平安時代好きブロガー なぎ です。
今回は、
『源氏物語』に登場する伊勢斎王<斎宮>と
そのモデルとなった徽子女王について
簡単にご紹介いたします。
■『源氏物語』に登場する伊勢の斎王
『源氏物語』において光源氏が愛した女性のひとりに
六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)がいます。
六条御息所は亡くなった皇太子<東宮>との間に、
姫宮をひとり産んでいました。
姫宮は朱雀帝即位の際に伊勢神宮に仕える斎王<斎宮>となります。
六条御息所は、斎王となった姫宮とともに斎宮へ赴くのでありました。
※斎宮=現在の三重県多気郡明和町にありました。
京に戻った前斎王は母の六条御息所の死後、
光源氏の養女として冷泉帝のキサキとなり
梅壺女御または「斎宮女御」と呼ばれ、のちに中宮となります。
彼女は秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)の名で知られます。

『源氏物語』にみられる六条御息所と斎宮女御<秋好中宮>は、
実在した、徽子女王(よしこじょおう・きしじょおう)がモデルになっているといわれています。
■モデルとなった徽子女王
徽子女王は斎王<斎宮>退下後、村上天皇へ入内し、規子内親王を出産。
内裏の承香殿(しょうきょうでん)を賜ったことから承香殿女御と呼ばれ、
前斎宮であることから「斎宮女御」とも呼ばれています。

やがて成長した娘の規子内親王も伊勢斎王<斎宮>となります。
徽子女王は娘の規子内親王とともに斎宮へ下ったのでした。
(母親が娘の斎王に付き添って下向するのは前例がないことでした。)
このように実在した徽子女王の人生によって、
『源氏物語』の六条御息所と秋好中宮という女性像が創られました。
・斎王となった娘について斎宮に赴くところ⇒六条御息所に反映
・かつての斎王が入内して「斎宮女御」と呼ばれるところ⇒のちの秋好中宮に反映 徽子女王について
『斎宮歴史博物館』公式サイトの斎王一覧にある
こちらのページに詳しいです。 伊勢斎王<斎宮>の暮らしを知るには・・・
三重県多気郡明和町にある
斎宮歴史博物館 と いつきのみや歴史体験館がオススメです。

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<関連リンク集>
・三重県明和町役場
・斎宮歴史博物館
・いつきのみや歴史体験館
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