かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

今日は引っ越しの手伝いです

2018-04-30 11:27:19 | ブログ記事
明日次男が引っ越すから、今日は夫と大阪のマンションからの荷物の運びだしを手伝います。

夫は仕事先から直行するから、私は電車で行きます。
ひさしぶりのJR川西池田駅です。

川西池田駅は福知山線沿線です。

ですから大阪へ行く途中、尼崎の福知山線事故現場の傍を通ります。

事故現場はテントのようなもので覆われてメモリアルパークのようになっている模様でした。

事故に遭われた方々のご遺族の皆さんには何年経っても風化することのない現場です。

また風化させてはいけない現場です。

こうして撮影させていただくのも不謹慎な気もしましたが、
現況をお伝えさせていただきました。合掌

ところで我が家の次男たちの引っ越しについてですが、
既にお嫁さんの荷物は運び出してあるから後の荷物は大したことないのですが、
次男達がいなくなった後どうするか見てくるのです。

築43年のマンションですから、あまりリフォームにお金をかけたくないのですが、
しかし、リフォームをしないと売るにも売れないでしょうから悩むところです。

と出先からここまで書きましたが、
次男に会って、次男と話し合うと、
次男は、またこのマンションに戻ってくるつもりらしいから、
それなら、現状のまま置いておいて、
次男が戻ってきたときに、次男が好きなように改装すればいいということに。

建物は古いですが、便利な場所にあるので、売ってしまうのももったいないのです。

*

・築年数ふるくはあれど好立地マンションなれば売らずおかむか

・三人子(みたりご)の育ちしここは思ひ出の宝庫であれば売らずにおかむ

・わたくしの心をここに置きてあるこのマンションはそのままにせむ

・住みくるる子がゐるだけで嬉しかり売らずにおかむこの古マンション

・生まれしも育ちしもここなるなればここに愛着ある次男なり

・大阪が好きで引つ越し拒否したる次男はここにまた戻るべし

ブログを書くことは大きな喜びですが、家庭争議の元にも

2018-04-29 22:55:27 | ブログ記事
専業主婦の私は住む世界が家庭の中なので、
つい家庭内のことを書いてしまい、家庭争議の元になる。

前のブログでは、夫も、現在は別所帯になっている子供達も読んでいたから
クレームのつくことが多かった。

記事もだが、写真も。

ランキングに参加していないころは子供や孫の写真もばんばん出していたから、
危険極まりないブログだった?

が、私は、顔にモザイクをかける写真が好きでないので、そうしていた。

人様のブログを見せていただいても、モザイクのかかっていない写真を好感する。

ときどきコメントをくださる、はちきんイジーさんのブログも、
彼女は自分の顔写真のみならず、ご主人やお嬢さんやお孫さんの顔写真も
モザイクを入れないで出されるから、その記事とともに好感している。

実際、彼女の書く記事は嘘偽りがないから好きだ。

彼女のご家族が日本語を解さないアメリカ人という事情もあるとは思うが、
それよりも彼女の率直な人柄によるものが大きいのだろうと推測する。

ネット社会は怖いと言われるが、
確かに悪意のある人もいるが、しかし、善意の人はそれ以上に多いと思う。

私はネットでのバーチャルな世界でも、なるべく人を信じていたいと思う。

人を疑いながら記事を書くのは、私自身も楽しくないから。

*

・真実を書くは危険と言はるるが真実書かず何ぞ楽しき

・モザイクのかかる写真は悲しかり心の鏡である目が見えぬ

・風景か植物あるひはモザイクのかかる家族の写真が多し

同窓会&私とブログ

2018-04-29 03:28:38 | ブログ記事
私は同窓会にはほとんど行かない。

大きな理由は難聴が進んだからだ。

大勢の集まるところに行っても、ほとんど聞き取れないから。

その代わり、たまに親友と会う。

1対1だったら、まだ何とか会話できるから。

寂しい?

