かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

平和の祈り

2018-12-26 17:48:47 | ブログ記事

ブロ友さんのクリスマスにちなんだブログ記事に
「平和の祈り」が紹介されてあって、とても素敵だと思えたから、
ご紹介させていただく。

読みに来られた方々のために、何よりも自分のために。

「平和の祈り」

神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。

憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように
いさかいあるところに、赦しを
分裂のあるところに、 一致を
迷いのあるところに、 信仰を
誤りのあるところに、 真理を
絶望のあるところに、 希望を
悲しみのあるところに、 よろこびを
闇のあるところに、 光をもたらすことができますように、
助け、導いて下さい。

神よ、わたしに
慰められることよりも、 慰めることを
理解されることよりも、 理解することを
愛されることよりも、 愛することを望ませてください。

自分を捨てて初めて  自分を見出し
赦してこそ  ゆるされ
死ぬことによってのみ  永遠の生命によみがえることを
深く悟らせてください。


イジーさん、素敵な祈りを教えてくださり、ありがとうございました。

来年は、教えていただいた上の祈りを胸に生きていきたいと思います。

辞めたら終わり?

2018-12-26 16:20:00 | ブログ記事
昨年末、さる短歌結社を退会した私に
夏頃、(なんの手違いからか?)歌集を贈呈くださった方がいた。

すぐに感想を書いて送らせていただこうと思っていたが、
私自身、母を亡くした今年は、人様の歌集を読ませていただく気力が湧かなかった。

歌集に対峙するには対峙するだけの気力も要するから。

それでも今年中には感想をお送りさせていただけなければと、
歳晩の今月になってやっと読ませていただいた。

すぐに感想を書き、ブログアップもしたし、そのブログ記事を
歌集を贈ってくださった歌人さんにもお知らせした。

該当の歌人さんからはすぐに返信いただいた。

が、
その私の感想に対する返信は3日ほど猶予くださいとのことだった。

それで、私は3日間待たせていただいた。

が、それっきりなしのつぶてである。

私は、その方の歌は好きで、感想も好意的に書かせていただいたつもりであった。

が、それっきりということは、
その方は、結社を退会した私とはお付き合いしたくないという意思表示かもしれない。

その人のことを信頼していただけに、少なからず失望したが、
しかし、世の中は、そういうものなのだろう。

これから、結社でも、短歌界でも売り出そうとされている、している人にとって、
結社を辞めた歌人の私など、ゴミのような存在なのだろう。

本当は、そうであってはならないはずだが、しかし、これが現実なのだろう。

悲しいけれど、この現実は自分が引き受けるしかない。

いや、悲しむこともない。

結社を辞めることを選択したのは私自身だったのだから。

人がどういう対応をしようとも、私は私である。

どういうふうに対応されても、私という人間の価値が下がることはない。

もちろん上がることもないけれども・・・。

*

★人は人おのれでなくばその人にそのやり方のあるを宜ふ

★名が売れてなんぼのものと思ふ吾(あ)は名を惜しむひと軽蔑すかも

★歌が好きただそれだけで歌を詠むわれに名声欲る人はゴミ

★名は捨てて歌は読むべし名声で読むべきものでは決してあらず

★名声を欲る歌人(うたびと)の作品はそこから腐敗し始む定め

★うぬぼれが歌の大敵うぬぼれが生まれて歌は腐り始める

★名声にもつとも遠いところにて歌は生まれるものとこそ知れ

★日の目見し歌はそこからカラカラと転げ始める理(ことはり)ありて

★去り行くも残るも人の運命(さだめ)にて人さげすめば蔑まるる理(り)

★此の世ではこれで済むとふ錯覚を持ちて死にゆく者らがわれら

★錯覚を持たぬゴリラら森に住みヒトの錯覚さげすみてゐる

★ヒトよりもゴリラの言葉に馴れしかばゴリラ語話す山際寿一