絶対的幸福と相対的幸福(あんしん&安全) 全ての人間は尊厳を持っており、敬意と尊敬に値いします。

安全とはリスクが受容できるレベルより低いこと。
安心とは、リスクの存在を忘れることができている心理状態。

「一日一センチ」の努力を続けられる原動力は?No.22

2008年07月28日 19時14分26秒 | Weblog
「一日一センチ」の努力を続けられる原動力は?No.22

「挨拶」運動から「掃除」運動。
 福永さんが、黙々とやっている最中に、思わず、怒鳴るような
事件が起きた。廊下を掃除していた私のモップを跨ぐどころか、
きれいにした床を土足で汚していく女子社員。

 以下は福永さん著「会社再建」(サラリーマンを超えた男)
出版文化社¥1500:から引用です。

「私はその社員に向かって声を張り上げた。

『おい!何ということをするんや。せっかく掃除をしたところな
のに。いいか、覚えてくれ!あんたにきれいにしえtくれとは言
わへんわ。しかしな、わしが掃除するところを汚すのだけは、絶
対やめてくれ!』

 その女子社員は私を睨み付け、何も言わないで行ってしまった。
掃除をすることに対しての軋轢も数多くあったが、私は黙々と掃
除を続けていた。

 半日は掃除をして、半日は挨拶をするような毎日。
しかしこの当たり前のような基本を続けることによって、社員と
の距離は近くなってきた。

 少しずつだが、私も社員の反応がわかるようになってきて、社
員の求めることもわかってきた」

 前回「この凄まじいまでの原動力は一体何だろう?」という回答
で、「経営者と管理者と従業員がまったく別の方向に向いている。
考え方もまったく違っている。これでは駄目だ。うまくいくはずも
ない。みんなの心を一つにしないといけない」という一念、と述べ
ましたが、どうやらこの一念にプラスして、やはり「会社再建」と
いう「使命感」が、強烈にあったように思われます。

 他人が見ていようが見ていまいが、他人から評価されようが、さ
れまいが、他人からなんと言われようが、とにかく毎日「一日一セ
ンチ」の努力を続けられる原動力は、「使命感」にあると私は思い
ます。

 このような修業僧のような使命感に基づいた「一日一センチ」の
努力を続けている人として、私や米国の大リーグで活躍している野
球選手のイチローを想い浮かべました。


歓乃喜 師弟 No.22(7/28 2008)

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