かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

「動く歩道」は歩かなければならない?

2018-12-24 05:47:05 | ブログ記事
一昨日、久しぶりに大阪梅田の「動く歩道」に乗った。

で、以前は「動く歩道」を歩くことに疑問を持たなかったが、

自分が年を取ったせいか、動いている歩道の上をさらに歩くことに違和感を覚えた。

エスカレーターに関しては、最近歩かないようにしようという声が上がっているようだし、
私も以前書いた。

「エスカレーターは歩かないでください」

が、この「動く歩道」は今のところそういう声は聴かない。

ということは、この動く歩道は最初から歩くことを前提に作られているということなのだろうか?

が、人によっては、歩かないで、ただ静かに乗っていたいという人もいるかもしれない。

動いている歩道の上を歩くのは不安定だから手すりをもって立っていたいという人もいると思う。

が、皆が歩くから、歩かないで立っていることはできないし、許されない。

私は、これもゆくゆくは「動く歩道は歩かない」というルールになるかもしれないと思うし、

そういうルールになってほしいと思う。

動く歩道上を歩いても、静止しているのと、それほど大した時間的な差はないと思うから。

本当に急ぐ人は、動く歩道に乗らないで横の道を早足で歩くか、場合によれば走ればいい。

*

★せはしなく動く歩道の上あるく人よ何にそんなに追はれてゐるや

★せはしなく歩くがゆゑに忙(せは)しなくなるということあるかもしれず

★急ぐなら動く歩道は使はずにその横のみち早足でゆけ

大阪光の饗宴を見に行く前に住吉大社へ

2018-12-23 04:23:04 | ブログ記事

その前の日にツアーで鳥取に行った私は疲れていたが、
大阪のイルミネーションをクリスマス前に見るには今日しかないと思い出かけた。

イルミネーションだけなら夕方からでもよかったのであるが、
せっかくだから、ずっと行きそびれていた住吉大社にも、この際参ってこようと思った。

大阪市内に30年以上も住んでいたのに、この大社に参ってなかったのは、
機会に恵まれなかったからである。

それがずっと気がかりになっていた。

本当は夫と一緒に来たかったが、夫は、一昨年、別の人と一緒に来たらしく、
また続けてくることは期待できないので、私は独りで来た。

と前置きが長くなったが、南海電車の住吉大社駅を降りて3分くらい歩くと神域に。

突き当たったところを右に曲がると、鳥居があった。

さすがに鳥居も大きい。結婚式があったようで、それらしき一団が歩いてきた。



鳥居をくぐって少し歩くと有名な太鼓橋が。

この橋を渡らせてもらうのが、長年の私の夢だった。

さっそく渡らせていただく。

渡り終えたところに船の形をした歌碑があった。

撮影はしたが、歌は読めない。

また調べて分かったら、後で記事に書き足すようにする。

このあとも境内を撮影させてもらおうとしたが、
どういうわけかスマホのカメラが撮影不能に陥ってしまった。

私は、神様が、これ以上写すなと言われたと受け取った。

それで、帰宅してから、いただいてきたパンフレットを撮影した。

このパンフレットの絵で境内の大まかな配置がお分かりいただけるかと。


こちらは住吉大社の由緒の書かれた冊子を撮影させていただいた。


読み取ることは難しいと思うが、住吉大社の由緒が詳しく書かれてあるので追加撮影した。


この冊子の裏側には大社の名所旧跡の紹介もあったから撮影。


住吉大社で参拝を済ませた私は、
南海電車で難波まで戻り、その後、難波から淀屋橋まで、歩けたら歩こうと思っていたが、
昨日の今日なので腰が痛くて歩けそうにない。

それで、地下鉄で淀屋橋まで行った。

あとは、この下の記事に書いた通りである。

*

★あこがれてをりし大社に今日きたり雨の上がりし師走の昼の

★ほんたうは夫と来たく思ひしが夫は別の人と来たらし

★あれほども一緒に行かうと言ひをりし妻の私と来ずに夫は

★わたくしは和歌の神様住吉の大明神に祈りてきたり

★柿本人麻呂住吉大明神玉津島神社姫君

★三人が和歌の神様和歌は今あまり詠はれなくなりしかど

★のぼさんの短歌革新運動が必ず正しきものとも思(も)はず

★伝統の和歌の流れを汲むゆゑに短歌する吾(あ)も住吉様に

★大社より向かうは昔海だつたゆゑにビル群砂上楼閣

★東南海地震がくれば砂の上(へ)のビルは倒壊するかもしれず

★人間の営み砂上の楼閣で津波がくれば潰(つい)えてしまふ

