海住恒幸の松阪市議会通信 

議員活動を通して、自治体議会や自治体のあり方を考えるブログ

代表質疑始まる

2008年02月29日 12時47分17秒 | 議会
新年度当初予算案と市長所信に対する会派代表質疑が、きょうから、始まりました。
会派の人数に応じて時間が長く。
一番目に登場した会派の持ち時間はなんと140分。
朝10時にスタートし、正午きっかりに、時間を30分余らして終えました。
市長や部長らとの議論はなく、あらかじめ用意した質問と答弁の読み合いっこ。
大質問会&大答弁会という形容がぴったりのような感じでした。
29日と、3月3日、4日の3日間。
で、会派のないわたしは、一番最後。
持ち時間20分だけです。
議員になったときは、なかったんです。
で、議員に質疑させないのは地方自治法違反であると要望書を出して認められたのが20分という枠。
この根拠はどういうことかというと、会派の質疑時間は会派としての持ち時間分に、議員一人当たり20分かける人数分を加えたものなので、会派時間ゼロに、1人分を加え20分という数字。
しかし、ヘンなもの。
これまで一般の議案については時間制限がありませんでしたが、一律60分程度となりました。ほとんど質疑の余地のないような小さな議案でも60分なのに、総額1000億円を超す当初予算3会計と市長所信に対する質疑が20分というのはどうも矛盾ですよね。
ただ、6日の一般質問(50分)もあるので、4日の質疑とあわせて準備怠りなくしなければ!

ご無沙汰してました

2008年02月27日 17時52分30秒 | 議会
都市計画審議会後、更新せずにいて申し訳ありませんでした。
更新していないあいだもアクセスいただきた方、ありがとうございました。
頑張っていきたいと思います。


25日から松阪市議会3月定例会が始まりました。
26日に一般質問、27日に議案質疑の通告を提出してきました。

3月議会は、新年度の予算を審議する場です。
(23時間議会からもう1年もたったのですね。早い!)
この議会だけは、代表質疑制をとっていて、当初予算案にかんしては質疑の時間にきわめて大きな制約を受けています。
会派の人数に応じて時間が決まっていて、最大会派は160分の持ち時間。
それに対し、会派に入っていないわたしは、答弁を含めて20分しかありません。
もっとも重要な議案なので不本意です。
わたしの質疑は、会派代表が終了したあと、3月4日。

一般質問は、3月議会は予算と市長の所信に重ならない範囲という決まりなので、注意深くテーマをえらばなけれなりません。
このため3月議会で一般質問する議員が少ないのが通例で、今回は4人です。
一般質問は1人50分と決まっています。
順番の抽選で33番(議員の人数分、くじの棒があり、その最後)を引いてしまったので、質問は4人のうち最後ということで、6日の午後2時からです。

市の不正追及に制約(議会質疑の時間制限)

2008年01月10日 05時25分25秒 | 議会
議会の議案質疑を機械的に一律に時間制限しようという議会内の動きは、許し難いものがあります。
松阪市は、議会で答えに窮するなど都合の悪いことがあると、平気でシラを切るというとんでもない答弁を繰り返します。
そんなとき、時間が来たので質疑は打ち切りということになれば、市の不正を暴ききれないうちに質疑を打ち切らなければならないし、市にとっては都合の悪いことを暴かれずに逃げ切ることを許してしまいます。
このように、質疑の時間制限は、議会にとってもっとも重要であるはずのチェック機能に自ら制限を加えようとすることです。
そんなことを望む議員がいること自体、情けないです。
夕刊三重の報道によると、質疑に制限を加えている自治体の方が多いかのような印象を受けましたが、別府市議会が平成16年に全国の人口10万~16万人の自治体(当時の松阪市を含む)を対象に調査したところ、62議会のうち52議会は時間制限を加えていないという結果でした。

質疑時間の制限? (松阪市議会)

2008年01月08日 07時33分51秒 | 議会
7日付、夕刊三重に、「質疑に時間制限検討」の記事。
昨年3月の23時間議会に代表されるように、このところの松阪市議会は時間延長が目立つことから、議会の中に「質疑時間を制限しては」という声がくすぶっていたようです。
夕刊三重の報道にもあるとおり、
現在の松阪市議会の議案質疑には、当初予算案質疑を除いて質問時間や質問回数の制限がありません。
それでも以前、時間延長という常態化しなかったのは、質疑に加わる議員の数が圧倒的に少なかった(共産党議員や、私など一部の議員)からです。
最近、質疑の時間が長くなったのは、旧・松阪市の時代と比べ、質疑をする議員の数が増えたことを意味します。


質疑に参加する議員が増えた。それにふさわしい、十分な質疑時間の確保を!

