絶対的幸福と相対的幸福(あんしん&安全) 全ての人間は尊厳を持っており、敬意と尊敬に値いします。

安全とはリスクが受容できるレベルより低いこと。
安心とは、リスクの存在を忘れることができている心理状態。

No.47 夢や理想を持てる勇気は、戦う力になる 

2008年08月28日 20時29分44秒 | Weblog
夢や理想を持てる勇気は、戦う力になる No.47

「戦う力があるから、夢や理想をもてる」のではなく、「勇気があ
るから夢や理想を持てる、だから戦う力がつく」、「夢や理想を持
ち続けているが故に勇気が湧いてくる、だから戦う力になっていく」

 このことを教えるのが、また学ぶことが、本当の「教育」ではな
いでしょうか?「理想や夢は実現できる可能性のはるかかなたにあ
るものと認識しつつも、理想や夢を道徳的羅針盤として信念まで昇
華できるような人造り」を目指すのが教育だと思います。


小学校6年生の作文を紹介します。

 「僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。そのためには、
中学、高校と全国大会にでて活躍しなければなりません。

 活躍できるようになるためには練習が必要です。
 僕は3才から7才までは半年くらいやっていましたが、3年生の
ときから今までは、365日は、激しい練習をしています。

 だから1週間中で友達と遊べる時間は5~6時間です。そんなに
練習をやっているのだから、必ずプロ野球選手になれると思います。

 そして中学、高校と活躍して高校を卒業してからプロ野球選手に
なれると思います。そしてその球団は、中日ドラゴンズか西部ライ
オンズです。ドラフト入団で、契約金は、1億円以上が目標です。

 僕が自信のあるのが投手か打撃です。去年の夏、僕たちは全国大
会にいきました。そして、ほとんどの投手を見てきましたが、自分
が大会ナンバーワン選手と確信でき、打撃では県大会4試合のうち
ホームランを3本打ちました。そして、全体を通した打率は、5割
8分3厘でした。

 このように自分でも納得のいく成績でした。そして僕たちは1年
間負け知らずで野球ができました。

 だから、この調子でこれからも頑張ります。そして、僕が一流選
手になって試合に出られるようになったら、お世話になった人に招
待状を配って応援してもらうのも夢の一つです。

 とにかく一番大きな夢はプロ野球選手になることです」


 読者の皆さんの大方は、この作文の作者はお分りでしょう。また
推測できるかと思います。そうです現在米国大リーグで活躍してい
るイチロー選手です。

 当時6年生の「鈴木一郎」さんが、すごいのは「夢」として、作
文の冒頭で、ただの「プロ野球選手」の前に「一流」とつけたこと
です。

 多分当時の野球の教師、先生が素晴らしかったのではないか、と
思います。またご両親が、素晴らしい「先生」であったのではないか
と思います。

 当時6年生の「鈴木一郎」さんが一番に学んだことは「夢・理想」
と「勇気」だったのではないでしょうか?


次回は9月1日からとなります。

歓乃喜 師弟 No.47(8/28 2008)
 

 

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No.46 教師の条件とはなんだろ  

2008年08月27日 15時15分07秒 | Weblog
教師の条件とはなんだろ  No.46

「教師とは、未来サービス業である」とあるべき教師を定義した
方が、「教師に求められる重要な要素の一つが、10年、20年後
の日本と世界への洞察です」といいきっていたのに出くわしました。

 「君が一人前の社会人になったとき、日本と世界はこうなる予想
だ。その中で、君はどういう役割でお役立ちをするのか?」と問え
ない者は、教師ではありません」とまでその方は言い切ります。

 この言葉に接したとき、教師の条件とはなんだろう?という疑問
が私には湧きました。

 ここでいう教師とは、学校の先生だけでなく、親であり、あらゆ
る組織の責任者であり、先輩でありという意味です。

 子どもや部下を指導する立場にいる方々全てを「教師」とします。
なぜなら、このような方々は自分が意識しようが、しまいが、子ど
もや後輩からみたら、すべて良きにつけ、悪しきにつけ先生(先に
生まれた者)になってしまうからです。

 作家の吉川 英治氏が「我以外みな師」といった言葉は有名です
が、私もこの言葉は好きです。人生の後輩だろうが、年齢に関係な
く、私は素晴らしい若者からもどんどん学びたいと思っています。

