストリートの人々は、私の経営スタイルがあま
り好きではない。現預金をいっぱい持っているから。現預金をたく
さん抱え込んでいる会社は、株主に対してよくない。もっと有効に
使うべきだと。

 こういったROE(自己資本利益率)、つまり自己資本に対して
いくら利益が出たかを尺度にする考え方では、(現預金を減らして)
自己資本を少なくすれば株主の利回りが大きくなる。

 しかし、それではスリムになり過ぎて、今回のような危機には耐
えられない。次の発展への備えもできない。不況をチャンスに変え
るためには、平時から備えを怠らない堅実な経営を心がけるべき」
と述べています。

 この言葉に対して馬 雲(ジャック・マー)氏は、「我々経営者
は、お客様や株主が注目している以外のもの、あるいは見えないも
のを見なければならない。将来、自分たちにどんな災いや火の粉が
降りかかってくる可能性があるのか、常日頃から考えるべき。

 そして、景気の良い時にきちんと貯蓄し、景気の悪い時に投資を
行う。このような経営を実践するには、やはり現金の備えが潤沢で
ないとできない。

 中国にはー屋根は晴れた日に作るーということわざがある。屋根
は晴れた日にきちんと作っておくべきで、災難という雨が降りかか
ってきてからでは遅い」と述べています。

 馬 雲(ジャック・マー)氏はさらに現在までの成功について、
「自分は成功したなどとは全く思っていない。むしろ成功という言
葉を恐れている。アリババは創業から9年しかたっておらず、京セ
ラに比べればひよっこです。問題や課題はいくらでもあり、成功し
たなどと言うのはおこがましい」とも述べています。

 バブルや不景気で浮かんでは消える経営者を私たちは何十人も見
てきましたが、やはり両氏のような人間的な謙虚さに裏打ちされ、
晴れた日に屋根を作る、リスクマネジメント感覚に溢れた経営者の
対談を読んだおかげで、私も「今回の危機をいかにチャンスにしよ
う!」と勇気がじっくりと湧いてきました。



 歓乃喜 師弟 No.77 (11/13 2008)

バックナンバー
http://blog.goo.ne.jp/kan-noki-shitei
メールマガジンでの配信 
http://www.mag2.com/m/0000270702.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.76 対話と会話

2008年11月12日 16時49分40秒 | Weblog
No.76 対話と会話

「対話と会話」ってどのように違うんだろう?と気づかせる新聞コ
ラムに出会いました。

 「ニッポンには対話がない」三省堂の中での、劇作家・平田オリ
ザさんの話によると、「会話」は親しい人同士のおしゃべりで、「
対話」は異なる価値観をすり合わせる行為ということです。

 知った人同士でも異なる意見が出てきて「対話」の関係ができる
ということです。そういえば、私自身の体験から考えますと、私自
身も「対話が苦手」であったと反省します。

 コラムでは、忠臣蔵で、赤穂浪士らは松の老化の事件までは、「
会話」だったのが、事件以降、赤穂藩が危機に陥り今後どうするか
という段になって「対話」が始まったと述べています。

 なるほど「危機管理」において初めて「対話」が必要なのが、日
本人の特性なのか?と思いましたが、これは私自身にも当てはまっ
ていました。

 コラムの中で、現在公開中の映画「ブタがいた教室」が評判なの
も、その中に対話の関係が起こっているからにちがいない、といっ
ています。

 「豚を飼って大きくなったら食べよう」という大阪の小学校で実
践教育を通して「命」を考えることの実話を基に、この映画が創ら
れました。

 前田哲監督は、卒業が近づき、育てた豚の処遇をめぐり、「食べ
る」「かわいそう」の激論の前に、こどもたちに白紙の脚本を渡し
ました。このシーンが圧巻だそうです。

 激論が台詞ではなく、子どもたちが自分で考えた自分の言葉での
ものであったからです。それらの言葉のやりとりが、見事に「対話」
になっていたからです、とコラムはしめくっていました。

 そういえば私の少年時代の思い出として、本気で喧嘩した友達ほ
どその後親友になっています。なにげない「会話」から激論に、そ
しておちついたところで、自然に「対話」になっていたんだと、こ
のコラムを読んで気づきました。

 これからの1週間、1ヶ月、1年間何人の人々と「対話」できる
のだろうか?とふと思うこの頃です。

 (コラムは11月7日公明新聞の「北斗七星」です)



 歓乃喜 師弟 No.76 (11/12 2008)

バックナンバー
http://blog.goo.ne.jp/kan-noki-shitei
メールマガジンでの配信 
http://www.mag2.com/m/0000270702.html

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする