よりみち文化財

ちょっと寄り道して出会える、遺跡や石仏、史跡や鹿児島の田の神さぁを紹介

生石神社

2011年06月19日 | Weblog
生石高原、といえばハイキングコースとして行楽客で賑わうところだそうで、今頃の季節には山頂近くにある駐車場も混雑することが多いと聞きますが、このすぐ近くの「生石神社」という神社まで足を延ばす人はそう多くないようです。

兵庫県にある石の宝殿で有名な生石神社と同じ字を書きますが、こちらは「おうしじんじゃ」ではなく「しょうせきじんじゃ」と読み、現地の案内板によると永祚元年のある日一夜にして突如出現した巨石の前に社殿を建てたのが創建、とあります。
拝殿にのぼる急な石段の脇には、「文化七年」の銘が見え、こんな山中にあっても人々の長い間参拝が絶えなかったことが伺えます。
拝殿をくぐると奥に本殿があり、その更に奥に、「生石大明神」と呼ばれる巨大な岩の壁が聳えています。
全体的にちょっと白っぽく見えるのは、石灰岩質の岩石であるからでしょうか。今は表面が少し風化しているようにも思われますが、日の当たり具合がよければ、この白い岩肌はもっと輝いて見えそうです。





当の巨石は高さ30mほど(案内板によると高さ48m)もありますが、確かにこんな岩がある日突然山肌に姿を現したら、大騒ぎになりそうです。






永祚元年といえば、西暦で989年にあたります。
ちょうど平安時代の藤原氏による摂関政治の時代、藤原北家が権勢をふるっていたとされる頃です。

永祚、という元号はわずか1年余りのもので、翌年には正暦と改元されますが、『扶桑略記』等にはその永祚元年の8月13日には「永祚の風」という大風の記録があり、この「永祚の風」というのは今日においても甚大な自然災害の代名詞として使われることがあるようです。
『撰集抄』には、「永祚の風」によって比叡山延暦寺にあった釣鐘が鐘撞き堂からはずれて山内を転がり、堂宇を破壊しながら谷底へ落ちていったという記述があります。
季節柄「台風ではないか、」とも言われ、日本でもっとも古い台風の記録の一つであろうとされるものです。





その「永祚の風」が、生石神社の巨石出現に関係あるのかどうかはわかりません。
ただ、台風による大雨や暴風によって当地の斜面の一部で土砂崩れが起きたところ、
土に覆われていたこの巨石がちょうど姿を現した、というようなことも想像できます。
この巨石が実際にはそのときに姿を現したものではないにしても、人々がここに社殿を構えたのは、やはり自然の脅威に対する畏れからであることは間違いない、という思いがします。





「生石神社」
 和歌山県有田川町楠本神1265-1
 祭神: 大穴牟遅命 少彦名命
 創建: 伝・永祚元年(西暦989年)
 





にほんブログ村」歴史ブログランキングに参加しています
にほんブログ村 歴史ブログへ

Photo