 さて、「良き教師の条件とは?」


永遠に若い人


知識など技術的な面だけでなく、後輩を慈悲深い人になるように教
えられる人(ほとんど不可能に近い困難なこととですが、慈悲深い
母親はこの面では男性に比べて、圧倒的に多数います)


利己的なエゴという意味では自信を持つ必要はないが、可能性に対
しては自信を持つべきであると、教えられる人


理想と現実のはざまで葛藤することが多々あるが、理想は実現でき
る可能性のはるかかなたにあるものと認識しつつも、理想を道徳的
羅針盤として信念まで昇華できるような人


指導される側の子どもや後輩は、大人の「命」を感じ、その「命」
に応えるということが、分っている人


条件つきで後輩や子どもを「好きになったり、嫌いになったり」し
い人


子どもや後輩がどんな過酷な現実の状況にあっても「大丈夫だ」
「必ず開いていける」と、子どもや後輩の「命」をとことんまで信
じきれる人(これも庶民的な母親が圧倒的に実証を示しています)


子どもや後輩がどんな問題を起こしても、「もしかすると先輩であ
る私を一人前の人間に成長させるために、この問題が起こったのか
もしれない」と自然と思える人

 以上8か条が理想的な、私なりの教師像です。

 私自身にとってはこの8か条に挑戦するには、かなりの困難を予
測しますが、第一歩として、「理想は実現できる可能性のはるかか
なたにあるものと認識しつつも、理想を道徳的羅針盤として信念ま
で昇華できるような人」から目指していきたいと思います。


歓乃喜 師弟 No.46(8/27 2008)

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No.45 教育って何だろう  

2008年08月26日 21時05分19秒 | Weblog
教育って何だろう  No.45

トルストイの民話から、 私自身の「教育」についての反省です。

 自宅に帰っても、仕事のことから思考が離れず、子どもから話か
けられても、妻から近所話しをされても、上の空で聞き流したこ
とがありました。いちばん大事な人は、今隣にいる人なのに。

 なすべきことは、どんなことであっても、懸命に今隣にいる人の
言葉を聴くことであったのに。

 そしていちばん大事なときは、「今という瞬間」なのに過去の仕
事のことが気になって過去ばかりを漠然と考え「今」を大切にしな
かった。
 
 本当にこんなことが多くて、果たして自分の子どもや部下たちを
尊敬して、可能性を開こうとしたのか?希望や理想を育てようとし
いていたのか?

 子どもや部下にたいして、ついつい「所詮子どもだ」「生意気だ」
という感情をもったことが、そういえばかなりあったのではないだ
ろうか?

 信じるべきかけがえのない身近な存在なのに、私の力量の狭さで、
信じきれないまま、つい「こうしてはいけない」「ああしろ、こう
しろ」と言い過ぎた部分も多々あったのでは?

 多分、子どもや部下にたいしてもこのようなことをしてきた私は
しらずしらずのうちに友人や知人にたいしても同じことをしてたの
ではないか?とも思い至りました。


 指示や命令的な管理だけでは外圧的で、内発的な尊厳や、生きる
力や、創造性や、豊かな心を育むことはできません。

 教育の語源はエデュケートといって「引き出す」ことなのですが、
内発的な、自主的なものを引き出すべきでした。

 目先の効率だけを考えて短絡的に外圧的なかかわりだけで済まそ
うとするのは、間違っていることにも気づきました。

 「今を大切にする」ために、「今隣にいる人を大事にする」ため
に、目先に見えるものだけに幻惑されず、子どもや部下の見えない
「命」をじっくりみつめていくことが、同じ過ちをしないためにも
必要かと思いようになりました。

 それでは、どうのようにして「命」をみつめる努力をしたらいい
のでしょう?やはり深く子どもや部下にたいして、そしてこれから
隣にいるであろう他人にたいして、自分なりに祈ることではないか
と考えるようにもなりました。

 もっといえば「自分自身」にたいしても「もう私は何歳になった
んだから、この年齢でいまさら」と外側だけの姿で決めつけないで、
自分自身の「命」をみつめよう、そうでないと他人様の「命」をみ
つめることなんてできないのでは?と思うようになりました。

 「まず自分自身の『命』を教育しなければ」というのが、遅きにい
っしましたが、やっとたどりついた私の本音です。



歓乃喜 師弟 No.45(8/26 2008)

