よりみち文化財

ちょっと寄り道して出会える、遺跡や石仏、史跡や鹿児島の田の神さぁを紹介

海の天主堂

2007年05月31日 | 建築
熊本県 天草市 河浦町崎津  崎津天主堂

ここを訪れたときはちょうど、佐賀まで遠乗りの途中だった。
鹿児島から天草を走って佐賀まで辿り着く、自転車の旅。
潮風のなか、港町の屋根が集まる上のほうに天主堂の尖塔が見えたとき、やや重くなっていたペダルに再び力がはいった。

港町に天主堂が建つ風景は、少し不思議にも思える。
崎津では、明治時代以来ここに天主堂があったが、いまの天主堂は昭和9年(1934年)ハルブ神父によって3度目の改築として建てられた。
鉄川与助氏の設計による鉄筋コンクリート製ゴシック様式の建築。建物の後ろ半分は木造である。
ここにキリスト教が伝えられたのは1569年、外科医でもあったポルトガル人宣教師ルイス・デ・アルメイダ神父(1525-84)による。アルメイダ神父は、豊後府内(今の大分市)に病院を開き、医師を育てたことで有名だが、その後は各地で布教活動を行い、この天草で世を去った。その後、キリスト教徒は幕府による厳しい弾圧を受けたそうであるが、今ここにこの建物をみると、当時の人々の思いの強さが伝わってくるようである。
それほど、蒼い空を背景にした天主堂は映え、尖塔の十字架は高くそびえて見えた。

「海の天主堂」と呼ばれるこの崎津天主堂およびその周辺は、環境省による「にほんのかおり風景100選」(平成13年)に選ばれているそうである。



松下田の田の神さぁ

2007年05月30日 | 田の神さぁ
鹿児島県入来町松下田

山間に拓けた田圃が見える場所におられる田の神さぁ(タノカンサァ)。
像高は61㎝とわりあい小さいが、彩色が施され、造形に動きがある。
右手にメシゲ(飯をつぐための杓子)を持っているのが印象的だが、服装をよく見ると股引姿である。股引はむかし、農作業などによく使われたもので、裾のところを膝下で絞れるようになったズボンのようなものである。
今までよく見かけた田の神さぁは、袴姿だった。
服装の違いは造立年代の違いによるものとされる。銘には元文2年(1737年)の造立とあるから、袴姿が多かった田の神さぁに加え、この頃には股引姿の田の神さぁが現れるようである。




室園神社の肥前鳥居

2007年05月29日 | 鳥居
佐賀県唐津市厳木町大字厳木 室園神社

佐賀から唐津に向かう国道203号線沿い、JR厳木駅近くの室園神社に古い鳥居がある。
室園神社は、天正2年の創建で、この近くにあった獅子ヶ城の城主が、城の鬼門の祭神としてここに蔵王権現を祀ったことに始まる。(獅子ヶ城からみて、この神社がある方角は鬼門にあたる。)
この神社には鳥居が2つあり、二の鳥居に「天正十八年庚寅十一月吉日」「願主 鶴田上総介源賢」の銘が刻まれている。
天正18年(西暦1590年)といえば、豊臣秀吉が文禄・慶長の役の本陣として肥前に名護屋城の築城を始める直前になる。400年以上こうしてここにあるらしく、
佐賀県内にある鳥居としては最も古いもののひとつと言われる。
高さ2.38m、笠木の長さは2.74mで、柱の太さのわりに貫までそれほど高くはない。くぐる際には思わず姿勢を低くしてしまう。それだけに、造立から経た時間の長さを感じさせる。

肥前鳥居は、佐賀県内に広く分布するこの地方に独特な形の鳥居で、
・笠木と一体になった島木、貫はそれぞれ3つの石の組み合わせになっている。
・3本継ぎの柱は、下部が次第に太くなる。
・笠木(及び島木)の両端ががゆるやかな曲線を描いて反り上がる。
等の特徴がある。