★残されるものは歌のみ歌のみが石碑に残り後世(のち)の人よむ

★住吉の浜に建ちたるビル群は砂の上なる楼閣ならむ

★楼閣は潰えるものと知るべけれ地震が来ても津波が来ても

★妻と来ず他所の女と来し人はいづこの誰であるか応へよ

★口惜しきことは数々ありぬれどこれも悔しきことの一つで

OSAKA光のルネッサンスに行ってきました

2018-12-22 21:00:10 | ブログ記事

昨日の今日なので、どうしようかと思ったけれど、行かないと後悔するかもと思って
行ってきました。

しかも、中之島のそれだけを見てくるのはもったいないので、昼過ぎに家を出て、
住吉大社にも行ってきました。

住吉大社のほうは、あとでアップしますね。

中之島の「光のルネッサンスの」ほうは、
午後4時半から中之島公会堂の前に座って、タペストリーが点灯されるのを待ちました。


午後4時半は、まだ明るかったので、
待っている間に、いただいたパンフレットの撮影をしました。

パンフレットの表紙です。


裏表紙に関西の交通網が描かれてありました。


午後5時になって、音楽とともにタペストリーの点灯が始まりました。


神戸のルミナリエなどと違って、次々光の模様が変わっていきます。



幻想的でした。


光がデザインされているんですね。


↓これが一番最後のシーンでした。


その後、バラ園のほうに歩いていって、振り返って撮影しました。


ここからは元の道に戻れないので、土佐堀川の川べりを歩きました。

ウォーターフロントなので、光がきれいですね。春は桜のきれいな大阪名所です。

大阪市役所の前に来て、市庁舎のイルミネーションファサードを写しました。


↓市庁舎横の土佐堀川沿いの中之島イルミネーションストリートです。


色が変わったところで、もう一枚。


梅田に向かう御堂筋の木々も電飾されています。


さらに梅田のほうへ歩を進めました。


まだ明るい時間帯に写したパンフレットの中の「光の饗宴2018会場」の地図です。


下の写真の左半分は、キタこと、梅田周辺の電飾の説明で、
右半分はミナミこと難波周辺の電飾の説明です。


きれいだったけど、おばあさんが一人で行って楽しいところでもないですね。

若い恋人同士で来るのが一番のお祭りと言えるかもしれません。

その後、お初天神通りをぶらぶら歩きながら阪急梅田駅まで歩いたのですが、
あんなところを夜歩いたのは初めてでした。

昼でも歩いたのは、一度か二度くらいです。

今までは、箱入り奥さんだったのに、最近は大胆になりました。

*

★デパートに行くくらいなりし箱入りでありし私も一人で歩く

★昼間でも一人で歩いたことあまりなきお初天神通りを夜に

★未亡人こんな気持ちで生きゐるや見ても傍には語る人なし

★感激をしても語れずひつそりと一人見るのみ未亡人は

★今日ひとり土佐堀川の岸辺にて大阪ひかりの饗宴を見き

★饗宴の光ひからす川面なり土佐堀川といふ大阪の

智頭宿

2018-12-22 06:09:38 | ブログ記事
鳥取砂丘を見た後、
鳥取県の智頭町という宿場町に行きました。


こちらは添乗員さんにいただいた智頭町の地図です。↓
 

智頭町では、この町の中心だった石谷家の住宅見学をしました。


私は昔の住宅を見るのが大好きなので、わくわくしながら石谷家の門をくぐりました。


説明を(難聴の私は聞こえないけれども)聞きながらなので、
お部屋の写真は撮影できませんでしたが、
お庭だけは撮影しました。

後ろの山を借景にした見事なお庭でした。


いただいたパンフレットを撮影しましたので、この屋敷の広さがおわかりいただけると思います。


その後、粟倉というところの道の駅?「アワクランド」というところで、
お野菜や果物が安かったので、
私はいっぱい買い込んでしまって、ツアーの皆さんに心配されてしまいました。

そのため、バスの中では、少しでも荷物を減らすために、
買ったミカンを皆さんにお配りしたりして食べていただきました。

このツアーにはお土産に、新巻きザケ、松葉ガニ、イクラ、アワビなどがついていて、
それらが入った発砲スチロールの箱も持ち帰らなければいけなかったので、
川西能勢口駅の近くにバスが着いてから、一応キャリーケースはもってきていましたが、
自宅まで帰るのが大変でした。←バカな私!

帰宅してから、お土産にもらってきた新巻きザケとか松葉ガニとかの大物?を、
すでに満杯状態の冷凍庫に入れるのにも悪戦苦闘しました。

ツアーの内容も吟味してから参加せんかい、私!

でも、お正月用の野菜も果物もお魚も、これでそろったから、それだけはよかったかな?