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No.44 70兆分の1の可能性で生まれた子ども・人間  

2008年08月25日 18時01分40秒 | Weblog
70兆分の1の可能性で生まれた子ども・人間  No.44


 「生きていることに日々感謝できる」という人は残念ながら大多
数ではありません。私自身も日頃心がけてはいるのですが、イザ!
というとき条件反射的に「感謝!」といえるかどうか未だ自信があ
りません。

 一組の両親から「私」という存在が生まれる可能性は、70兆分
の1といわれています。父も母もこの可能性の中から生まれ、また
数多くの中可能性の中から縁あって夫婦となっています。

 この確率論に気づくことが、「私」という存在そのものが、やは
り奇跡と思えるか、思えないか、ここが「生かされている、生きて
いることへの感謝」に近づきやすい第一歩かと最近気づきました。

 そして「生かされている、生きていることへの感謝」を突きつめて
いきますと・・・

すべての子ども(人間)は生まれながらに尊厳

すべての子ども(人間)は生きる力に満ちている

すべての子ども(人間)は創造性のかかたまり

すべての子ども(人間)は心を結ぶ世界市民

 ということになるのではないでしょうか?

 この4項目をさらに突き詰めていきますと・・・

子ども(人間)が尊厳となれば、「子ども(人間)を尊敬しよう」
となります。

子ども(人間)が創造性のかたまりとなれば、「子ども(人間)の
可能性を開こう」となります。

子ども(人間)は生きる力に満ちているのであれば、「子ども(人間)
の希望と理想を育てよう」となります。

子ども(人間)は心を結ぶ世界市民と見ることができれば、「豊か
な心」を育もうとなります。

 スタートは自分自身が上記1~4なんだ、ということに気づくこと
です。気づくことによって自分自身の命を変えていくことが、まず自
分ですべきことではないか?とも思いました。そして初めて子どもに
も他人にも上記1~4がおこなえるのではないでしょうか。

 ロシアの大文豪であったトルストイの民話があります。
「ある皇帝が三つの質問、1いちばん大事な時間はいつか?2この世
でいちばん大事な人は誰か?3いま何をなすべきか?に対する答えを
探していました。

 世界中の賢人たちに尋ねても答えが得られない。がっかりして散歩
に出た皇帝は井戸の水を汲んでいる娘に出会い、この三つの質問をす
る。

 娘は答える。
1いちばん大事な時間は『今このとき』、2いちばん大事な人は今自
分の横にいる人、3なすべきことは自分の横にいる人に善行を行うこ
と。

 皇帝はよろこび、娘の重い井戸水を代わりに運んでやった。自分の
横にいる娘に善いことをしてやるために」(聖教新聞8月21日コラ
ム:トルストイ生誕180周年に寄せて:安達紀子さん から引用)

 子どもの教育、部下の教育のみならず、あらゆるコミュニケーショ
ン場面でこの考えがあるか、ないかでずいぶん違ってくるのでは?と
はっと気づかれたトルストイの民話でした。

 また自分自身の「命」をみていくことが、地球の歴史60億年で生
まれた、60億年の連鎖の中で奇跡的に70兆分の1の可能性で生ま
れた、私自身の命題かとも思える民話でした。


歓乃喜 師弟 No.44(8/25 2008)
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No.43 庶民は投げださない 

2008年08月22日 14時36分51秒 | Weblog
庶民は投げださない No.43

鎌田 實 医師
「日本では、恵まれた人たちが、ちょっとつらく苦しくなると、す
ぐに投げ出したり、自分の利益に走ってしまいます。
 でも庶民はそんなに簡単に投げ出していない。そんな当たり前に
生きている人の話をきちんと書きたいと思った」

 庶民が「なげださない」実例を聖教新聞1月17日号のインタビ
ュー記事から紹介します。

記者の質問「どんな状況でも投げ出さなければ、光があると?」

鎌田 實 医師
「(がんになり)うつ状態になって、『もう死のう』と考えている
ときに、奥さんたち3人の女性が隣の部屋で『ケーキがおいしい』
とか言っていた。

 それを聞いた彼は『ふざけんな。おれはこんなに苦しんでいるの
に、何がケーキだ』って言いたかったのに、不思議なことにその言
葉に引き寄せられてしまった。

 うつになった場合、家族は腫れ物に触るように静かにしているこ
とが多いと思います。

 でも、そうではなくて、お母さんと娘さんがケーキを楽しく食べ
て明るい雰囲気、そういうものがうつになっているご主人の心を引
きつけるというか、生きる力を呼び起こしていく。

