絶対的幸福と相対的幸福(あんしん&安全) 全ての人間は尊厳を持っており、敬意と尊敬に値いします。

安全とはリスクが受容できるレベルより低いこと。
安心とは、リスクの存在を忘れることができている心理状態。

風評対策なく安全・経済性のみ議論 見直し求める漁業者「孫子まで漁のできる海を」 福島の漁師と考える--水産改革、処理水 川島 秀一

2020年02月17日 10時17分02秒 | 原発

風評対策なく安全・経済性のみ議論
見直し求める漁業者「孫子まで漁のできる海を」
福島の漁師と考える--水産改革、処理水

川島 秀一
リアス・アーク美術館副館長、東北大学災害科学国際研究所教授など歴任。
著書「津波のまちに生きて」「海と生きる作法」


尾崎 洋二 コメント:真のリスクマネジメントの基本には「人間としての生命哲
学」が必要なのでは?と思わせてくれる論文でした。

「科学的」という形容のもつ、近代の西欧社会から生まれた「人間のみならず、あ
らゆる生命を尊重することを忘れた」思考法は、原子爆弾の開発、日本への投下に
つながったのでは?と思う私にとって、3.11の大事故を経験した日本がいまだに福
島において同じ過ちをし続けているのではと危惧しています。

3.11から9年を過ぎ、まもなく10年を迎える私たちにとって本当の復興というも
のを、福島の漁師の方たちの視点から考えることも必要かと思います。

------聖教新聞2月13日2020年より要点抜粋箇条書き--------------------


「公聴会を傍聴して」

2018年の夏の終わり、私は小野春雄さんと「福島第一原発で増え続けるトリチウム
を含む処理水について」の公聴会(富岡町)に参加した。

春雄さんが公聴会の発言者として応募した理由は、トリチウムの海洋放出によって
予想される、直接の利害関係者が出席しないだろうと予想されたからである。

案の定、漁師の発言者は他にいなかった。

春雄さんの主張は明快であった。
3人の子を漁師にしたからには、孫子の代まで漁の仕事をできるような海を守るこ
とであった。

定刻の終了時間が近づいたので、議長が閉会しようとしたとき、突然と春雄さんが
挙手をして立ち上がった。

「目の前の海で毎日、漁ができない苦しみが分かりますか!」という、現実の
「試験操業」に対するいら立ちと、さらにトリチウム水の海洋放出がなされた場合
の風評被害と、それによる漁の先細りの不安を訴え続けた。

 

「丁寧でなく強硬に」

このおざなりな公聴会が開かれた場所も、富岡のほかに、内陸の郡山と、東京電力
の恩恵を被っていた東京だけであった。

これで、「国民」から意見を聴いたことにしてしまうわけだが、その後も、福島県
を南北に挟む、宮城県や茨木県の沿岸部の都市では開かれなかった。


海は潮流とともに無限に動くものであり、昨年の8月には、韓国政府でさえ処理水
の「海洋放出」に危惧感を示していたが、”オカ者”中心の考えが、ここでも証明
された。

この3カ所の公聴会での住民のほとんどが、海洋放出に反対であったはずなのに、
どのような経緯と理由があったのか、今月(2020年2月)10日、処理水に関する
政府小委員会は、処分方法は海洋放出と水蒸気放出が現実的な選択肢であるとする
提言を盛り込んだ最終報告書を公表し、政府に提出した。

それは、どちらかというと海洋放出のほうが「利点」があるという内容であった。

誰が言い出したのかは分からないが、またもや「丁寧に」という、政治家や官僚
がよく口にだす流行語が、このときにも使われた。

地元自治体や農林水産業者への説明の提案に形容された言葉である。

福島の漁師は、もはや「丁寧に」という言葉は信じていない。

一昨年の11月6日に、政府は漁業権を地元の漁協や漁業者に優先的に割り当てる
規定を廃止する水産改革関連法を、短期間の審議で閣議決定しているからである。

地元の説明は後回しで、「丁寧」どころか「強硬」に推し進めてしまった。

 

「疑わしいものは残さず」

この水産改革と一体化したような、今回のトリチウム水の海洋放出の問題も、おそ
らく、これまでの経緯からうかがえるように、直接の被害者になる可能性のある漁
師の意見を聴くこともなく、進められるであろう。

この政府小委員会は、処理水を海洋へ放出することの安全性と経済的なリスクだけ
を議論しているが、風評対策については、何ら具体的な方策を立てていない。


「科学的」に安全であることと、それに対する風評被害は、まったく次元を異にし
た問題である。

むしろ「科学的」に説明しようとすればするほど、その欺瞞性に疑いをもつのは、
生活者の感情として当然のことである。

例えば、その海洋放出を「利点」とする選択理由の一つとして、海洋放出は、水蒸
気放出と比べ、希釈や拡散の状況が予測しやくす、モニタリングによる監視体制の
構築が容易であることが評価されている。

つまり、放出後も「監視体制」が必要な物質を海に流すことを明らかにしている。

また、風評被害はどちらの方法でも発生するものの、水蒸気放出は海洋放出より幅
広い産業に影響が生じ得ることも指摘している。

風評被害を予測して、それならば、比較的に数の少ない福島だけに我慢してもらお
うとも読める文脈である。

「科学的」という形容のもつ、近代の西欧社会から生まれた思考法は、どれだけ生
活者を裏切ってきたか。

事故などあり得ないと、「科学的」に喧伝されたのは、まずその原発であった。

逆に「科学的」に証明できないということで、チッソ水俣工場から海へ有機水銀の
たれ流しを放任し続けてきたのも、同じ日本国家である。

疑わしいものは、子孫に禍根を残さずという考えが、生活者の中に通底している限
り、「処理」水であっても「汚染」水としか思えないのが実情である。

福島の漁師たちは今、海洋放出の見直しを求めている。

 

