神子屋教育🇯🇵(かみこやきょういく)

我が家流/みみかとママの「おうち」教育

愉快な認知症/関係性を超えて

2007年05月20日 | 愉快な認知症
父の認知症に対する、私の原点の文章です。

父の症状がポツリポツリと出だしたのが、かれこれ10年ほど前・・。
思い返すと、あの頃の私には変わっていく父を受け入れることが難しかった。
昔の父じゃない・・!
昔の父はあんなでこんなで・・と、頭の中で昔の父と比較しては悲しくて切なくて辛かった。
昔の父ではない、今ある現実の父の症状が出るたび、悲しくなって一人泣いていることが多かった。
この先父はどうなってしまうのだろう?と、不安にかられることがよくあった。
心動揺するあの頃の私は、変わっていく父に対して優しく接するということが出来ずにいた。
自分の意志でそうなってしまうことを選んでいるわけではない父の行動を、咎めたり責めたりする自分自身を最後にはいつも責めていた・・。

何故もっと優しく出来ないのだろう?
何故もっと愛を持って接してあげられないのだろう?
どうして、私は父の表面的な部分しか見ることが出来ないのだろう?
私には本質的なものを見る力がない・・・。
誰に対しても、どこにいても、何があっても、奥底の本物を見ていたい!
だって、それしかないのだから!!
『私が変わらなきゃ!』
そう、自問自答する毎日だった。  

その頃、私は夢をみた。
同じ年代の男性たちからいろんなことを言われいじめられて、上手く言葉が出なくて言い返せず、泣きながら母に助けを求めていく父の姿の夢だった。
本当に本当に悲しかった・・夢を見ながら私は泣いていた。
夢の中の父は子供のように無防備で、でも入れ歯をガクガクさせたすごく年寄りで、とても弱々しく泣きじゃくっているだけだった。
でも、この夢をみた日から、私は変わっていく父を必死に受け入れようとしてきた気がする。
夢の中のような父が、いつか本当に私の目の前に現れたとしても、夢の中のような悲しい気持ちには絶対なりたくなかった。
【生きているだけで価値がある!】そのままありのままの父を愛したかった、受け入れたかった。

ある時、テレビで痴呆症(当時の呼び方)・アルツハイマーの症状のある外人女性の番組を見た。
その女性はまだ若かったが、日に日にいろんなことを『忘れて』いった。
最初は些細なことだったが、それは段々とひどくなり、料理の手順、野菜の切り方、今日は何曜日なのか、昨日は何をしたのか、さっき何をしたのか、次は何をしなければいけないのか・・・、ついに彼女は一人では何も生活出来なくなってしまった。
幸いなことに、彼女のそばには温かく彼女を見守る夫がおり、そして自分の気持ちを人に伝えるという彼女の機能だけは、他の機能に比べて低下していかなかった。
だから、彼女は痴呆症・アルツハイマーの症状を持つ立場から、周りの人たちにどのように接してもらいたいのか、どのように考えてもらいたいかを知ってもらいたいと、自分自身の言葉を通して語っていた。

● 症状を問題行動と捉えず、それに見合った適応行動に変えていってあげること。
● 【生活】することを重視し、病気という観念に焦点を合わさない。
● 本人の負担(不安)を軽減してあげることを心がける。
こんな感じだったと思うが、私には大いに役に立った。

普通からすればおかしいと見える父の行動を見ても、「それはおかしい」と言わないよう心がけられたし、父が取った行動をそのまま生かすことを試みようと思えた。
要は、彼のその時の個性として、そのままを否定しない・拒否しないことが大事だと思った。
こちらが「おかしい」と言えば本人は不安になる、自分はおかしいのか・・・と。
それに、注意して咎めて責め立てて治るものでは決してないし、本人は良かれと思ってやっていることが多く、それ以外の意図的意志はないのだから・・。

番組を見終わると、私を変える大きな気付きが浮かんできた。
【死を迎えるその時に、自分を思いやり愛してくれている温かい存在が、自分のそばに自分の目の前にいてくれる。そう感じることが出来たなら、彼は/彼女は救われ旅立てる。
妻である、夫である、娘である、息子であるという関係性を超え、一人の人間として私は彼に対して存在すればいい】

やっと分かったことがあった。
私が父を受け入れられなかった恐れの正体。
私が父に優しく接することの出来なかった不安の正体。
それは、父が私を「自分の娘」だと分からなくなってしまうのではないだろうか、そんな恐れと不安だったのだ。

父の症状を目にするたび、この先いつか私のことが分からなくなってしまうのではないか・・、そんな父を私はちゃんと受け入れることが出来るだろうか・・。
あんなにシャキシャキしていたあの父が私のことさえ分からなくなってしまう、そんな父を前に私は娘としてどうやって接すればいいのだろう・・・と。

有り難いことにこの気付きのお陰で、私はそんな恐れや不安からすっかり解放されていた。
たとえ、父が私を「自分の娘」だと認識出来なくなっていたとしても、その最期において、私は娘としてではなく一人の人間として、父を愛せばいいのだと分かったから。
父、娘という関係性を超えて、彼という『存在』に対して私という『存在』が、ただただ『愛しています』『ありがとう』、そう心から伝えればいいのだと思えたから。
結局は、私がどんな態度でいられるのか、どんな姿勢で臨めるのか、ただそれだけのことだった。

≪私たち家族は、“今”の父の姿をそのまま彼の個性として受け止め、光明思考・光明姿勢で接しています。≫