寂しいと思えば寂しいかもしれないが、
その代わり、以前は読書をよくした。

現在は、パソコン、ことにブログがその代わりをしてくれている。

だから私のブログは、何でもありのごちゃ混ぜだ。

綺麗ごとだけ書いていればいいのかもしれないが、
それでは自分が楽しくないから、何でも書く。

書くことが私の生きがいになっている。

書くことは私の呼吸といえるくらい大切なものだ。

もちろん読ませてもらうことでも元気をいただいている。

読ませてもらうときも、正直に書かれたブログが好感できる。

が、正直に書くと、しばしばトラブルの原因になる。

それで私はブログを作り直した。

現在、このブログは家族に読まれていないから、安心だ。(笑)

最初ブログを始めたときは家族に読んでもらうことも大きな目的だったけれども、
だんだん制約されると感じるようになったから作り直したのだった。

お嫁さんも含めて、子供達は寂しがっているかもしれないけれども・・・。

*

・わたくしの近況を知る縁(よすが)なりしブログ今では子らに読ませず

・家族には言へぬ独白することもその効用なればブログ秘密に

・わたくしの正体ブログに正直に現れるらむあかさたなはま

歯科医に行くのも元気がないと行けない?&白髪染め

2018-04-28 15:36:32 | ブログ記事
25日(水)の東京行きのバスの中でお弁当を食べていたときに差し歯が取れた。

が、道中だったので、取れた差し歯をバッグに仕舞って、そのまま旅をした。

帰宅後すぐに歯科医に行かなければならなかったのだが、
夜行バスで帰宅した一昨日はとても無理だった。

翌日の昨日は、もっと疲れが出て、一日寝てしまった。

今日やっと行く元気が出たので、朝いちばんに行ったが、
急に行って看てもらえるわけもなく、予約だけしてきた。

幸い夕方6時の予約が取れたので、今日のうちに看ていただける。

で、今朝は、せっかく出かけて、そのまま帰宅するのはもったいないと思い、
美容院でパーマをかけてもらってきた。

私は、昨年の8月から白髪染めをやめて、その代わりパーマをかけるようにしている。

白髪染めとパーマの両方すると髪が痛むので、
白髪染めをしていた間はパーマは止めていたのだった。

で、白髪染めをやめて9か月近くになるから、かなりの白髪になったが、
しかし、真っ白にはならない。

茶色がかっているのである。

それで美容院を出るときに考えた。

また白髪染めを復活しようかと。

それも自分でしてみようかと。

が、黒く染めると、毛が伸びたとき、白髪が目立つので、
できたら金髪にしたいところだが、いくらなんでも目立ちすぎると思うので、
一番明るい色の毛染め剤を買ってきた。

パーマをかけてすぐに毛染めすると髪が痛むから、1か月後くらいに染めようと思う。

歯の話から毛染めの話になったが、言いたかったことは、
歯科医一つ行くのにも元気なときでないと行けないということだ。

病院などもそうだ。

本当に体調の悪いときは、通院もできない。

結果、通院している人たちは、ある程度の元気のある人ということになる。

病院通いも歯科医通いも、これからは命がけになってくる?

美容院通いも?

今年一月に亡くなった母は
一月の生け花の新年会に行くべく亡くなる前日にパーマをかけた。

それが命取りになったわけでもないと思うが、
しかし、かなり身体に負担がかかったことは確かだ。

私は今でも美容院に行くのは億劫だから、92歳になったら、まず行かない、と思う。

*

・真つ白になると思ひて白髪染めやめしに真白にならぬ我が髪

・七十を目安に白髪染めやめしわたしはまた染めむとす

・髪の毛を染める代はりにパーマかけ様子見せしが真白にならず

・いくつまで白髪を染める?いくつまでパーマをかける?いくつまで生く?

