6月20日(月) 6月4日(土)の続き>
東京意匠學舎(主宰:高橋直裕)のガイドツアー萬KENBUN録-TOKYO FUJI MODE
'東京意匠學舎(主宰:高橋直裕)'は元世田谷美術館の学芸員で教育普及課長だった高橋氏が、在職中に世田美主催のイベントとして企画・実施・案内役を勤めていたガイドツアー建築意匠學入門・萬KENBUN録で、定年1年前の今年3月に退職され落語家(遊興亭福し満)に転身されて終了してしまいましたが、常連参加者の要望で同じ趣旨で再開してくれたガイドツアーの会です。
谷中墓地を通り抜けて最後の目的地に向かいます。
途中、明治の毒婦と呼ばれた高橋お伝の墓碑を見つけました。
風情のある通りを抜けたりして、
駒込天祖神社 文京区本駒込3-40-1
最後の富士塚がある駒込富士神社 文京区本駒込5-7-20
江戸時代、駒込はなすの産地だったそうで、
初夢で有名な「一富士、二鷹、三茄子」は、近くに鷹匠屋敷があり駒込茄子が名産物であった事に由来するそうで、「駒込は一富士二鷹三茄子」と当時の縁起物として川柳にも詠まれています。
案内役の高橋直裕氏(東京意匠學舎主宰)ありがとうございました、
楽しい22,400歩でした。都内には大小併せて100ヶ処ほどの富士塚が
あるらしいので、新しいシリーズがこれからも続きますように。
ボクも本物の富士山はとても無理ですから、
この富士塚を上りました。
駒込茄子の集積場が白山から本郷通りへ入った所にありましたが、今は巣鴨の青物市場へ移転しましたが。
近くに吉祥寺があって、八百屋お七の比翼塚や有名な方のお墓(人の名は忘却)がありました。
富士神社の少し先の六義園手前のお寺に、
箱根八里の作詞者の眠る墓もありましたが、
このあと出てくるのでしょうね。
懐かしく拝見させていただきました♪
ここも山開きの7月1日前後しか登れないそうです。
いつも楽しく拝見させてもらっています。
昔、遊んだ場所や何時も通っていた場所は
懐かしいですよネ
特に都会は10年過ぎると様変わりしますから、
50年100年前は想像も付かない田舎だった
のです。