和歌山県 和歌山市 西浜
今日は午後1時半から、現在和歌山県埋蔵文化財センターが調査中の「水軒堤防」について現地説明会があると聞いたので、ちょっと出かけてみることにしました。
「水軒堤防」というのは、和歌山市の海岸近くに延々とある防波堤で、江戸時代に築かれたものだそうです。和歌浦の北にある養翠園(国指定名勝)からずっと北に向かって石堤が1キロメートルほども続いています。
Google地図でこの「水軒堤防」のある場所を探してみると、写真では南北に細く森林のラインが見えるので、堤防らしきものがあるのが分かります。
時代や目的はまったく違うものですが、福岡県にある「水城」がこういった雰囲気でした。
現地説明会の参加者は60人ほどでしょうか、かなり多くの方が来られていました。
堤防の裏側、海に対する面とは反対側から見た様子です。
奥に見えるのが石堤、手前の左側にある土盛りが土堤の一部です。
このように石堤と、土堤の2つが並んでいますが、現地での説明によると、この二つの堤のうち、どちらが先に築かれたものであるのか、それとも同時に築かれたものであるのかは、文献など詳しい資料が無いため、不明であるとこのことです。
この2つで1セットの「水軒堤防」なのか、どちらかが既に有ったところへ、もうひとつ新しく作ったのか、というのは非常に気になるところです。
土堤はほとんどが砂を積み上げて築かれたものであることが、断面から分かります。ちょっと石堤との接点あたりを見てみると、土や砂が層をなしているのが見えますが、それらの層が水平に石の際まで続いていますから、少なくとも順番としては、石堤のほうが先に築かれたように見えます。
当時、石堤が築かれて後に、悪天候や津波などの災害による決壊でもあったのでしょうか。土堤は石堤の補強として築かれたもののようにも感じられます。
そうすると、土堤のほうが若干高くなっているのは、石堤だけでは心もとないという心境からのようにも思えてきますが、実際はどうなのでしょうか。
足元の石に、石を切り出した際の「矢痕」がありました(写真の中央から少し上にある、逆台形の窪み部分)。石に矢(楔状の工具)を打ち込んで切り出した痕跡です。
石堤のほとんどを覆う石の種類は砂岩で、和泉砂岩であるということでした。
一番上の写真は海に対するほうの面を撮影したもので、その砂岩の切石が綺麗に詰まれています。
石堤はこの下にまだ1mほど埋まっているそうで、この場所での全高は4mほどになるとのことでした。
石堤は全て石積みではなく、礫交じりの砂に積んだ上を石で覆う構造となっています。
ただし石の積み方は、単に表面を覆っているというのではなく、城の石垣を積むような工法で、強固に積み上げられています。
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今日は午後1時半から、現在和歌山県埋蔵文化財センターが調査中の「水軒堤防」について現地説明会があると聞いたので、ちょっと出かけてみることにしました。
「水軒堤防」というのは、和歌山市の海岸近くに延々とある防波堤で、江戸時代に築かれたものだそうです。和歌浦の北にある養翠園(国指定名勝)からずっと北に向かって石堤が1キロメートルほども続いています。
Google地図でこの「水軒堤防」のある場所を探してみると、写真では南北に細く森林のラインが見えるので、堤防らしきものがあるのが分かります。
時代や目的はまったく違うものですが、福岡県にある「水城」がこういった雰囲気でした。
現地説明会の参加者は60人ほどでしょうか、かなり多くの方が来られていました。
堤防の裏側、海に対する面とは反対側から見た様子です。
奥に見えるのが石堤、手前の左側にある土盛りが土堤の一部です。
このように石堤と、土堤の2つが並んでいますが、現地での説明によると、この二つの堤のうち、どちらが先に築かれたものであるのか、それとも同時に築かれたものであるのかは、文献など詳しい資料が無いため、不明であるとこのことです。
この2つで1セットの「水軒堤防」なのか、どちらかが既に有ったところへ、もうひとつ新しく作ったのか、というのは非常に気になるところです。
土堤はほとんどが砂を積み上げて築かれたものであることが、断面から分かります。ちょっと石堤との接点あたりを見てみると、土や砂が層をなしているのが見えますが、それらの層が水平に石の際まで続いていますから、少なくとも順番としては、石堤のほうが先に築かれたように見えます。
当時、石堤が築かれて後に、悪天候や津波などの災害による決壊でもあったのでしょうか。土堤は石堤の補強として築かれたもののようにも感じられます。
そうすると、土堤のほうが若干高くなっているのは、石堤だけでは心もとないという心境からのようにも思えてきますが、実際はどうなのでしょうか。
足元の石に、石を切り出した際の「矢痕」がありました(写真の中央から少し上にある、逆台形の窪み部分)。石に矢(楔状の工具)を打ち込んで切り出した痕跡です。
石堤のほとんどを覆う石の種類は砂岩で、和泉砂岩であるということでした。
一番上の写真は海に対するほうの面を撮影したもので、その砂岩の切石が綺麗に詰まれています。
石堤はこの下にまだ1mほど埋まっているそうで、この場所での全高は4mほどになるとのことでした。
石堤は全て石積みではなく、礫交じりの砂に積んだ上を石で覆う構造となっています。
ただし石の積み方は、単に表面を覆っているというのではなく、城の石垣を積むような工法で、強固に積み上げられています。
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