松阪市となった飯高町宮前。
映画監督、小津安二郎が代用教員を務めた宮前の小学校に近い和歌山街道。
このすぐ近くに下宿がありました。
このあたりの風情が好きで、デジカメに収めました。
小津安二郎は東京・深川の生まれですが、父が松阪の出身で、10代のころのおよそ10年間を松阪で暮らしています。
飯高で1年間、代用教員を務めたのち、映画監督を目指し、上京します。
いまから10年以上前、小津安二郎の教え子だった人から当時の思い出の残る街を案内してもらったことがあります。その方は数年前、亡くなりました。
映画監督、小津安二郎が代用教員を務めた宮前の小学校に近い和歌山街道。
このすぐ近くに下宿がありました。
このあたりの風情が好きで、デジカメに収めました。
小津安二郎は東京・深川の生まれですが、父が松阪の出身で、10代のころのおよそ10年間を松阪で暮らしています。
飯高で1年間、代用教員を務めたのち、映画監督を目指し、上京します。
いまから10年以上前、小津安二郎の教え子だった人から当時の思い出の残る街を案内してもらったことがあります。その方は数年前、亡くなりました。