かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

伊東文歌集『逆光の鳥』

2018-12-20 21:24:51 | ブログ記事


タイトルにした『逆光の鳥』という歌集を贈っていただいたのは今夏であった。

が、母を亡くした今年は、なかなか他人様の歌集を読ませていただく気が起こらなくて、
ずっと食卓の横においたままにしてあった。

が、年末が近づき、いただいた歌集の感想もお伝えさせていただかなければと、
やっとこのたび読ませていただいた。

伊東さんの歌の上手さはインターネット歌会で、すでに存じ上げていたが、
この歌集で改めて、それを確認させていただいた。

一つ一つの歌の上手さもさることながら、構成も優れた歌集だと思った。

風景を詠うのもお上手だが、
その風景の間におかれた生活の歌歌が的確で、しかも優しい視線の歌であることには感心した。

それから、お住まいが奈良という土地柄のせいか、
出てくる地名に魅力的なものが多いのも、この歌集の特徴だと思った。

それだけでも優れた歌集であるが、

その上、

この歌集には広島ご出身の伊東さんのご家族の、あるいはご親戚の方々の被爆という
歴史的な記録となるべき歌群が収録されていることは特筆すべきことだろう。

それらの歌群が、この歌集の価値を飛躍的に高めていると思った。

しかも、この歌集は、それらの事実を声高に詠うのではなく、
風景の歌、生活の歌と同様に、ごく静かに詠われているのである。

これらの特殊な歌群も静かに詠われることによって、
広島原爆の悲惨を読者の心に刻印することに成功していると思った。

もし声高に詠えば、
人々に声は聞こえても、人々の心の襞にまで届かないことを作者は知っているのであろう。

その一連は「エノラ・ゲイの腹」に収められているので、
この章はすべての歌をご紹介させていただいたほうがいいと思うので、そうさせていただく。

エノラ・ゲイの腹

八月の朝(あした)、少女は井戸端に立ちて仰ぎぬエノラ・ゲイの腹を

銀色のおほき機体は濃き影を曳きて牛田の山を越えきし
母の実家は爆心地より3キロ北東の、牛田山の麓にあった。

ただ一機飛来したりき家よりも大きな影が少女を覆ふ

見上げゐし瞳にきらきら光りつつ落ち来る物の美しく映りき

B29去りてふたたび洗濯をせんと屈みし直後なりしと

背後からの閃光と熱風に突つ伏して数分間をぢつと怺えて

朝光の射しくる井戸辺に屈みゐし少女は背中に火傷を負ひき

「熱い板でパシッと背(せな)をしばかれた」痕の残れる背中小さし

その朝に初潮むかへし十五歳、下着を濯ぎゐて助かりき

「ずる休みしたんよ」と母はうつむきぬ工場へ向かひし友ら死にけり



それら以外の心に残った歌も引かせていただく。が、ついつい多くなりすぎたかもしれない。

〇墓石に刻まれてある命日は被爆の日より秋が多かりき

原爆は夏に落とされたが、即死でない人たちは秋まで命永らえて亡くなられた。
そのことを淡々と詠われているが、しかし現実は厳しい状況であったことが想像できるだけに
ハッとさせられる。

〇吾の知らぬ伯父伯母のあり原爆で死にし二人の写真もあらず

伯父さん伯母さんという比較的近い身内の人の写真の一枚も残されていないと詠われている。
その事実を突きつけられて、私たちも原爆に遭った人たちの過酷を思わざるを得ない。

〇夏ノ夜ノ地面ガ青ウ燃エルンヨ。何万ノ屍体ノ燐ガ熔ケトルケンネ

カタカナで表記されたのは、お母様の言葉だからだろうか?
方言でこう語られたお母様の言葉がカタカナ表記されたことによって呪文のように聞こえる。


〇身のうちへあかるき影の入りきたり黄葉の木に午后の陽さして

黄葉の季節だから晩秋の歌だとわかる。
陽射しを明るく感じたのは、晩秋の傾いた陽のせいだったのだろう。
明るいけれども、寂しい晩秋の光。作者の心の中の寂しさも照らし出されたような。

〇コントラバス女人のやうに抱きかかへ夫は出かける日曜ごとに

この歌はインターネット歌会に出された歌のように記憶している。
お連れ合いはコントラバスを奏でる趣味をお持ちのようだ。
コントラバスは大きな楽器だ。
それを持ち出すときの様子は女性を抱いているようだと比喩したのが面白い。
実際、日曜日ごとに高価なコントラバスを運ぶときの気持ちは大事な女人を抱くようなそれかも。
その妻である作者には、その楽器に対して多少の妬みもあるのかもしれないとまで思わせられた。

〇四楽章レチタティーヴォをくりかへし弾きゐる人を下から呼べり

この歌も上の歌のように、楽器に、音楽に魅入られている夫に対して、妻である作者は、
多少の妬みのようなものも持ちつつ詠んでいるように読み取るのは深読み過ぎるだろうか?

