かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

人生いいことも悪いこともあるからいい気にならないこと

2018-12-29 12:14:12 | ブログ記事
これは自戒を込めて書いています。

私も短歌を始めていいこともたくさんありました。

初めの数年はラッキーなことが目白押しでした。

それでちょっと天狗になっていたかもしれません。

最初のつまづきは、某メーリングリストでした。

私がいい気になって書いていたのを古参の人たちは苦々しく思っていたのでしょうね。

見事に足元をすくわれました。

それを恨みにも思い、悩みもしているうちに、大腸癌になりました。

人の身体は正直にできていますから、恨みが大腸に溜まって癌になったのでしょう。

それで反省すればいいのに、高慢な私はしなかったのですね。

それで、前よりひどい攻撃をされて鬱病になりました。

一口に鬱病と言いますが、私の場合は精神薬を飲んでしまったので、
薬のせいで地獄の苦しみを味わいました。

よく元に戻れたと、われながら感心しています。

こんな私でも神様は見捨てられなかったのです。

夫は私のことを悪運が強いと言いますが、そうかもしれません。

何度も死線をくぐって現在の私があります。

これだけ苦しんできたのだから、もういい加減悟ればいいのですが、
しかし、未だに高慢です。

これは治らないと思います。

私が高慢なのではなく、高慢が私だからです。(苦笑)

短歌の結社を辞めたのも高慢の私が辞めさせたのです。

だから反省などはしません。

私自身は辞めても一人で生きていける自信があります。

これは自信と言わないで自惚れと言うのもしれませんが・・・。(笑)

だけど自分のことは自分が一番よくわかっています。

お釈迦様も言いました。天上天下唯我独尊と。

私もそうなのです。(笑)

*

★自身とは自信でありて地震なり自信つよくて地震は起こる

★起こるとは起きてゐること起きてゐるのに野つぱらに置かれて怒る

*

人生いいことも悪いこともあるからいい気にならないこと

しかし、腐りもしないこと

それが肝要

特に何もしない年末年始

2018-12-29 03:52:30 | ブログ記事
今までは我が家に集まってお正月を祝っていたけれど、
今年1月に母が亡くなったから、一応喪中ということで来てもらうことは断った。

それだけじゃなく、私も70歳になり、大勢を接待するのもしんどくなったし、

その上、

頑張っておせち料理を作っても、
長男などが
「昔からお正月におせち料理ばかり食べさせられたことがトラウマになっている」
などと言うものだから、もうずっと作らないかもしれない。

いや作るけれども、私たち夫婦だけで食べるようにしたほうがいいと思っている。

私も夫も、おせち料理は好きだから。

が、年末には作らないで、お正月に作るかもしれない。

まあ誰も来る予定がないから、気が向いたときに作ろう。

70歳になったのだから、これからは自由にさせてもらう。

お掃除も、いつもいる食堂というか、リビングだけする。

2階の私の部屋は物置部屋と化しているが、寒いから冬の間はそのままにしておく。

誰も来ないお正月は暇だから、短歌の連作づくりでもするかもしれない。

こういうときは趣味があってよかったと思う。

これからは時間も(わずかな)お金も自分のために使って楽しい老後を送りたい。

*

★楽しみは好きな時間に好きなもの食べてぐつすり夜ねむること

★楽しみは好きな短歌を好きなだけ作りて誰にも褒められぬこと

★楽しみは独り短歌を楽しめる場所と時間を確保すること

★楽しみは下手な短歌を数つくり変な歌人と思はれること

★楽しみは人の短歌を批評して暇な時間に昼寝すること

★楽しみはブログのお題に応募してブログ世界を賑はせること

★楽しみは好きな時間に寝て起きてワインを飲んでまた眠ること

★楽しみは年末年始も寝て起きてふだんと変はらぬ顔でゐること

身近な人がたくさん亡くなった今年を最後に平成も暮れていく

2018-12-29 01:06:17 | ブログ記事

今年は身近な人をたくさん亡くした。

まず1月11日に母が亡くなった。

それから、亡くなったことは最近知ったが、夫の妹の連れ合いも3月に亡くなっていた。

9月には母の妹の連れ合い(私からは義理叔父)が亡くなった。

義理叔父の翌日は義姉のお父さんが亡くなった。

義妹の夫(義理の弟)は、
最近でこそ疎遠になっていたが、その家が比較的近くなので、以前はよく行き来していた。

義理叔父(叔母の夫)には、義理と思えぬほど親切にしてもらった。

義姉のお父さんもよくお目にかかった。

5年前の亡兄のお葬式の会場へも火葬場へも来ていただいた。

90歳を超えて義理息子に先立たれることは辛いことであったろう。

それ以外にも、辞めた短歌結社のやさしかった選者先生も亡くなられた。

いくつになられていても、今生のお別れをすることは悲しい。

平成という御代自体が、もうすぐ亡くなる。

平成の最初の年に母の妹の叔母が亡くなり、その次の年に義父が亡くなり、
平成24年には義母が亡くなり、平成25年には兄が亡くなり、
人が亡くなるときは立て続けということを実感した御代であった。

平成が暮れんとする今、亡くなった人たちのことを思い出して懐かしみたい。

*

★平成の最初の年に叔母亡くし最後の年に母を亡くせる

★平成の御代に義父義母最愛の母を亡くして叔母義理叔父も

★亡くなれば皆なつかしく義母さへも今は再会したく思へる

★平成が過去の時代になりたればなほ懐かしくならむ死者たち

★平成の御代に心臓手術受け大腸癌の手術を受けて

★平成の御代に何度も死にかけしわれがいまだに生きゐる不思議

★鬱になり精神薬で狂ひかけ死にかけ死なずまだ生きてゐる

★死ぬよりも苦しき苦節くぐり抜けいまだ生かされゐるを確かむ

★子や孫を残せるわれの幸福を神に感謝をして次の代へ