 がんという病気にしても、人生の壁にぶつかったときも、同じこ
とではないでしょうか。

 生きていることが嫌になったとしても、当たり前のようにご飯を
炊いて、みそ汁をつくって、それを食べてみる。

 掃除どころではないときにこそ、丁寧に掃除をしてみる。そうい
うところに生きるヒントがあるのかなと思います」


記者の質問「アルコール依存症から立ち直った人もいました」

鎌田 實 医師
「アルコール依存で家族が崩壊したのだけれど、彼はお酒をぴたっ
とやめて、すご腕の家庭教師になった。さらに同時に落ちこぼれて
いる子や不登校の子たちも教えるようになる。

 本当にこの人は生き返ったなと思いました。しかし、娘や奥さん
は許してくれず、よりは戻ってきません。

 でもそれで酒びたりに戻るかといったらそうではなかった。必死
に、より困難な人たち、子どもたちのために生きています。彼はも
う50歳なのですが、そんな年齢であっても取り返しがつくんです。
何歳になっても取り返しのつかない人生なんてないだ、ということ
が言いたかった」


記者の質問「どんな人でも立ち直ることができる、と」

鎌田 實 医師
「社会からは、だめな人間とレッテルを張られるかもしれない。
しかし人生に失敗したということ自体が武器となったり、誰かの
役に立つことがある。

 今でも彼は、それでも自分は幸せだといいます。まだ娘さんたち
に許してもらえないけれども、投げ出していない。

 本当に、今、丁寧に生きて、恵まれない子どもたちのために一生
懸生きています。

 同じように、病気になっても、仕事をリストラされたとしても、
前向きに生きていれば、絶対に役に立つ。どんなものでも役に立た
ない人生なんかない。

 だけど、投げ出しちゃったらすべてがだめになります。だから投
げ出さなければ、どんなマイナスのことでもプラスに変えていける
のだと思います」


次回は8月25日からの発信となります。

歓乃喜 師弟 No.43(8/22 2008)
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No.42 「なげださない」を教えた人 

2008年08月21日 21時08分26秒 | Weblog
「なげださない」を教えた人 No.42

 鎌田 實 医師に「なげださない」を教えた人は誰でしょうか?
それは、多分まず第一には、お父さんだったと思います。心臓病の
母に治療を受けさせるために深夜まで懸命に働いていた後ろ姿をみ
ることで鎌田 實 医師は学んだはずです。
 
 しかしながら「目の前の生活に追われ続ける毎日で、父は励まし
の言葉で子どもを育てる余裕はなく、私を誉めてくれることは一度
もなかった。どうして自分のことを理解してくれないのでろうか?」
とその頃鎌田 實 医師は父に対していっています。

 当時は心の底にわだかまる重しをもつ鎌田 實 医師にとって、
父とは対立関係にあった、ともいっていますが、実は父が鎌田 實
医師の実の父ではなかったという事実を遥か後に鎌田 實 医師は
知ることになります。

 父はこの「秘密」を最後まで口にすることなくこの世を去りまし
た。「運命から逃げなかった父の凄さを理解し、心から好きになる
まで50年の歳月が鎌田 實 医師にとってかかったそうです。

 「人の苦しみ悲しみの分る医者になれ」との父からのいいつけを
きちんと守り抜いている鎌田 實 医師にとっての最初の師匠は父
ではないでしょうか?

 師匠がどんなに「運命から逃げない、なげださない」ことを身で
もって教えても、受け止める弟子が学んだとおりのことを実行しな
ければ、本物の弟子とはなりません。

 第二の師匠が東京医科歯科大大学で解剖学の三木成夫先生。
「先生は、不朽の名著『ファウスト』を書き上げる前にゲーテが発
表した『植物メタモルフォーゼ』を手にし、ゲーテが1年草お植物
を克明に記録して、実体を正確に捉えようとした研究姿勢を紹介し
てくれました。

 (三木成夫先生の言葉)
 ゲーテの凄さは、形態学をきちっと踏まえ、その先に『人間とは
何か』を鋭く洞察していたことだ。解剖によって神経の1本1本、
血管の1本1本まで勉強することは当然だが、それで終わりではな
い。献体されたその人がどんな生き方をし、どんなことを思ってい
たかまで想像できる人間になりなさい。

