No.75 深刻なことでもユーモアーを見出せば重大でなくなる:事例集2
前号(10月22日)の回答です。
「おおかたの学生がとてもそんな気になれないと答えたが、博士は
自分なら喜んでやるだろうし、君たちもたぶん同じだろうと言った。
学生たちがきょとんとしていると、博士はその女性のものだとい
う1枚の写真をまわした。そこには6ヶ月になる彼の娘が写ってい
た。
ユーモアーは新しい見方、違う目を貸し与えてくれる。昔流行っ
たあの『だまし絵』を思い出すといい。一方から見ると、悲しげな
男の顔。けれど絵をさかさまにすると、あご髭が髪に変わり、口髭
が眉になって、突然笑顔があらわれる。
つまり同じ絵が、別の方向から見ることによってまったく違った
ものになる。すなわちユーモアーとは横から、斜めから、逆さまか
ら、あるいは裏側からものごとをながめることなのだ。
だから困った問題が起きたときも、そこに何かしらユーモアーが
見出せれば、前ほど深刻にも重大にも思われなくなる。視野を小さ
く限っていた額縁をユーモアーがぐんと広げてくれて、問題がもっ
と大きな構図のなかでながめられるようになるからだ。
中略
一度も顔を上げずに草を食みつづけていれば、羊だって迷子にな
る。私たちもそれと同じで、一歩身を引いて全体をながめることを
忘れていると、自分や自分の問題しか目に入らず、迷子になってし
まうだろう。
私たちの現実に一段高い視点ーーある作家の言葉を借りれば「神
の目」--を与えてくれるもの、それがユーモアー感覚なのだ」
(Te Healing Power of Humor」著者AllenKlein :アレン・クライン
から引用:以下「」内も同じです)
「ユーモア精神のない人は、スプリングのない荷車のようなもの
だ。路上のどんな小さな石ころにもガタガタ揺れる:アメリカ人牧
師ヘンリーさん:」
「最大の難病に陥ったノーマン・カズンズ氏(サタデーレビュー
誌の元編集長で、のちにUCLA医学部の准教授となった)は笑い
で人生が変わったという自身の体験を本に著した。
著書の『笑いと治癒力』に報告されたように、笑うこととビタミ
ンCの大量摂取との組み合わせが重症の膠原病を好転させるのに一
役買ったのである。
『うれしい発見だった』とカズンズは書いている。『ほんの十分
ほど腹をかかえて大笑いしたことによって麻酔効果が生じ、その後
すくなくとも2時間は痛みを忘れて眠ることができた』のだ。
カズンズはストレスを放っておくことと病気とのつながりに気づ
いていた。そして否定的な感情が自分の病気の一因であるとしたら、
肯定的な明るい感情は回復を助けるかもしれないと考えた。
『どっきりカメラ』のビデオやマルクス兄弟、『三バカ大将』な
どのドタバタ喜劇の映画を身辺に山ほど置いた。さらに入院してい
た病院を出てホテルに移った。病院の日課がじゃまになったし、騒
音がまわりに迷惑をかけるからだ。
その結果こうなった。『病院の2倍笑って値段は半分』
カズンズは笑うことを『体内のジョギング』と呼んでいる。腹を
かかえて大笑いすると、体内のあらゆる系や器官が運動することに
なるからだ」
「笑いと涙はどちらも挫折と疲労への反応である。
ならば私は笑うほうがいい。
あとで拭き取る手間がいらない。
カート・ボネガット」
「笑いのほうが涙より役者が一枚上。
笑うことは苦しみを乗り越えるのを助けてくれるが、泣いてもそ
うはいかないということだ。
悲しみの涙は人を内向させる。泣けば自分がかわいそうになる。
泣いている人間は、自分の世界、自分の苦しみしか見ていない。
反対に笑いは私たちの目を外に向かわせる」
「笑っている人間は広い世界に心を開いている。
ドイツの哲学者 ヘルムート・プレスナー」
「笑い声は泣き声より遠くまでとどく
イーディシュ語のことわざ 」
「かといって、つまり喪失、病苦、失敗、絶望といったもろもろの
つらい体験のなかにユーモアを探すことを勧めてきたからといって、
私は決して泣くことの価値を軽く見ているのではない。
苦しみのとき、喪失のときに泣くことは重要な役目をもっている。
泣くことは、圧力がかかったときに人体が緊張を緩和する第一番の
方法なのだ。人は自分に泣くことを許してやらなければならない。
けれど苦しみや悲しみの日々にも、泣きつづけていることがもっ
とも健全な態度ではなくなるときがいつかかならずやって来る。
そのときが来たら、泣いているわけを新しい目で見直さなければ
ならない。そして自分の人生をとりもどさなければならない。あな
たにそうさせるのは涙ではないユーモアだ」
歓乃喜 師弟 No.75 (10/24 2008)
バックナンバー
http://blog.goo.ne.jp/kan-noki-shitei
メールマガジンでの配信