少しばかり、質疑に参加する議員の数が増えたからといって会議時間を延長するのが常態化するというのは、質疑がないことを想定して会議時間や会議日程を編成していることが問題の根本にあることを示したにほかなりません。
昔のように質疑する議員が少なく、そのことを前提してスムーズに進行することを想定した議会運営は明らかに間違い。
議員が議案に対する質疑を行うのは当たり前。
質疑の数が増えたなら、それにふさわしい質疑の時間に日程を増やすようにするのがスジだと思います。時間を制限しようなどという動きは、本末転倒です。


多いときで30件もの議案を1日で質疑しなければならない矛盾 1つひとつ質疑すれば時間かかって当然

議会の会期が決まり、議会が開会すると、議案の提案・説明と、質疑の日(通常1日間)が別個に組まれます。1会期の議会に提出される議案の数は30件にも上りますが、質疑の日は1日だけです(当初予算案は3日間)。その日だけですべての議案を質疑するわけですから当然、時間は足りません。議案1件につき、たった1人の議員が30分質疑したとしても15時間。15分でも7.5時間かかる計算。これが複数の議員が各議案につき1件1件、質疑していけば当然、質疑時間はパンクするわけです。
これは昔の議会の慣行、すなわち、議長が「質疑はございませんか」と聞けば、「無し」とオウム返しする状態を前提とした、現実にそぐわない議会日程の組み方です。
世間のどんな会議でも、事項書にあがる検討テーマ(議題)は1回の会議につきせいぜい3件でしょう?
それを1日(通常、会議時間は午前10時から午後4時までのうちの6時間から昼休みの1時間を引き、トイレや、必要な人にはスモーキングのための休憩時間を引いた実質4時間)で30件もの議案を質疑せよというのは、最初から、議論をするな、と言っているようなものです。
日本の地方議会は、全国一律、戦前戦後、ずっとこんな状態で、「よろしくご審議をお願いします」と役所からおだてられてきたわけです。
議員も、「慎重な審議をした」などと自負するわけですが、それがいまの時代、市民が期待する議会かと言えばまったく違うわけです。
こんな状態を放置しておいて、議員の質疑時間だけ制限をかけるなんて、役所の思うつぼじゃないですか。
議案の中には質疑などしなくても済むような内容のものから何時間かけてでも質疑しなければならない性質のものまであるわけです。時間を制限しようというのは、これを一律、網にかけようということです。
ずいぶん無茶な話です。
むしろ、議案の提出段階でどの議案にどれだけの質疑の時間をかけるかなどを議論し、交通整理したうえで議会に諮って、議案質疑の日程を整理すべきでしょう。いまのように形式的な日程づくりはもうやめにした方がいいです。
小手先の質疑時間などに手をつけるより、改善しなければならない問題はいくらでもあります。

理事者の形式化した「説明」(棒読み)時間の方が質疑より多くを占める会議を改善することの意義

質疑の時間を制限しようという短絡化した方向に向かうのではなく、理事者(市長や部長ら)側の読めばわかることをダラダラと長く説明(説明ではなく、読み上げるだけ! 説明したというアリバイづくりのような形式的説明)する状態を根本的に改めさせることの方が重要です。
そのほうが、てきぱきとメリハリのある議会となり、傍聴する市民にもわかりやすいものとなります。
理事者の側も、議会運営員会で説明し、本会議で説明し、さらに常任委員会で同じことを棒読みし、という状態では、仕事の質としては低い技量で済むが決しておもしろくも楽しくもなく、やる気を起きない苦行でしょう。
それでも、これを長年の慣行として放置しておくことは実質、議会審議を形骸化し、ひいては議案チェックという議会の重要な機能を骨抜きにしてしまうことにつながっています。
せっかく傍聴に訪れた市民も、理事者側の説明時間や形式化した議会運営に耐えかねてうんざりして途中で帰って行ってしまうことが多く、重要な質疑の場面は見逃してしまうことがあるはずです。
会議(本会議でも常任委員会でも全員協議会でも)中の理事者の説明時間の方が、議員の質疑の時間よりもはるかに長い現実の方を改善することに目を向けるほうがはるかに意義深いことだと思います。

会期や会議日程をフレキシブルに変更すること

夕刊三重でも、駅西地区再開発問題で徹夜議会になったことを時間延長の象徴のように記事にされていますが、再開発予算の議案が提出されたのは、午前10時から続いた本会議で他の議案の説明や質疑が終了したあとの午後7時半。
それから市長、助役(当時)の提案説明があって、ようやく、議員の質疑に入ったのが実際。午後8時を過ぎてようやく1人目。11人が質疑すれば1人1時間(答弁を含めて)が平均だとしても11時間。途中、休憩とか中断とかが入るのだから終了時間が翌朝9時になるのは当然です。
市民に開かれ、傍聴しやすい状態をつくり、議員としてもフレッシュな頭で質疑し、他の議員の質疑や答弁を聞き漏らさない状態をつくろうと思えば、徹夜議会は望ましいことではありません。
会期を固定的にとらえず、翌日回しにした方がよかったと思います。翌日は土曜日だったのでなおさら。市長らが出席しなければならなかった行事もあったようですが、「公務の都合」(本来の公務である議会への出席であって、夏祭りへの参加ではないのだから・・・)でキャンセルすることは可能なはず。
時間をかけて質疑するのが悪いというような風潮をつくらず、いったん決めた会期を固定化させるのではなくフレキシブルに変更することや、ケースバイケースで日程を改めて対応することの方が重要だと思います。

