神子屋教育🇯🇵(かみこやきょういく)

我が家流/みみかとママの「おうち」教育

愉快な認知症

2007年05月19日 | 愉快な認知症
金曜日、みみかの学校では遠足でした。
木曜日の朝、遠足の参加意志をみみかに確認すると、彼女は明日の遠足にも「教室」にも行かないと言い、「ジジのそばにいる、ジジのところへ行く」と言って、その日のうちに急遽実家へ行くことになりました。

仕事中の母に電話をかけ実家行きを伝えると、「そう、実は今朝お父さんが出かける出かけると言ってきかなかったの・・」「どこに行きたいのかは分からなかったんだけど・・」と言います。
またもや、みみかと父の連動を感じたママでした。
父の不安や寂しさを、物理的な距離は離れていてもみみかには感じ取れるのでしょう。

現在、認知症の父はお金の価値もよく分からなくなり計算も出来なくなって、一人で電車に乗ることが出来ません。
だから、みみかのいるこちらに来たいと思っても、一人ではままならない状態なのです。
一人で電車に乗ることがかろうじて出来ていた頃も、違う路線の電車に乗ってしまい引き返したり、切符をどこへやったのか分からなくなったりで、家を出発してかなりの時間が経ってからようやくこちらに到着したり、私たちが以前住んでいた駅に降りてしまって、そこから歩いて来たために全く違う方向からこちらに辿り着いたり、最寄の駅員さんには連日ご心配をいろいろとお掛けしたりで、父にとって一人で電車に乗るという行動自体が、かなりプレッシャーとなり不安やストレスを感じることになっていたようでした。

今は、母や私たちが一緒に動けるときにしか、父は買物するためのお店に行ったり遠出することが出来ません。
そんな父にとってのお出かけは何よりの喜びのようで、外出すると父はニコニコ笑顔になります。
それに、大好きな母と一緒だということが、父には一番ご機嫌なことなのです。

結局私たちは一泊して、金曜日の母の仕事終わりをみみかと父と私との3人で待ち、みんな揃ったところで我が家へ行くことにしました。
我が家の方が、実家よりも周囲に自然がたくさんあり、父の好きな庭いじりも思う存分出来るからです。
実家から持ち帰る荷物がたくさんあったので、キャスタ-付きのかばんに荷物をパンパンに詰め込み、それ以外のものもリュックや手提げかばんに分けて、さあみんなで出発です。

父にとって荷物運びなどの力仕事は、唯一自分に出来る自慢の仕事なので、こういった場面では必ず張り切る父の姿があります。
スーパーからの買物の帰りなども、全部自分が持とうとします。
その日は、背中にリュックを背負い、キャスター付きのかばんの上にかばんを更にもう一つ載せ、ゴロゴロ音を立てながら地面を突き進む父がいました。
傘を背中に背負えば『裸の大将』のようです。(父の体型はとってもスリムですが・・)

途中で母が「一足先にパン屋さんに寄って買物を済ませてくる」と言い、早足でお店に向かって行きました。
すると、【ガーッ!ゴロゴロゴロゴロゴロゴロッ!】と、けたたましく地面を鳴らす音が辺りに響きます。
父が慌てて母の歩調に合わせ、キャスター付きのかばんを引きずって行くのが見えます。
そのわずか前に、けたたましいその音を背中に聞きながら、『プーっ!』と笑いをこらえる母の姿も見えました。
振り返った母は、父に一言二言語りかけ、また先を急ぎ始めました。
すると、また、【ガーッ!ゴロゴロゴロゴロゴロゴロッ!】と、父はキャスター付きかばんを音を立てながら引きずり、必死に母の後を付いて行こうとします。
その様子を後方で見ていた私とみみかは、『プーっ!』と吹き出してしまいました。

父のところへ追いつき、私とみみかが説明して父を母とは違う方向へと促しました。
すると、キャスター付きのかばんの音はさっきとは打って変わり、【ゴロ・・ゴロ・・ゴロ・・】とおとなしい響きになり、まるで父の『ショボン心』を表現しているかのようでした。
これにも私とみみかは顔を見合わせ、再度『プーっ!』と大笑いしたのでした。
とぼとぼ歩きながら立ち止まっては振り返り、父は何度も母の姿を探します。
やがて、私たちの方へやって来る母の姿が見えた父は、嬉しそうに「来た来た!」と言って足を止め母を待ちます。
その顔は本当に嬉しそうで、母を待つ純粋無垢な子供のようでした。

≪私たち家族は、“今”の父の姿をそのまま彼の個性として受け止め、光明思考・光明姿勢で接しています。≫