コメントしづらい記事ばかり、これまでに200以上書いた。もう飽きたとも言えるし、何も書いていない気もする。読者を想定せずに、懲りずに書いておきたいことがある。空間に恋してシリーズ、3夜連続ではじまり。
1夜
「フィールドを持つ」。計画者にとってこれは重要だ。
この思いは、吉阪隆正を中心とした(吉阪研究室、産専、U研究室他)伊豆大島での活動を知ってからだ。「ユートピアの不可能性を自覚しながら理想の存在を忘れない人たちがいる」というスーザン・ソンタグの言葉の通りかあるいは、大島で描かれた計画はユートピアだったかもしれないとさへ思う。
昭和40年1月の大火から始まる大島復興計画のことである。1月11日午後11時10分、煙草の不始末から広がった火災で元町中心地はほぼ焼失した。(参照:東京都大島町公式サイト【大島小史】)翌日に吉阪を中心に一気に描き上げられた元町復興計画の青図は、そのまま現地へ持ち込むこととなった。まだ食料さえ満足いかない状況のその火中へと。
三日おくれの 便りをのせて
船が行く行く 波浮港
いくら好きでも あなたは遠い
波の彼方へ いったきり
あんこ便りは あんこ便りは
あ・・・・あ 片便り
(1964年 都はるみ)
1夜
「フィールドを持つ」。計画者にとってこれは重要だ。
この思いは、吉阪隆正を中心とした(吉阪研究室、産専、U研究室他)伊豆大島での活動を知ってからだ。「ユートピアの不可能性を自覚しながら理想の存在を忘れない人たちがいる」というスーザン・ソンタグの言葉の通りかあるいは、大島で描かれた計画はユートピアだったかもしれないとさへ思う。
昭和40年1月の大火から始まる大島復興計画のことである。1月11日午後11時10分、煙草の不始末から広がった火災で元町中心地はほぼ焼失した。(参照:東京都大島町公式サイト【大島小史】)翌日に吉阪を中心に一気に描き上げられた元町復興計画の青図は、そのまま現地へ持ち込むこととなった。まだ食料さえ満足いかない状況のその火中へと。
三日おくれの 便りをのせて
船が行く行く 波浮港
いくら好きでも あなたは遠い
波の彼方へ いったきり
あんこ便りは あんこ便りは
あ・・・・あ 片便り
(1964年 都はるみ)
コメントしずらくはないけれど、コメントではすまない長さになりそうだったから 笑
猫額堂さんは近くに住んでいたので時折行ってましたし、泯さんの音楽やってたのですれ違っているかもしれません。
泯さんの音楽ということで、近年行ったパンフを改めて見直しました。「ひとさらい」「家族からからか」の音楽も担当されていたのですね。なかでも「ひとさらい」の音楽と舞台はとても印象深く残っています。よかったな~。そのまま打ち上げも参加したような記憶も残っています・・・
樋口さんにもインドネシアではすっかり遊んでもらって、なつかしい。
かめの皆さん、ぜひいつかお会いして色々話してみたいです。