群馬県水上温泉にフィールドサーベイに出かけた。基礎調査のお手伝いであったが、あまりに天気のいい日が続き、3日目はついつい谷川岳に足が向かってしまった。
『神々の山巓』を読んだばかりだという事もあって、一目間近から拝みたかった。もちろん調査の合間なので身なりも不十分なまま、ロープウェイとリフトで上がっただけ、それでも山々の紅葉と標高1500mの天神平からのパノラマを存分に楽しんだ。
谷川岳は複雑な地形と天候で、クライマーのメッカとして数多くの岩壁も有名である。建築家吉阪隆正にとって谷川岳は人生の道標であったらしい。しかし新緑の頃のマチガ沢からしか登っていないことに触れ,私は谷川を知っているとはいえないと言っている。深田久弥は「日本百名山」の中で、戦後谷川岳には行かなくなったと書いている。数百の人が列をなして登り、パトロールが徘徊していると聞いただけで気がくじけるのだと。
私はと言えば、天神平からロープウェイ乗り場までの標高差200mを、岩肌に足を滑らせながら下っただけで、情けないくらい膝は笑っていた。
[かめ設計室]HP
『神々の山巓』を読んだばかりだという事もあって、一目間近から拝みたかった。もちろん調査の合間なので身なりも不十分なまま、ロープウェイとリフトで上がっただけ、それでも山々の紅葉と標高1500mの天神平からのパノラマを存分に楽しんだ。
谷川岳は複雑な地形と天候で、クライマーのメッカとして数多くの岩壁も有名である。建築家吉阪隆正にとって谷川岳は人生の道標であったらしい。しかし新緑の頃のマチガ沢からしか登っていないことに触れ,私は谷川を知っているとはいえないと言っている。深田久弥は「日本百名山」の中で、戦後谷川岳には行かなくなったと書いている。数百の人が列をなして登り、パトロールが徘徊していると聞いただけで気がくじけるのだと。
私はと言えば、天神平からロープウェイ乗り場までの標高差200mを、岩肌に足を滑らせながら下っただけで、情けないくらい膝は笑っていた。
[かめ設計室]HP