その場所は、誰もが知ってて誰もが知らない。
だけど、本当は誰もが行ける場所。
虹色アーチをくぐるには、疲れたり苦しんだりする道を通ってこなきゃいけないと、多くの人は思ってる。
そのうえ、やっとそこに辿り着いても、ふつうの人たちは引き返してしまうかも知れない。
何故なら、ふつうの世界には見えないから、入るのをためらってしまうかも・・・。
光り輝く木々や草花に囲まれたこの世界には、
原始人にお釈迦様、猫の親子と会話をしている人間や、長椅子に座った見猿聞か猿言わ猿たち。
刀を振り回してるひげを生やした乱暴そうな男。
不思議の国からやって来たアリスに、変てこな壺がお気に入りの変てこな人。
それに、ポパイやオリーブなどなど。
ここは、ありとあらゆる全てのものたちが入り乱れる世界。
いろんな人種、さまざまな種類の動物たち、全ての意志が通じ合える世界。
ケンカをしても、それはお互いを理解し合った上での‘ケンカごっこ’。
さまざまな生き方・考え方を、聞けて取り入れられて分かち合える世界。
落ち着いていて、不安は何もない。
穏やかというだけではなく、ワクワク出来るとても楽しい世界。
それでも、とうとうためらいを捨て、虹色アーチをくぐった者は、ひとつのことを試される。
アーチをくぐったすぐそこに、水鳥の浮く池がある。
池の中の水は、いろんな色に輝くビー玉色。
金色・銀色・赤・青・白・黄・ピンク色・・・。
池のはしには、釣り糸を垂らした笠をかぶった怖そうな人がいる。
(何か言われそう!)
反対側のはしには、寝そべって知らんぷりしたカッパがいる。
(ぶっ気味ぃ~!)
そしてそこには、池の向こうに渡るための橋がない。
(一体みんなはどうやって渡ったのだろう?)
戸惑う者に、どこからか声がする。
≪踏み出しなさい≫
「池の上は歩けない」という思いも捨て、そのまま一歩を踏み出してみる。
池の中のビー玉の色は、輝く魂の色。
魂の色は、そのままの自分。
ビー玉の池は、踏み出す勇気さえ持っていれば、ふつうに歩けるのです。
≪何もいりません、そのままのあなたでいいのです≫
ビー玉の池を渡るあなたの輝きに、笠をかぶった釣り人も、知らんぷりしていたカッパも、祝福の微笑みを贈っています!
~ 来てくれてありがとう、あなたの存在に感謝します! ~
以前の私は、虹色アーチをくぐり抜けたこの世界を、ただ遠くから見つめ、
そして時には中の住人に見つからないよう、近くからそっと眺めているだけでした。
入りたいけどちょっと怖い・・・。
でも、やっぱり入ってみたい!
だけど、どうやって入ったらいいのかが分からない・・・。
入り方の分からない私は、「きっとこんな私ではだめなんだ」そう思っていたのでした。
しかし、「そのまま、ありのままの私でいいんだ」と、自分自身を赦し受け入れたとき、私は虹色アーチをくぐり抜け、今ここに存在(いま)した。
過去も未来も現在も、『全ては今ここにある』。
■まだ心理学やスピリチュアルなど全く浸透していなかった頃、「箱庭」を体験した。
そこにあった、いろいろな子供のおもちゃのような人形や雑貨を使って、思うままに「箱庭」を作った。
自分の内面に隠れているものが、そこには現し出されるという・・・。
今でこそ、「画像に撮って保存」なんて事が当たり前だけど、当時はまだそんな時代じゃ無かった。
「箱庭」を作ったその日に、私は大まかな内容の文章と「お絵描き」に、その様子を残した。

そして、「箱庭」を作った数年後、上記の文章を書いた。
あの時、「箱庭」に現し出した世界を、私は実際に今歩んでいる。
全ては神の御心のままに。
だけど、本当は誰もが行ける場所。
虹色アーチをくぐるには、疲れたり苦しんだりする道を通ってこなきゃいけないと、多くの人は思ってる。
そのうえ、やっとそこに辿り着いても、ふつうの人たちは引き返してしまうかも知れない。
何故なら、ふつうの世界には見えないから、入るのをためらってしまうかも・・・。
光り輝く木々や草花に囲まれたこの世界には、
原始人にお釈迦様、猫の親子と会話をしている人間や、長椅子に座った見猿聞か猿言わ猿たち。
刀を振り回してるひげを生やした乱暴そうな男。
不思議の国からやって来たアリスに、変てこな壺がお気に入りの変てこな人。
それに、ポパイやオリーブなどなど。
ここは、ありとあらゆる全てのものたちが入り乱れる世界。
いろんな人種、さまざまな種類の動物たち、全ての意志が通じ合える世界。
ケンカをしても、それはお互いを理解し合った上での‘ケンカごっこ’。
さまざまな生き方・考え方を、聞けて取り入れられて分かち合える世界。
落ち着いていて、不安は何もない。
穏やかというだけではなく、ワクワク出来るとても楽しい世界。
それでも、とうとうためらいを捨て、虹色アーチをくぐった者は、ひとつのことを試される。
アーチをくぐったすぐそこに、水鳥の浮く池がある。
池の中の水は、いろんな色に輝くビー玉色。
金色・銀色・赤・青・白・黄・ピンク色・・・。
池のはしには、釣り糸を垂らした笠をかぶった怖そうな人がいる。
(何か言われそう!)
反対側のはしには、寝そべって知らんぷりしたカッパがいる。
(ぶっ気味ぃ~!)
そしてそこには、池の向こうに渡るための橋がない。
(一体みんなはどうやって渡ったのだろう?)
戸惑う者に、どこからか声がする。
≪踏み出しなさい≫
「池の上は歩けない」という思いも捨て、そのまま一歩を踏み出してみる。
池の中のビー玉の色は、輝く魂の色。
魂の色は、そのままの自分。
ビー玉の池は、踏み出す勇気さえ持っていれば、ふつうに歩けるのです。
≪何もいりません、そのままのあなたでいいのです≫
ビー玉の池を渡るあなたの輝きに、笠をかぶった釣り人も、知らんぷりしていたカッパも、祝福の微笑みを贈っています!
~ 来てくれてありがとう、あなたの存在に感謝します! ~
以前の私は、虹色アーチをくぐり抜けたこの世界を、ただ遠くから見つめ、
そして時には中の住人に見つからないよう、近くからそっと眺めているだけでした。
入りたいけどちょっと怖い・・・。
でも、やっぱり入ってみたい!
だけど、どうやって入ったらいいのかが分からない・・・。
入り方の分からない私は、「きっとこんな私ではだめなんだ」そう思っていたのでした。
しかし、「そのまま、ありのままの私でいいんだ」と、自分自身を赦し受け入れたとき、私は虹色アーチをくぐり抜け、今ここに存在(いま)した。
過去も未来も現在も、『全ては今ここにある』。
■まだ心理学やスピリチュアルなど全く浸透していなかった頃、「箱庭」を体験した。
そこにあった、いろいろな子供のおもちゃのような人形や雑貨を使って、思うままに「箱庭」を作った。
自分の内面に隠れているものが、そこには現し出されるという・・・。
今でこそ、「画像に撮って保存」なんて事が当たり前だけど、当時はまだそんな時代じゃ無かった。
「箱庭」を作ったその日に、私は大まかな内容の文章と「お絵描き」に、その様子を残した。

そして、「箱庭」を作った数年後、上記の文章を書いた。
あの時、「箱庭」に現し出した世界を、私は実際に今歩んでいる。
全ては神の御心のままに。