さらに一人!「一日一センチの努力」の人 No.25
「子どもたちに読書の喜びを」という公明新聞(7月15日)
コラムにであったとき、私はびっくり仰天しました。
出版文化産業振興財団事務局長をされている中泉 淳さん
という方が寄稿されているコラムでした。
「皆さんエリック・ホッファーをご存知でしょうか」
という文章で始まります。
エリック・ホッファーさんとは、
1
「大衆運動」紀伊国屋書店や
「波止場日記」みすず書房
など、名著を数多く発表した社会学者。
2
1902年、ドイツ系移民の家具師の子どもとして、
ニューヨークで生まれた。
3
幼少時(5歳)に視力を失った。
その直後に母が病死。
15歳の時に突如視力を回復。
4
正規の学校教育を受けられなかった。
しかし、光を取り戻してからは、、むさぶるように
大量の本を読んだ。
5
18歳で父が亡くなり、天涯孤独になった。
18歳から鉱夫、移動農業労働者、波止場の荷揚げ労働者など、
肉体重労働を続けながら、日々図書館で読書に耽けった。
6
1951年、49歳の時に処女作「大衆運動」を発表。
社会に大きな反響。
時の大統領(アイゼンハワー)も激賞。
7
この成功後も波止場で荷揚げ労働者として働き、
同時平行で、数々の名著を発表し続けた。
8
62歳からカリフォルニア大学バークレー校で、
政治学の講義を行った。
9
人は彼のことを尊敬の念を込めて「沖中士の哲学者」
と呼んだ。
まさにエリック・ホッファーさんは、
「一日一センチの努力」の人。
「エリック・ホッファー自伝」作品社
はぜひとも購読して読んでみたいと思いました。
歓乃喜 師弟 No.25(7/31 2008)
「子どもたちに読書の喜びを」という公明新聞(7月15日)
コラムにであったとき、私はびっくり仰天しました。
出版文化産業振興財団事務局長をされている中泉 淳さん
という方が寄稿されているコラムでした。
「皆さんエリック・ホッファーをご存知でしょうか」
という文章で始まります。
エリック・ホッファーさんとは、
1
「大衆運動」紀伊国屋書店や
「波止場日記」みすず書房
など、名著を数多く発表した社会学者。
2
1902年、ドイツ系移民の家具師の子どもとして、
ニューヨークで生まれた。
3
幼少時(5歳)に視力を失った。
その直後に母が病死。
15歳の時に突如視力を回復。
4
正規の学校教育を受けられなかった。
しかし、光を取り戻してからは、、むさぶるように
大量の本を読んだ。
5
18歳で父が亡くなり、天涯孤独になった。
18歳から鉱夫、移動農業労働者、波止場の荷揚げ労働者など、
肉体重労働を続けながら、日々図書館で読書に耽けった。
6
1951年、49歳の時に処女作「大衆運動」を発表。
社会に大きな反響。
時の大統領(アイゼンハワー)も激賞。
7
この成功後も波止場で荷揚げ労働者として働き、
同時平行で、数々の名著を発表し続けた。
8
62歳からカリフォルニア大学バークレー校で、
政治学の講義を行った。
9
人は彼のことを尊敬の念を込めて「沖中士の哲学者」
と呼んだ。
まさにエリック・ホッファーさんは、
「一日一センチの努力」の人。
「エリック・ホッファー自伝」作品社
はぜひとも購読して読んでみたいと思いました。
歓乃喜 師弟 No.25(7/31 2008)
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