議会に市長らが出席する必要はないときも設ける

議会日程を自由に組もうというときに問題となるのが、市長らの日程との調整だと思います。しかし、本来の議会の姿からすると、市長に出席してもらわなければならない会議は多くを必要としません。市長などいなくても会議は開けます。本当に必要なときだけ来てもらえばよいのです。
質疑すべき議案をすべて一括して同じ日に質疑するから、本会議場に入る部長以上の職員に加え、答弁に関係のない職員まで膨大(原則、課長級以上全員で100人以上)に本会議場横の控え室に待機しなければならないロスを生んでいます。
議会はもっと日常的に開かれるべきですが、とのつど課長級以上の職員と部長、市三役が拘束される状態ではにちにちの業務がストップしてしまい、仕事になりません。
そのような状態では困るから、関係のない職員にまで待機してもらう必要はありません。
それは市長すら例外ではありません。
前の千葉県我孫子市長は、議案を提出し、おそらく説明だけ済ますと、「あとは議会の皆さんでよろしくご審議をお願いします」と言って、本来業務に戻ったと言います。
松阪の市長は、賛成か反対かが微妙な議員のところに電話をかけ、「説明させてほしい」と事実上の賛成誘導をし、いさぎよくありませんが、本来は、議案として議会に提出した以上、議決されるか否決されるかは議会意思として静かに待つのが市長のつとめ。否決されれば、どんな良い議案でも、まだ機が熟していなかったのだととりあえずはあきらめて次期を待つべき!
審議するのは議会の機能。市長に質問するだけが仕事ではありません。質問するべきときは質問し、議案を質疑するときは質疑するが、議会として議員間で議案を審議する時間が必要です。
市民は議会はそのような場だと思っていますが、現実はそうではありません(質問と答弁の場です)。
議員間で議案を審議し、賛否を結論付けるような議会になるのであれば、市長や部長への質疑時間に制限があってもかまいません。

当たり前の議論ができる場に!

2007年12月19日 07時22分22秒 | 議会
松阪市議会の12月定例会は17日に終了しました。
松阪駅西地区再開発の市民の賛否を問うため、議員9人で共同提案した住民投票条例案は、10対22で否決されてしまいました。
しかし、本来、議会が負うべき政策提案(立法)機能の向上、議員間討論の活発化を図るためのきっかけづくりにはなりました。
議会の現状は、よい質疑や討論をしたからといって、ふだん、市長提案になら何でも賛成する議員の考えを改めさせることは大変難しいところがあります。
本来、議論を尽くし、議案の問題点を見つけ、改善すべき点があれば修正するなり、否決して、よりベターな政策を実現するべきところです。
ところが、市側は、自ら提案した議案がどんなに粗悪(たとえば、市民歌の例・・)であろうとも、いったん提出した議案を改善しようという意思はまったくありません。本来、そこで、チェック機関としての議会の出番があるわけですが、いくら問題点を指摘しても、結局は多数決でなんら改善の加えられないまま、「原案通り可決」となってしまいます。
議案に対する質疑でそれぞれの議案に対する問題点を指摘するわけですから、最初は問題に気づかなかった議員も問題に気づき、ダメな議案は「否決してあげることが親切」とばかりに反対に回るようになれば、市側もうかうかヘンな議案は出せなくなります。
ところが、どんなに粗悪な議案であっても、賛成してくれる議員(市長の身方)はいつも賛成してくれますので、市長にとってはたいへん心強い。
市長の提案に賛成してばかりの議員は、議会内でほとんど発言という発言はしません。議決のとき、手を挙げ、賛成するだけです。
今回、そんな議員たちが、住民投票条例案というボールに、どのように反応してくるだろうかという興味もありました。
彼らにとって逆の立場です。
そのまま、住民投票なんかせず、すでに議決した案件をそのまま素通りさせたいと考えている議員が3分の2を占めているなかへ住民投票で賛否を決めようという議員提案なわけですから、彼らにとり面白いはずはありません。
彼らにとって通してよい議案ではありません。
質疑がありました。質疑は提案者に対して行うものです。今回は議員が提案者ですから議員が議員に対して質疑し、提案議員が答弁します。
これは、現状の議会えでは議員はいつも市側に質問をして答えをもらうだけの役割に陥っているなかで、議員同士が議論をおこなうべき本来の姿にもっていくとっかかりともなります。
ふだん、発言しない議員も質疑、討論(住民投票に対して「反対」の)をしてくれました。
結果はともあれ、少しでも議会らしい、当たり前の議論が行われるようになっていくきっかけを提供できたということであれば意義はあります。
こうなれば、これ1回きりではなく、これまで市長に作ればと提案していた条例を議員の側でつくる議員提案を今後も積極的に行うことが、今度はわたしたちの役目として重要になってくるでしょう。
そうなれば、いずれは、市長を支えている議員たちからも、議案が出てきて、こちらから質疑をして、よい議案なら賛成するけどダメな議案だったら修正させるか撤回させるか、本来、市民が期待している言論と立法(条例)の府としての議会づくりの芽となり得るのではないかと思います。


