旅僧型(僧形型)の田の神さあであることは、同型の像とされる中組の田の神さあから想像できます。
廃仏毀釈の影響もあったのでしょうか。長い年月のうちに、かなり損傷を受けてはいます。
現状では高さ74センチそうですが、頭部を復元すると1メートル近くになるものと思われます。
鹿児島で田の神さあのところを訪れたときに、すぐに気がつくのは供えられた花でしょうか。榊であったり、お酒が置かれていることもありますが、どこでも、いつも綺麗な花があります。このときも、そばには何体かの石仏さんがおられましたが、やはりどれにもお供えがありました。関西に移住してからも、やはり石仏さんを探して歩くこともありますが、そういったところは少し寂しい気がします。
背後には「御田神宝永乙酉2年十月~日」(~は判読できず)の銘文があり、この宝永2年(1705年)の銘が、最も古い田の神さあのひとつである根拠となっています。
現地の案内版によると、「刻銘のあるものでは県内で最も古いもの」とありますが、最近、紫尾田の田の神さあの造立年が正保元年(1644年)であることが明 らかとなったそうで、鹿児島県内で2番目ということになります。(私は紫尾田の田の神さあの銘文を実見してはいませんが、そうすると紫尾の田の神さあより 一気に60年ばかりさかのぼるものとなりますので、もう少し周辺の歴史的環境の裏付けがあればよいという気もします。)
同型の中組の田の神さあは宝永8年(1711年)の造立ですので、この頃、このあたりでは地蔵様の姿を田の神さあとしてイメージし、信仰されていたものと思われます。
県内で数多く造立されている田の神さあとして、文字通り田の神舞の様子を映した田の神舞姿の田の神さあがあげられますが、旅僧型(僧形型)の田の神さあはむしろこれとは逆に、もともと当時の人々が各々でイメージしていた田の神さあの姿を、それまで知られていた仏像等の姿にして表現した、ということになるでしょうか。
この紫尾の田の神さあは県道のすぐ脇に何体かの石像と並んで祀られていおり、案内板もあるので、見つけやすいと思います。
鹿児島県さつま町紫尾