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かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

お嫁さんが定期的に孫の写真を送ってきてくれる

2018-12-16 06:18:36 | ブログ記事
便利な世の中になったもので、
お嫁さんが定期的にネットから孫の写真、動画を送ってきてくれる。

昨日は孫の通っている保育園のクリスマス会があったようで、
孫のサンタクロース姿の写真を送ってきてくれた。

本当は写真をブログアップしたいところだが、それはご法度なので残念。

一歳になったばかりの孫の成長は著しいから、
こういうふうにすぐに送ってきてもらうとありがたいし、うれしい。

昨日は土曜日だったせいで、そのクリスマス会には父親である次男も
お嫁さんのご両親も行っていたようである。

お嫁さんは一人っ子だから、そのご両親には初孫であり、初めての孫息子でもある。

だから可愛くてたまらないのだろう。

次男の住まいは、新婚当初は、現在、私の夫が暮らしている大阪のマンションであったが、
孫が生まれてから神戸のお嫁さんの実家に近いところに引っ越した。

私たちからは遠くなったが、お嫁さんのためにも、孫のためにも、何よりご両親のために
それがよかったと思う。

次男の通勤が遠くなったが、しかし、そのくらいは仕方ないだろう。

子育てのさなかは、実親が近くにいてくれると心強い。

私は自分がそうでなかったから、そのことは痛感する。

私は年に一度か二度の帰省すら、義母にきつく叱られて泣かされてからだった。

畳に手をついて、頭を下げて、やっとお許しが出た。

その代わり、義母は頻繁に来てくれた。

が、義母は義母である。

来てくれれば、お昼の支度もしないといけなかったから、返って大変だった。

義母がいる間は話し相手をしないといけなかったから、
お帰りくださると、年子だった二人の子の、おむつの山が残された。
当時は、みな布おむつだったから。

そのおむつの洗濯をしながら、夕飯を作りながら、ぐずる子供たちの世話をしないといけなかった。

来てくれるのが有難迷惑だった時のほうが多かったかもしれない。

子供たちは可愛がってもらったから、こんなことを言うと罰当たりかもしれないが。

それで私は、あまり息子たちの家には行かない。

お嫁さん達に気を遣わせると思うから。


*

★実親の近くにゐるは有難くあらむ嫁ぎてゐると言へども

★安心のできるは実の親のみで義理の親には気を遣ふのみ

★義理親はときどき行くがよろしくてよき関係はそれで保たる

★パソコンにその日の写真送られてくる世になりて孫をよく見る

★見てほしい見せてほしいと送りくる送られてくる写真みている

★わが孫を大切にしてくれるとぞ思へば感謝湧くばかりなり

日本の移民法も施行してほしくない

2018-12-16 03:29:31 | ブログ記事
昨日書いた水道法と同じか、それ以上に心配なのが移民法。

これも非常に危ない法律に思える。

現在、欧州が危機的状況になっていることは、
ニュースとか個人ブログなどでも知ることができる。

欧州では、移民問題を問題にすることすら問題にされるほど、
自由にこうした話題を口にすることができなくなっているとも聞く。

それは、すでに移民が幅を利かせているからである。

すでに「軒先を貸して母屋を取られる」状態になっているのである。

幸い、日本は、まだ話題にできる。

が、今後、移民が増えて、その数が多くなれば、
こうした話題すら口にすることができなくなると思う。

これは恐ろしいことだ。

私は別に移民を差別して、こういうことを言うのではない。

自国の安全が保たれなくなることを心配しているのだ。

安易に労働力として受け入れてしまえば、日本に住みつかれて、
生活が苦しければ、犯罪に走るようになることは想定しておかなければならない。

そのためには、まだ口にできる段階で、しっかり問題を提議しておきたいと思う。

わがブログのような、弱小なブログで提議することは小さい力でしかないが、
小さい力でも「塵も積もれば山」となると思うので、折に触れて提議していきたいと思う。

トランプ氏がメキシコとの国境に塀を巡らすという実現不可能な政策を打ち出したのも、
どうしてであったか、
日本も、対岸の火事と傍観を決め込むことなく、
自国にも起こりうる問題と捉える必要があると思う。


*

日本の人手不足は、なんとか自国の国民で解消するよう知恵を出し合わなければならない。

日本には、幸い元気な老人がたくさんいるのだから、高齢化社会と嘆くより先に、
こうした元気な老人をもっと活用する施策が必要だと思う。

足腰の立たなくなった老人の介護も元気な老人にさせるとか、いい意味での老々介護など。

今後は、老人の体力不足に役立つ機器の開発などにも力を入れたらいいと思う。

水道法、大丈夫?