松阪市民珍歌

2007年12月13日 21時02分23秒 | 議会
松阪市民歌の一番の歌詞です。

1、 いにしえ息吹く 伊勢湾に
  若鮎踊る 清流の(※)
  香るヤマユリ  緑のまつやま
  自然が四季が  詩(うた)がある
  ここに生まれた 喜びを
  愛する子どもと 語りたい

             ※「世界へ羽ばたく ベルライン」
               
               

13日の市議会総務生活委員会は、1対7の大差で、議案通り、賛成というのが結論でした。

でも、「いにしえ息吹く 伊勢湾に」ときて、「若鮎踊る 清流の」というのは、だれがどう聞いても(読んでも)おかしい。
オリジナルは、 「若鮎おどる   清流の」ではなく、
「世界へ羽ばたく ベルライン」でした。

議会でも指摘しましたが、
、「いにしえ息吹く 伊勢湾に」と、「世界へ羽ばたく ベルライン」は対(つい)。
2番、3番も、同じ構造。
下手な直しで、1番だけ、対の構造を壊します。
公募した東京在住の作詞者は、その「直し」を了解したということですが、
ふつうだったら、「そんなメチャクチャな直しが入るなら、採用されなくていいから、わたしの作品を返してくれ」になることもある。
だって、古代の伊勢湾が紡いだブンカ(それが、海上アクセス松阪ルートのポスターの船形埴輪によって象徴される)に対し、未来へ夢を託す「ベルライン」がくる。
ベルラインとは、松阪港と中部国際空港へを結ぶ海上アクセスの航路のことだが、
「現在の松阪市が存続する限り歌い続ける歌」には「不変性」が求められるのでふさわしくないと、市自ら、否定した格好。
わたしも、海上アクセスには反対だけど、いったん、検討委員会の数か月にも及ぶ審査の結果、「ベルライン」でいくとの結論で市長に答申のあと、数日で書き直された。その結果、前後の詩のつじつまがあわない、対の構造がぶち壊し、おまけに、市長の重要政策である「ベルライン」も「不変」ではないと否定。
松阪の文化力はないんだね。
わたしは、「ベルライン」のまま、いったらよいと思う。
そりゃ、海上アクセスの運航会社は将来撤退するかもしれないけど、「ベルライン」という航路自体は不滅なんですよ。
松阪市民の世界へ託す夢のシンボルとして歌の中で存在し続けてもよいと思う。
それでこそ、古代の伊勢湾文化と現在、そして、未来がつながうというものです。
ばたばたで「若鮎おどる 伊勢湾」って、だれが書き替えたのでしょうね。
議会でも答えがなかったし、きょう改めて確認しても答えてもらえなかった。
おそらく、市役所の政策課あたりで言葉をひねり、市長らの決裁を仰ぎ、検討委員会の委員長あたりの了解を取り付け、作者にも電話連絡した。
書き替え作業、わずか、4日。そして、議会に大急ぎで間に合わせた。
そもそも、議決案件ではないのだから、議会に提出する必要ないのにね。
市長は「議決による重みをつけたかった」。
でも、だれでも気づくヘンな歌。
歌う市民歌としては永遠だということです。
元へ戻すか、どうしても直したいというなら、ちゃんと直せばいいのに。
本会議で指摘したから議員も気づいているはずなのに、これでいいんだって。


11月14日 答申
   19日 新聞に歌詞に疑問を投げる投書
   20日 修正
☆「若鮎おどる   清流の」の部分は、検討委員からの答申時には「世界へ羽ばたく ベルライン」となっていました。
  

〔質疑〕
結論から先に言います。
本議案は撤回していただいたほうがよいのではないかと思います。

経過にふれると、
11月14日の検討委員会からの市長への答申には
「いにしえ息吹く 伊勢湾に 世界へ羽ばたく ベルライン」とあったのが、

11月20日の総務生活委員会に提出された資料には、
「いにしえ息吹く 伊勢湾に 若鮎おどる 清流の」に変えられていた。

そして、本議案には11月20日の総務生活委員会に提出された資料の通りとなっている。

そこでお尋ねします。

(1)なぜ、歌詞が変わったのか。

〔乾・総合政策部長答弁〕検討委員会委員長からは「(答申後)不測の事態があれば正副委員長一任で修正するということだった。14日の答申後、新聞に投書が載るなど反響があった。そこで、事務局で検討、検討委員会の委員長や作者(公募)にも相談し決めた。

※公式の理由は「松阪市が存続するあいだ歌い続けられる市民歌には『不変性』」が求められるため」

(2)どういう基準で直したのか。むしろ、改悪したとの認識はないか。「伊勢湾に 若鮎おどる」はないでしょ?