一昨日の疲れが出て

2018-04-27 18:19:17 | ブログ記事
一昨日から昨日の疲れが出たのか、
早朝に義父の命日の仏膳をお供えしてから、
あとは一日寝てしまった。

幸い今日は、夫が昼も夜も食事がいらない日だったので助かった。

まあ、だから安心して眠れたともいえるが。

最近は、疲れが翌々日くらいに出る。

今日もそうだった。

これも年取ったせいか。

ところで、今朝の仏膳の料理は、
一部既製品も入れて私が作って、
簡便にワンプレートにして、
夫にお供えしてもらった。

夫のお父さんの命日だから。

その際、夫がワンプレートの上にお箸をおいてくれたものを
私が撮影したのだったが、
アッコさんという方から「渡し箸になってます?」とご指摘された。

すぐにご指摘を感謝するコメント返しを書いたが、
そのままその写真をアップしておくのはみっともないかと思い。
記事を取り下げた。

アッコさん、そういう次第ですので、ご了承くださいませ。

ご指摘、ありがとうございました。

ところで、今日が命日だった義父はやさしかった。

義母と違って私にキツイことは一度も言ったことはなかった。

義父に似た義弟もやさしい。

いつも私を気遣ってくれる。

法事のときなどに一番手伝ってくれるのも義弟だ。

その分、私の夫のような頑張りがない、ところがある。

人間、長所があれば、その裏返しの短所もあるものだ。

逆も言える。

短所があるから、長所が育まれたりもする。

私の夫もやさしいところも多々あるが、しかし、義弟と比べると
負けず嫌いなところがあるから、私に対する要求も厳しくなりがちだ。

そういう夫と一緒にいると、私も気が抜けない?

他人には親切でやさしい夫であるけれども・・・。

*

・キツイこと一度も言はぬ義父なりき今日命日で仏膳そなふ

・義父に似た義弟もやさしき人なれど甲斐性がたりぬと離婚されたり

・我が家にも迷惑かけし義弟なりされど憎めぬ人であるなり

・亡くなりし義母が一番愛しゐし義弟いまごろだうしてゐるや

・絆には「ほだし」とふ読みあることを知りたり夫はわれには絆し?

大きな声では言えませんが

2018-04-27 00:26:27 | ブログ記事
昨日のセクハラの記事の続きです。

大きな声では言えませんが、私が女性だから言ったほうがいいと思うので言います。

最近はセクハラの問題しかり、電車等での痴漢行為についてもしかり、

昔なら問題にされなかったような案件でも大騒ぎになりますね。

それだけ女性が守られるようになったよい傾向とも言えますが、

しかし、

中には、加害者になった男性が気の毒と思えるようなケースも散見されます。

これは加害者になる男性(たまには女性も?)は言いにくいと思うので書きますが、
本当にその女性が純粋に被害者であったか疑問に思うケースもあると思います。

実は、夫の友人の息子さんは、大学時代にコンパのあとで女性に問題行動をとって
退学になりました。

だけでなく、実刑判決を受け、実刑まで食らいました。

が、もともとはまじめな人だったから、刑務所にいる間に受験勉強して、
服役後、国立大学の医学部に入学しなおして、現在は立派な医師になられています。

そんな人でも魔が差すということはあるのですね。

当時でも、その人のお母さんが夫の友人であったこともあって、
友人間では、その息子さんが可哀想という同情論がもっぱらでした。

したことは男性に非があったのですが、しかし、誘われたのかもしれませんが、
お酒を飲んだあとの男性の下宿に付いていく女性にも隙があったことは確かです。

その女性の行動は、見方によっては、
加害者の男性がその女性が自分に気があると誤解しても仕方ない行動だったと思います。

その女性が心身ともに傷ついたことは事実だったかもしれませんが、
その男性の下宿に付いて行ったのは、女性の手落ちだと思うのです。

私はそういう目に遭ったことがないから言えるのかもしれませんが、
できうれば、男性の一生を台無しにすることは慎みたいと思います。

その男性は立ち直れたからよかったのですが、世間には立ち直れない男性もいると思います。

完全に男性にのみ非があったというケースのほうが多いとは思いますが・・・。

セクハラ

2018-04-26 14:30:41 | ブログ記事
ブロ友の栗まんじゅうさんがセクハラのことについて書かれていたので、
私も思い出したことを書いてみる。

私が若いころ勤めていた銀行は、田舎の銀行だったけれども、セクハラらしき話は聞いたことがなかった。

が、私が、上の二人の子が小学生になって、ほんの少しの期間勤めた会社は、
世間的に一流企業と呼ばれる会社であったが、
ここではセクハラらしきことが日常茶飯事にあった。