http://www.mag2.com/m/0000270702.html
前号(10月22日)の回答です。
「おおかたの学生がとてもそんな気になれないと答えたが、博士は
自分なら喜んでやるだろうし、君たちもたぶん同じだろうと言った。
学生たちがきょとんとしていると、博士はその女性のものだとい
う1枚の写真をまわした。そこには6ヶ月になる彼の娘が写ってい
た。
ユーモアーは新しい見方、違う目を貸し与えてくれる。昔流行っ
たあの『だまし絵』を思い出すといい。一方から見ると、悲しげな
男の顔。けれど絵をさかさまにすると、あご髭が髪に変わり、口髭
が眉になって、突然笑顔があらわれる。
つまり同じ絵が、別の方向から見ることによってまったく違った
ものになる。すなわちユーモアーとは横から、斜めから、逆さまか
ら、あるいは裏側からものごとをながめることなのだ。
だから困った問題が起きたときも、そこに何かしらユーモアーが
見出せれば、前ほど深刻にも重大にも思われなくなる。視野を小さ
く限っていた額縁をユーモアーがぐんと広げてくれて、問題がもっ
と大きな構図のなかでながめられるようになるからだ。
中略
一度も顔を上げずに草を食みつづけていれば、羊だって迷子にな
る。私たちもそれと同じで、一歩身を引いて全体をながめることを
忘れていると、自分や自分の問題しか目に入らず、迷子になってし
まうだろう。
私たちの現実に一段高い視点ーーある作家の言葉を借りれば「神
の目」--を与えてくれるもの、それがユーモアー感覚なのだ」
(Te Healing Power of Humor」著者AllenKlein :アレン・クライン
から引用:以下「」内も同じです)
「ユーモア精神のない人は、スプリングのない荷車のようなもの
だ。路上のどんな小さな石ころにもガタガタ揺れる:アメリカ人牧
師ヘンリーさん:」
「最大の難病に陥ったノーマン・カズンズ氏(サタデーレビュー
誌の元編集長で、のちにUCLA医学部の准教授となった)は笑い
で人生が変わったという自身の体験を本に著した。
著書の『笑いと治癒力』に報告されたように、笑うこととビタミ
ンCの大量摂取との組み合わせが重症の膠原病を好転させるのに一
役買ったのである。
『うれしい発見だった』とカズンズは書いている。『ほんの十分
ほど腹をかかえて大笑いしたことによって麻酔効果が生じ、その後
すくなくとも2時間は痛みを忘れて眠ることができた』のだ。
カズンズはストレスを放っておくことと病気とのつながりに気づ
いていた。そして否定的な感情が自分の病気の一因であるとしたら、
肯定的な明るい感情は回復を助けるかもしれないと考えた。
『どっきりカメラ』のビデオやマルクス兄弟、『三バカ大将』な
どのドタバタ喜劇の映画を身辺に山ほど置いた。さらに入院してい
た病院を出てホテルに移った。病院の日課がじゃまになったし、騒
音がまわりに迷惑をかけるからだ。
その結果こうなった。『病院の2倍笑って値段は半分』
カズンズは笑うことを『体内のジョギング』と呼んでいる。腹を
かかえて大笑いすると、体内のあらゆる系や器官が運動することに
なるからだ」
「笑いと涙はどちらも挫折と疲労への反応である。
ならば私は笑うほうがいい。
あとで拭き取る手間がいらない。
カート・ボネガット」
「笑いのほうが涙より役者が一枚上。
笑うことは苦しみを乗り越えるのを助けてくれるが、泣いてもそ
うはいかないということだ。
悲しみの涙は人を内向させる。泣けば自分がかわいそうになる。
泣いている人間は、自分の世界、自分の苦しみしか見ていない。
反対に笑いは私たちの目を外に向かわせる」
「笑っている人間は広い世界に心を開いている。
ドイツの哲学者 ヘルムート・プレスナー」
「笑い声は泣き声より遠くまでとどく
イーディシュ語のことわざ 」
「かといって、つまり喪失、病苦、失敗、絶望といったもろもろの
つらい体験のなかにユーモアを探すことを勧めてきたからといって、
私は決して泣くことの価値を軽く見ているのではない。
苦しみのとき、喪失のときに泣くことは重要な役目をもっている。
泣くことは、圧力がかかったときに人体が緊張を緩和する第一番の
方法なのだ。人は自分に泣くことを許してやらなければならない。
けれど苦しみや悲しみの日々にも、泣きつづけていることがもっ
とも健全な態度ではなくなるときがいつかかならずやって来る。
そのときが来たら、泣いているわけを新しい目で見直さなければ
ならない。そして自分の人生をとりもどさなければならない。あな
たにそうさせるのは涙ではないユーモアだ」
歓乃喜 師弟 No.75 (10/24 2008)
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