(3)十分な検討もないまま、バタバタの決定だったのではないか。

(5)総務生活委員会協議会に配布された資料には変更理由として「現在の松阪市が存続する間、歌い続けられる松阪市民歌には、その間の不変性が求められるため」とあるが、不十分だったと言わざるを得ない。

(6)公募したのはいつか。

※経過
公募したのが、4月1日〜5月31日
慣行検討委員会の分科会で協議したのは6月26日、7月3日、8月24日の3回。
答申は、11月14日 

(7)十分に時間はあったはず。


(8)素朴な疑問として、「伊勢湾に」「若鮎おどる」と続くのは不自然。
  いかにも取って付けた感がある。むしろ、それ以上に、詩が持つ言葉の意味を考えずに修正した点が見受けられるのが問題だ。

●ちなみに、
2番では「薫る文化の 風が立つ」「宣長偲べば 桜舞う」
3番では「祇園まつりの みこしゆく」「広がる人の輪 咲く笑顔」
となっており、上の句と下の句は関連が深い。すべて、対(つい)になっている。
一番だけが、「伊勢湾に」「若鮎」が対になっていない。

〔市長答弁〕きちんと審議して結論を出したこと。「北国の春」や「星影のワルツ」でも詩はいろいろ。聴く人の感性に委ねればいい。

●それだったら、文学は要らない。作者の意図には、おそらく、海上アクセス松阪ルートのポスターやリーフレットにある船形埴輪とベルラインを一つのイメージで結んだ「歴史海路 遙かな航海の歴史が満ちる海へ」というキャッチコピーが頭の中にあったのではないか。その言葉が「いにしえ息吹く 伊勢湾に」となり、「ベルライン」と続いたはず。
さらに言うならば、原案には「いにしえ息吹く」と「世界へ羽ばたく」が対になり、「いにしえ」に過去を、「世界へ羽ばたく」で未来を象徴していたのではないか。

そのような詩作の意図に配慮せずに修正したとしか思えない。そのあたりの検討をしたか。

「若鮎おどる 清流の」というのはあまりに安易。無理矢理、上下一体の上の句と下の句を切り離したので不整合が生じる。
作者に対しても失礼であるし、詩の意味を無視した野蛮な修正だ


(9)「現在の松阪市が存続する間歌い続けられる松阪市民歌には、その間の不変性が求められるため」というが、詩を深く読み解かず、部分的な直しは一時的な応急措置。それでは、「現在の松阪市が存続する間歌い続けられる松阪市民歌」にはならない。
直したことで意味がちぐはぐになった歌を歌い続けるというのは耐えられない。

11月14日に答申が提出してから1週間でバタバタで、前後の意味に関係なくとってつけたような修正をしているが、詩を公募したのは、4月1日から5月31日でしょ? そのあいだ何していたのか。これはたんに詩のことを言っているのではなく、政策決定一般にあてはまるから言っているのです。

(10) いったん議案を撤回して、再検討した方がいいと思う。
〔市長答弁〕それはない。
新聞に投書が載って一日で修正したのに、公式の議会の場で審議するのはきょうが初めて。それなりにきちんと検証して意見を述べている。なぜ、議案になってしまったら直せないのか。

委員会で、住民投票条例、答弁の側に

2007年12月13日 09時08分04秒 | 議会
きょうの松阪市議会では、午前10時から、所属の建設水道委員会と、総務生活委員会があります。
総務生活委員会では、松阪駅西地区再開発の住民投票条例についての質疑があります。わたしたち9人の提案議員は、他の議員から質疑される側ですので、ふだん、市の幹部が座っている席に座り、答弁する立場となります。
初めての経験です。
議員と市長ら市幹部が質問し答えるばかりではなく、議員同士の議論を活発にする必要性からこのような機会は大切にしたいと思います。

住民投票条例質疑

2007年12月12日 00時12分31秒 | 議会
松阪駅西地区再開発事業について市民の賛否を問う住民投票条例(議員提案)の質疑がありました。
提出者以外の議員が、提出議員に質疑をする。
つまり、提出者であるわたしたちは、質疑に対して答弁をする立場。
十分に調べておいた部分について答弁するチャンスはなく、全然想定しなかったことを答弁させられて・・・。
議会は議員同士の議論のないところです。
でも、議員が条例案を提案すると、今回のようなやりとりが生まれます。
議員間の自由討議が議会を変える第一歩になるはず。