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 今こそ問われる「死生観」 人生100年時代を豊かに生きる知恵を探る ヌール・ヤーマン博士(ハバード大学名誉教授・文化人類学者)  

2020年02月03日 14時12分15秒 | 命 ” いのち”

今こそ問われる「死生観」
人生100年時代を豊かに生きる知恵を探る

ヌール・ヤーマン博士(ハバード大学名誉教授

・文化人類学者)

尾崎 洋二 コメント:2018年7月に真備町で起こった豪雨被害

では、犠牲社51人のうち8割超が1階部分で発見されました。

1階部分で発見されました42人のうち36人が65歳以上の高齢者

でした。

また足が不自由だったり杖を使ったりする人らが多かったようです。

そして、「避難が困難だったために自宅で亡くなるケースが大部分を

占めていた」という事実に暗たんたる思いをしました。

 この傾向は残念ながら真備町のみならず日本どこでもあり得ること

です。

 日本は果たして文明国なのか?
 
 イザ!という時に、災害弱者を大切にできない情けない国なのか?

 このような忸怩たる想いを持っている私にとって、ヌール・ヤーマ

ン博士の言葉は貴重でした。

 いずれ誰もが「人生100年時代を迎える」高齢者になる私たちに

とって、まずしっかりとした「死生観」が必要と感じました。


-----聖教新聞02月01日2020年より要点抜粋箇条書き-----

エピローグ

 資本主義が主流となった現代社会では、多くの人々が、「生死」とい

う人間の根本問題から目を背けています。

 そこから、弱者に対して傲慢な心が生まれ、自己中心的な価値観、

生き方がまん延しているといっても過言ではありません。

 

Q1-「人生100年時代」に対し、漠然と不安を抱

人も多い。親日家でもある博士は、日本の現状を

どう分析しているのだろうか?


A1- 私の知る限り、日本ほど「組織化」された社会はありません。

 日本のように、組織的に徹底して生産性を求める社会にあっては、

必然的に生産性の低い人々、特に高齢者の存在が”社会問題”になっ

しまいます。

 どのように一人一人をケアしていくのか、人道的な支援環境を整

えていくかが、大きな課題となります。

 高齢者だけの話ではありません。
 病気の人、また安定した仕事を持たない人など、自立した生活が

難しく、助けを必要としている人はたくさんいます。

 生産性を強く求める社会組織では、こうした”弱者”の存在が、あ

らゆる不安を生み出す原因になってしまうのです。

 現代社会は、人々を分断する性質を持っているのです。

 


Q2-「生産性の重視」が、社会不安や人間関係のひ

ずみを生む原因なのだろうか?

A2- 現代生活の本質は、「生産性の追求」よりも深い次元にあります。
  
 それは家族をベースとした生活とは全く異なる、「資本主義」の生

き方、価値観です。

 程度の差こそありますが、現代の人々は皆、資本主義が浸透した社

会で生きています。

また科学技術の発展が人々を分断する方向に働いていることも否めな

いでしょう。

 本来、人の手を借りて受けるような支援も革新的な技術で補えるよ

うになりました。

 いわば生きる上で他人に頼る必要性が、失われつつあるのです。

 資本主義の社会は安全とはいえません。
 
 世界には今、多くの「恐れ」がまん延し、人々は不安を抱えて生きて

いるように感じます。

 不安定な社会、自分自身の将来、経済の行く末を、絶えず恐れて生き

ているのです。

 仕事がないまま放置されかねない。

 老いた時に、世話をしてくれる人がいないかもしれない。

 資本主義の社会は、本質的に孤独で困難な社会だといえるでしょう。

 


Q3- 現代とはいかなる文明か?

A3- 現代社会は、誰もが最後は死を迎える、という事実を隠そうとして

います。

 そこから、高齢者や病人、死者に対する「傲慢さ」が生まれます。

 結果、自分自身の生命だけを守ることに熱心で、他者の生命はどうな

ってもよい、といった人生観が常識になってしまうのです。

 ブッダの悟りへの第一歩も「死」の探求です。

 現代社会の人生観は、ブッダが「生老病死」を直視し、経験したこと

と正反対の方向に向いていると言わざるを得ません。

 個人としても、社会としても、私たちが新しい未来を創造していくに

は、こうした思想の次元に光を当て、生死観を見つめ直していくことが

急務です。

 


Q4- 生き方が多様化する「人生100年時代」にあ

って、ますます必要とされるものは、共存するために

大切なのは「共感」?

A4- 長寿社会にあって一番大切なのは、未来を楽観視すること、そし

て他者に胸襟を開いて、深い思いやりの心をもって接すること、まさに

「共感」の力です。

 現代は生産性を高めようとするあまり、人間関係が機械化しています。

 一方で、情報交流が活発な時代であるからこそ、他者への共感や、差

異を理解する知性が決定的に重要となります。

 私たちが、「生老病死」の問題を解決していく唯一の道は、苦悩する

人々に対する「共感」と「思いやり」、そして「支援」以外にないのです。

 同じ時代に生まれ合わせた、私たちの人生の貴(とうと)さを自覚し

つつ、まずは自分自身が、親切で、善良な人間に成長していくことが大

切です。

 親切心や善良さは、身近な人々にも同じ精神を呼び起こしていきます。

 

Q5- 宗教の役割は?

A5- 宗教には二つの役割があります。

 一つは「アイデンティティー(自己同一性)の強化」。

 これは人々を分断する働きとなる場合もあります。

 もう一つの役割は、「善良な人間をつくる」こと。

 この点仏教には素晴らしい伝統があります。

 

  

 

 

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