私は、当時30代の半ばくらいだったので、それなりに、いい意味でも、悪い意味でも?
一目おかれていたが、入社したての若い女の子は日常的におっぱいを触られたりしていた。

が、女の子たちは、誰も嫌な顔をしなかっただけじゃなく、
にこにこしていたのは、いま考えれば不思議な現象だった。

いやでなかったとは思えないが、
嫌な顔をすると、仕事に差し支えるから、我慢していた?

それとも嬉しかった? まさか!

そのセクハラをしていたのは、私と同年配か少し年下の男性陣であった。

もちろん、しない人はまったくしないのであるが、する人は日常的にしていた。

私の目の前でも、しょっちゅうであった。

あるときは、私に見せつけるようにしていると感じたことすらあった。

あれは何だったのだろう。

私に、
「この子らは俺の意のままになる」ということを見せびらかしているようにも見えた。

当時の私は、女の私に見せびらかしてどうするのよ、という思いであった。

一流企業だったから、いわゆる一流大学を出ている人たちが多かった。

最近セクハラ問題で騒がれている人達も世間的には一流と思われている人達である場合が多い。

昔も今も、一流ともてはやされる人たちの間にこそセクハラは横行しているのかもしれない。

訴えられる人達は、昔の感覚のままで女性に接しているのではなかろうか。

昔は、女性が我慢していたことが、現代は許されなくなった
という時代の変化に気づけない鈍感な人達なのかもしれない。

いや、現代でも、
そういう職場では、日常茶飯事にセクハラが行われていて、大半の女性は我慢している?

さるサイトで、あの謹厳な印象を受けるNHKこそセクハラの巣窟だと側聞するにつけ、
現代もひそかに横行しているかもしれないなどと思ったりもする。

人間の本質が、男性の本質が、そうたやすく消えるとは思えないから。

いまごろ弘前城で桜を眺めているはずだったのですが

2018-04-26 09:56:47 | ブログ記事
昨日の夜、8時過ぎに新宿バスターミナルに到着したまでは順調だったのですが、

ターミナルのカウンターに行くと、

「ネットで予約されていますか?」と聞かれる。

「数日前に見たときは余裕があったので、予約せずにそのまま来ました」と私。

そうすると受付の人は、
「そんなもの、日々動いているのだから、数日前に席があったとしても、
その日のうちに売り切れることは十分あることです。

とにかく、ここでは一枚も売ることができないので、
あとは自分で各バスの運転手さんと交渉してください」

と、けんもほろろだった。

が、この段階では、私は希望を捨てていなかった。

逆に、「東京の人たちは冷たいわ」くらいに受け止めた。(^^;