2018-12-15 16:31:09 | ブログ記事
以前も書いたが、
命の根源の水を民営化して、本当に大丈夫?

聴くところによると、外国の資本が虎視眈々と狙っているというではないか。

水は、絶対外国の企業に任せてはいけない。

過疎地の水道が赤字になるというのなら、この際、昔の井戸に戻すということはできないか。

それにしても、

なぜ最近の日本は、日本人は、こんなに頼りなくなった。

ニッサンも、外国人に再建してもらったとは名ばかりで、
実態は、日本人従業員が切り捨てられて、牛耳られただけではないか。

今や世界を席巻するのは、中国、インドなど、従来なら後進国と言われていた国々だ。

コンピュータ業界も、日本は遅れまくりというではないか。

何が原因で、こんなに日本は弱くなった?

ゆとり教育などがよくなかった?

日本人は、英語に弱いから、インド人などにもバカにされていると聞くにつけ、
かつての日本であれば、日本語を第二国際語にするくらいの気概があってもよかった。

第二が難しければ、第三国際語くらいに・・・。

英語教育は、学校英語だけでは弱いだろう。

もっと子供のころから国際体験させて、英語を生きた言語として獲得させなければ。

とにかく現在は、諸外国に遅れをとらないよう、日本人は必死になる必要がある。

外国に牛耳られるかもしれない水の民営化など、もってのほかのように私には思えるのだが。

もっと国民のことを考えて、賢明な判断のできる政治家が待たれる。

皇室もまたしかり。

瑞穂の国の水を守っていただけるよう、皇室では祭祀をしっかり努めていただきたい。

昨夜は空腹を覚えなかったから

2018-12-15 08:32:07 | ブログ記事
この際、ダイエットしようと食べずに寝ました。

すると、空腹は覚えないのに、身体は正直ですね。

ぜんぜん眠れないのです。

それで朝までまどろんだだけでした。

最近の私は夕食をとると寝落ちと言ってもいいくらい、すぐに熟睡してしまいます。

が、食べなかったら、空腹を覚えなくても眠れないということがよくわかりました。

人の身体って正直にできていますね。

昔は食べ物が乏しかったから、食べずに寝る人も多かったでしょうが、
当時は労働も半端なかったでしょうから、あるいは眠れたでしょうか。

私も、昨日は久しぶりに自転車に乗り、疲れていたのでしたが、
そのくらいでは駄目だったようです。

*

★食べないで寝れば眠れず朝までをまどろみしのみ窓に朝日が

★ダイエットせねばならぬが眠れずば一晩中を一人考ふ

★ただ起きてご飯を食べて寝るのみの人生ならば死ぬと変はらず

★自らのためにご飯を作ること空しきことを知る師走なり

★ひとりなら食べずにゐても平気とぞ思ふが身体は栄養を欲る

★生きたきと思はぬわれに食べさせるための食欲起こるな身体

★三人で一緒に向かうへ行かうとぞ言ひゐし母のお迎へを待つ

★兄が死に母死に私が死にたれば早く死にたる父が喜ぶ

★此の世には思ひ残せることはなし子と孫、君の幸せ祈る

数年前、タイに行ったとき

2018-12-15 07:36:23 | ブログ記事
私はイギリスに行きたいと主張した。

が、夫はタイに行きたかった。

それで、日本では一番いい気候の四月にタイに敢えて行った。

その旅行は
私たちの結婚40周年を記念してのものだったから、結婚式を挙げた四月にしたのだった。