〇湯にうかぶ長き髪の毛掬ひをりいつまでかうして一つの家族

お風呂に入ると、先に入浴を済ませたお嬢さんの髪の毛が浮かんでいた。
その髪の毛から、お嬢さんのこれからのことに思いをいたし、
「娘が結婚して家を出れば、この現在の家族の形も無くなってしまう」
と身を分けた母親であるがゆえに感傷的になってしまったのである。

〇金輪際死に直すことはできぬゆゑぢやあぐらゐ言つてから死ね、弟よ

いったい何を詠われているのかと思いながら読み始めて、
結句で、やっと弟さんが亡くなったことを詠っているとわかった。
歳の離れた弟さんに先立たれたことは、作者にとって悲しみ以上のものがあるのだろう。
その気持ちを亡くなった人に対して怒ったような調子にして詠われている。

〇とびつきりの笑顔の写真が選ばれて永久(とは)に笑ひつづける弟

弟さんの遺影を詠われているが、よくある遺影の常として笑顔の写真が選ばれているのだろう。
が、姉の作者は、このとびっきりの笑顔を見ると、より切なくなる。
本当は年齢的にも、当然、生きて笑っていないといけない弟だから。

〇てんころろてんてんころろ梅の実の落ちてはづめり 娘は嫁ぎゆき

娘の結婚は慶事ではあるが、しかし、見方によれば、娘のいなくなる寂しさも。
その様を「てんころろてんてんころろ」という擬態語で表している。
調子よく詠っているが、最後は梅の実は落ちるのである。
落ちて一回だけ弾んで、これでお仕舞い。

〇「めつちやおつきい津波きた」と言ひし児に「どこの国へ」と吾は訊きにき

東北大震災のときの歌であろう。
中学校の先生であった作者は授業中であったため、そのことを知らず、
「大きな津波がきた」という生徒の声に対して、あとから思い出せば、間抜けた答えを返したと思ったのだろう。
児という字を使っているから、あるいは、その後、塾か何かで教えておられた小学生であるかもしれないが。
よくわかる歌だ。私などもニュースを見るまでは同様の状況であったから。
関西在住の者達には、あんなとてつもなく大きな地震がこの国に来たなどと思えなかった。

〇首ほそき子の喉仏の大きこと遅き帰宅の卓に向き合ふ

息子さんのことを詠われたのだろう。
首と喉仏の描写のみに徹して息子さんの姿を活写している。
作者にこういうふうに見えたことが、読者に息子さんは少し疲れているのかもとさえ思わせる。

〇夜の橋渉ればわれは包まれてそのまま霧と家まで帰る

巧みな歌である。
川に架かった橋には霧が立ち込めていたのだろう。その霧に包まれて作者は家まで帰るのである。

〇通らねば道は消えゆく葛の上を古人(いにしへびと)のごとく歩きぬ

この歌の前に置かれた歌によって、この山の斜面の道は、
谷に橋が架けられてからは歩く必要がなくなりそうなことが暗示されている。
そうなのだ。山道というものは人が通らなくなったら、元の藪に戻ってしまうのだ。
作者は、今、その山道を昔の人のように歩いている。

〇祖母の手より暗き川面へ放すとき灯篭はちひさく身震ひをせり

原爆で亡くなられた伯父さん、伯母さんの名の書かれた灯篭を
その母である作者のお祖母さんが流すとき、
灯篭は身震いしたように作者には見えた。
伯父さん、伯母さんが身震いしたようにも・・・。

〇流されて揺りもどされて満ち潮の皮もにたゆたふ灯篭あまた

川に流された灯篭は満ち潮のため、すぐに流されていくことなく、揺蕩っている。
それが作者の目には、
若く亡くなった伯父さん、伯母さんが、他の灯篭と一緒に、
死を受け入れきれずに躊躇っているようにも見えているのかもしれない。

〇点滴台にドレーン・ユニット固定され老化を盾のごとく押しゆく

これは大手術を受けたことのある者でないと読み取れない歌かもしれないが、
その通りなのである。
こういう歌材も詠える作者に敬服する。
私など二度も命に係わる手術を受けたのに、こういうふうに詠うことなど思いつかなかった。

〇高鳴きのごとく鋭きことばあり書きうつす間に翔びたつ 鳥よ

これは抽象的な歌だと思う。句集を読んでいる連作が続いているから俳句の一句に何か鋭く訴える言葉を見つけたのだろう。が、書き写している間に、その鋭さが消えてしまった。

〇二上山にしづむ夕日をゆびさしてあちらへ帰りますと降りたり

この歌も確かインターネット歌会に出詠された歌だったと記憶するが、
いま読み返しても魅力的な歌だ。
ご自宅が二上山のふもとにでもあるのだろうが、夕日を指さすから、
ひょっとしたら二上山にある異界に帰るのかもとも読めてしまう。

〇新生児の微笑のやうな光湧きて向かひの尾根に満月のぞく

「新生児の微笑のやうな」という比喩が秀逸である。
満月が出るときの明るさは夜の闇の中だから目立つが実際は儚い光である。
それを新生児の、あるかあらぬかわからぬ微笑にたとえた比喩はお見事である。
この歌集には、作者がその娘さんの出産を手伝う場面の歌もあったが、
そのときの新生児、つまりお孫さんの笑みに何か似たものを感得してできた歌なのだろう。

