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よりみち文化財

ちょっと寄り道して出会える、遺跡や石仏、史跡や鹿児島の田の神さぁを紹介

天吹 ~薩摩に伝わる笛の音2

2009年06月04日 | 伝統文化
ちょうど新型インフルエンザが世界中に拡大している中でしたので、出発の空港からマスク持参で出かけました。

今回仕事で韓国まで行くことになって「天吹を思い出した、」
というのはそのとおりなのですが、
実は、天吹と韓国は今のところ、まったく関わりがないのです。
ただ、以前に「韓国には、天吹に似た笛がある、…」という話を聞いたことがあったので、「それではその笛を確かめてこよう。」と考えて、今回の仕事の合間に、ちょっと探してくることにしたのです。

今回宿泊したホテルの案内の方がとても親切で、楽器店の場所まで詳しく調べてくれたので、ハングルの全く分からない私でも道に迷うこともなく楽器店までたどり着き、その「タンソー(ダンソー)」を手にとることができました。

表に4孔、裏に1孔という、細い竹でできた笛は、現在韓国に2種類あるということです。
一つは「トゥンソー」といい、もう一つは「ダンソー」あるいは「タンソー」という笛です。
ただし、「トゥンソー」というのは横笛で、天吹と同じ縦笛は「ダンソー」のほうです。見てみると確かに尺八によく似ています。

吹いてみれば、以外にも音は天吹よりもずっと低く感じられ、音域もそれほど広いとは思えません。

以前天吹を作った際に気になったことですが、笛の中にある節に穴をあける際、材料は竹ですから、節のところを上から下まで貫通させないと、笛にはなりません。)この部分、息が抜けるための孔はとても小さく空けるだけなのです。
しかしこうすることで、孔を指でふさぐ際に変わる音の高低の差が、よりはっきりしてきます。
表現力が増す、ということにも繋がるでしょうか。
一般的に笛から鳴る音の高さは、歌口から一番初めの孔までの距離が長いほど、低くなっていきますが、天吹の音色、この笛の一番下に来る節にどれくらいの大きさの穴をあけるか、とうことにも深く関わっていそうです。




実際、「タンソー」のほうはこの孔が大きくなっており、また歌口から第1孔までの距離も長く作られていることから、演奏できる音は全体的に低くなっていると思われます。

そういったわけで、天吹と同じように孔を押さえて吹いてみても、天吹と同じ音階にはならず、まったく別の楽器で演奏しているように聞こえます。
この「タンソー」が、いつ頃から韓国に伝えられているのか、またどういった曲があって、それがどういうふうにで演奏されるのか、といったことは今後調べてみたいと思いますが、やはり天吹とタンソー、それぞれに演奏される曲の間にも、やはりかなりの違いがありそうです。

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地上に輝く願い  ~七夕神社

2007年10月01日 | 伝統文化
福岡県 小郡市

七夕神社、という神社があります。
正式には媛社(ひめこそ)神社といい、今から1300年ほど前の記録である肥前風土記にその名が見えるので、かなり古い神社であることは確かです。
祭神は姫社神と織姫神で、七夕神社と呼ばれるのはここに祀られている織姫神が関わっているからのようです。以前は7月7日の祭日に、遠くから参詣の人々が列をなして訪れたと言われます。

七夕伝説は、大陸から伝えられたものとされています。
天上界に住む織姫と地上の彦星の二人が、許されるはずのない結婚を天帝に願い出て、その結果天の川によって離れ離れにならざるを得なくなってしまう。ただし二人は1年に一度だけ会うことを認められる。そういう伝説を子供のころ絵本で見たことを覚えています。

織姫や彦星というのはあくまでも伝説上の人物で、物語事態は中国大陸から伝えられたものとされていますが、日本でこの物語が広まって現在まで伝えられていることには理由があるようです。
この七夕神社の前にある案内板には、日本の「棚機津女(たなばたつめ)」という機織りの女神に対する信仰と、織姫・彦星の物語が混然同化した結果、七夕伝説になったとあります。平安時代には、7月7日の行事として技芸の上達を願う乞巧奠(きっこうでん)があり(今でもこの祭りの残る地域があるそうです。)いま短冊に願い事を書くのは、こういった行事の影響が考えられています。

