雷とからっ風 義理人情!上州かあちゃんの毎日

赤城おろしの冷たいからっ風にも、日本一暑い夏の日にもめげず
頑張る上州かあちゃんの日記です

奥州街道 1回 宇都宮宿〜白沢宿

2024-03-25 21:19:13 | 奥州街道
街道歩き 
東海道・中山道・日光街道完歩
甲州街道は最終回を残すのみ
五街道・・・
残すは奥州街道のみ
ここまで来たら五街道制覇しますわ
 
 
奥州街道は江戸から宇都宮までは日光街道と重複します
宇都宮からは白河を経て青森まで続く最も長い街道です
青森までは、とても長く気の遠くなる話なので
とりあえず幕府の管轄だった白河宿までを目標にします

そんで奥州街道1回目
宇都宮から白沢、日帰りの旅に
行ってきました。

って・・・2023年12月23日ですよ
昨日の夕飯何食べたかすぐに思い出せないのに
3が月も前のブログ書けんのかい・・・って話ですが
旅行社でいただいたパンフレット見ながら写真の
説明だけでも記録しておきまぁ~~す

宇都宮駅
都内集合からの新幹線で皆さんは
やってきましたが
私は宇都宮に直接行った方が早いので
宇都宮駅で皆さんと合流しました
 
駅前の餃子のオブジェ・・・
宇都宮は餃子が有名です
 


10:06 追分
日光道中と奥州道中の追分です
日光街道を歩いていた時
ここ通過しました
 
今回は奥州街道の方に進みます
 


二荒山神社
下野一の宮
いちのみやがなまって宇都宮になったとのことで
宇都宮の語源と言われている
 
 
この神社は日光街道を歩いた時も
立ち寄りました



本殿
私ね、街道歩きをする前は
神社に行っても、拝殿の前で手を合わせるだけでしたが
最近は後ろに回って
本殿の方までしっかり見ますよ



金の擬宝珠



11:00 おしどり塚
 

 
鎌倉時代、つがいのオシドリを討つた猟師が
改心したという話の石碑が公園の中に
ありました



12:40 旧篠原家住宅
江戸時代からこの場所で醤油醸造業や肥料商を
営んでいた
 


庭から見ると旅館の様でした



蔵は大谷石・・・
国指定重要文化財



家の中は豪商であった面影を残しています
 


13:10 興禅寺 
宇都宮八代城主の創建
 
 
長屋門
明治時代築の豪農
今も住まわれています
管理が大変でしょうねぇ~~




刑場跡 
この辺り一帯が宇都宮藩の処刑場
本田正純の命に従わなかった100人を
ここで1日のうちに処刑し首と胴を別々に
埋めた首塚
 
胴体は白沢神社に埋葬されています

 
白沢宿に入りました
白沢宿
本陣 1軒
脇本陣 1軒 
旅籠 13軒
宇都宮から白沢経由の奥州路は
平安時代から利用されていたそうです
 

16:00 白沢地蔵尊
源頼朝に奥州総奉行に任命された伊沢家景が家族とともに
赴任地に向かう途中にこの地で
幼い子を病気で亡くし、供養のために
地蔵を建てたそうです
昔の転勤も家族は大変でしたね
単身赴任もあったのかね



公衆便所跡
江戸時代の公衆便所跡で地中の構造は
昔のままなんだって
田畑の肥料に使っていたそうです
 
今の街道歩きも
トイレ大変ですよ
コンビニとか公園とか使わせてもらいます
トイレのない峠越えなどの時は
交替でお花摘みもしました
お花摘みって・・・登山用語でトイレに行くってことです
野山で花を摘む姿に見立てているんだって

 
白沢宿内は道の両側に用水が
流れていますが、かつては
この用水が道の真ん中に流れていたんだって
なんか、真ん中でも両脇でも
用水の流れている街並みって
情緒がありましたよ

 
本陣跡
 


16:16 井上清吉商店
創業明治元年
下野地酒「澤姫」の蔵元
 
お酒買いたかったけど
寄りませんでした
 
日光街道から引き続いての講師の先生なんですが
饅頭屋のご案内はしてくれるんですが
酒屋にはあまり寄ってくれないの
たぶん、
甘党なんだろうなぁ~~って思いますうふふ
ご自分の好きな饅頭屋のご案内は多いけど
酒屋にはあまり寄ってくれません




この日の街道歩きは
ここで終わり・・・
奥州街道はここを右に曲がります
 
次回は鬼怒川を渡ります
昨年12月の街道歩きでしたが
なんか、ブログ書きだしたら
いろいろ思い出してきた
 
奥州街道第2回目は1月に歩いてきました
早いうちにまたブログにまとめます
 
 
 
 
 
 

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