不寝王子(ねず おうじ)社跡は、滝尻王子から斜面の石段を登り続けてようやく勾配のゆるやかになった尾根道の入口あたりにあります。
急な斜面を登ってきて、ようやくひと息つけるという場所ですので、ここに王子社があったというのも不思議に納得できます。
中世には記録が見えず、江戸時代・元禄年間に書かれた「紀南郷導記」にその名が見られますが、この頃すでに社はなく跡地となっていたようです。
この不寝王子社跡に着く少し手前に、胎内くぐり、という大岩があって、もともとその大岩の下のすきまをくぐり抜けてくるはずでしたが、間隙がとてもせまく子供でもなかなか通れそうにないほどでしたので断念せざるを得ませんでした。昔に比べて、狭くなってきているのでしょうか。胎内くぐりというのはたいてい、狭いところをくぐってくるようになっているものですが、ここについては「さあ、くぐって下さい」という感じにもなっておらず、ちょっと岩穴のなかをのぞいてみるだけで十分というところでした。
また、乳岩、とうのがそのすぐそばにあって、現地の案内板によるとここは昔、奥州の藤原秀衡が夫人とともに熊野詣でをした際、この場所にて夫人が急に産気づき、岩屋で出産したとの伝説があるそうです。そのとき夫妻は赤子をこの岩の下に残し、熊野への参詣を続けたということですが、この子供は秀衡夫妻が熊野詣でを終えて再びここを通るときまで狼に守られ、岩からしたたり落ちる乳を飲んでいたので無事であったと、書かれています。「その子供が、秀衡の三男、出水三郎忠衡になったという話まである」との説明があります。
岩からしたたり落ちる水と、子供といえば、そういえば鹿児島の霧島市あたりにも似た話がありました。
「赤水岩堂磨崖仏」のすぐ近くにある巨大な岩の下からわずかに水がしたたり落ちているのを飲むことで子供を授かることができる、という伝説です。今では水もほとんどなくなってしまったようですが、大きな岩から一滴ずつしたたり落ちる水というのは、量もわずかなだけに御利益のあるものと考えられたのでしょうか、あるいは磐座のような、巨石に宿る力に対する何らかの信仰もあったのかもしれません。
乳岩
滝尻王子社跡から不寝王子社跡までは、ほんの20分程度の道のりとはいえ途中の斜面はなかなか大変です。しかし、急峻な斜面、胎内くぐりや乳岩といった巨 石、登り着いたところにある不寝王子社の存在は、ここがやはり熊野への信仰の道であることを思い出させ、がえって面白みもあります。
この先は尾根道が続くところで、しばらくはゆっくり歩けます。
尾根を辿る古道
・「赤水岩堂磨崖仏」(鹿児島県霧島市横川町下ノ赤水梅ノ木迫・鹿児島県指定史跡)