今回のツアーは、内容からすると、すごくお得なツアーだったと思います。

ツアーの予定では川西には午後8時くらいに帰着ということだったので、
私は帰りのバスの中での夕食にしようと往きのバスの中でお弁当を注文してありましたが、
思ったより早く帰着できたので、帰宅してからいただきました。

↓これが、とても美味でした。


川西では雨が降っていましたが、道中は好天で、気持ちのよいバスツアーの一日でした。

今日はツアーで鳥取に行きました

2018-12-21 22:05:57 | ブログ記事

家に一人でいて鬱になるよりはと、今日もツアーに参加しました。

私は晴れ女のようで、天気予報では今日は雨とか言っていたのに、ピーカンの青空でした。

まず最初は、とうふちくわのお店。

今日は試しに、スマホに魚眼レンズというものを装着して写してみています。

私は、お金を崩す必要があったから、この店で豆腐ステーキを買いました。

熱々を買ったのですが、家に持ち帰ったころは冷めているでしょうね。

その次に行ったのが白兎神社。

逆光で上手く写りません。

白兎神社の社叢の説明を書いた立て札を撮影。


歌碑があったから撮影しましたが、これも逆光で上手く写すことができませんでした。


歌碑の歌は下の写真のようなものだったようです。↓


御手洗池というのがあって、昔はここらあたり一帯が内海池だったそうです。


いよいよ白兎神社の社殿です。


拝殿です。


拝殿の裏側に本殿があるのですが、
この本殿の基礎に使われた石には28弁の菊の紋章模様が彫刻されてあるそうです。

そのため、皇室との関係があったものと言われているそうです。


このあと、神社のほうから美しい白兎海岸を写したのですが、消えてしまったようです。

明るくて気持ちのよい神社でした。これもお天気がよかったからでしょうね。

この神社に来られただけでも、今回のツアー参加はよかったと思えました。

その後、ツアーの一番の楽しみのお昼ごはん。

少な目かなと思ったけれど、食べ終わると満腹でした。
鰤と甘えびと烏賊のお刺身がおいしかったし、お鍋に入っていた蟹団子も!

せっかくだから、昼食後、鳥取砂丘にも行きました。


(続く)

伊東文歌集『逆光の鳥』

2018-12-20 21:24:51 | ブログ記事


タイトルにした『逆光の鳥』という歌集を贈っていただいたのは今夏であった。

が、母を亡くした今年は、なかなか他人様の歌集を読ませていただく気が起こらなくて、
ずっと食卓の横においたままにしてあった。

が、年末が近づき、いただいた歌集の感想もお伝えさせていただかなければと、
やっとこのたび読ませていただいた。

伊東さんの歌の上手さはインターネット歌会で、すでに存じ上げていたが、
この歌集で改めて、それを確認させていただいた。

一つ一つの歌の上手さもさることながら、構成も優れた歌集だと思った。

風景を詠うのもお上手だが、
その風景の間におかれた生活の歌歌が的確で、しかも優しい視線の歌であることには感心した。

それから、お住まいが奈良という土地柄のせいか、
出てくる地名に魅力的なものが多いのも、この歌集の特徴だと思った。

それだけでも優れた歌集であるが、

その上、

この歌集には広島ご出身の伊東さんのご家族の、あるいはご親戚の方々の被爆という
歴史的な記録となるべき歌群が収録されていることは特筆すべきことだろう。

それらの歌群が、この歌集の価値を飛躍的に高めていると思った。

しかも、この歌集は、それらの事実を声高に詠うのではなく、
風景の歌、生活の歌と同様に、ごく静かに詠われているのである。

これらの特殊な歌群も静かに詠われることによって、
広島原爆の悲惨を読者の心に刻印することに成功していると思った。

もし声高に詠えば、
人々に声は聞こえても、人々の心の襞にまで届かないことを作者は知っているのであろう。

その一連は「エノラ・ゲイの腹」に収められているので、
この章はすべての歌をご紹介させていただいたほうがいいと思うので、そうさせていただく。

エノラ・ゲイの腹

八月の朝(あした)、少女は井戸端に立ちて仰ぎぬエノラ・ゲイの腹を

銀色のおほき機体は濃き影を曳きて牛田の山を越えきし
母の実家は爆心地より3キロ北東の、牛田山の麓にあった。

ただ一機飛来したりき家よりも大きな影が少女を覆ふ

見上げゐし瞳にきらきら光りつつ落ち来る物の美しく映りき

B29去りてふたたび洗濯をせんと屈みし直後なりしと

背後からの閃光と熱風に突つ伏して数分間をぢつと怺えて

朝光の射しくる井戸辺に屈みゐし少女は背中に火傷を負ひき

「熱い板でパシッと背(せな)をしばかれた」痕の残れる背中小さし

その朝に初潮むかへし十五歳、下着を濯ぎゐて助かりき

「ずる休みしたんよ」と母はうつむきぬ工場へ向かひし友ら死にけり



それら以外の心に残った歌も引かせていただく。が、ついつい多くなりすぎたかもしれない。

〇墓石に刻まれてある命日は被爆の日より秋が多かりき

原爆は夏に落とされたが、即死でない人たちは秋まで命永らえて亡くなられた。
そのことを淡々と詠われているが、しかし現実は厳しい状況であったことが想像できるだけに
ハッとさせられる。

〇吾の知らぬ伯父伯母のあり原爆で死にし二人の写真もあらず

伯父さん伯母さんという比較的近い身内の人の写真の一枚も残されていないと詠われている。
その事実を突きつけられて、私たちも原爆に遭った人たちの過酷を思わざるを得ない。