また、今から1000年以上前の書物である「延喜式」に、小郡は織物を献上する土地であるとの記録があり、織物の生産が盛んに行われていたとも案内板に書かれています。
『続日本紀』など当時の記録によると、実は織物を献上品としている地域はこの地域だけではなく意外と多くあります。ただしこのことは、機織をする女性が全国的に多かったことをも示すもので、いつかは立派な織物を織りたいと願いながら機を織る若い女性と、豊作を祈って牛で一生懸命に田を耕す男性の恋愛は、当時の日本人にとって身近でイメージしやすいものであったのかもしれません。
そういった理由から七夕の祭りが広まっていったようにも思われます。


天の河と同じく南北に流れる宝満川


牽牛社が合祀されている老松宮。人形注連で有名な老松神社から南へ数百mの場所にあります。


おもしろいことに、この七夕神社から宝満川を隔ててちょうど反対側の場所に牽牛社(現在は老松宮に合祀)が祀られています。つまり、天を南北に流れる天の川を挟んで輝く、織女星(こと座ベガ)と牽牛星(わし座アルタイル)の位置関係と同じになっています。
牽牛社がいつ頃宝満川の川岸に祭られたのか分かりません。大正12年に老松宮と合祀されていますのでそれ以前ではあるとは思いますが、あえてこういった配置にしてあるというのも何か事情があるのかもしれません。
七夕伝説との関連から、恋愛成就、縁結びの神様としても信仰されているようです。

 

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人形注連ねり  ~上岩田 老松神社

2007年09月24日 | 伝統文化
↑写真は、人形注連ねりの行事が残る福岡県小郡市上岩田の老松神社。
牽牛の祀られた老松神社とは別にありました。

福岡県の小郡市にある七夕神社には、七夕伝説に登場する織姫が祀られています。
その七夕神社に立ち寄った際に、近くに牽牛を祭る牽牛社もあると聞いたので行ってみることにしました。
現在、牽牛社は「老松神社」に合祀されているそうです。

実は今日この老松神社に寄った際に、この地域に伝わる「人形注連ねり(ひとがたじめねり)」の行事が行われる「老松神社」を探しておられる方がいらっしゃって、神社の場所を尋ねられたのですが、私は牽牛社のあるこの老松神社がそれであると思い、ここのことでしょうと言ってしまったのです。
しかしその後、境内にはその「人形注連」を飾るはずの巨石が存在しない事も気になって、現地で調べてみたところ「老松神社」という神社は当地域に2つ有り、「人形注連」で有名な「老松神社」がさらに別の場所にあることが分かって、尋ねられた方には非常に申し訳ないことをしました。
その方がもしインターネットで検索されて、検索結果からこのブログを御覧頂けることがあればいいのですが・・・。
また、この「老松神社」や「人形注連ねり」に関して情報が必要な方がおられましたら、ここに情報と地図を掲載しておきます。


境内の巨石にかけられた人形注連

・老松神社
上岩田、井上、下岩田地域の氏神であり、ここがもとは神磐戸(かみいわと)と呼ばれたことから、上岩田の地名が起こったと考えられています。
祭神は菅原眷属神、高良玉垂命、住吉大神
この場所は神宮皇后の行宮の跡であるといわれ、延久2年(1070)に建てられたという本殿は、江戸時代に再建されました。

・人形注連
「人形注連」とは注連縄のことで、その形が人形をしていることからそう呼ばれています。その年に収穫された稲藁を使って作られます。
「人形注連」をつくる「人形注連ねり」の行事は現在、10月の第3日曜日に行われていますが、いつ頃からこのような注連縄を作るようになったかは明らかになっていません。
複雑な工程を経て作られる「人形注連」は、この地域で継承されてきた伝統文化でもあり、平成17年には小郡市の無形民俗文化財に指定されています。

引用:老松神社 境内案内板より


平成19年度の「人形注連ねり」は10月21に行われる予定だそうです。当日のスケジュールは小郡市役所のホームページに掲載されていますが、その記事については今のところ小郡市役所のモバイルサイトのみしか確認できていません。

【人形注連ねり】
平成19年10月21日(日曜) 老松神社において
・注連縄作り 8:30頃~
・神事 12:30頃~
・注連縄奉納 14:00頃~


小郡市役所モバイルサイト(「人形注連ねり」のページ)のURLは次のとおりです。
http://www.city.ogori.fukuoka.jp/mobile/event/10-2.htm



国道500号線を小郡市街から東へ向かうと、宝満川にかかる大板井橋を渡りますが、その大板井橋からは左手前方に鳥居が見えます。
自動車で移動の場合、この鳥居の前の道は非常に狭いのでこちらからではなく、国道沿いにある上岩田公民館の前に駐車したほうが無難です。公民館の前の広場はそのまま境内へとつながっています。