求名(ぐみょう)の田の神さぁ

2007年05月28日 | 田の神さぁ
鹿児島県薩摩郡さつま町

ワラヅト
田の神さぁにたすきがけに掛けられている藁の束は、「ワラヅト」と呼ばれるものである。像はもちろん石造であるが、この「ワラヅト」は本物の藁で丁寧に作られている。
「ワラヅト」は、「シキ」や「メシゲ」と同じく、田の神さぁの持ち物としては非常に例が多い。それもそのはずで、中に入っているのは種籾である。
田圃で稲の成長を見守る田の神さぁは、冬(オフシーズン?)には山に入り、山の神になると言われる。
ワラヅトに種籾をしまい、次の季節まで大切に抱えているのだろうか。

なぜ山に入るのだろう?
山には、強い生命力を与える力があるようにも思える。

国道267号沿い。大口市からさつま町にはいってすぐ、峠を下ったところの、求名におられる。




須杭の田の神さぁ

2007年05月26日 | 田の神さぁ
須杭の田の神
鹿児島県薩摩郡 さつま町

国道267号線の南側に沿って広がる、広大な水田を見渡す少し高台になった場所におられる。ここは須杭、あるいは二渡というところらしい。
この田の神さぁのそばに立って水田を眺めると、田の神さぁが豊穣の神様であるということが改めてよくわかる。
像高約142㎝。像を彫り出してある石は凝灰岩で、先端が尖った形をしており(写真)、仏像によくみられる舟形光背を表現していると思われる。袴や上衣など衣装の彫刻は非常に残りがよく、左手に持っているのは扇子のようである。向かって右側に「安永五歳十月吉日」という銘文がはっきりと読める。(安永5年=西暦1776年





漆の田の神さぁ

2007年05月20日 | 田の神さぁ
鹿児島県蒲生町 漆下

山間部に広がる水田沿いの道端におられる田の神さぁ。
像高約108cmと、腰をかがめているにもかかわらず、どっしりとして大きな像で遠くからでもすぐにわかる。この重量感は豊作の年の豊かな実りを感じさせる。
シキをかぶり、袴を着けて右手にはメシゲを持っていることから、田の神舞(たのかんめ)を映した姿であるらしい。タスキをかけて膝を立てた姿は、正面からみると今にも踊りだしてきそうな雰囲気である。

像立の記念に建てたと思われる石碑が向かって右側にあり、梵字「キリーク」と「享保三天奉御田神講寄進戊戌十二月」という銘が刻まれている。
享保3年は西暦1718年にあたり、田の神像としては最も古いもののひとつということになる。
梵字「キリーク」は本来阿弥陀如来を表すもので、必ずしも田の神さぁを表すものではないが信仰の対象として仏像に対するのと同じ意識があったのだろうか。

いま、この田の神さぁが立っておられる場所は道沿いの川にかかる橋のたもとであるが、広大な水田を眺めるような高台に立つ姿も見てみたくなるような存在感がある。

県指定文化財(1968年3月29日指定)


中福良の田の神さぁ

2007年05月15日 | 田の神さぁ
「中福良の田の神さぁ」
姶良町、中福良の八幡神社境内に立つ、田の神さぁです。
一般的に、田の神さぁ(たのかんさぁ)は、広がる水田が良く見えるような位置に立つことが多いようです。
そのほかには山林、公民館、家の庭先など。そのほか、もともと水田地帯に立っておられたのが、周辺の開発によって環境が変わったりしたものもあります。それぞれ、なぜそこにおられるのか?というと、実は理由があるようです。それについては今後このブログで紹介していきたいと思いますが・・・。

神社の境内に立つ田の神さぁは、ある集落のまとまりがそれをひとつの単位として一体の田の神さぁをお祭りしている。一つの集落がその田の神さぁを共同の信仰の対象とし、同じく信仰の対象であり公共の場でもある神社にお祭りしている。ということになると思います。
田の神さぁは、ほとんどが集落ごとに祭られます。
江戸時代の建立であると思いますが、銘がなく時代は特定できません。