〇夏ノ夜ノ地面ガ青ウ燃エルンヨ。何万ノ屍体ノ燐ガ熔ケトルケンネ

カタカナで表記されたのは、お母様の言葉だからだろうか?
方言でこう語られたお母様の言葉がカタカナ表記されたことによって呪文のように聞こえる。


〇身のうちへあかるき影の入りきたり黄葉の木に午后の陽さして

黄葉の季節だから晩秋の歌だとわかる。
陽射しを明るく感じたのは、晩秋の傾いた陽のせいだったのだろう。
明るいけれども、寂しい晩秋の光。作者の心の中の寂しさも照らし出されたような。

〇コントラバス女人のやうに抱きかかへ夫は出かける日曜ごとに

この歌はインターネット歌会に出された歌のように記憶している。
お連れ合いはコントラバスを奏でる趣味をお持ちのようだ。
コントラバスは大きな楽器だ。
それを持ち出すときの様子は女性を抱いているようだと比喩したのが面白い。
実際、日曜日ごとに高価なコントラバスを運ぶときの気持ちは大事な女人を抱くようなそれかも。
その妻である作者には、その楽器に対して多少の妬みもあるのかもしれないとまで思わせられた。

〇四楽章レチタティーヴォをくりかへし弾きゐる人を下から呼べり

この歌も上の歌のように、楽器に、音楽に魅入られている夫に対して、妻である作者は、
多少の妬みのようなものも持ちつつ詠んでいるように読み取るのは深読み過ぎるだろうか?

〇湯にうかぶ長き髪の毛掬ひをりいつまでかうして一つの家族

お風呂に入ると、先に入浴を済ませたお嬢さんの髪の毛が浮かんでいた。
その髪の毛から、お嬢さんのこれからのことに思いをいたし、
「娘が結婚して家を出れば、この現在の家族の形も無くなってしまう」
と身を分けた母親であるがゆえに感傷的になってしまったのである。

〇金輪際死に直すことはできぬゆゑぢやあぐらゐ言つてから死ね、弟よ

いったい何を詠われているのかと思いながら読み始めて、
結句で、やっと弟さんが亡くなったことを詠っているとわかった。
歳の離れた弟さんに先立たれたことは、作者にとって悲しみ以上のものがあるのだろう。
その気持ちを亡くなった人に対して怒ったような調子にして詠われている。

〇とびつきりの笑顔の写真が選ばれて永久(とは)に笑ひつづける弟

弟さんの遺影を詠われているが、よくある遺影の常として笑顔の写真が選ばれているのだろう。
が、姉の作者は、このとびっきりの笑顔を見ると、より切なくなる。
本当は年齢的にも、当然、生きて笑っていないといけない弟だから。

〇てんころろてんてんころろ梅の実の落ちてはづめり 娘は嫁ぎゆき

娘の結婚は慶事ではあるが、しかし、見方によれば、娘のいなくなる寂しさも。
その様を「てんころろてんてんころろ」という擬態語で表している。
調子よく詠っているが、最後は梅の実は落ちるのである。
落ちて一回だけ弾んで、これでお仕舞い。

〇「めつちやおつきい津波きた」と言ひし児に「どこの国へ」と吾は訊きにき

東北大震災のときの歌であろう。
中学校の先生であった作者は授業中であったため、そのことを知らず、
「大きな津波がきた」という生徒の声に対して、あとから思い出せば、間抜けた答えを返したと思ったのだろう。
児という字を使っているから、あるいは、その後、塾か何かで教えておられた小学生であるかもしれないが。
よくわかる歌だ。私などもニュースを見るまでは同様の状況であったから。
関西在住の者達には、あんなとてつもなく大きな地震がこの国に来たなどと思えなかった。

〇首ほそき子の喉仏の大きこと遅き帰宅の卓に向き合ふ

息子さんのことを詠われたのだろう。
首と喉仏の描写のみに徹して息子さんの姿を活写している。
作者にこういうふうに見えたことが、読者に息子さんは少し疲れているのかもとさえ思わせる。

〇夜の橋渉ればわれは包まれてそのまま霧と家まで帰る

巧みな歌である。
川に架かった橋には霧が立ち込めていたのだろう。その霧に包まれて作者は家まで帰るのである。

〇通らねば道は消えゆく葛の上を古人(いにしへびと)のごとく歩きぬ

この歌の前に置かれた歌によって、この山の斜面の道は、
谷に橋が架けられてからは歩く必要がなくなりそうなことが暗示されている。
そうなのだ。山道というものは人が通らなくなったら、元の藪に戻ってしまうのだ。
作者は、今、その山道を昔の人のように歩いている。

〇祖母の手より暗き川面へ放すとき灯篭はちひさく身震ひをせり

原爆で亡くなられた伯父さん、伯母さんの名の書かれた灯篭を
その母である作者のお祖母さんが流すとき、
灯篭は身震いしたように作者には見えた。
伯父さん、伯母さんが身震いしたようにも・・・。