続・大失敗の一般質問

2007年12月07日 21時53分02秒 | 議会
議会には、議案質疑と一般質問があります。
ぶっつけ本番のだいご味を求める議員の側と、質問内容を知りたがる役所の側。
特に、事前の通告制をとる一般質問では、質問の内容を知りたがるどころか、質問内容をもとに答弁書を作成し、それを事前に議員に示し、「これでよいですか」と、すりあわせることもあるらしい。
「ガチンコ議会」であるべきと主張する片山・前鳥取県知事。
てらまちネット
☆山県市議会議員の寺町さんが、関連することを書いていますのでクリックしてください。

質問原稿を見せ、答弁書をもらい、答弁書をもとに作った再質問の原稿を見せ、それに対する答弁書ももらう。
議会での一般質問のやりとりは、そんな「台本」の読み合いっこ(学芸会・朗読会)ということも、ウソのような本当の話。

市役所の側も議員の側も、先に質問の中身がわかれば、お互い、議場で恥をかかなくて済む。
「すりあわせ」で答弁の内容を調整できれば、議員の側のメンツも立つ。
そんなギブアンド・テイクで儀式化が進む。

わたしの場合は、質問の内容は要旨で示したり、レジュメ(発言内容の骨子をまとめた資料)を配布したり、質問原稿を渡したり・・・。
市役所の側はそれをもとに答弁書を用意して、部長や市長がその答弁書を朗読する。
わたしは、答弁の中身は知らないので、本番まで、どんな答弁が出てくるのか、さっぱりわからない。
答弁をメモしながら、あわてふためいて反論(再質問)したい点を探し出す。
しかし、議会の壇上でその作業をするのは大変苦しい。
だから、本当は、質問など示したくない。
だけれど、「ある程度教えていただかないと何をお答えしていいのかわからない」と言うので、仕方なく、質問の中身を教えたり・・・。

こちらは、たぶん、こんな答弁が返ってくるだろうと予想し、いくつかのパターンを想定し、次の質問(これは見せずに)パターンをいくつか用意して議場にのぞむ。
答弁が自分が想定した範囲内にうまくおさまれば、こちらのペースで余裕を持って再質問にはいるが、はずれたときには悲惨な目に遭う。
あわてふためいて、生中継(録画放送もあり)のケーブルテレビのカメラの前でつらい思いをする。
ちゃんと質問を渡し、事前に答弁も受け取り等々の事前調整(すりあわせ)をしている議員は、余裕の涼しい顔。
そんなちぐはぐとした思いで議会活動をしています。


☆わたしが6日行った一般質問で、岩塚三善・建設部長が答弁に使った原稿(答弁書)を質問の翌日もらいました。
6日の質問は午後4時からだったので、お昼よりだいぶ早い時間に、わたしの質問原稿(5行)を担当者に渡しました。
このぐらいの時間的猶予をもうければ、質問に対する備えはできるでしょうし、それなりに忙しいはずだから、そんなに長文の答弁書を作成してくる余裕はないだろうとの読みでした。
ところが、議会でわたしが1分ほどで質問を終えると、岩塚氏の大答弁(朗読)が展開されました。

わたしの最初の質問は次のように短いものでした。(事前に渡した質問原稿そのままにしました)

☆海住からの質問

来年5月には本組合を立ち上げるということだ。そうなれば、松阪市も、組合員の一員として、この事業に関わる責任も今までとは違ってくるのだろうと思う。組合設立後は、「民主導だから」では通らないはず。いま大変不透明な状態にある事業協力者をどのようにクリアなものにして、施工業者を選定していくのか、責任ある答弁を求めたい。


☆以下は、わたしからの質問に対する岩塚氏の答弁(わたしの一般質問翌日にもらった答弁原稿です。この通り、答弁していたのだろうと思います)
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海住 恒幸 議員

(1)松阪駅西地区市街地再開発事業について
市は、一組合員として、また、補助金を支出する行政といった立場から、また総合センターを買い取るといった立場で、事業に関わっていますが、本組合が立ち上がり、実際に事業が動き出すと、その関わり、責任は大きくなってきます。
現在手続きを進めています、都市計画決定がなされれば、都市計画事業として進めていくことになります。

  行政の役割として、都市再開発法第125条に基づき「組合に対する監督」、都市再開発法第129条技術的援助の請求があった場合には、市街地再開発事業に関し専門的知識を有する職員の技術的援助を行うことになります。

  また、国からの補助金の執行にあたっても、国から市を経由し組合に補助金を交付するものであり、補助金の使い方については、市としても十分なチェック、監督を行い実施していただくことになります。
  併せて、国からの補助金については、市が会計検査等も受ける立場になることからも市としても責任ある対応が必要であります。