行く前に私はタイは四月が一番暑いということを知って何度もツアーの取りやめを頼んだ。

が、結局敢行した。

タイは、思った以上に暑くて、私は到着早々気分が悪くなった。

それで皆が観光している間、木陰で休んだ。

ツアー仲間には、脚の悪い奥さんを伴った夫婦も参加していた。

その奥さんも、たぶん暑さにやられたのだろう。

その最初の日の昼食中に皆の前で吐いた。

そのとき、一緒に来ていたそのお連れ合いは介抱も何もせずに知らん顔だった。

立派な体格の男性であったのに。

見かねて同行していた女性陣が介抱した。呆れながら・・・。

あの光景はいまだに忘れらない。

あの奥さんは、
普通の人でも堪える暑さの中を無理して皆について歩いたのが体調の不調になったと思う。

私は、それを見て、観光しないで木陰で休んでいてよかったと思った。

しかし、それにしても、
どうしてあの足の悪い女性のお連れ合いはあんなに冷たかったのだろう。

脚が悪くてびっこはひかれていたが、きれいな人だった。

それなのに・・・。

今でも、ときどきその時の情景が思い出される。

*

★イギリスに今年行きしは以前には行かざりしこと埋め合わせにや

★イギリスに行きても一緒に歩けないわれの体力なさに怒りて

★妻われの足は夫の足ほどは強くなければたちまち疲る

★妻われの歩調に合はせ歩くこと損したやうに思ふや夫

★歳よりも体力のある君の妻歳より体力なきを苛立つ

★心臓のちから人より劣るゆゑすぐに休みを欲りて休める

★休むとふ言葉あなたの辞書になく休むすなはち怠けるになる

★疲れるが常である妻つまらなく思へるときは別の女と

★よく歩く女みつけて歩きくる山の辺の道妻の教へし

★聞き取りも徒歩も困難なる妻を捨てたき君の気持ちがわかる

人それぞれですね

2018-12-15 05:28:00 | ブログ記事
コメント欄を承認制にすると、
ふだんはコメントなさらない方から親展でコメントが入ったりする。

これが承認制でなければくださらないコメントだと思うと、
コメントを承認制にするのも悪いばかりじゃないと思える。

また私は、自分の思いを正直に吐露しているけれど、
正しいだけがいいわけではないということをそれとなく教えてくださる方もいる。

そうなんですね。

私も含めて、誰でも自分が正しいと思いたい。

が、世の中には、さまざまな正しいがある。

さまざまな正しいを皆がそれぞれ主張すれば喧嘩になる。

正しいだけでは世の中まわっていかない?

それは自明の理ですね。

私は自分のブログだから、自分の考えを述べるのですが、
たとえ夫の立場であっても、あるいは、たとえ妻の立場であっても、
必ずしも夫婦すべて同じ考えであるわけではない。

まして、その親、兄弟になると、敵かと思うくらい考えが違う。

いや身近であるだけに、利害が対立して、世間一般より敵になりやすいかもしれない。

また身近であるからこそ、嫉妬の感情も抜き差しならないものがあるかもしれない。

遺産相続なども、これは愛憎が絡むから、ややこしくなる。

本来は、家族愛で結びついているべき関係であるからこそ、
相手に対する要求が熾烈になるということもありうる。

もっともっとという要求が底なしに。

金銭的に平等に分け与えるのが一番平等なやり方でもない場合もある。

たとえば、同じ親から生まれていても、
その能力に差があった場合、
能力高く生まれた者は、すでに財産をもらい受けているに匹敵する?