〇流されて揺りもどされて満ち潮の皮もにたゆたふ灯篭あまた

川に流された灯篭は満ち潮のため、すぐに流されていくことなく、揺蕩っている。
それが作者の目には、
若く亡くなった伯父さん、伯母さんが、他の灯篭と一緒に、
死を受け入れきれずに躊躇っているようにも見えているのかもしれない。

〇点滴台にドレーン・ユニット固定され老化を盾のごとく押しゆく

これは大手術を受けたことのある者でないと読み取れない歌かもしれないが、
その通りなのである。
こういう歌材も詠える作者に敬服する。
私など二度も命に係わる手術を受けたのに、こういうふうに詠うことなど思いつかなかった。

〇高鳴きのごとく鋭きことばあり書きうつす間に翔びたつ 鳥よ

これは抽象的な歌だと思う。句集を読んでいる連作が続いているから俳句の一句に何か鋭く訴える言葉を見つけたのだろう。が、書き写している間に、その鋭さが消えてしまった。

〇二上山にしづむ夕日をゆびさしてあちらへ帰りますと降りたり

この歌も確かインターネット歌会に出詠された歌だったと記憶するが、
いま読み返しても魅力的な歌だ。
ご自宅が二上山のふもとにでもあるのだろうが、夕日を指さすから、
ひょっとしたら二上山にある異界に帰るのかもとも読めてしまう。

〇新生児の微笑のやうな光湧きて向かひの尾根に満月のぞく

「新生児の微笑のやうな」という比喩が秀逸である。
満月が出るときの明るさは夜の闇の中だから目立つが実際は儚い光である。
それを新生児の、あるかあらぬかわからぬ微笑にたとえた比喩はお見事である。
この歌集には、作者がその娘さんの出産を手伝う場面の歌もあったが、
そのときの新生児、つまりお孫さんの笑みに何か似たものを感得してできた歌なのだろう。

〇籾殻を焼く白煙のたちこめて烟のなかに動く人影

絵画的な歌である。私には、なぜかミレーの「晩鐘」の絵が浮かんだ。
また「けむり」に烟という漢字をあてる作者のセンスも光っている。

〇<克己心>と書かれし色紙いできたり初ばあさんの撥ね勇ましき

この歌もインターネット歌会に出された歌である。
初ばあさんの書かれた、たぶん筆文字の、字の勢いのうかがえる歌である。

以上、まだまだありますが、ここらあたりで終わりにさせていただきたいと思います。

なお、

この歌集名『逆光の鳥』は、歌集中の

〇囀りのふりくる空の高みには羽搏きつづける逆光の鳥

からとられたよし。

「あとがき」には、

「私はいつもこんな風に、歌を詠んでいるのかもしれないと、歌集を編んでいく内に
思うようになりました。本当の雲雀の姿を捉えたと思って歌を詠むのだけれど、それ
は逆光の鳥影にすぎないのかも知れないと。でも、曇り日の逆光だからこそ、見えた
姿なのです。
 いつも、そのものの核心に触れたいと思って歌を詠むのですが、後で読み返すとそ
れは釘穴だったり、隅に転がる欠片だったりするのです。何故か、そういうものに心
惹かれます。」


と書かれてあった。



少子高齢化対策

2018-12-20 13:47:37 | ブログ記事
一番手っ取り早いのは、
少し過激な言い方をすれば、われわれ年寄りがさっさと死ぬことである。

無駄な延命措置は即刻やめるべきだ。

それから元気な老人は、やはり働けるうちは働くことだ。

外国からの移民受け入れはしてはならない。

人口が減れば減ったように国を変えていけばよい。

生活を昔に戻すのだ。

今なら、まだ昭和の貧しかった時代の人たちが生き残っている。

その人たちの知恵を拝借して、昔の生活を取り戻すのだ。

日本を昔の農業国に戻してもいいではないか。

もちろん先端技術は、それはそれで発展させればよいが、
皆が皆、そういうものに携われるほどの知能を有しているわけではない。

そういう能力のない者、あるいは、そういう類の仕事の好きでない者達は、
躊躇わずに、昔の農業に戻ったらどうだろう。

幸い少子高齢化で田畑だった土地は余っている。

その田畑を耕せばよい。

そうすれば、少なくとも生きている人たちが飢え死にすることはない。

もともと日本人は菜食が主であった。

島国である日本は海に囲まれているから、魚は調達できる。

そうして自給自足すればよい。

高貴な(?)日本人は体臭の濃くなる肉食はほどほどにしたほうがよい。

人口減で田舎がますます過疎化して水道問題が発生するのなら、昔の井戸に戻せばよい。

急にはできないかもしれないが、だんだん昔に戻せばよい、と私は思う。

昔に戻して、田舎の神社にも活気を取り戻させる。日本はもともと神の国なのだから。

しかし国防は必須だ。周囲にこの国の領土を狙っている国々がある限りは。

子供を増やせ増やせと言っても、そんなものは神様の領域なのだから無理な相談だ。

少子化も、底を打てば、また戻ってくると私は思っている。

兄も母も心不全で亡くなった、だからたぶん私も

2018-12-20 09:15:25 | ブログ記事
兄は67歳で、母は92歳で
心不全で亡くなった。二人ともお風呂上りに・・・。

既に心臓の悪い私は常に心拍数が高い。だから、私もたぶんそうなるだろう。

今でも少し動くと動悸が激しい。

だから、つい家の中でじっとしてしまう。そしてブログを?(笑)

