かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

大阪光の饗宴を見に行く前に住吉大社へ

2018-12-23 04:23:04 | ブログ記事

その前の日にツアーで鳥取に行った私は疲れていたが、
大阪のイルミネーションをクリスマス前に見るには今日しかないと思い出かけた。

イルミネーションだけなら夕方からでもよかったのであるが、
せっかくだから、ずっと行きそびれていた住吉大社にも、この際参ってこようと思った。

大阪市内に30年以上も住んでいたのに、この大社に参ってなかったのは、
機会に恵まれなかったからである。

それがずっと気がかりになっていた。

本当は夫と一緒に来たかったが、夫は、一昨年、別の人と一緒に来たらしく、
また続けてくることは期待できないので、私は独りで来た。

と前置きが長くなったが、南海電車の住吉大社駅を降りて3分くらい歩くと神域に。

突き当たったところを右に曲がると、鳥居があった。

さすがに鳥居も大きい。結婚式があったようで、それらしき一団が歩いてきた。



鳥居をくぐって少し歩くと有名な太鼓橋が。

この橋を渡らせてもらうのが、長年の私の夢だった。

さっそく渡らせていただく。

渡り終えたところに船の形をした歌碑があった。

撮影はしたが、歌は読めない。

また調べて分かったら、後で記事に書き足すようにする。

このあとも境内を撮影させてもらおうとしたが、
どういうわけかスマホのカメラが撮影不能に陥ってしまった。

私は、神様が、これ以上写すなと言われたと受け取った。

それで、帰宅してから、いただいてきたパンフレットを撮影した。

このパンフレットの絵で境内の大まかな配置がお分かりいただけるかと。


こちらは住吉大社の由緒の書かれた冊子を撮影させていただいた。


読み取ることは難しいと思うが、住吉大社の由緒が詳しく書かれてあるので追加撮影した。


この冊子の裏側には大社の名所旧跡の紹介もあったから撮影。


住吉大社で参拝を済ませた私は、
南海電車で難波まで戻り、その後、難波から淀屋橋まで、歩けたら歩こうと思っていたが、
昨日の今日なので腰が痛くて歩けそうにない。

それで、地下鉄で淀屋橋まで行った。

あとは、この下の記事に書いた通りである。

*

★あこがれてをりし大社に今日きたり雨の上がりし師走の昼の

★ほんたうは夫と来たく思ひしが夫は別の人と来たらし

★あれほども一緒に行かうと言ひをりし妻の私と来ずに夫は

★わたくしは和歌の神様住吉の大明神に祈りてきたり

★柿本人麻呂住吉大明神玉津島神社姫君

★三人が和歌の神様和歌は今あまり詠はれなくなりしかど

★のぼさんの短歌革新運動が必ず正しきものとも思(も)はず

★伝統の和歌の流れを汲むゆゑに短歌する吾(あ)も住吉様に

★大社より向かうは昔海だつたゆゑにビル群砂上楼閣

★東南海地震がくれば砂の上(へ)のビルは倒壊するかもしれず

★人間の営み砂上の楼閣で津波がくれば潰(つい)えてしまふ

★残されるものは歌のみ歌のみが石碑に残り後世(のち)の人よむ

★住吉の浜に建ちたるビル群は砂の上なる楼閣ならむ

★楼閣は潰えるものと知るべけれ地震が来ても津波が来ても

★妻と来ず他所の女と来し人はいづこの誰であるか応へよ

★口惜しきことは数々ありぬれどこれも悔しきことの一つで