〇籾殻を焼く白煙のたちこめて烟のなかに動く人影

絵画的な歌である。私には、なぜかミレーの「晩鐘」の絵が浮かんだ。
また「けむり」に烟という漢字をあてる作者のセンスも光っている。

〇<克己心>と書かれし色紙いできたり初ばあさんの撥ね勇ましき

この歌もインターネット歌会に出された歌である。
初ばあさんの書かれた、たぶん筆文字の、字の勢いのうかがえる歌である。

以上、まだまだありますが、ここらあたりで終わりにさせていただきたいと思います。

なお、

この歌集名『逆光の鳥』は、歌集中の

〇囀りのふりくる空の高みには羽搏きつづける逆光の鳥

からとられたよし。

「あとがき」には、

「私はいつもこんな風に、歌を詠んでいるのかもしれないと、歌集を編んでいく内に
思うようになりました。本当の雲雀の姿を捉えたと思って歌を詠むのだけれど、それ
は逆光の鳥影にすぎないのかも知れないと。でも、曇り日の逆光だからこそ、見えた
姿なのです。
 いつも、そのものの核心に触れたいと思って歌を詠むのですが、後で読み返すとそ
れは釘穴だったり、隅に転がる欠片だったりするのです。何故か、そういうものに心
惹かれます。」


と書かれてあった。



少子高齢化対策

2018-12-20 13:47:37 | ブログ記事
一番手っ取り早いのは、
少し過激な言い方をすれば、われわれ年寄りがさっさと死ぬことである。

無駄な延命措置は即刻やめるべきだ。

それから元気な老人は、やはり働けるうちは働くことだ。

外国からの移民受け入れはしてはならない。

人口が減れば減ったように国を変えていけばよい。

生活を昔に戻すのだ。

今なら、まだ昭和の貧しかった時代の人たちが生き残っている。

その人たちの知恵を拝借して、昔の生活を取り戻すのだ。

日本を昔の農業国に戻してもいいではないか。

もちろん先端技術は、それはそれで発展させればよいが、
皆が皆、そういうものに携われるほどの知能を有しているわけではない。

そういう能力のない者、あるいは、そういう類の仕事の好きでない者達は、
躊躇わずに、昔の農業に戻ったらどうだろう。

幸い少子高齢化で田畑だった土地は余っている。

その田畑を耕せばよい。

そうすれば、少なくとも生きている人たちが飢え死にすることはない。

もともと日本人は菜食が主であった。

島国である日本は海に囲まれているから、魚は調達できる。

そうして自給自足すればよい。

高貴な(?)日本人は体臭の濃くなる肉食はほどほどにしたほうがよい。

人口減で田舎がますます過疎化して水道問題が発生するのなら、昔の井戸に戻せばよい。

急にはできないかもしれないが、だんだん昔に戻せばよい、と私は思う。

昔に戻して、田舎の神社にも活気を取り戻させる。日本はもともと神の国なのだから。

しかし国防は必須だ。周囲にこの国の領土を狙っている国々がある限りは。

子供を増やせ増やせと言っても、そんなものは神様の領域なのだから無理な相談だ。

少子化も、底を打てば、また戻ってくると私は思っている。

兄も母も心不全で亡くなった、だからたぶん私も

2018-12-20 09:15:25 | ブログ記事
兄は67歳で、母は92歳で
心不全で亡くなった。二人ともお風呂上りに・・・。

既に心臓の悪い私は常に心拍数が高い。だから、私もたぶんそうなるだろう。

今でも少し動くと動悸が激しい。

だから、つい家の中でじっとしてしまう。そしてブログを?(笑)

家族ではないが、母方の従弟も心不全というか心筋梗塞で亡くなった。

従弟は、まだ52歳の若さだった。

従弟の場合は山中で亡くなったから応急措置が受けられなかった。

まだ若かった従弟は、その年、三人の子が、それぞれ、
長女は大学の建築科を卒業と同時に医学部を受け直して入学、
大学在学中だった次女はその春から外国に留学、長男も他県の国立大学入学で、
その荷物づくりは全部従弟がしたと義理叔母が言っていた。

その上、町内会長もしていた。

だから、疲れがたまっていたのだろう。

医師をしていた従弟は「医者の不養生」の典型だった。

それなのに、歴史探索のため、深い山に入っていた。

家にいたのだったら、もしかしたら助かったかもしれなかったのに・・・。

が、これが運命というものだったのだろう。

私の兄は、すでに透析を受けたりしていたから、早晩亡くなる病態だった。

母も心房細動の状態だったから、これも仕方なかった。

が、52歳で亡くなった従弟は、今でも残念に思う。

*

★親族に急逝する者おおかりき心不全とふ不意の一撃

★わづかでも動けば動悸はげしかりわれも死ぬらむ心(しん)の不全で

★苦しまず死にたきわれは死に神に祈る一気に彼の世に逝くを