鹿児島市直木町山方
谷に沿って田圃が広がる山間部の道路脇に、田の神さぁが居られます。
最初は、おそらく庚申塔か何かだろうと思ったのですが、正面に回ってみたところ田の神さぁでした。
四角い石とは限りませんが、石碑のように建てた石材に田の神さぁの像を刻むのはここから西、川内のあたりでよく見かけます。またときには2体並んでおられることもあります
寛政4年(1792年)壬子 三月吉日の銘が刻まれています。
シキをかぶり、メシゲと、左手には非常に大きな椀を持っておられます。
注連縄はもともと、掛けられていたものでしょうか。
お酒がありますが、「白波」です。
田の神さぁを尋ねて歩くと、榊や花、お供え物が絶えず置かれていることに驚きますが、お酒はやはり焼酎がほとんどでした。
表情は残念ながらはっきりとは分かりませんが微笑んでいるのでしょう、孤を描いた眉が却って、にこやかな笑顔を想像させます。
台座となっている石には宝暦(1751~61年)の元号があります。田の神さぁより30年以上も前のものということになりますので、本来一組のものではないようです。
別に使われていたものを田の神さぁためにここに持ってきたのでしょうか。台座に銘を刻むのは、墓石や石碑よりも石仏によく見られます。
それとも、田の神さぁは近隣の村を豊作にするために、数年間ほど出かけることがあると言いますので、別の田の神さぁのものなのでしょうか?
直木町山方の田の神さぁが眺める田畑の景色です。
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谷に沿って田圃が広がる山間部の道路脇に、田の神さぁが居られます。
最初は、おそらく庚申塔か何かだろうと思ったのですが、正面に回ってみたところ田の神さぁでした。
四角い石とは限りませんが、石碑のように建てた石材に田の神さぁの像を刻むのはここから西、川内のあたりでよく見かけます。またときには2体並んでおられることもあります
寛政4年(1792年)壬子 三月吉日の銘が刻まれています。
シキをかぶり、メシゲと、左手には非常に大きな椀を持っておられます。
注連縄はもともと、掛けられていたものでしょうか。
お酒がありますが、「白波」です。
田の神さぁを尋ねて歩くと、榊や花、お供え物が絶えず置かれていることに驚きますが、お酒はやはり焼酎がほとんどでした。
表情は残念ながらはっきりとは分かりませんが微笑んでいるのでしょう、孤を描いた眉が却って、にこやかな笑顔を想像させます。
台座となっている石には宝暦(1751~61年)の元号があります。田の神さぁより30年以上も前のものということになりますので、本来一組のものではないようです。
別に使われていたものを田の神さぁためにここに持ってきたのでしょうか。台座に銘を刻むのは、墓石や石碑よりも石仏によく見られます。
それとも、田の神さぁは近隣の村を豊作にするために、数年間ほど出かけることがあると言いますので、別の田の神さぁのものなのでしょうか?
直木町山方の田の神さぁが眺める田畑の景色です。
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山方の田の神さあはたしか、山あいに開けた水田が広がる風景を見渡すところに居られた記憶があります。
私も今は和歌山におりますので、田の神さあの居られる水田風景は懐かしく思います。