姉妹なら、一方が他方より圧倒的にきれいに生まれついていたなら、
綺麗に生まれついた者は生まれつき財産をもらっているようなものだ。

健康についても同様のことが言えるであろう。

私の兄は生前、
「びこは耳が悪いから、その分財産を多くやらないといけない」などと言ってくれていた。

兄は毒舌家で、決してやさしい人ではなかったが、
今思い出せば、その考え方は優しかったと言えると思う。

が、母を残して私より先に死んでしまったのは自分勝手だった。

しかも好きなお酒を飲みすぎて身体を壊して亡くなったのだから。

子供の頃から病気がちであった私と比べて健康優良児であったにも関わらず。

話が逸れてしまった。

今朝、私が言いたかったことは、
自分の正しさを主張すれば、いつまでも平行線だということ。

私は、夫が私を無視して他の女性とデートしたことをなじったが、
夫にすれば、男は皆しているという言い分だ。

夫は、私がどれほど惨めな思いをしたか認めようとしないし、
私は、夫の「男はみんなしている」が認められない。

夫の妹は、嫁いでいるのに親の世話をしたと私たちを脅迫するが、
私は義理の仲で、しかも若いころいじめられたのに、
無償で義母の世話をさせてもらったと思っている。

皆が、それぞれ自分が正しいと思っている間は平行線のままだ。

内密にというコメントを何人かの方にいただきました

2018-12-14 16:28:16 | ブログ記事
いずれも私のことを心配くださるコメントでしたから、
ありがたく拝読させていただきました。

家に閉じこもり勝ちの私には、こうしたコメントが大きな励ましになります。

器質的に鬱に傾きやすいところがありますから、常に死にたい死にたいと書いています。

が、本人は、本当に死にたいと思って書いているのですが、
読まれた方にはご心配をかけさせてしまいますね。

死にたければ、今日も病院に行かなければよかったのですが、しかし、
生きているのなら、なるべく痛みなく生きていたいです。

死ぬのは全然かまわないのですが、
生きている以上、痛い思いをしながら生きていたくないのです。

それから、
私がこうして病院にすぐに行くようになったのは、心臓弁膜症で死にかけてからでした。

子育ての最中は、風邪を引いても病院に行くことはありませんでした。

自分にお金がかけられなかったことと、それより大きな理由は、大病が見つかって、
家族に迷惑をかけたくないというのが大きかったです。

が、そこは神様もよくしてくださって、心臓弁膜症が見つかったのも、
次男を大学に入学させた次の年でした。

その四年後に、今度は大腸癌が見つかり手術を受けました。

そこらあたりから、よく病院に行くようになりました。

が、すぐに行くようになった弊害で、うつ病になったときに精神科に駆け込んだことは
大きな失敗でした。

精神薬で、もう少しで廃人にさせられるところでした。

ネットで調べて、すぐに断薬したから元に戻れましたが、
精神科医の言う通りに飲み続けていたら、現在の私はありません。

が、一つだけよかったことは、精神薬で頭がボケかけたころ、
神様のことが心に入ってくるようになりましたし、感じられるようにもなりました。

そしてその後は、趣味の短歌以外にも、神様に興味を持つようになりまして、
そういうサイトもよく読ませていただきます。

それらを読ませていただいていますと、
天照大神の祖父にあたる豊受様なども、亡くなる時には、自ら洞窟に入って、
食を絶ち、死を待つのですね。

別のサイトでは、
卑弥呼も、亡くなる時は洞窟に入って岩でその入り口をふさいでもらったそうです。

現代人から見ると、自殺のように見える亡くなり方です。

が、古代から、高貴な人たちは、そういう死に方を選ばれることも多かったのですね。

まだまだ神様の話は勉強中ですが、これほど心を囚われるものは今は他にはないです。

これからも本で、あるいはネットで勉強させてもらいたいと思っています。

神様の勉強をさせてもらっていると、死ぬことは全然怖くなくなります。

また彼の世に逝った人たちとも繋がれるような気もします。

世間の人たちは、死ぬことをマイナスイメージで捉えられていると思いますが、
死ぬことは、ある意味、救いであるかもと思うときもあります。

以上が、私の最近の心境です。

いただいたコメントへのお返事になったかどうかわかりませんが、書いてみました。

びこ拝

病院に行ってきました

2018-12-14 13:31:59 | ブログ記事
昨日書いたオデキが帯状疱疹だったら大変なので、
病院の皮膚科に診てもらいに行ってきました。

幸い、帯状疱疹ではありませんでした。よかった!

ただのオデキらしいですが、先生は身体の免疫力が落ちているんでしょうと言われました。

先生は、優しい優しい女医さんでした。

年齢は私くらいかな。いやもっとお若いかも。

でも、おばちゃん、否、おばあちゃん先生でした。

ゆっくり丁寧にお話くださるので、聞き返すこともなく、楽に診察していただけました。

処方箋を出してくださったので、帰りに薬局で抗生物質の飲み薬と塗り薬をいただいてきました。

実は、今日も寒いから、行くの面倒だなと思っていましたが、
もし帯状疱疹で、後で痛みとか出ると困るので、思い切って行ってきたのです。

病院というところは、予約なしで行くとべらぼうに待たされることがあるから、
わざとにお昼前に行こうと、
朝はお風呂を沸かして入ったり、ブログ記事を書いたりしていました。

が、ブログ記事を書くのに思っていたより時間がかかって、
午前中の受付に間に合わないかもしれないくらいの時間になったから、
珍しく自転車に乗っていきました。

久しぶりに乗ったことと今日は向かい風がきつかったので、なかなか前に進みませんでした。

私の脚力もずいぶん衰えているようでした。

こんなところにも年齢を感じます。

身体の抵抗力が落ちて、できものができていたことも歳のせいかもしれませんが、
これは、私は子供の頃から、虫に刺されても、すぐに化膿するような子だったから、
必ずしも歳のせいでもないと思います。

それにしても仕事らしい仕事もしていないのに、抵抗力がなくて、できものができる私って?

