鹿児島県 霧島市 横川町 下ノ 赤水 梅ノ木迫
赤水の岩堂は、不思議な場所です。
長い下りの階段を下りていくと、小さな谷川の向こうに巨大な岩壁を背にした小さな陸地が見え、まるで彼岸のイメージを実現してみせたかのように思われます。
こんな山奥にあるからなのでしょうか、橋を渡ってたどり着いた阿弥陀如来の眼前の陸地は、特別に新鮮な空気につつまれているような気がします。
磨崖仏の彫り出されている岩壁と、ここにかつてあったはずのお堂から、「岩堂」と呼ばれるようになったのかもしれません。
岩壁に彫られた「龕」と呼ばれる四角い空間に三尊が浮き彫りされています。
中尊・阿弥陀如来の像高は140㎝、上品上生の弥陀定印を結び(現地の案内板には上品中生の定印を結ぶとありますが、上品上生の弥陀定印とするのが正しいと思います。)、鎌倉時代の仏像の特徴をよく残す、県内で3番目に古いものだそうです。
鹿児島は明治の初めに廃仏毀釈が激しかったところですが、保存状態は極めて良いようです。
右脇侍との間には「建武弐年十二月十五日」の記年銘と、「奉建立岩堂 大施主法信 沙弥観阿弥陀仏 成円 沙弥西善 二郎大夫 敬白」等の文字が刻まれています。
建武弐年は西暦の1335年です。
足利尊氏が入京し、後醍醐天皇が建武元年(1334)に始めた建武新政が崩壊しつつある時期で南北朝時代が始まる直前にあたります。
また、尊氏は建武2年に九州へ落ち延びていましたが、この近くの湧水町にある般若寺に滞在していたといわれます。
右脇侍は勢至菩薩、左脇侍は観音菩薩で、三尊とも像高140㎝です。台座として蓮華座が線刻で龕の下に彫られています。
龕の両脇には幅4㎝、高さ10㎝ほどの四角い孔が空けられており、もともとは龕の前に覆い屋のような建物があったと思われます。また磨崖仏の右側に岩壁が続き、その前面の地面には岩盤を加工して整地したような痕跡が見られるので、ここにお堂が建っていた可能性もあると思います。
阿弥陀如来は700年もの間、ここへ参拝に来た人々を見続けてきました。いったいどれくらいの人々がここを訪れたのか、いまは知ることが出来ませんが、綺麗に周りが掃き清められ、川にはしっかりした橋も架けられていることから、現在も変わらず人々の信仰を集めているようです。
巨大な岩壁に比べると、大きさでは非常に小さいという印象を受けますが、三尊の穏やかなまなざしに思わず手を合わせてしまいます。
そうすると参道の途中であれほど響いていたセミの声が、ほんの一瞬だけ消えて静寂となったようにも感じられました。
赤水の岩堂磨崖仏はかなり山奥にありますが、車で行くことができます。階段が始まる場所にも駐車できますが、途中の林道上に鳥居がありその手前にやや広くなった場所があるので、そこに車を停めるのがいいと思います。
数百mの長い階段を下っていかなければなりませんし、雨の多い季節は足元が滑りやすくなるので、訪れる方は気を付けてください。
赤水の岩堂は、不思議な場所です。
長い下りの階段を下りていくと、小さな谷川の向こうに巨大な岩壁を背にした小さな陸地が見え、まるで彼岸のイメージを実現してみせたかのように思われます。
こんな山奥にあるからなのでしょうか、橋を渡ってたどり着いた阿弥陀如来の眼前の陸地は、特別に新鮮な空気につつまれているような気がします。
磨崖仏の彫り出されている岩壁と、ここにかつてあったはずのお堂から、「岩堂」と呼ばれるようになったのかもしれません。
岩壁に彫られた「龕」と呼ばれる四角い空間に三尊が浮き彫りされています。
中尊・阿弥陀如来の像高は140㎝、上品上生の弥陀定印を結び(現地の案内板には上品中生の定印を結ぶとありますが、上品上生の弥陀定印とするのが正しいと思います。)、鎌倉時代の仏像の特徴をよく残す、県内で3番目に古いものだそうです。
鹿児島は明治の初めに廃仏毀釈が激しかったところですが、保存状態は極めて良いようです。
右脇侍との間には「建武弐年十二月十五日」の記年銘と、「奉建立岩堂 大施主法信 沙弥観阿弥陀仏 成円 沙弥西善 二郎大夫 敬白」等の文字が刻まれています。
建武弐年は西暦の1335年です。
足利尊氏が入京し、後醍醐天皇が建武元年(1334)に始めた建武新政が崩壊しつつある時期で南北朝時代が始まる直前にあたります。
また、尊氏は建武2年に九州へ落ち延びていましたが、この近くの湧水町にある般若寺に滞在していたといわれます。
右脇侍は勢至菩薩、左脇侍は観音菩薩で、三尊とも像高140㎝です。台座として蓮華座が線刻で龕の下に彫られています。
龕の両脇には幅4㎝、高さ10㎝ほどの四角い孔が空けられており、もともとは龕の前に覆い屋のような建物があったと思われます。また磨崖仏の右側に岩壁が続き、その前面の地面には岩盤を加工して整地したような痕跡が見られるので、ここにお堂が建っていた可能性もあると思います。
阿弥陀如来は700年もの間、ここへ参拝に来た人々を見続けてきました。いったいどれくらいの人々がここを訪れたのか、いまは知ることが出来ませんが、綺麗に周りが掃き清められ、川にはしっかりした橋も架けられていることから、現在も変わらず人々の信仰を集めているようです。
巨大な岩壁に比べると、大きさでは非常に小さいという印象を受けますが、三尊の穏やかなまなざしに思わず手を合わせてしまいます。
そうすると参道の途中であれほど響いていたセミの声が、ほんの一瞬だけ消えて静寂となったようにも感じられました。
赤水の岩堂磨崖仏はかなり山奥にありますが、車で行くことができます。階段が始まる場所にも駐車できますが、途中の林道上に鳥居がありその手前にやや広くなった場所があるので、そこに車を停めるのがいいと思います。
数百mの長い階段を下っていかなければなりませんし、雨の多い季節は足元が滑りやすくなるので、訪れる方は気を付けてください。