鹿児島県 蒲生町 高崎
そろそろ収穫の時期でしょうか、夕日で稲穂が黄金色に輝いていました。
車を降りて道から田圃を眺めていると、ぽつんと田の神さぁが見えました。
像高約63cm、石材は凝灰岩で、近くの加治木町辺りに居られる田の神さぁと非常に良く似た石が使われています。
背中にはちゃんとワラヅトを背負っており、ここに造立年が刻まれています。元文四年の銘はちょうどシキの下で雨が当たらない部分となり、墨の跡が残っています。文字はまず墨で下書きをしてから刻まれたようです。(元文4年は西暦1739年にあたります。)
額の辺りにかかる髪や眉も墨で書かれています。やはりシキの下になって雨に流されるようなこともないようで、おそらく造立当時のものであると思われます。
四角い台座はコンクリート製で、当初からこの位置にあったものかどうかは不明です。保存の状態が非常に良いので、家々を持ち回りでまわる田の神さぁであったのかもしれません。
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そろそろ収穫の時期でしょうか、夕日で稲穂が黄金色に輝いていました。
車を降りて道から田圃を眺めていると、ぽつんと田の神さぁが見えました。
像高約63cm、石材は凝灰岩で、近くの加治木町辺りに居られる田の神さぁと非常に良く似た石が使われています。
背中にはちゃんとワラヅトを背負っており、ここに造立年が刻まれています。元文四年の銘はちょうどシキの下で雨が当たらない部分となり、墨の跡が残っています。文字はまず墨で下書きをしてから刻まれたようです。(元文4年は西暦1739年にあたります。)
額の辺りにかかる髪や眉も墨で書かれています。やはりシキの下になって雨に流されるようなこともないようで、おそらく造立当時のものであると思われます。
四角い台座はコンクリート製で、当初からこの位置にあったものかどうかは不明です。保存の状態が非常に良いので、家々を持ち回りでまわる田の神さぁであったのかもしれません。
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