田の神さぁの紹介が続きましたが、このブログでは田の神さぁ以外にも、
「ちょっと寄り道して楽しめる文化財」「それほど知られていなくて、大掛かりでもないけれど、はるかむかしの人々のことを懸命に伝え続ける存在としての文化財」
を紹介していきたいと思います。
それに、ちょっと自分の趣味なども・・・。


塚崎の田の神さぁ

2007年05月14日 | 田の神さぁ
鹿児島県肝属郡肝付町塚崎

国指定史跡塚崎古墳群を訪れた際、近くに田の神さぁがあると聞いたので立ち寄った。
僧侶の姿を映した僧形立像である。シキをかぶって右手にメシゲを持ち、左手には宝珠と思われるものを持つ。写真には写っていないが、二個ならべた米俵の上に立っておられる。
男性像であるが、女性像のようにも見える。田の神さぁは男性の場合も女性の場合も、またその両方、ふたり並んでいるのもある。たいてい穏やかな笑顔なので、表情からは男性か女性かわからないものが多いが、たいていは男性像のようである。
田の神舞の姿を映したものがやはり大半だが、田の神舞を演じるのは男性の役割なのだろうか。女性のみで演じられる田の神舞もあるが、やはり珍しいものらしい。男性像ではほかに神職や田の神舞を舞う姿、坐像といろいろある。女性像に見える場合はこれのように穏やかな表情の立像が多い。信仰の対象としての女性像はやはり観音様のイメージが強い。田の神さぁの笑顔はまた、仏像の表情の穏やかさに似ている。
さらに近くに「野崎の田の神さぁ」があるが、非常によく似ていてどちらも同じ人物による作と思われる。
像の前の花生けには延享三年(西暦1746年)とあり、江戸時代の作である。

塚崎古墳群資料館前から県道539号を東に200mほど進むと、「塚崎の大楠」方面に向かう細い道路がある。
「塚崎の大楠」を左手に、さらにその道を南へ向かうと池があり、その池の堤防の東端に田の神さあがおられる。






田の神さぁ 加治木町日木山

2007年05月12日 | 田の神さぁ
鹿児島県姶良郡加治木町、日木山の「田の神さぁ」(田の神さん)。

九州道加治木ICから高速道路に入る前に立ち寄りました。
田の神さんは鹿児島と宮崎の主に水田近辺に見られる、豊作を願って建てられた石像で、「たのかんさぁ」と呼ばれます。この田の神さぁを祭るお祭りの際に踊るのが「田の神舞」と呼ばれる舞(踊り)ですが、この田の神さぁはその「舞」を舞っている姿を映したものと言われます。
江戸時代の建立で、当時田の神さぁの眼の前に広がっていたであろう水田も、周辺の開発で少なくなってしまったようですが、ずっと笑顔で立っておられます。
表情や仕草の表現はリアルで、「今年はこれまでになく豊作の年で、思わず笑みがこぼれてしようがない」といったような、喜びにあふれています。
「田の神さぁ」といえばまずこの笑顔を思い出すのは私だけでしょうか?
石仏や石像を巡り歩いていると、たしかに心和むような笑顔によく出会いますが、ここまでうれしそうな表情をされると、こちらも思わず微笑んでしまいます。
右手に持っているのは飯をつぐ「メシゲ」と呼ばれる、しゃもじのようなものです。
現地の案内板によると、江戸時代・天保年間(西暦1830~1843年)の建立で、現地の石工、名島喜六の作だそうです。
加治木産二瀬戸石(ふたせといし)製
像高:約85cm
精矛神社(日木山神社)の参道を鳥居の手前で道なりに西へ向かい、徒歩7.8分。高速道路をくぐって北へ向かうとすぐ。








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