もう老人ホームでも入ったほうがいいのかしら?

*

★体力も抵抗力もなきわれの身体これからだうなるだろう

★鍛えむとツアーに参加することが過労になるも考へられて

★来週もまた参加するツアーあり疲れぬ程度に歩いてこよう

★血糖値その他は改善するツアー疲れて過労になると言へども

『その時がきた』

2018-12-14 10:38:28 | ブログ記事
昔読んだ佐藤愛子の小説で
その時がきた』というのがありました。

大変おもしろく読ませたいただきましたが、
そのころの私は、まだ若かったので、「ああ面白かった」だけで終わりでした。

が、この小説の主題の年齢になって、しきりにあの小説のことが思い出されるのですね。

まあ私の独断で、大まかに内容を説明させていただきますと、

女性は、あるときから、突然に?男性に女性として見られなくなる、そのときを

「その時がきた」と佐藤愛子先生は小説の主題にされたのですね。

ユーモア小説なのですが、しかし、大半の女性にとってはユーモアばかりではないと思います。

現に、私など、現在のように夫に家を出ていかれますと、
私の何がわるかったのか?と真剣に考えたりするのです。

今朝も、早朝に目覚めまして、
なにげなく昨年生まれた次男の子の成長記録写真などを見ておりましたら、
ところどころに私めも出てくるのでございます。

その私の姿ときたら、自分が自分で思っている以上にお婆さんなのですね。

「え、え、え、え」というような写真ばかり。

若いお嫁さんの、きれいでかわいいのと比較するから、その差は歴然としています。

それで思ったのですね。

夫が家を出たのも、私が老化したことも一因じゃないかと。

これは私も反省しないといけないところなのでしょうね。

一方の夫は、頭髪こそ薄く(無くなって?笑)いますが、
顔だけ見ますと、非常に若々しい。

同年配の女性から見て魅力的に見えると思います。

で、私が老けた理由を考えてみましたが、それは肥満したことですね。

私も大腸癌の手術をしたあとなどは痩せてスマートでした。

それでそのころ夫と家電量販店に入って、
その喫茶コーナーのようなところでジュースを飲んでいたとき、
夫が席を立ったのを見計らって、横に座っていたお婆さんが
「あなた方、どういうご関係?」と尋ねてきたのです。

それは、その尋ね方で、
夫婦にしては年が離れているように見えるし、親子でもなさそうだしという
ニュアンスだったのです。

そのころは、私もそのくらい若く見えていたのです。

その当時は、短歌の結社の全国大会などでも、お世辞でしょうが、
年齢よりずっと若いと言われたりもしましたから。

が、時は移ろい、今年イギリスに行ったときは、ツアー仲間だったお爺さんに、
夫が「お母さんと一緒に来られているのですか?」と尋ねられていました。

「え、お母さんって?」

その方は、私のことを夫のお母さんだと思って観ていたのです。

これはショックでした。

が、今朝、孫の写真を見ていて、それも仕方ないかもと思えました。

そのくらい最近の私は老けてしまったのです。

「その時がきた」

なのですが、でも、吉永小百合さんなんか、私より年上なのに、あんなにお若くて綺麗。
(実は私も昔、夫に吉永小百合に似ていると言われて・・・
嘘ではないけど、夫の目がどうかしていたことはありうる?)


私も努力しなくっちゃあ?

それとも、やはり「その時がきた」とあきらめなければならない?

*

★七十になりしはわれも知りゐしがまさか写真の人がわれとは

★肥満せし人を己と思へずに見ている写真孫と一緒の

★愛らしき赤子見つめる婆さんがわれとはわれは認めがたかり

★女には見えぬ女になりにけり同じ女がかくも変はれば

★老い母を老いさらばえて可哀さうなどと見ていた人はわたくし

★老い母を失くししわれをわが子らは思ふや今やわれが老い母と

背中の腰のあたりに小さなオデキみたいなものが

2018-12-13 12:31:14 | ブログ記事
できているのに、昨夜気づいた。

それで、今日の午前中に病院に行こうと思っていたが、
寒いので迷っているうちにお昼になってしまった。

「ひょっとして、帯状疱疹?」とも思ったが、
真夏にもちょっとおかしな赤い斑点ができたが、暑さのためやり過ごしているうちに治ったので、
もう少し様子見をしてみよう。

