よりみち文化財

ちょっと寄り道して出会える、遺跡や石仏、史跡や鹿児島の田の神さぁを紹介

熊野古道 中辺路 大門王子跡

2012年08月12日 | 熊野古道

本宮大社の大きな鳥居がここにあったことから大門王子と呼ばれることになったようですが、この大門王子は、「熊野行幸日記」などの記録には登場しません。
藤原定家は不寝王子から重点王子(十丈王子)の途中、山中に宿泊したとだけ記しています。

社の後方に石塔が2つありますが、現地の案内板によると、向かって右側が江戸時代、享保7年(1723年)に紀州藩が大門王子の跡であるとして建てたもの、左側が笠塔婆の塔身で鎌倉時代後期のものであるとのことです。
確かに笠塔婆の塔身とされる石の頂部には、笠の部分を取り付けるためのほぞのようなものが設けられています。刻まれた梵字は摩滅が激しく読み取ることはできません。

高原熊野神社から庚申さんを過ぎるとやがて木立のなかをぬける細い道を歩くことととなり、いかにも古道らしい風景となります。

熊野古道は木々の中に延々と道が続くという場所が多く、景色を遠く眺めることができる場所はそうありません。

 

時々分岐点に出くわしますが、どちらかに必ず「ここは熊野古道ではありません」という立て札があり、道を間違えることはないようです。

 

この大門王子にたどり着いたのが昼前の11時半で、結局、朝食も昼食もとらずひたすら歩き続けるというかなり無謀な旅になってしまいましたが、非常用にと持って来ていたカロリーメイトとリッツクラッカーが思わぬ助けとなりました。
そういえば昔、キャラメル一粒で何百メートルというのがありましたが、この後近露王子跡までは、クラッカー1枚でいったい何メートル歩けるかを試しているのかというほど、動けなくなれば1枚食べて、という繰り返しとなってしまいました。踏み出す一歩一歩が本当に重くなり、また身体中の力が抜けたようなだるさや手のしびれが延々と続き、まるで空気の薄い高山を歩いているかのようでした。

 

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2012年08月05日 | 熊野古道

現地の案内板には「いわゆる九十九王子には入りませんが・・・」とありますので、「王子社」というわけではないようです。
応永10年(1403年)銘のある懸仏が御神体であるといわれることから、創建が少なくともその頃までにさかのぼることができ、熊野古道沿いでは最古の社殿であるとされています。
南北朝時代以降、参詣者は潮見峠越えのルートを辿るようになったといわれますが、滝尻王子からはやはりこの道をたどらなければならなず、そのためにこの高原は賑わったと言われますので、熊野への参詣者の多くがここを訪れたことが想像されますが、文献に残るのはこの神社が鎮座する高原という土地についての記載のみだそうです。

 

そのひとつとして、室町時代に南御所、今御所、北野殿という3人の女性がともに熊野へ参詣したおりに先達(山岳信仰の修行に指導者として道案内等をする者)として同行した住心院法印大僧都、実意という人物が書き残した、「熊野参詣記」があげられると案内板に記されていました。


北野殿、というのは「西御所」、「高橋殿」とも呼ばれた人物で、足利義満の側室であったとされています。
「熊野参詣記」応永34年(西暦1427年)には9月26日の日記として「御宿 高原 御宿石王兵衛か家なり、畳あたらしく、さし天井ろくはりたり、かれか分際には、いかめしき用意なるものをや、」とあります。
女性が3人連れだって熊野へ詣でる途中、高原に宿をとったが、その屋敷やもてなしは立派なものであった、ということのようです。


北野殿は何度も熊野まで訪れていることから、やはり篤い信仰心からの参詣であったことは間違いないと思いますが、
この記録からは鎌倉時代頃の上皇達の道のりを記した文献から感じられる雰囲気とは、なんとなく違ったものが窺えます。

ところで、この高原熊野神社の境内にも、「熊野地方では神木とされ、古くは葉を災難よけのお守りとした」梛の木があります。
その高い梛の木を見上げているところへ葉の一枚がひらひらと舞い降りてきましたので、旅の安全祈願、ということでこの一枚を頂いて、再び道へと戻ることにしました。

この神社から東へ100mほど歩くと、「高原霧の里休憩所」が有ります。
売店ではないようですが、風のとおる屋内に大きな木のテーブルや椅子が置かれ、自動販売機もあります。

夏の暑い最中、古道歩きはかなりハードな道のりとなります。

特に滝尻皇子からここまでは中辺路のなかでもっとも険しい道のうちに入るように思われますので、こういう場所で十分休憩を取っておく必要があります。ここから「庚申さん」と呼ばれる青面金剛石像の場所まで、距離はそれほどでもありませんが、いきなり道幅の狭い急な上り坂となり、体力が回復してからでないとかなり厳しいように思えます。

「庚申さん」のすぐ脇には「ここから近露王子まで民家のない道が4時間続きます。連絡方法はありません。」という立て札もあって、飲料水、軽食等の準備は万全にしておいたほうがいいようです。ただし、ここから登りはやや緩やかになり、大門王子まで木々の間を縫って続く古道らしい雰囲気の道が続きます。

 

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