● 事業協力者について
市街地再開発事業は、施行者が自ら又はコンサルタント等の助力を得ながら事業推進することが、一般的であるが、事業実施にあたって必要となる専門的知識・技術や施設建設物の管理・運営のノウハウ等、事業実施に関する業務が高度化・多様化する中で、施行者にかかる負担が少なくなるものであります。

そのため、民間事業者のノウハウをあらかじめ再開発ビルの設計・建設・管理運営の計画に反映させる為、事業への参加・協力に意欲的で、施行計画や管理処分計画策定作業への助言・提言を行なう民間事業協力者を求めています。

事業協力者には、様々な協力・支援の仕方がありますが、一般的には①人的な協力②資金的な協力③事業が成立するために、保留床処分先を見つける。そういったことから事業計画の作成、助言、商業調査等の作業を行ないます。

現在進めている松阪駅西地区市街地再開発事業においては、準備組合と事業協力者で協定が結ばれ、
・事務局運営への協力 ・各種計画等業務への協力、支援 ・事業推進のための資金の立替え ・保留床処分等に関するに協力、支援 地区外転出者の代替地等の斡旋、協力 その他必要と認められるものについての協力いただいております。


本協定の業務期間は、本組合設立の日までとなっており、本組合設立に至った場合には、双方の合意事項を本組合に継承するものでありますが、指名停止等の相手方の行為が発生してきており、本組合設立時には、再度、事業協力者と組合の協議がなされる予定です。

 市といたしましては、指名停止業者との関わりについては排除するよう指導しており、透明性を図って行きたいと考えています。


●施行業者の選定について
これから事業実施していくにあたり、施設については、具体的な設計を行い、工事実施となる訳ですが、これらを進めていくにあたり、保留床の具体的な設計から管理運営に至るまでの協議、調整、関係者協議、地元対策、占用者協議、等多義にわたる作業が発生してまいります。
これらを実施していくには、専門的な知識や実施能力等が必要であり、今まで考えておりました工事だけを入札していく方法では難しいのではないかといった意見もあり、違った方法も検討しています。

市街地再開発事業を進めていく方法として、再開発組合を設立しそこから委託業務や工事発注を行い、事業推進を図っていく方法と、最近では、組合の業務を「業務代行方式」という、市街地再開発事業において民間事業者の能力を活用して事業の円滑な推進を図るため、施行者又は施行予定者からの委託に基づき、当該事業の推進に関する業務の相当部分を民間事業者が代行する契約を行い事業の推進を図るものでございます。

 業務代行方式には、事業の推進に関する相当部分を代行する「一般業務代行」と建築等工事施工業務に含み、最終的には自ら保留床を取得する義務を負う「特定業務代行」の2種類があり、これらの業務代行者の選定にあたっては、公明正大に公募を行い、代行業者を決定するものであります。

6月議会には、川口議員のほうから発注方式についてのご質問をいただき検討中とお応えいたしましたが、最終的には自ら保留床を取得する義務を負う「特定業務代行」により行なうのが良いのではといった話し合いを行っています。
当然、特定業務代行者の選定にあたっては、公明正大に公募を行い、代行業者を決定するものであります。

現在、準備組合の方では、このような方法も検討されており、公平・公正に事業推進する方法を検討されています。

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「松阪駅西地区再開発について」というテーマだけでは答弁を用意するのが大変だろうと思い、5行の質問文を事前に差し上げた。
その質問をもとに都市計画課が書き上げたのが、この答弁の原稿。
持ち時間(答弁含めて50分)のうち、最初の1分を使い、5行文の質問を述べると、岩塚・建設部長は、冒頭の答弁書を延々と読み上げた。
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☆シチュエーションを確認すると、
岩塚部長は、わたしの質問を前もって知り、部下が答弁書を書く。
議場でわたしの質問を聴くと、答弁書をただ読みまくる。
どのような答弁がくるのかわからないわたしは、それを聴きながらひたすらメモをとる。
当然、細かいニュアンスまで書ききれない。再質問すべき点を十分に整理できない。
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岩塚部長が読み切ると、わたしの発言となる。
答弁の中身をほとんど消化しきれないままではあるが、手を挙げて、発言しなければならない。
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答弁を聴き、十分に消化してからでないときちんとした議論はできない。
議会終了後、答弁書を文書で見せてもらうと、確認すべきところ、詰めるべきところがよくわかる。
しかし、これを議場という独特の場所で、ぶっつけ本番で聴いて、頭の中にコンパクトに整理できるほど、わたしは頭がよくはない。かれらがわたしの質問をほしがるのと同様、わたしだって答弁の内容がわかっていれば、スムーズにいくのはわかっている。だけど、それでは緊張感がないので、質問は渡すが答弁書は受け取らないという状況を造って議会活動をしています。
ましてや、あわててしまう。
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☆質問の文書を渡しても、質問の量が少ないので、とりあえず、その量に見合った答弁しか返ってこないと考え、本当に言いたいこと、つっこみたいことは再質問でやろうと思っていましたが、最初の答弁の段階でわたしがその後ふれようと思っていた点を一応すべてにわたってふれられてしまい、混乱に陥ってしまった。