帯状疱疹なら早めに診てもらわないと痛みが出てからでは遅いと聞くが、
なにしろ、この寒さ。家から出たくない。

帯状疱疹は癌の兆候とも聞く。

私の叔母は胃癌で62歳で亡くなったが、
亡くなる前、帯状疱疹が出て、
電話で、
「眉間に大きなオデキみたいなのが出ているから、外に出られない」と言っていた。

そうこうしているうちに、胃がんが見つかった。

見つかったときは手遅れだったが、治るならと手術も受けた。

が、結局治らなくて、見つかってから半年くらいで亡くなった。

その後、私も59歳のときに大腸がんになった。

大腸癌は2期だったので、手術でなんとか命拾いした。

が、手術後、脚に赤い斑点が出たので、皮膚科の先生に診てもらうと、
帯状疱疹ということで、すぐにお薬を出してもらって、すぐに治った。

叔母の帯状疱疹と自分の帯状疱疹の体験から、
やはり巷で言われている通り、帯状疱疹は癌と関係しているかと思うところもある。

昨日気づいたオデキ様のものが何であるかはまだわからないが、
もし帯状疱疹で、癌の前兆なら、癌になって死にたいと思う。


*

昨日、夫宛ての荷物が届いたのでメールで知らせると、夫は同窓会の帰りに寄った。

最初、夕飯も食べて泊まると言っていたのに、
またささいなことで喧嘩になって夫は大阪に還った。

出ていくとき、玄関のドアを勢いよくバーンと閉めて・・・。

それだけで、昨日から私の体調はおかしくなった。

夫は、なぜあんなに怒るのだろう?

夜、横になると、上に書いたように、背中の腰部分にオデキのようなものがあったから、
もしこれが帯状疱疹で、癌の兆しなら、癌で死にたいと思った。

今朝書いた村形さんや、私の母のように、あっという間に死ねたらと思う。

昨年の今日は村形明子さんの百箇日でした

2018-12-13 04:33:14 | ブログ記事
村形明子死去ネット

で、昨年の今日は、彼女をしのぶ会を開いたのでした。

まず、昨年の昨日は村形明子さんのライフワークだったフェノロサの墓に行っています。
法明院にあるフェノロサの墓

そして、昨年の今日の朝は三井寺に行ったのですが、
今日と同じく寒さの厳しい日だったから、風邪を恐れて、お参りはしませんでした。
「三井寺〜大津市歴史博物館〜近江神社」

その後、村形さんと親しかった三人で「しのぶ会」を持ちました。

「大原野の『かじか』という隠家風お店で京料理をいただいた至福のひととき」


(上の「 」内はクリックしていただくと過去記事をお読みいただけます)

あれからもう一年になるのかと感慨無量です。

私が彼女の記事を書くことを非難されるコメントもありますが、
こうして書くことが彼女への供養になると思って書いています。

書く内容についても、いろいろ言われる方がいらっしゃいますが、
私なりに、彼女のことを懐かしんで書いていますので、
彼女のことをよくご存じない方には口を挟んでほしくありません。

