晴れのち平安

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【平安あれこれ】七夕は索餅(さくべい)[麦縄(むぎなわ)]または素麺(そうめん)!

2023年07月07日 | 平安あれこれ

【2022年7月21日 公開/2023年7月7日 更新】

 

平安時代好きブロガー なぎ です。

 

日本の古代に食べられた「索餅(さくべい)」。

奈良時代に唐から伝わったといいます。

 

【写真は油で揚げられたお菓子「索餅」】

 

「索餅」の「索」は、縄状という意味。

「索餅」の「餅」は、日本でいうお餅ではなく、小麦粉と米粉を混ぜ合わせたものです。

 

また、「索餅」は「麦縄(むぎなわ)」とも呼ばれます。

 

【写真は、三輪山本で販売されている「麦縄菓子」】

 

平安時代の『延喜式』(=法令集)によると、「索餅」の主原料は、小麦粉・米粉・塩。

副原料として、クロダイズ、アズキなど多種類を挙げられているのだとか。

いろいろな「索餅」が存在していそうですよね!

 

古代の「索餅」は「瘧(おこり=熱病)」除けのために七夕[7月7日]に食べられていましたが、

現在は「素麺(そうめん)」が七夕[7月7日]に食べられるようになっています。

 

「索餅」については現在以下のようないくつかの説があるのだそうです。

  1. 干しウドン説
  2. 揚げた菓子説
  3. 干しウドンと揚げた菓子が両方あった説
  4. めんから揚げた菓子へ変化説

 

古代史や食文化史では「干しウドン説」が有力で、乾燥させて保存したものを茹でて醤(ひしお=醤油の元祖)や酢などに付けて食べていたのだとか。

「索餅」は平安京の東市・西市でも売られていたので、庶民も口にしていたとのこと。

 

一方、かつて油は大変高価なものでした。

揚げ菓子だと主に貴族層に食べられていたのかもしれませんね。

 

【写真は過去の風俗博物館の展示より。索餅を前にして座る紫の上】

 

一般的に「素麺(そうめん)」の先祖は「索餅(さくべい)」と言われていますが、必ずしもそうとは断言できないようで…(?)

 

鎌倉時代頃になると宋から「索麺(さくめん)」が日本に入ってきます。

「索餅(さくべい)」が縄状になった餅ならば、「索麺(さくめん)」は縄状になった麺?

「索餅(さくめん)」は塩を入れずに油を使ったものだそう。

 

後には「索餅」「索麺」「素麺」が記録に混在しているのだとか。

もうどれがどれやら!?

 

では現在の「素麺(そうめん)」は?

「索」と「素」という漢字は似ていますし、「さくめん」→「そうめん」という音も似ているかも?

 

麺繋がりから「素麺(そうめん)」の直接の先祖は「索餅(さくべい)」ではなく「索麺(さくめん)」だという説もあるそうです。

 

「索麺(さくめん)」に油を利用して延ばしていったものが「素麺(そうめん)」。

「索餅(さくべい)」を7月7日に食べる文化がやがて「素麺(そうめん)」に置き換わったと思ってよいようです。

 

冷え冷えの素麺っておいしいですよね!

 

夏は揚げ物より冷やしたものが好まれる傾向にありますが、日本で素麺(そうめん)が親しまれるのは豊富な水がある環境だからこそかもしれません。

 

もちろん私は揚げ菓子としての「索餅」も大好きです。

 

 

【参考】

虎屋文庫 編『和菓子 特集ー唐菓子』第12号 黒川光博 2005年

前川佳代 ことのまあかりonline講座『七夕と索餅』レジュメ 2020年 7月 3日開催

八條忠基 淡交社カルチャーオンライン講座『八條先生の有職故実講座 年中行事 五節供「七夕」と「乞巧奠」』レジュメ 2021年 6月27日開催

風俗博物館旧トップページ六条院四季の移ろい 文月

そうめんの山道島原そうめんについて島原そうめんの歴史素麺の起源「索餅(さくへい)」と「索麺(さくめん)」

 

 

↓ 油で揚げる「索餅」のレシピも掲載されています

 

 

 

 


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