 (この言葉を聞いたとき)驚きが体中に走った感動は今も鮮烈な
思い出です」と鎌田 實 医師はいっています。

 第三の師匠が諏訪通用病院で出会った宮崎 保先生。
「君の臨床スタイルは面白い。血液の分野だけでなく、肺炎や心臓
病など、白血病に関係するすべてに必死で勉強している。君のよう
な医者がいれば白血病治療の成績を上がることができるではないか」
と鎌田 實 医師が研修の終わる日にアドバイスされた。

 この一言を聞いて、「私の心の靄(もや)が晴れた。全体をみて
丸ごとの人間をなおすという点では、地方にいても絶対に遅れをと
っていない。むしろこの道こそが人々の役に立つ医者になっていけ
るのだとの強い確信がもてた」と鎌田 實 医師はいっています。

 鎌田 實 医師のような凄い弟子がいるからこそ、父も三木成夫
先生も宮崎 保先生も凄い師匠であることが分ります。


歓乃喜 師弟 No.42(8/21 2008)
 
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No.41 なげださない生き方---鎌田 實 医師  

2008年08月20日 15時32分59秒 | Weblog
なげださない生き方-----鎌田 實 医師  No.41

 鎌田 實 医師は、現在長野県茅野市で、諏訪中央病院名誉委員
長をされています。長年「住民とともにつくる地域医療」に取り組
んでこられました。

 またチェルノブイリ原発事故の患者治療にも協力され、ベラルー
シ共和国フランチェスカ・スコーリヌイ勲章を受賞され、1994
年には信濃毎日新聞賞を受賞されました。

 著書に「がんばらない」「あきらめない」(ともに集英社)等が
あります。「がんばらない」はベストセラーになり、TBSでもドラマ
化もされました。「あきらめない」は「治す人と治してもらう人の
関係が、水平の関係になって、ともに病気と闘う仲間のような関係
ができあがったら、患者さんもきっと安らかになるだろう」という
視点から書かれています。

  鎌田 實 医師のお父さんは、青森県生まれで、名前は「岩次
郎」さん、その名のとおり頑固者で寡黙な方でした。心臓病の母に
治療を受けさせるために深夜まで懸命に働いていた方でした。

 進学校の都立西高校に進んだ鎌田 實 医師が、医学部にいきた
いと父にお願いしたとき「どうしてもいくというのなら6年もかか
る大学はやめてくれ」とけんもほろろだったそうです。

 しかし最後には「1.自由をやるかわりに食べることも学費も自
分で考え、自分で生きてゆけ。2.人の苦しみ悲しみの分る医者に
なれ」と二つの約束を条件に医学部進学を許してくれました。

 鎌田 實 医師にとって、「これは医師として活動する一番の規
範になっている」そうです。人生に迷ったときには、この約束が必
ず浮かぶといっています。

 鎌田 實 医師は今年「なげださない」(集英社)を出版しまし
た。聖教新聞1月17日号のインタビュー記事を紹介します。

 記者質問「今回の『なげださない』というタイトルは、どうして
つけられたのでしょうか」

鎌田 實 医師
「日本では、恵まれた人たちが、ちょっとつらく苦しくなると、す
ぐに投げ出したり、自分の利益に走ってしまいます。

 でも庶民はそんなに簡単に投げ出していない。そんな当たり前に
生きている人の話をきちんと書きたいと思った。同じような壁にぶ
つかったり、つらい状況にある人たちにエールになると思ったので
す」

記者質問「がんや被爆者など、取り上げられている人は、いずれも
極限状態に生きている人たちですね」

鎌田 實 医師
「一人のがん患者は多発性の転移をして、再発、再々発をしても病
気と闘った。徹底的に治療をして、今は完治しました。

 現在日本では33万人ががんで死亡。また100万人ぐらいが治
療中といわれています。そんな困難の中で、うつうつとしている人
たちに、再々発しても助かることもあるんだ、という話を書きたか
った」

以上聖教新聞からの引用です。

 鎌田 實 医師が主張したいことはどんなことがあっても「あき
らめない」「なげださない」ということです。鎌田 實 医師自身
が進学にしても医師の仕事にしても「なげださない」ということを
身でもって示し続けたからこそいえることです。

 それでは鎌田 實 医師が「あきらめない」「なげださない」こ
とを身でもって学んだ経緯はなんでしょうか?