が、問題はここからだった。

弘前に行くバスが入ってくるのは夜の9時を回ってからだった。

が、来るバスも来るバスも満席だというではないか。

最後の望みの綱の10時半発のバスが満席と聞いたときには、
さすがにへなへなとなった。

それを見て、気の毒に思った乗客の方が、

「浜松町のほうからも弘前行きが出ていて、ひょっとすると空席があるかもしれません」

と教えてくださった。

が、そこまで行ってみて、もしなかったらどうする?と危惧した。

行くに行けず帰るに帰られずの、蛇の生殺しになるかもしれない。

こうなれば頼みの綱は東京在住の娘だが、

その時間から娘のところに行っても、最近教育ママになっている娘に叱られるだろうなと思い、
思い切ってUターンして帰ることにした。

大阪行きのバスも、止まっていたバスのドライバーの方に聞くと満席だとのこと。

今度は、逆に、ドライバーの方に
「カウンターに行けば、空席のあるバスが見つかるかもしれません」
と教示いただいた。

それで、またターミナルのカウンターに行くと、
「ちょうど発車間際のバスがあります」と切符を売ってくださった。

11時過ぎ発のバスだったが、飛び乗った。

ところが、そのバスは若者向けのバスだったようで、一列2人×2席であった。

「うひゃ~」と思ったけれど、仕方ない。

来るときのバスは、一列三人の独立座席で、しかも隙隙だったが、二人掛け席は厳しい。

おまけに、気のせいかバスの揺れの衝撃度が強いような感じもした。

が、とにもかくにも、無事午前8時過ぎ自宅に帰りついた。

骨折り損のくたびれもうけだったような気もするが、
しかし、昨日の往きは、バス旅を楽しんだのだから、
これでよしとするべきか。

弘前城の桜の報告を楽しみに待っていてくださった皆様、
お粗末様でございました。

m(_)m


日暮れ前の富士山

2018-04-25 18:24:49 | ブログ記事
写真に撮ろうとしたのですが、走行中のバスから写すことは至難の業で写しそこねました。

お見せできなくて残念!

