雷とからっ風 義理人情!上州かあちゃんの毎日

赤城おろしの冷たいからっ風にも、日本一暑い夏の日にもめげず
頑張る上州かあちゃんの日記です

日光街道 自治医大〜雀宮 石橋宿・雀宮宿

2023-02-20 20:00:00 | 日光街道
2月16日 日光街道を歩く12回 自治医大から雀宮まで
 
自治医大駅 10:00集合 晴れ
 
 
下野市役所でストレッチ後
10:15分 歩き始めます
 


お隣は国道4号線ですが
こんな、旧道が残っていると
街道を歩いている雰囲気があって
いいなぁ~~

下石橋の一里塚 日本橋から23番目
最近まで塚はなかったと言われているそうですが
調査の結果ここら辺ではないかとの事
 
 
 
国道352号線との交差点にある下石橋の石仏群
 
 
11:40 愛宕神社
 
家康から5石の社領を与えられた記録がある
愛宕山古墳石室の1部の巨石群がありました





石橋宿
本陣   1軒
脇本陣   1軒
旅籠   30軒
 
国道352交差点の手前に丸大ハムの
工場あります
 
工場の入り口に大きな慈母観音が立っていて
目立ちます
ここら辺に小川があり石の橋が架かっていたのが
石橋宿の名前の由来との事です
 
私達は、この工場でトイレを借りましたよ
街道歩きをしていると
トイレお借りできるところは
大事です・・・
 
ツアー会社の方が事前にお願いしてあるのですが
私達も、コンビニやスーパーなどで
お借りした時は、
なにか1品お買い物をしてきます
 
丸大ハムのトイレをお借りしましたので
帰りのスーパーで丸大食品を買いましょう
 
 


下野市はかんぴょうの生産が日本1だそうです
かんぴょうって
ゆうがおの実を剥いて干したものだそうです
 
かんぴょうは東海道水口宿(滋賀県甲賀市)の名物
下野のかんぴょうの種は
水口宿から持ってきたそうです
 
水口宿の浮世絵にはゆうがおを剥いて
干しているところが
描かれています
 
東海道歩きで
水口宿歩きましたがねぇ~~
そんな説明聞いたかねぇ~~
浮世絵の説明は、だいたい受けてるんですが
忘れたんだね
 
まっ、日光街道で復習出来てよかったわ・・・
なんも覚えてないんだから
嫌になっちゃう・・・
 
 
 
 
そんで、さんざんぱらかんぴょうの話
聞かされたんで、お昼に
かんぴょうが出るのかと思ったらでなかった笑笑



お店のご主人に
石橋宿はかんぴょうが名物と聞きましたので
お昼に期待してました・・・的なこと
失礼なかかあ天下さんは聞いてみたのさ・・・
 
そしたらね・・・
かんぴょう・・・
高いんです・・・って言ってました
 
えっつ・・・かんぴょうって
細巻寿司の中に入っている安いものでしょう・・・
いなり寿司とか
きんちゃく巻の口を結んであったり・・・
安いイメージなんですけど・・・
 
そしたらね
お店のご主人・・・
ここ石橋で採れる国産のかんぴょうが
高いとの事でした
 
ええやん
ええやん
 
国産と外国産のかんぴょうの違いが
わかる人おらんから
外国産のかんぴょうの煮物でも
1個ついてたら
テンション上がりますんですけどね
 
13:20 石橋駅
かわいいからくり時計がありました

 
駅前にはかんぴょうを売るお店がありました
皆さん、かんぴょうをお買い求めでしたが
 
かんぴょうって煮る以外にどんな事して
食べたらいいの???
わからんので、買いませんでした
 
豆類もたくさんあったので
柿ぴー買ってきました
これは、せんべいもピーナッツも
スーパーで買うものより美味しかった
安かったし
もっと買ってくればよかった
 


石橋交差点近くにあった民家
なんの説明もなかったけれど
普通の民家にしては立派よね~



13:07 石橋宿本陣
今は、伊澤茶舗
この日、ちょうどご主人がいらっしゃって
昔の街道の様子を説明してくださいました
 
 