 次回 お伝えします。


歓乃喜 師弟 No.41(8/20 2008)
 
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No.40 ぴんぴんころり(PPK)でいいのか? 

2008年08月19日 21時02分57秒 | Weblog
ぴんぴんころり(PPK)でいいのか? No.40

 2006年度に発表された平均年齢。日本男性の平均寿命が79
歳、女性が86歳ということです。

 現在50歳を越えている方々は、今後平均寿命がもう少し長くな
るので、もっと長生きする可能性があるとのことです。

 80歳を越えて生きる確率は、女性が4人に3人、男性が2人に
1人。団塊の世代の方々は丁度定年年齢(60歳)を迎える時代で
す。定年してからあと20年有意義に充実して80歳を迎えて欲し
いと切に願います。

 団塊の世代の方々にいいたいことがあります。

まず年齢を重ねることは自然の成り行きですから、これが自然なん
だと、にこやかに受け止めて欲しいです。


定年までほとんど上り坂のノウハウで過ごしてきたわけですから、
人生山あり谷ありで、上り坂あり、下り坂ありで、ノウハウのない
下り坂を、楽しく歩んで欲しいです。


山登経験者は上り坂より下り坂のほうが、ノウハウもスキルもいる
といっていますので、とにかく人まねでない自分らしい工夫をしま
しょう。上り坂の場合は人まねでなんとか上れるそうです。


まちがっても過去の職歴や地位などをいうのはやめましょう。
昨日までもっていた能力や資源を失っていく感じが多くなるのと、
周囲の方が心の中で「またか→うんざり」という反応に最初は気づ
かず、後で寂寥感とともに喪失感を抱くようになるからです。


老いをみたくない、聞きたくない、避けたい、死の直前まで、中年
期を延ばそう、と無理に考えるのもよしましょう。

そういえば有名な古代皇帝は老いない薬や秘法を求めていたっけ?
そうであれば、古代皇帝が手に入れられなかった秘法を私が手に入
れたんだ、と喜び、老いを拒絶するのでなく、長寿は昔からの全人
類の望みだったのでは?と素直に喜んで受け止めましょう。


朝起きた時、生きていると感謝しましょう。
立ったとき、立てると感謝しましょう。
歩いて洗面台のところにいったら、歩けると感謝しましょう。
感謝して朝鏡をみると自然な自分の笑顔をみつけるはずです。

ふれあうもの、みるもの全てに感謝!感謝!で一日を感謝で過ごし
ましょう。


そして自分の得意分野を活かしての、他人への徹底的な奉仕です。
見返りを求めない奉仕です。

 よく「寝たきりにならないでね、ぴんぴんころり(PPK)で亡くな
ってね」とか「寝たきりになりたくないよ、ぴんぴんころり(PPK)
で亡くなりたいよ」という言葉を聞きますが、これは老いを拒否する
もっとも避けたい考え・思想です。

 このようなことを言う方々の深層心理には、多分「男性では女性差
別が、健常者が障害者差別が」あるのではないでしょうか?とんでも
ありません「自分だけはそうはならない」という全く根拠のない安心
感があるだけです。

 老いは誰にでも確実にやってきます。「ぴんぴんころり(PPK)」と
いう言葉は拒否しましょう!でないと自分が高齢になったときに、かな
らずツケが回ってきます。

 団塊の世代の兄に贈る言葉をまとめてみました。

歓乃喜 師弟 No.40(8/19 2008)
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No.39 核兵器廃絶をなし遂げる者は誰? 

2008年08月18日 19時46分56秒 | Weblog
核兵器廃絶をなし遂げる者は誰? No.39

 核兵器抑止の国際的動きとしてNPT(核拡散防止条約)やCT
BT(包括的核実験禁止条約)がありますが、進行ははかばかしく
ありません。

 核兵器廃絶といっても、「所詮政治家が行うことで・・・」とい
う他人任せの発想では、いつまでも廃絶は実現できません。

 それでは原爆被害者の方々に申し訳がたたない、というのが、傍
観者でないジョー・オダネル(Joe O'Donnell)さんや、民衆レベル
で廃絶を訴えて運動を起こされている方々の本音ではないでしょう
か?

