子どもの頃、暇で暇で仕方がなかった。遊んで遊んでまだ遊んでも埋め尽くせない時間が余っていた。大人はどうしてそんなに忙しいんだとうらやましく思っていたことを今でも思い出す。余った時間をどうすればいいんだと、ぼーっと家の暗い天井を見上げながらボールを天井に当たるか当たらないかのぎりぎりに向かって投げては掴みまた投げていた。子どもこそが哲学者だ。
実は大人も大した事はしていない。忙しくしているだけでそれが有意義かどうかは別問題だ。
ずっとこうしていたいと思いながら、明日のため体調のためにと家路につくテイタラクではありますが、今年も打ち上がった電光石火の茅ヶ崎花火と俺たちの歌、ありがとうK君と愉快な仲間。
実は大人も大した事はしていない。忙しくしているだけでそれが有意義かどうかは別問題だ。
ずっとこうしていたいと思いながら、明日のため体調のためにと家路につくテイタラクではありますが、今年も打ち上がった電光石火の茅ヶ崎花火と俺たちの歌、ありがとうK君と愉快な仲間。