家族ではないが、母方の従弟も心不全というか心筋梗塞で亡くなった。

従弟は、まだ52歳の若さだった。

従弟の場合は山中で亡くなったから応急措置が受けられなかった。

まだ若かった従弟は、その年、三人の子が、それぞれ、
長女は大学の建築科を卒業と同時に医学部を受け直して入学、
大学在学中だった次女はその春から外国に留学、長男も他県の国立大学入学で、
その荷物づくりは全部従弟がしたと義理叔母が言っていた。

その上、町内会長もしていた。

だから、疲れがたまっていたのだろう。

医師をしていた従弟は「医者の不養生」の典型だった。

それなのに、歴史探索のため、深い山に入っていた。

家にいたのだったら、もしかしたら助かったかもしれなかったのに・・・。

が、これが運命というものだったのだろう。

私の兄は、すでに透析を受けたりしていたから、早晩亡くなる病態だった。

母も心房細動の状態だったから、これも仕方なかった。

が、52歳で亡くなった従弟は、今でも残念に思う。

*

★親族に急逝する者おおかりき心不全とふ不意の一撃

★わづかでも動けば動悸はげしかりわれも死ぬらむ心(しん)の不全で

★苦しまず死にたきわれは死に神に祈る一気に彼の世に逝くを


夕方書いた記事は一旦取り下げました

2018-12-18 21:07:48 | ブログ記事
もうすでにタイトルが出ていたから読みに来てくださった方もいたようでしたが、
タイトルと内容が噛み合わない記事になったので、いったん取り下げました。

また書き直してアップしなおすかもしれませんが、そういうことで。

私はひらめいたらすぐに書き起こすのですが、
書いているうちに文章が支離滅裂になってしまうこともあります。

書きたいことが多すぎてそうなるのかもしれませんが、
よくないことですね。

ということで、読みに来てくださった皆さん、どうも申し訳ありませんでした。m(_)m

死刑制度について再び

2018-12-18 07:58:59 | ブログ記事
さきほどブロ友さんのブログを読みに行くと、
私の一昨日の記事「たとえ凶悪犯であろうとも死刑には賛成できない」に対する記事と思しき記事が
書かれてあった。

その記事もさることながら、
その記事についたコメントに考えさせられた。

そのコメントは、(殺人かどうはは不明だが)被害者の親族と思われる人の書かれたもので、

「反対者の意見は机上の空論でしかありません
反吐がでる思いです」


とあった。

私は衝撃を受けた。

一応、先日の記事でも、
「被害者のご家族の気持ちからすれば死刑にしてほしいかもしれないが」と断ったが、

このコメントをされた方は、

私のあの記事を読まれただけで反吐が出そうになられたかもしれない。

私は、死刑は形を変えた殺人だから反対という立場で書いたが、
被害者のご家族の方からすれば、許せない発言であったかもしれない。

が、そのことは申し訳なく思いながらも、
しかし、やはり私には、死刑という制度を宜うことができない。

ブロ友さんも、その被害者のご家族の方も、
死刑制度が無くなれば殺人は増えるという考え方であられるが、

私は、これはそうしてみないとわからないとしか言いようがない。

実際、増えるかもしれない。

そのとき責任をとれと言われても私はとることができない。

が、私の現在のスタンスとしては、
人が人を殺すことは、どんな場合も認めがたいということだけを書いておきたいと思う。

絶対そうしなければいけないとまでは、私は言うことはできない。

が、あの記事を書くことで、
多少でも、世間一般の人達に死刑制度に関心を寄せてほしいとは願った。

日立製作所はイギリス原発開発を止めてはいけないの?

2018-12-18 01:15:45 | ブログ記事
いまネットのニュースで、
日立製作所が官民一体で請け負っていた原発開発が暗礁に乗り上げているって?

これ、取りやめたらいけないことですか?

いまさら原発って、と素人の私などは思うのですが、
請け負った以上遂行する義務があるのでしょうか?

原発のような危ないものを外国に輸出することはないと、
これも素人だから言えることかもしれないけど?

私には、この際、撤退したほうがいいと思えます。

それにしても、これからの日本は何を売り物にしていけばいいんでしょうね。

IT関係も諸外国に遅れをとっていると聞くし・・・。

勤勉が取りえだった日本には、何が残されているでしょうね。

バブルのころは、ジャパン・アズ・ナンバーワンなどと持てはやされていた、
あの日本は、どこへ行ったのでしょう?

いや、あんなバブル、泡沫は繰り返してくれなくてもいいけれど、
これからの日本の若い人たちが希望が持てる国ではあってほしいと思います。

日立って言ったら技術の日本を代表する会社であったと思うだけに、
原発みたいな危ない仕事をしないで、もっと全うな仕事をしていただきたいと思います。

あまりにも寂しい私のイルミネーション?笑

2018-12-17 18:25:30 | ブログ記事
だけど、一人暮らしのお婆さんが、
賑やかなイルミネーション飾っていたら、返って変でしょ?