将軍さまが日光参りで
宿場を通過するときは
このような宿場の地図を幕府に提出しなければ
ならなかったそうです
 
今、自分たちの立っている場所の地図を見せて
頂きました
 
たいへん、貴重な資料を見せていただき
ありがとうございました
 


13:25 開雲寺 
 
将軍の日光参詣の道中休泊所
幕府から葵の紋の使用が許されたそうです

 
14:04 児山城(こやまじょう)跡
 
宇都宮城の南方を守るために
鎌倉時代の終わりころ築かれた
堀や土塁が残っていました
 

14:35 グリムの森・グリムの館
 
下野市がグリム兄弟の出身地と姉妹都市を
結んでいる関係からグリムの里作りを
コンセプトに街つくりを
しているそうで
駅の可愛いからくり時計や
このような施設がありありました
 
ゆっくりできれば楽しめたのでしょうが
トイレ休憩のみでした
 
ここで、この日、お一人リタイアされました
年配の男性でしたが
フラフラでした
会話は普通にできていましたので脳梗塞とかでは
なかったかなぁ~~
 
タクシーで帰られましたが、大丈夫だったかなぁ~~と
ちょっと心配でした

 
15:06 鞘堂地蔵
 
小山・宇都宮合戦の際に戦死した者の鞘を
集めて埋め、そこにお堂をたて地蔵を安置したので
鞘堂地蔵
 
明治時代からは
安産地蔵として
無事に出産が終わると
女の子は赤
男の子は白い布を
格子に結んでお供えするそうです
 
 
15:10 星宮神社
 
鞘堂新田村の鎮守
人々の背負う星々(一生)を守護しているそうです
星宮神社って綺麗な名前です
人々の背負う星々・・・って
私もいろいろな星を背負ってきたわ
これからもね
お守りいただくように
しっかり手を合わせてきましたよ
 

 
国道脇をひたすら歩いていますが
こんな旧道にも時々出会います
 
この旧道を抜け国道に出たところで
この日のお二人目リタイアです
 
女性の方でアキレス腱を痛めたとの事
この方もそこからタクシーで
帰られました

 
16:29 雀宮本陣跡
 
雀宮宿
 
本陣   1軒
脇本陣  1軒
旅籠   38軒
 
江戸時代初期には台新田村と呼ばれていましたが
日光道中が造成されると
人家が集まり宿駅として
成立しました
 

 
16:30 脇本陣跡
本陣のはす向かいに脇本陣があります
本陣は石碑のみですが
こちらの脇本陣は門構え・玄関などに
昔の姿が残っています
公開はされていないようでした

 
16:15 この日の街道歩きは
ここJR宇都宮線雀宮駅で終了でした
 


この日は2名の方が途中リタイア
離団され帰って行きました
 
1日に2名の離団者というのは
長い事、街道歩きしてますが
始めてでした
 
日光街道・・・
山道もなく峠越えもありません
さほど悪路もなく
国道を歩くことが多いです
 
ゆえに、
油断してしまうのかもしれません
 
この日は、朝から気温も低く
午後は16:30にゴールできないかも・・・と
講師の先生もけっこう~~
早歩きでしたわ
 
気づけば35000歩といつもの
街道歩きより多めに歩いてました
 
1人目の方は
添乗員さんに勧められてのリタイアでしたが
 
2人目の方は、自らリタイアをしてくれた
ようです
 
早目の判断は同行の方々にも
有難い選択です
 
早めに判断をしたくれないと
他の参加者はいつまでも、
待たされることになります
 
この日は2人のリタイア者を出しながらも
後半の追い上げ歩行で
予定より15分遅いゴールとなりました
 
 









 




















 
















 
 
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 北大 カフェでごはん | トップ | 水仙 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日光街道」カテゴリの最新記事