彼女が家事が苦手であったことを書いた記事に対しても、
非難される方がいましたが、
私は彼女をけなして書いたのではありません。

彼女ほどのキャリアのあった女性が家事が苦手であったことは別に恥ずかしいことでも何でもありません。

むしろ当然であったかもしれません。

そこまで彼女は仕事に打ち込んだということの証しですから。

それに、家事が苦手であることは、私や私の母も同様でした。

私は専業主婦ですから、最低のことはしますが、しかし、私の夫から見れば不満だらけのようです。

まず片付けができません。

これは年々ひどくなってきています。

本が好きなので買うのですが、溜まる一方です。

その上、さらに図書館からも借りてくるので、本に埋もれています。

ブログを止めて読書をすればいいのですが、ブログも生きがいなので、やめられません。

こういう妻は夫から見れば悪妻です。

せめて文筆で身を立てられるような才能があればまだしもですが、能無しです。

その点、故、村形明子さんは、歴史に残るような才媛であられました。

昨年、享年76歳で亡くなられたことは本当に悔やまれます。

代われるものなら、才能の乏しい私が代わってあげたかったです。

*

★才能のなきわたくしは長々と生きて死なざり死にたくあれど

★才媛でありしあなたはあつけなく死にてしまへり昨年の夏

★夏バテになりしとメールくださりし八月そして九月に果てし

★もう一度会ひたきあなたに会へぬまま母まで失くして去り行く今年

★生きてゐることが空しき此の世にて孤独のままにわれのこの年

今日は四万十川マラソン大会の放映があったのですね

2018-12-12 16:57:07 | ブログ記事

またコメントをいただきましたが、そのままコメントを出すより、
必要な個所にお返事させていただいたほうがいいと思いますから、
記事にして返信させていただきますね。


・タイトル
昼前に偶然な番組がありました

・コメント
早朝から夫が外出の為、私は朝食兼昼食にして、11時台に食事をしていました。
ちょっとテレビを付けましたら四万十川マラソンをやっていました。
もし、夫がいてたら私は、11時頃にはテレビのない場所にいるからです。

高知県には「大河ドラマ」の頃、桂浜・はりまや橋に行きました。
未だ四万十川には行った事がありません。

(以下、略)



〇〇さんは、まだご主人がご健在でいらっしゃるんですね。

それでご主人がご在宅のときは、お昼ごはんの用意をしないといけないから、
11時ごろはテレビの前に座っていられないのですね。

いくつになっても、ご飯づくりは女性の仕事ですものね。

大河ドラマのころに高知県に来られたそうですが、『龍馬伝』のときでしょうか?

私の実家は、はりまや橋のそばです。(なんて書くと、またプライバシー丸出しですが)

四万十川は高知市からは、だいぶん遠いですから、
高知生まれの私でも、結婚してからのち、初めて行きました。

足摺岬も・・・。

というのが、昔は高知県の東部、西部は、まだ悪路でしたから。

四万十川は最後の清流ということで、ずいぶん有名になりましたが、最近は四万十川より
もっと高知市に近い仁淀川が人気のようです。

仁淀川の川水は、仁淀ブルーと言われて、独特な水の色をしています。

私たちも、今年7月、
母の初盆で帰省したとき、家族と仁淀川のそばの「かんぽの宿いの」に泊まりました。

熱心に愛読してくださっている〇〇さんには、お読みいただいたかもしれませんね。

いただいたコメントには、このあとに、10年後にお会いしましょうと書かれてありましたが、
10年後、私たちは生きているでしょうか?

今の平均寿命からすると、80歳はまだ生きている可能性が高いですが、
私は心臓が悪いですし、あまり長生きはしたくないですから、
どうなっていることやら。

生きていても、認知症になっているかもしれないし?

*

★十年後どんな老婆になるわれかできれば老婆にならず死にたし

★もうすでに老婆と声は聞こゆれど現在(いま)の老婆は百歳の人

★できうれば十年後には此の世から消えてをりたし希望なきゆゑ

★夫ゐぬ家に一人でゐることは耐え難ければひつそり死なむ

★食はざれば日干しになりて死ねるかと思案する日もある昨日今日

★生きるのが心底しんどいときもあるそんなときには死んでゐるわれ

★生きながら死んでゐるより真に死ぬことが幸せかもしれなくて

★たくさんの人の死にたる今年こそわれの死ぬべき年であるかも

すごい読者さんがいる!

2018-12-12 09:48:46 | ブログ記事
私のブログを読まれただけで、
私の実名を推測されたり、私の夫の仕事内容までお知りになられたりと。(@@)

これって、私が有名人みたいじゃない?(笑)

いやあ、有難いですね。

私は、この記事の前記事で、四万十川大賞をいただいた歌を暴露してしまいましたが、
この方は、私が暴露するより前に、
私のブログを読まれて、私の本名を推測されて、私の過去の受賞作まで見つけられたのです。

すごいすごい!(拍手)

ここまで私のことに興味を持っていただいて、ブロガー冥利に尽きるというものです。

〇〇さん、本当にありがとうございます。

現実の世界では、しがない主婦でしかない私ですが、
こんなふうに有名人にも負けないほどの愛読者をもてる私って?(笑)

