鹿児島県 薩摩川内市 樋脇町祢地山
『訂正』
記事を掲載時に、この田の神さぁのおられる場所を
「薩摩川内市 東郷町」
と記しておりましたが、実際には
「薩摩川内市 樋脇町」
であるとのご指摘を頂き、上記の所在地を訂正致しました。
ご指摘頂きましたかたには、本当にありがとうございました。
今後は、情報の正確さには充分注意したいと思います。
また、ご覧頂きました皆様には記述の間違いをお詫びいたします。
「祢地山」と当時のメモに書いてありました。
「ねじやま」
と読むのでしょうか。
国道267号から北に、水田の中の道路を尋ねていった記憶があります。
着物にももひきを穿き、右手に持っているのはメシゲ(しゃもじ)で左手のものは扇子のようです。全体的にやや赤い色をしているので、もとは赤い彩色がなされていたと思われます。
また、背に「寛政二年 奉寄進 戌四月八日」の銘があり西暦1790年、今から220年ほど前の造立であることがわかります。
子宝に恵まれ、子孫繁栄を願って男性の身体の一部を象った木像などを祭る祠は全国的によく見られるものですが、この田の神さぁはシキが半球状に表現されているのが特徴的で、後ろから見るとやはりそういった形を思わせます。
子孫の繁栄を田の神さぁに願ったものとも考えられますが、或いはこの田の神さぁに、子、孫へと続いていく生命の力のイメージ・神秘性を重ねたものであるのかもしれません。
毎年毎年、途切れることなく田圃が生命を宿して稲が成長し秋には豊作になりますように、と、大地の生命力の永続を願っているようです。
田の神さぁは、場所によって、つまりそれを奉った人々によって様々な願いやイメージが込められて、石像としての姿を現しています。
像高82㎝。
「にほんブログ村」歴史ブログランキングに参加しています
鹿児島に関するブログ(「にほんブログ村」サイト)
『訂正』
記事を掲載時に、この田の神さぁのおられる場所を
「薩摩川内市 東郷町」
と記しておりましたが、実際には
「薩摩川内市 樋脇町」
であるとのご指摘を頂き、上記の所在地を訂正致しました。
ご指摘頂きましたかたには、本当にありがとうございました。
今後は、情報の正確さには充分注意したいと思います。
また、ご覧頂きました皆様には記述の間違いをお詫びいたします。
「祢地山」と当時のメモに書いてありました。
「ねじやま」
と読むのでしょうか。
国道267号から北に、水田の中の道路を尋ねていった記憶があります。
着物にももひきを穿き、右手に持っているのはメシゲ(しゃもじ)で左手のものは扇子のようです。全体的にやや赤い色をしているので、もとは赤い彩色がなされていたと思われます。
また、背に「寛政二年 奉寄進 戌四月八日」の銘があり西暦1790年、今から220年ほど前の造立であることがわかります。
子宝に恵まれ、子孫繁栄を願って男性の身体の一部を象った木像などを祭る祠は全国的によく見られるものですが、この田の神さぁはシキが半球状に表現されているのが特徴的で、後ろから見るとやはりそういった形を思わせます。
子孫の繁栄を田の神さぁに願ったものとも考えられますが、或いはこの田の神さぁに、子、孫へと続いていく生命の力のイメージ・神秘性を重ねたものであるのかもしれません。
毎年毎年、途切れることなく田圃が生命を宿して稲が成長し秋には豊作になりますように、と、大地の生命力の永続を願っているようです。
田の神さぁは、場所によって、つまりそれを奉った人々によって様々な願いやイメージが込められて、石像としての姿を現しています。
像高82㎝。
「にほんブログ村」歴史ブログランキングに参加しています
鹿児島に関するブログ(「にほんブログ村」サイト)