絶対的幸福と相対的幸福(あんしん&安全) 全ての人間は尊厳を持っており、敬意と尊敬に値いします。

安全とはリスクが受容できるレベルより低いこと。
安心とは、リスクの存在を忘れることができている心理状態。

みんなの心を一つに「一日一センチあきらめずに」 No.21

2008年07月27日 10時21分08秒 | Weblog
みんなの心を一つに「一日一センチあきらめずに」 No.21

 福永さんが赴任を命じられたのは50歳という年齢のとき。

富岡光学は、大正13年に創業した老舗の光学機器メーカーだった。
富岡光学が世に送りだしたレンズは、ローザー、リコーフレックス、
ヤシカフレックス、カールツアイスなどがあり、こうしたレンズの
名前を並べるだけで、技術力の高い会社であった。

 しかし昭和から平成へと時代が移ろうとしたいた、まさに日本が
バブル経済に浮かれているときに、月1億円もの赤字がでる会社だった。

 その要因としては、経営陣が目まぐるしく替わったことや、時代の
ニーズにあってない製品の開発などがあげられるが、もっとも大きな
問題は、伝統的に労働組合が強かったために、従業員は働く気力を
まったく失い、経営者も従業員と距離をおくところがあった。

 赴任してすぐに福永さんが気づいたのは「この会社は病気なのだ」
ということです。
 赴任当時の組合の新聞に、福永さんは「京セラから監視役にきた」
と書かれ、憲兵=福永正三と呼ばれた。

 「挨拶」運動を行っても無視されるのは当然だと、割り切って、やり
続けたところは、相当の腹をくくってのことと思いました。

 「挨拶運動」の次に行ったことは、「掃除運動」。
赴任当時は、青梅市から派遣された高齢者の方に掃除は委託していた。
福永さんはこれを断り、自分で掃除をすることにした。
 
 木造の古い社屋は掃除しても、なかなかきれいにならない。
掃除をすればするほど、部屋から塵やほこりが出てくる。それでも
黙々と「一日一センチあきらめずに」掃除を福永さんはしていった。

 なかでも酷いのが便所。古い便所で、決して清潔とはいえない。
誰でもが掃除するのを嫌がっていたが、福永さんは素手で拭いて掃除
をした。そうした行動を、社員は冷ややかな目で遠くから見ていた。

 講演のなかでこの話に触れたとき、「とにかくぴかぴかに光り輝く
までやりました」といったときの福永氏の表情には鬼気迫るものがあ
りました。

 この凄まじいまでの原動力は一体何だろう?
回答は「経営者と管理者と従業員がまったく別の方向に向いている。
考え方もまったく違っている。これでは駄目だ。うまくいくはずも
ない。みんなの心を一つにしないといけない」という一念でした。



歓乃喜 師弟 No.21(7/27 2008)
コメント
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