が、こんなはしゃいだ記事をアップすると、また悪意のコメントもつくかもしれませんね。

だけど、なるべく気にしないで、悪口も言われる間が花だと思うようにします。

*

★ブログとふ媒体われを有名な人にするかもしれぬ知らずに

★自宅まで調べてくれし読者さんそれなら遊びにいらしてください

★駅からは徒歩五分です交通の至便な我が家にお越しあそばせ

四万十川大賞をいただいた歌

2018-12-12 06:58:50 | ブログ記事
双子さんから次のようなコメントをいただきました。

・タイトル
四万十川の短歌を見ました

・コメント
この大賞の短歌を読んでいると、最近の短歌と違う書き方をされている様な気がするのですが。(私は、短歌・俳句・川柳・ブログは全くやっていませんが、少しだけ興味ありますので)



そうですね。最近の歌はこまごまと日常を詠っていますから。

それは
入っていた短歌結社がアララギ派という生活を詠うことを推奨する結社だったこともありますし、

カルチャーでお習いしていた先生、河野裕子さんも、
大風呂敷の歌は失敗することが多いというお考えの人でしたから、
自然と、そうなったということもあります。

が、あの歌を詠んだころにお習いしていた前の先生が、
もっと芸術的な歌を志向される先生でしたから、
ああいう歌ができたということもあったかもしれません。

が、

しかし、一番大きい理由は、ああいう歌は一生に何首もできないということもあります。

その歌をご紹介すると、私の本名もバレバレになってしまいますが、
この際、四万十川大賞をいただいた私の作品をご紹介しますね。

短歌を始めてまもなく、50歳くらいのときの作品ですから
、ビギナーズラックだったのでしょう。

神様は時々こういういたずらをなさいます。

蛇のごと四万十川はうねりつつ海とうつとり婚(まぐは)ひにけり

です。

「婚(まぐわ)う」とは、卑近な言葉でいえばセックスをするということです。

「うねりつつ」は、
四万十川は四万十町(旧、窪川町)のあたりから大きくうねりながら四万十市(旧、中村市)まで流れていますので、そう詠いましたが、セックスのときの姿態の暗喩もしています。

「うっとり」も、
河口の水の緩んだ感じを表しながら
同時にセックス時の緊張の果てる様子も表現しているのかもしれません。(笑)

海の潮水は総じて川水より生暖かいですから。

と、こういうふうに歌の解説をするのは野暮だと歌人と自称する人達は嫌うのですが、
歌を読みなれていない方々には解説してさしあげたほうがわかりやすいかと。

この歌は、四万十川の河口を眺めていてひらめいた歌です。

本当は、歌は、こういうふうにインスピレーションが湧いたときに詠うべきものですが、
それを待っていると、一生に何首も詠えません。

だから、日常的には、くだらぬ歌を多産しているという事情もあるのです。

ところで、双子さんは、私の本名もご存知の方のようですが、
どこで知り合った方でしたかしら?

最近健忘症になりまして、お聞きしたかもしれませんが、忘れましたので、
よろしければ、コメント欄で教えてくださいませ。

現在、コメント欄は承認制になっておりますので、
読ませてもらっても公にしないで済みますから。

よろしくお願いいたします。

匿名の親展コメントをいただきました

2018-12-11 22:44:12 | ブログ記事
読ませていただきましたが、
「親展」とのことでオープンにはしません。

が、善意のコメントでしたので、記事にしてご返事させていただいています。

現在のように、コメントを承諾制にしておくのも、こういう場合は好都合かもしれません。

承認制コメントはアップするのに手間がかかり、
面倒くさがりの私は嫌なのですが、しかしメリットもないことはないですね。

が、今回親展コメントをくださった方も、公にしたいと思われるのでしたら、
いつでもさせていただきますから、申し出てくださいね。

それにしても、皆さん、いろいろご苦労はおありですね。

自分だけが苦労などとも思っていないのですが、ブログやっていて、コメントいただいて、
いろいろ社会勉強がさせていただけます。

私が、いかに井の中の蛙かということも自覚させられますから、コメント様様です。

悪意のコメントですら何らかの勉強をさせていただけますから、ある意味、有難いです。

いや「良薬口に苦し」で、悪意のコメントほど薬になるのかもしれません。

*

★いただきしコメントなべて薬にてなぜ書かれたか考えてゐる

★好意的コメントうれし悪意あるコメントこれも薬になりて

★難聴で寂しきわれにコメントは孤独を癒す会話なるべし

★声のなき会話も此の世にありましてコメントそれがさうであるらし

★いただきしコメント読みて考へて指で応えを打つ会話なり