 人種差別のあった南アフリカで、歴史が変わりました。米国にお
いても人種差別撤廃の公民権運動で歴史が変わりました。さらに昔
の奴隷制度も今米国にはありません。インドではガンジーが非暴力で
大英帝国から独立を勝ち取りました。

 民衆が諦めない限り、いつか必ず「核兵器廃絶」の時代がくるも
のと私は信じています。

 歴史から学べるのは人間の特権です。過去の真実の歴史から学ぼ
うとしないのは、動物以下の存在ともなります。「原爆神話」の歴
史的事実を学び、「核兵器廃絶」への運動は未来世代の全世界の子
どもたちに向けて必要なことです。

 私は、私のような民衆の心を理解してくれる政治家を選択してい
きたいと思っています。

 原爆記念日や8月15日終戦記念日にマスコミ各社が論説を発表
していますが、「行動する平和主義」堅持というテーマで公明新聞
が発表した「8月15日終戦記念日アピール」文は私の庶民感情を
見事なまでに、代弁してくれるものでした。

 アピール文を紹介します。
「8月15日は、戦争犠牲者の方々に祈りを捧げ、『不戦への誓い』
を新たにする日です。
 1931年(昭和6年)9月の満州事変から1945年(昭和2
0年)8月の敗戦に至る先の大戦は、幾百万人もの日本国民とそれ
を上回る多数のアジア・太平洋諸国民の生命を奪いました。

 戦後63年、戦争体験の風化が言われる中で、私たちは、戦争の
悲惨さ、残酷さを次世代に語り継ぐ努力を更に更に強めていかねば
なりません。

 平和と人道の新世紀と期待された21世紀も既に7年余が経過し
ましたが、戦争や紛争は絶えることなく、核の脅威は「核拡散」と
いう問題となって人類の生存を脅かしています。

 被爆国日本は、核兵器の非人道性と残虐性を世界に訴え、核廃絶
へ強いリーダーシップを発揮していくべきであります。公明党は、
核兵器の使用はいかなる理由があっても許されぬ「絶対悪」との思
想に基づき、断固たる決意で核廃絶をめざしてまいります。

 口で戦争反対を叫ぶだけでは平和は実現できません。大事なのは、
平和創出のために何をなすか、どう行動するかであります。公明党
は、憲法の恒久平和主義をどこまでも堅持し、「行動する平和主義」
に徹すること、すなわち世界中の人々がテロ、貧困、飢餓、紛争、
感染症などの脅威から解放される「人間の安全保障」確立への貢献
こそ、日本の進むべき道であると考えます。

 「人間の安全保障」を確かなものとするためには、NGO(非政
府組織)との連携や国際平和に貢献する専門家の養成が急務であり、
日本は国連の平和構築委員会と連携し、ソフトパワー重視の国際平
和協力の拡充に努めていくべきです。

 また、地域紛争多発要因である小型武器を規制する武器貿易条約
の早期実現や、紛争終結後の復興を妨げる要因ともなるクラスター
弾の禁止条約早期締結に積極的に取り組んでいくべきです。

 日本政府は当初、クラスター弾の全面禁止に消極的でしたが、わ
が党の強い要請により福田首相が全面禁止への同意を決断したこと
は高く評価されます。

 さらに、人々の心の中に平和の砦を築いていくことが何よりも重
要であり、不信を信頼に変え、反目を理解に変える「文化交流」「
青年交流」の拡大に力を注いていくべきであります。

 公明党は44年前、大衆福祉の実現とともに、「地球民族主義に
基づき戦争のない地球を実現する」ことを大目的に掲げて結成され
た政党です。63回目の終戦記念日にあたり、公明党は「平和の
党」の果たすべき使命と責任を肝に銘じ、日本とアジア、ひいては
世界の平和、人類の繁栄に貢献する日本の国づくりに全力を尽くし
てまいります。
                    2008年8月15日」

 核兵器廃絶をなし遂げる者は民衆です。このような民衆と連携し
た民衆的の心が分かる政治家でもあります。このような宣言文を日
本のみならず世界中の、あらゆる政党が真実の歴史観とともに出し
て欲しいものと思いました。


歓乃喜 師弟 No.39(8/18 2008)
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No.38 絶対悪である核兵器投下をなくすには?