*右に見え左に見えて日没の前の富士さん車窓の向かう

*その高さ偉大か大きさが偉大か畏怖の念は自づと

*没せむとせる日輪が富士山を西から照らすときにトキメク

*東名と新東名は並走し東海道はダブルとなりぬ

*静岡の藤枝、焼津とおりすぎ富士山見えずなりたり六時

*入りつ陽は入り江の町を明るませのちに消えたり海きらめかせ

滋賀県甲南PA

2018-04-25 14:12:02 | ブログ記事
おやつを買っただけで急いでバスに戻る。

置いていかれたら困るから。

景色はバスに戻ってから撮影。


まだ午後2時過ぎなのに曇っているせいか夕方みたい。

少し肌寒くもある。

関西でこれだから、弘前は真冬並みかも。

*神戸にもありける地名甲南が滋賀にもありて甲南PA

*甲南は甲賀の南であるらしくならば甲南滋賀県なるや

*兵庫県甲南六甲南とふ地名であれば甲南ちがひ

*新名神かうべ甲賀が繋がりて神戸甲南、甲賀甲南

*

コメント欄でご教示いただいて、
タイトルを「三重県甲南」から「滋賀県甲南」に訂正しました。

短歌のほうも。


まず東京まで

2018-04-25 12:14:32 | ブログ記事
二階建バスの最前列の席です。

私の旅の目的は道中の景色を眺めることだから、空いていれば、いつも最前列の席を買います。



出発です。

新宿駅には午後8時半頃の到着ですが、目的地の弘前行きはまだ買っていません。

平日だから、一人分くらいあると思うし、最悪の場合は娘のところに泊めてもらえますから。

といっても、急に行くと嫌がられますけどね。

では、行ってきます。

*

*万博の大観覧車右に見て東にむかふバスに揺られる

*家を出る前に作りし浸けまぐろ卵焼き入り弁当を食ふ

*なだらかな道路の傾き眺めつつ高槻すぎて京都ちかづく

*京都から東海道中膝栗毛バスの座席に乗せて呑気に

*コンセント付きの座席のバスなれば充電しつつケイタイを打つ

*自宅から送るメールを車中ではバスから送るバス旅たのし

*渋滞で動かざるれば動かざる景色ながめて楽しむわれは

*少しづつ動き始めて少しづつ動く景色をわれは楽しむ

*動きても動かざれども楽しかるバス旅われはバスが大好き

*右側の道路を走る西行きはすいすい走りこちらゆるゆる

*東京に到着予定の時間には到着すらむ渋滞しても

どこかに行きたくてたまらない

2018-04-24 11:26:29 | ブログ記事
やっと帰省の疲れがとれて、人心地ついたところですが、
はやくもどこかに行きたくてたまらない。

春だからでしょうか。

私は家にいるのが好きなことを自他ともに認めているような人間ですが、
春は別ですね。

寒くも暑くもないから、身体に負担もかからないし。

明日から高速バスを乗り継いて、弘前まで行ってこようかな。

弘前の桜を見ることは前からの願望だったのですが、
母を亡くした今年は特に行きたい気持ちが強いです。

夫とぎくしゃくしていたときは、逃れるために行こうと思っていたのですが、
現在は、関係修復しているので、逃れる必要はないのですが、
でも、どこかに行きたい。

本当は彼の世でもいいのですが、それはできないし。。。

*

・弘前に行きたし桜おいかけて行きたき弘前ひとりで行かむ

・此の世には未練のあらぬ私なりこの身捨てむと行く弘前に

*

夫は、今日は、私の婚礼布団を始めとして、
綿の布団類をゴミ焼却場に運び出してくれています。

もったいない、罰が当たりそうと思いますが、押し入れふさぎになっていますから。

数日前に次男のお嫁さんのお母さんに、
早く捨てないと、これから体力がなくなると、ますます捨てられなくなると言われて、
思いきることにしました。

祖母が、当時最高級の綿で作られたものを持たせてくれた思い出の布団ですが、
時代には逆らえません。

・亡き祖母の作りくれにし綿ぶとん婚礼布団と呼ばれしころの

・もの捨てぬ亡母が聞けば驚かむ当時十万せし布団捨つ

昨年のこの事件から夫との関係が変になったのだった

2018-04-23 13:00:12 | ブログ記事
きのうGooブログから送られてきた
この事件「大阪梅田のお初天神に行ってきました」から夫との関係がおかしくなったのだった。

そういう意味では、昨日が、事件1周年だったということになるだろうか。

今回の帰省で、だいぶん修復できたが、
しかし、夫の言い分はどうだろう。

ああいうふうに、よその女性と一緒に出掛けることはこれからもどんどんすると。

なにも疚しいことはないのだからと夫は言う。

夫に言わせれば、問題にする私のほうが間違っていると。

そうだろうか?

奥さんに隠して他の女性と二人だけで会うというのは、
年齢に関係なく問題行動に思う私のほうが間違っている?

しかし、夫の言い分を認めない限り、ずっと関係修復は図れないのだから仕方ない?

私としては決して面白い出来事ではない。

しかし、喧嘩するのもエネルギーを消耗する。

精神的にも不安定になる。

世間的にもみっともよいことではない。

子供達に対しても・・・。

私が怒ると、夫は子供達に私の欠点をあげ連ねる。

子供達は、どちらの味方をしていいかわからないくて戸惑う。

数日前に書いた通り、「私さえ我慢すれば」すべてが収まる?

なら、そうするのが賢明ということになるのだろう。

*

・身勝手な夫と思はぬでもなきが仕方なきかと諦めるわれ

・喧嘩することにも疲れ辛くても我慢するのが得策らしき

・甲斐性なき身にはあれども悔しさは人並みにありあれど我慢を

それにしても、夫は元気

2018-04-23 12:24:36 | ブログ記事
私は、一昨日、帰宅後、記事を書いてから
いま開くまで、パソコンを開けずにいた。

昨日の日曜日は、
私は、徳島の吉野川SAで買ったタケノコと虎杖の処理をして、
あと、午後はずっと寝た。

夫は、午前中は仕事を片付け、午後はテニスに行った。

そして、今日は、朝からこの春から通うことになった朝日カルチャーに行き、
その後、仕事先の滋賀県に行った。

本当に元気だ。

帰省時の運転も、すべて夫ひとりなのに・・・。

これだけ元気なのだから、別の女性とデートする余力もあるのだ。

それに引き換え、私は・・・。

もう夫と張り合うことはやめて、従って生きていくしかないのだろう。

*

・帰省して帰宅するまでもたせればそれで体力切れるわたくし

・帰省時の運転すべてし終えても帰宅後すぐに仕事再開

・仕事してさらにカルチャー通ふなりどこから湧くのかあの体力は

・パソコンも一日(ひとひ)ひらけずゐしわれと仕事再開せし夫とは

・初節句わが家でするを断りてきたり帰省で疲れ果つれば

七十でこんなに体力なきわれの今後心配何年生きる?