以前は、まだLEDの、もっと派手なのを飾っていたのですが、
昨年からはソーラーシステムの電気代の不要なものに変えました。

電気代は大したことないと思うけど、でも、要らないほうがベターでしょ?

ということで、ごらんください。

夫と私の自転車に載せてあるだけです。(笑)



わびしいけど、今の私の様子にも合っている?(苦笑)

それだけじゃ何だから、
昨日、鼓が滝のイオンタウンの百均で材料を買ってきて作ったクリスマスリースも。(笑)



*

★お婆さん独り暮らしの家かざるイルミネーションお婆さん風?

★地味なれど近所の人には喜ばれわれも喜ぶイルミネーション

★クリスマスリースもついでに作りしをドアに飾りてメリークリスマス

★サンタさん来てくださればプレゼントさしあげませうクリスマスイブ

★お疲れの髭のサンタクロースさん一口ウィスキーなどいかが

★一休みしてがんばつてくださいね髭のサンタクロース老人

★プレゼント配り終えたらクリスマスイブには癒しの温泉あんま


クリスマスツリーに思う

2018-12-17 09:50:43 | ブログ記事
私はハロウィンには拒否感が強いが、
子供の頃から慣れ親しんでいるクリスマスには拒否感はなく、
むしろ親しみを覚える。

なぜかというと、夜の長い時期の癒しみたいに思えるから。

これが緯度の高い、日本などよりもっとずっと夜の長い国の人たちにはもっとだろう。

クリスマスにクリスマスツリーを飾るのは
凍てついた時期に、緑を求めて針葉樹の緑を飾りたくなるのだろうし、
凍てついた時期にこそ輝きを増す星々を、そのツリーに飾るのだろう。

その気持ちはわかりすぎるくらいわかる。

だから私も子供たちが幼かったころはクリスマスツリーを飾ったし、
現在も玄関にはささやかなものを飾り付けている。

自分のためでもあるし、近所の、我が家の前を通る人達のために。

寒い冬は、外でおしゃべりをすることもなくなるので、
せめてお勤めに行く行き帰りには目を休めてほしいと思う。

そのささやかな飾りは、今夜にでもアップするかもしれない。

外にイルミネーションを飾るのはキリストのいう博愛に通じるところもあるかもしれない。

*

★博愛といふほど大きなものでなく儚く輝くわがイルミネーション

★空の★まねて地上に輝かす電飾の★わが自転車に

★玄関に昨日百均ショップにて買ひこし金色かざりクリスマス

★雨の日は殊にきれいに輝きて悲しきわれの目を慰める

★願はくば凶悪犯の犯人も癒されイエスキリストの夜を


たとえ凶悪犯であろうとも死刑には賛成できない

2018-12-17 04:49:41 | ブログ記事

被害者のご家族の気持ちからすれば死刑にしてほしいかもしれないが、
私はたとえ凶悪犯であろうとも死刑にするのは賛成できない。

それじゃどうすればいいかと聞かれても難しいが、
死刑は、また形を変えた殺人だからだ。

願わくば、殺さず生かす道は開かれないか。

私は殺人を犯した人には犯した人の理由があると思う。

子供の頃から不遇だったとか、そういう遺伝子をもって生まれてきたとか。

だから人を殺していいというわけではないが、

私はいつも親鸞の悪人正機説を思う。

これは本当は親鸞が唱えたのではないという人もいるが、一応親鸞が唱えたとして、
その中で言われている

「“悪人”こそが阿弥陀仏の本願(他力本願)による救済の主正の根機である」

を思う。

私がなぜこんなことを書き始めたかというと、たまたま見たサイトで、
米国で死刑囚を薬殺しようとすると、
薬が効かなくて死刑囚はのたうち回って苦しんでから死んだというくだりを読んだからだ。

この殺人犯は
十代の女性をレイプし、
その一緒にいたやはり十代だった女性を銃撃して生き埋めにしたという凶悪犯であったが、
そんな凶悪犯であったとしても、私は死刑は宜い難い。

私は、私たちは、善人面して生きているが、どれだけ善人であるかは怪しいところだ。

生きた人は殺さないが、生きた動物を殺して、おいしいおいしいと食べている。

直接手を下していなくても、肉を食べるということはそういうことだと思う。

私は食べてはいけないと言っているわけではない。

が、善人面をすることはやめたいと言っているだけである。

この凶悪犯は人を殺したから死刑に処せられる。

が、魚介類の踊り食いなどするわれわれには、
基本的に、この凶悪犯を死刑にする権限は与えられてはいない。

と神様は思われるであろう。

神様は人間を生み出すが、その人間が他の人間を殺していいとは言われていないと思う。

たとえ殺人犯であっても・・・。

それじゃ、こういう凶悪犯はどうすればいいか。

それを私たちは考えなければならないと思う。

それが、私たちが神様から与えられた課題ではないかと思う。

ただ死刑にして殺してしまって解決では決してないと思う。

*

それにしても、この世には心臓を停止させる薬なんてものがあるんですね。

死刑に使うのでなかったら、ほかにどんな使い道があるのかしら?