2008年08月17日 08時57分17秒 | Weblog
絶対悪である核兵器投下をなくすには? No.38

 一瞬にして何十万という、現在の水爆という規模では幾百万の犠
牲者を出しかねない「核兵器の使用者」などは、さしずめ、人間の
みならず、あらゆる生命の尊厳性などまったく眼中になくなった極
悪の症例となります。

 核兵器のみならず、ナパーム弾や劣化ウラン弾、クラスター弾の
ような残虐な兵器を使う人、使わせる人の心事もこれににた症例を
うかがわせます。

 広島・長崎の原爆投下という事実を、あくまでキノコ雲の上(3
万フィート上空からの景色)から見下ろしたままでは、核兵器の抑
止にはつながりません。

 核保有国の指導者は、もしサミットなどで日本での会議があると
きは、長崎・広島の被爆後の惨状を見知った上で(上空でなくグラ
ウンド・ゼロ、地上から見た上で)サミットの会議に参加して欲し
いというのが、私の願いです。

 ニューヨークにおける2001年9月11日のテロ事件はまさに
上空でなくグラウンド・ゼロ、地上から見た惨劇が一瞬のうちに全
世界に伝えられました。9・11テロ事件のあとイラク戦争にまで
発展していきましたが、地上と上空との認識の差からくる国際世論
の違いを発見させることにもなりました。

 グラウンド・ゼロ、地上から見た戦場の報道が、ベトナム戦争の
反戦運動の高まりをもたらした、という反省点?を踏まえて、イラ
クの戦争では上空からしか見えないという報道規制が行われました。

 上空と地上からの視点の相違。これはそのまま傍観者か不幸に対
して同苦する当事者かという相違を生み出すものとなります。平和
創出においては傍観者では不可能であり、傍観者が多いほど生命の
尊厳性などまったく眼中になくなった極悪の症例を生み出す可能性
が高くなってきます。

長崎市の本島等市長の平和宣言。
 「核兵器は全人類を滅ぼす力を持っている『絶対悪』であります。
このような非人道的、無差別大量殺戮兵器の使用が国際法に違反し
ていることは言うまでもありません」
 
 この言葉を受け継いだ私たちは、この言葉を、ジョー・オダネル
(Joe O'Donnell)氏の遺言でもあると受け止め、たとえ小さな一
つの波紋でも真実である限りかならず伝えていく行動をし続けるの
が必要となります。

 しかしながら現実は厳しく、現在世界には約2万7千もの核弾頭
があるといわれています。このような危機的状況を招き寄せた一半
の責任は核保有国にあります。

 また核保有の現状を容認したままでは、いくら核不拡散をいって
も保有国のエゴイズムになってしまいます。

 核兵器抑止の国際的動きとしてNPT(核拡散防止条約)やCT
BT(包括的核実験禁止条約)がありますが、進行ははかばかしく
ありません。

 NPTの前文には「核戦争が全人類に惨害をもたらすものであり、
したがって、このような戦争の危険を回避するためにあらゆる努力
を払い、及び人民の安全を保障するための措置をとることが必要」
と謳われています。

 この趣旨を活かすためには「核兵器に依存しない安全保障」を確
立し、化学兵器や生物兵器の禁止条約と同じように、最終的には核
兵器の禁止条約を成立させることとなります。

 そのためには、個人の徳性における微々たる一歩前進の世界的連
携(全世界で共有できる平和・反核兵器の連携)という全人類主義
が一民族主義・一国家主義を凌駕する必要があります。

 この運動は「原爆投下」から「核廃絶」に向けての平和への努力
とういう図式に当てはめますと、「戦争」そのものの廃絶するとい
う人間哲学的な作業(絶対的な幸福とは何かの思索=他者を幸福に
するには、他国の人を幸福にするにはという思索と行動)が、徹底
的に必要かと思います。

 この場合の人間哲学は、あらゆる時代にも、あらゆる国にも通用
し、歴史的真実をついていて、確実に絶対的幸福を個人にも他人に
ももたらし、しいては一国のみならず全世界に平和をもたらすよう
な哲学であると思います。


参照
Joe O'Donnellの写真がFlickerで公開されています↓
http://www.flickr.com/photos/thephoenixventure/

Joe O'Donnellさんの後をひきついでる息子さんのサイト
http://www.myspace.com/thephoenixventure



歓乃喜 師弟 No.38(8/17 2008)
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