膨大な答弁がいきなり、いっきに返されてくると、これは情報の洪水ですね。ほとんど、パニック状態となってしまいました。

こんな失敗を繰り返すわけにはいきませんので、これからの議会ではどうしていくか、対応を考えていかなければなりません。



一般質問つまずく

2007年12月07日 07時32分16秒 | 議会
一般質問を終えました。
ただ、非常に不本意な内容になってしまい、自分の力不足を痛感しました。
今年最後の一般質問、落ち込みました。
3つ通告したテーマを「松阪駅西地区再開発について」ひとつに絞りました。
このままではテーマが大きすぎます。

そこで、
「来年5月には本組合を立ち上げるということですね。そうなれば、松阪市も組合員の一員として、この事業に関わる責任もいままでとは違ってくるのだろうと思う。組合設立後は、これまでのように、『民主導だから・・・』という言い訳は通らないはず。いま、大変不透明な状態にある事業協力者をどのようにクリアなものにしていくのか、責任ある答弁を求めます」

と書いたメモを午前中に都市計画課に渡しました。
質問は午後4時からなので、それまでに、彼らは、答弁を用意します。
 ☆通常、議員は質問原稿を渡してしまうか、質問内容を説明する代わり、答弁書(議会で答弁者が棒読みする答弁そのもの)をもらうようです。
 わたしはこれをもらっていません。
 質問の原稿やレジュメは手渡すが答弁書の受け取りは拒否しています。
 緊張感がなくなるからです。

一般質問をするためには、質問通告(テーマだけ)の提出が義務付けられています。
そのテーマが具体的であれば、答弁づくりも具体的であるのでしょうけど、「松阪駅西地区再開発について」というテーマだけでは、何を質問されるのかわからず困ることでしょう。
そこで、いわば、要旨のようなものを渡すことにしました。
時間は十分あるので、答弁書を書く時間はたっぷり。
見事にやられてしまいまいました。
予想に反して、わたしが1回目に質問をしたあと、「次はこんな質問をして、次はこんなふうに」とイメージしていたのですが、相手は一回目の答弁で、わたしが2回目の以降の質問でしていこうと構成していたことがらがすべて棒読み状態の答弁が返ってきました。
部分、部分を一つ、ひとつ確認しながら、質問して、テレビで見ている市民にも、市がどのような契約の仕方で事業の発注・監理とかを考えているのかをわかりやすく構築していくつもりでした。
しかし、初めに、すべてをまとめておおくくりで説明されてしまうと、こちらはメモをとるのが精一杯。
ひとつひとつ、確認しながら前へ進めていくという作業ができなくなってしまいます。
わたしも、他の議員のように、事前に、答弁書を受け取っていたら、前もって、答弁の中身の問題を押さえたうえで議会に臨むことができるし、メモに追われることなく、余裕をもって答弁を聴くことに集中できます。
そうすれば、答弁のあとの再質問への備えも十分できます。
いつもはあの手この手で、答弁書はなくても(質問は渡してあります)、失敗も成功も含めて対応してきましたが、きょうはパニック状態でした。
ほとんど、こちらから聴きだし、ひとつひとつの妥当性を探ろうとしていたことを十把一絡げに説明されてしまうととりつく島がありません。

十分に準備したはずでした。
でもうまくいかなかった。
答弁者の岩塚三善・建設部長の、あの、してやったりの顔ときたら。
悔しくて仕方ありません。
質問の要旨を好意で渡したがために、こちらは本当に悔しい思いです。
質問の組み立てをつぶされたに等しいのです。
フェアじゃないです。
相手は、わたしが配布した要旨を見て、質問の狙い目を完全に読んでいる。こちらはどのような内容の、どの程度まで踏み込んだ、こちらがテーマとしたことに正面から返してくるのかごまかしてくるのか、わからない状態です。

こうなったら、わたしも、他の議員と同様、答弁書を受け取り、事前に相手の出方を知っておくべきか。いままで、それは茶番だと思い、無理をしていきた。
きょうのような思いをするくらいだったら、わたしも1回目の質問を渡す代わり、その質問に対する答弁書を受け取ろうか。そうすれば、一回目の質問と答弁はまったくのセレモニー(情報交換)。2回目の質問からがいよいよ本番ということにしょうか。
それとも、今後は、一切、質問内容を説明もせず、抜き打ち本番ということにするか。松阪市の行政のことについて、事前にテーマを出してあるのだから答弁できて当然でしょ?

悩みどころです。
もちろん、自分の力量がいまよりうんと上ならなんということはないのですが。
そうでないのなら、へんなところでのこだわりは捨てて、議論の質を高めるために、事前の文書のやりとりを自分の中で認めるしかないのかも。