能勢電で鼓が滝駅まで・・・ダイエー&イオン

2018-12-16 18:51:20 | ブログ記事

鬱のようだ。

家に一人でいると、わけもなく涙が出てくる。

それで今朝、夫が大阪に還ってから、
お風呂に入って気分を変えて、少しお出かけすることにした。

行先は、ごく最近できたらしいイオンタウン。

私の家の最寄り駅の川西能勢口は能勢電の始発駅でもある。

ふだんは梅田行きか神戸行きばかりだが、
その能勢電に乗って鼓が滝というところにできたらしいイオンタウンに行くことにした。

川西能勢口駅で切符を買う前に路線図を撮影した。

が、写りが悪くてよく見えない。

路線図の上部の黄色の部分が能勢電の路線ということだけお分かりいただけたら、
その根元の部分が川西能勢口駅である。

まず川西能勢口駅のホーム。


次は、絹延橋駅。
これは、昔、池田に中国から織姫が来て織ったものを染めて洗った名残の名称だと思う。


その次が滝山駅。

これは西行の歌にちなんだ駅名と思う。

西行の歌というのは

音に聞く鼓ヶ滝をうち見れば川辺に咲きしたんぽぽの花[2](白百合の花)

「たんぽぽの花」と「白百合の花」と2説あるようである。

次の駅が「鶯の森」、その次が今日行こうとしているイオンのある「鼓が滝」駅。

写真を写しそびれたが、「鼓が滝」駅で降りて、イオンへ。



この場所は、昔、道路を隔てた向かい側にあった「ダイエー」の駐車場だったところだ。

イオンの中を一渡り見学してから、道路の向かい側のダイエーを撮影した。


ダイエーは閉店したようだ。

私は、新しくできて賑わっている場所より、こうした寂しい場所のほうに惹かれる。

道路を渡ってダイエーまで行った。

やっぱり思った通り、閉店したお知らせが貼ってある。

昔は、このダイエーが賑わって、この辺りは渋滞が激しかった。

新しくできたイオンのあったところ全部が駐車場だったくらいたくさんの車だった。

こういうところを目の当たりにすると、栄華盛衰という言葉が浮かぶ。

中内功氏のダイエーも、かつてはあれほど栄えていたのに・・・。

ダイエーの店名自体が大栄だったと記憶している。

中内さんも草創期はよかったが、年取ってからは時代を見る目が狂ってきたのだろう。

最後は株主総会でも糞みそに言われたとか聞いている。

一度は栄耀栄華の渦中の人であっただけに哀れであった。

そんなことを思いながら、ダイエーの裏の銀橋を渡って猪名川を撮影した。


猪名川も、ここらあたりは流れが狭隘になっていて、独特の景観だ。

向こうに見える鉄橋のあたりに西行の鼓が滝があったと言われている。

*

★栄えれば滅ぶが此の世の定めにて中内功のダイエー閉店

★新しくできたイオンの店舗より心惹かれるダイエーの店

★渋滞を招きてをりしダイエーの店がこんなになるとは誰も

★猪名川で子らを遊ばせその帰途に寄りしダイエー栄えてゐたり

★あのころはわれも夫も若かりきお金なくても喧嘩もせずに

★子供らを育てることに心血を注ぎしわれとあのころの夫

★年取りてこんな喧嘩をするやうになるとは夢にも思はざりけり

★猪名川の多田のあたりで一日を一家で楽しく過ごしたことも

★上の子が小学生で下の子が幼稚園児でありしあのころ

★末の子はまだをらざりしあのころの一家四人の写し絵のこる

★ダイエーでラーメン定食食べたこと炭水化物ばかりのメニュー

★あのころはお金がなくて安ければ何でもよかつた夫婦でありき

★われと子を此の世で一番大切に思ひてくれしあのころの夫

★義母義妹きびしくあれど夫さへゐればよかつたあのころのわれ

★このごろの夫われより他の女おもひてをるやわれを忘れて

★同窓の女性はたまた社会人講座で知り合ふ未亡人たち

★夫ゐぬ女ら化粧して若く見せてデートに誘ふや否や

★騙される者が悪いか化粧して騙す女が悪いか知らず

★ダイエーがつぶれてイオンできるごとわれは忘られ家に籠れる

★テレビにも出てゐし美人同級生来れば同窓会は華やぎ

★今もなほ美人のままでゐる人はかつてテレビで司会してゐき

★七十を四つ過ぎても妖艶な人がマドンナ同窓会の

★労はりをいただけなくば家にゐるばかりの妻は老けるばかりで

★家にゐて家族ささへてこしことを誇りに今も思ひ家妻

★外に出る妻にあらねば化粧せず服も買はざりかつても今も